行き
日本からブータンへの直行便は無く、一旦バンコクへ行き、そこで一泊してからブータン航空でブータン唯一の空港、パロに向かう。バンコクでは、現地旅行会社のスーさんという女性が対応してくれたのだが、慣れない私たちのために、カウンターでの交渉や、空港税(実際は払わなくてよかったが)のためバーツを持ち合わせていない私たちのためにポケットマネーを下ろして両替してくれることを提案してくれたり、親身になって対応してくださった。
彼女いわく、昨年バンコクで行われたタイ国王即位60周年式典にブータン5代目国王であるジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王(当時26歳、現在27歳)が訪タイした時にはタイ中の女性が熱狂的なファンになったという。国王のブロマイド写真が飛ぶように売れたりと、それは大変な人気だったらしい。
スーさんに別れを告げ、飛行機に乗る。ブータン航空では、客室乗務員もブータンの民族衣装である「キラ」を着ていた。みんな日本的な美人であった。
ブータンの空の玄関口パロが近づいてきた。飛行機が高度を下げると、谷間に広がる美しい田園風景と、ところどころに白い伝統建築の民家が見えてきた。しかも、着陸時に機内に流れたBGMは、なんと日本の民謡と同じような節回しの竹笛と思われる楽器による演奏であった。日本の田舎にきたのかと思うほど、見慣れた光景に思えた。
空港も伝統建築の美しい建物であった。職員も、男性は殆どが「ゴ」という民族衣装を着ている。入国審査ものんびりしており、審査しながら後ろの同僚と談笑するような光景が見られた。また、キラやゴを着ている人は勝手にゲートを行ったりきたりしており、民族衣装さえ着ていれば勝手に入れそうな雰囲気である。

空港は谷間に滑走路が一本あるだけ。空港の建物さえも伝統建築であった。
ブータンでは個人旅行は認められておらず、定められた国定料金を支払ってガイドと運転手を付けなければならない。私たちは英語が得意ではないため、日本が話せるガイドを希望していたが、希望に添えない可能性もあると言われていた。
外で待っていたガイドさんに「クズザンポーラ」(ブータンの言葉で「こんにちは」の意)と挨拶をすると「コンニチハ」の返事。その後も流暢な日本語が続いた。ガイドさんはニードゥップさん、運転手はツェリンさんという。
パロ市場
まずはパロの市場に向かう。パロの市場は週に1回日曜日のみ。ティンプーは金土日の週3回。役所や会社勤めの人は市場が開いている時に1週間分の食料を調達するという。
車の中から外を見る。なんと美しい光景であろうか。両側に切り立った山があり、そこに白い伝統建築の家が点在している。どの家もかなり豪華で豊かに見える。貧しい農村と言う感じは全くしない。
市場の入り口に、祈りの歌と思われる歌を歌いながらマニ車を回す老人の姿を見る。市場の中は華やかである。トマト、ほうれん草、えんどう豆などの色とりどりの野菜の他、チーズ、線香、米菓子もある。奥の方には輸入物の服、靴など。そこらに犬が寝そべっていたり、ハエがたかっていたりするが、不思議と不潔さが無い。バンコクがカオスならば、ブータンは共存しているように見える。
パロの市場。ブータンでは農家が多く、自給自足が基本。市場は役所勤めの人などがよく利用する。
民族衣装
ブータンでは、女性は「キラ」男性は「ゴ」と呼ばれる民族衣装を着ている。ガイドブックなどでは、「ブータンでは民族衣装の着用義務がある」と書いてあったが、実際はそんなことはないという。ただし、学校に行く時や仕事中は必ず着なければならないらしい。町を歩いていると、キラやゴを着ている人はかなり多く、映画や買い物に出かける人も着ている。気軽な普段着としても、正装としても民族衣装が普及している。
ティンプーで出会った学校帰りの子供たち。話しかけると大抵嬉しそうに英語で話し、写真を撮ると喜んでくれる。
ガイドのニードゥップさん。ティンプーの展望台にて。
首都ティンプー
パロから2時間ほど車で走ると、ブータンの首都ティンプーがある。ブータンでは桁外れに大きな町だが、日本で言えば、野沢温泉町を少し大きくしたくらいの規模である。ティンプーでは映画を見たり、買い物をしたりと、他の町ではなかなか出来ないことをした。嫁の希望で美術学校の見学もできた。
左:ブータンには信号機は全く無い。手旗信号の警官はとてもかっこいい。 右:メモリアルチョルテンで祈り続ける女性。
左:美術学校にて。仏画を書いている様子。 右:校長先生と日本人の生徒さん。彼女は大学を休学して仏画を習いにきたとのこと。
映画を見る
ブータンで映画を見た。ブータンでは映画を賑やかに見るらしく、体験してみたかったのである。映画が始まる前、2階でのんびりしていると、ゴを着た男性に話しかけられる。話していると、なんとその人は映画館のマネージャーであった。映写室を見せてくれると言う。
中には、31年前に導入したというレトロな映写機があった。最近の映画はDVDだが、古いインド映画のフィルムではまだ使っているという。「3丁目の夕日」に登場しそうな雰囲気である。
左:映画館。2階建ての小さな建物。 右:映写室内。特別に入れてくれた。
映画館の中も、懐かしい雰囲気である。映画を写す際、目の前で職員がプロジェクターを操作している。会社のプレゼンで使うようなプロジェクターを、発泡スチロールの切れ端で高さを調整しながらスクリーンに位置を合わせている。
しかも、映ったのは、ウィンドウズのデスクトップのような画面であった。それを操作していると、まずはコマーシャル映像が流れた。そしてきっちり30分後、映像の途中なのにコマーシャルは強制終了され、一旦デスクトップ画面に戻った後、映画が始まった。
ブータン人は、映画を見ながら隣と会話し、音楽に合わせて足踏みし、面白い時は(私たちは何が面白いのか分からない時も多い)大声で爆笑する。映画中、携帯電話で話している人もおり、かなりゆるい。映画館は終始賑やかで、全身で映画を楽しんでいる感じがした。
ブータン映画は、現地のゾンカ語で作られており、言葉は分からなかったがストーリーは分かった。ストーリーは、それほど面白くなかった。しかし、全体的に優しさに満ちており、ブータンの良さを感じることが出来た。敬虔な仏教徒の国で、基本的に悪人はいないから、殺人は無く、死ぬ時は事故か病気。登場人物も本当の悪人はいないから、なかなか変化が付かないのである。
ゾン
「ゾン」は、日本語では「城」にあたる。正確には、ゾンは役所と僧院がひとつになった施設である。ブータンでは政教一体の国政を行っており、国王と僧正(ジ・ケンポ)は対等の地位となる。ゾンの中には中庭があり左手が僧院、右手が役所という具合になっている。政府だけが強大になっても、僧の権力だけが強大になってもいけない。そのバランスを取るのが大事なのだと、ガイドさんは言っていた。
左:プナカ・ゾンの全景。川の合流点にある美しいゾンである。 右:プナカ・ゾン内。釘を一本も使わない伝統建築は圧倒的。
左:ウォンディポダン・ゾン。尾根に沿って幅広く建てられている。 右:ウォンディポダン・ゾン内の僧。
ブータンでは、ゾンに限らず、建物は伝統建築で建てなければならないという決まりがあるらしく、いわゆるビルのようなものは存在しない。写真のゾンも、勿論現在使われているものであり、要するに都庁や市役所に相当するものなのである。
タクツァン僧院
タクツァン僧院は、パロから30分ほど車で走り、そこから2時間くらい山登りしたところにある。標高約3千m。ガイドブックでも特に大きく取り上げられている、ブータンで一番の名所である。体力はあるほうだと思っていたが、さすがに息が切れる。
間近でタクツァン僧院を見たときは、非常に衝撃を受けた。がけっぷちにしがみつくように建つタクツァン僧院は、写真で見る以上に深い崖である。下の写真の更に下側は、更に延々と崖が続いているのである。
タクツァン僧院。「タクツァン」は「虎の巣」の意。どうやって建てたのか想像もつかない。
民家訪問
ツアーの中で民家に訪問する機会があった。ブータンの民家はどれも大きい。昔は1階に家畜がいて、トイレから家畜の住処に落とされた汚物を食べて育てていたが、今では衛生面より家畜を外に飼っている。
2階は居間で、バター茶「スジャ」を頂く。ミルクティーに似た味で落ち着く味である。ブータン焼酎「アラ」も頂く。これは、日本の麦焼酎と全く同じ味である。
仏間も見せてもらった。一般的な農家でも、柱に彫刻が施してあったり、絵が描かれていたりと贅沢な造りになっているが、仏間は格別である。凄く豪華である。仏間にはおばあさんが毎日五体投地をする場所に床の磨り減った後がある。
左:民家の仏間。色とりどりで美しく、神聖な場所であった。 右:おばあさんが五体投地をする場所
パロ散歩
ブータン最後の日、パロの町を散歩した。町外れにはブータンの国技であるアーチェリー場がある。フェンスの近くでうろうろしていると、なんと中に入れてくれた。
ブータンのアーチェリーは、的までの距離はなんと150m、的の大きさは30cm程しかない。オリンピック競技の最長でも90m、的の大きさは122cmもあることを考えれば、途方も無い距離感である。しかも、ブータンのアーチェリーは、両陣営が互いの的を狙う形式のため、的から割と近い場所で応援している。間違って射ないか心配なほどである。
アーチェリー場にて。矢印のあたりに見えないくらい小さい的がある。私たちには当たったかどうかも分からない。
左:パロの市街地。座ってのんびりしているだけで満たされる。 右:パロ郊外。学校帰りの子供たちが歩いている。日本で言えば長野県に似ている。
最後に
「何故ブータンに行くのか」とよく聞かれた。面と向かって話すのは気恥ずかしくて言えないが、一番の理由は、ブータン国王が「GNP(国民総生産)よりもGNH(国民総幸福)を」と提唱したのを知ったからである。二番目の理由は、色々な文化が日本に似ているということを知り、それを見てみたいと思ったからである。
幸せとは何か。私は「幸一郎」という名前を与えられたが、意識することが余り無かった。「幸せが一番」とはなんと気楽な名前かと思っていた。そして、それは私が幸せになるよう親が選んでくれた名前ではあるが、私が他に働きかけるような、そんな意味は感じ取れなかった。
しかし、ブータンに来て、そうではないことを知った。Happinessとは、もっとも自然なことなのだということを知った。
ブータンで、幸せのキーワードを以下の3つと考えた。このうちひとつでも満たしていれば、幸せな社会と呼んでいいと思う。
・十分な食べ物があり、あくせくせず、争わない。
・全員が幸せを分かち合う。
・子供が元気である。
理論的根拠が無いので、何ともいえない。しかし、ブータンでは、物乞いもおらず、食べ物が不足しているようには思えない。そして、敬虔な仏教国であり、道徳的にも進んでいる。犯罪も少ない。そして、子供が元気に遊びまわっている。
ブータンは、2008年に君主制から民主主義に移行する大きな節目を迎える。国民による民主主義機運が高まったのではなく、国王が国王の意思で、国民に権力譲渡するのである。むしろ国民は国王による政治を望んでおり、いわば「ゆずりあい」の状態である。
ブータンでは、初の政党ができ、初の与党を選ぶ選挙が行われる。それらの準備がいたるところで行われていた。その後、このヒマラヤの小国がどうなるかは誰も想像が付かない。
これからも、ブータンを見続けていきたいと思う。そして、またいつか、訪れたい。
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