牛頭天皇祭(三宅島)



 牛頭天皇祭は三宅島の神着地区で毎年7月15日付近に行われるお祭りで、私が大学2年の時に木遣り太鼓を取り上げた際見に行った。その時はお金もあまりなかったので、テントを持ってフェリーの2等席に乗っていき、三宅島でキャンプをしながら祭りを見たのだが、三宅島に上陸して驚いたことは、まずそのヒマさである。

 朝6時ごろフェリーを降りてバスに乗り、無料キャンプ場で降ろされたとき、私たちは何もすることが見当たらなかった。小学生の団体が昼頃まで使用しているらしく、テントを張ることすら出来ない。しかも、祭りのメインは明日である。

 仕方なく、泳いだ。

 多少寒空で、他に泳いでいる人などいないが、やることがないのだから仕方がない。三宅島の海は極度の近深(遠浅の逆?)で、5メートルくらい行くともう足が届かなくなった。しかも波が異常に強く、さすが太平洋のど真ん中は違うなどと思ったのだが、後でそのとき本土のほうに台風が上陸していたということを聞かされた。

 その日の午後、太鼓の音が聞こえたので、そっちのほうへ行ってみると、村の人たちが木遣り太鼓の練習をしていた。びっくりしたのは、まだ幼稚園にも行っていないような小さな子どもまで、立派に太鼓を叩いていたことである。そして、主婦から老人までいろんな人がかわりがわり太鼓を叩いたいた。たいていの祭りでは太鼓を叩く人は保存会の人に限られているものだが、木遣り太鼓はここの人たちにとって、気軽に叩ける共有のリズムなんだと思った。

 そして、上手い人下手な人関係なく、みんな私たちの持っていない「なにか」を持っているような気がした。それは技術的な言葉で表せるようなものではなく、何年もかけて少しずつ積み上げられてきたものであり、彼らにとって一番慣れ親しんでいる自然なことをやっているようもであった。

 その日の夜、私たちはせっかくだからと思い、バーベキューをしたが、それが間違いのもとであった。

 マキの火のつけ方が分からず、2時間くらいかけて火を起こした後、ご飯を炊いたらほとんどが黒こげか、芯だらけであった。おまけにナナマガリという、珍しいきれいな円錐形の巻貝を食べたのだが、身がなかなか外れず、40分くらい四苦八苦した。

 次の日、朝から祭りを見た。「そろそろ出かけます」という木遣り唄に続いて皆で合唱し、神輿を激しく揉む。揉みの激しさは、神輿を担ぎながらスクワットをして、伸びたときにジャンプをするのを何度も繰り返す姿を想像すればだいたい分かるだろう。

 「今日のめでたさよ」という唄に続いて合唱し、揉む。
 「若い衆の意気地の無さよ」という唄に続いて合唱し、揉む。

 平たく言えば、このお祭りは

 木遣り唄→合唱→揉む

の流れをいろんな場所で延々と繰り返すだけである。そしてその間、木遣り太鼓が延々と叩かれているのである。

 この祭りのクライマックスは夕方4時から8時にかけての神社の鳥居の前でのやり取りである。神輿方は鳥居をくぐろうと何度も突進するが、太鼓方がそれを阻む。太鼓方がいないときに突進しても、前のほうで神輿を担いでいるじいさんがわざとズッこける。実は8時までは何をしても中には入れないのである。すでに担ぎ手は皆疲労しておりボロボロのグロッキー状態である。それでも木遣り唄が聞こえてくると皆で合唱し、揉む。するとたいてい神輿を支えきれず、崩れる。すると、前で御神木を持っているじいさんが御神木で神輿方を打つのである。皆気が立ってきており、よそ者が揉んで神輿を崩し、馬乗りにされて殴りかかられているのも見た。途中雨がふってきたが、かまわず太鼓は打ち鳴らされ、祭りの熱気はますます盛んになった。

 一度だけ、何かの間違いで太鼓の音が消えたときがあった。音が消えた瞬間、祭りの熱気やら興奮やらが消えうせた。祭りという非日常の世界から、急に日常の世界に引きずりおろされたのである。おそらく5秒くらいのものであったと思うが、非常に長く感じられた。音が消えた瞬間、

 「音を途絶えさせるな!!」

 という物凄い怒鳴り声が聞こえてきて、すぐに太鼓は再開された。

 8時になって、神輿はついに鳥居をくぐり、階段を駆け上った。担ぎ手は皆ボロボロの状態だったが、その足取りは力強かった。かなりの長丁場だったが、見ていて飽きることなく驚きの連続であった。

 が、本当に驚いたのはこの後である。神社に入り、三本締めをして終わりかと思いきや、まるで何事も無かったかのように盆踊りが始まったのである。それまでグロッキー状態だったはずのニイチャンが笑顔で焼きそばを売っていた。盆踊りも、私たちがよく知っているいわゆる「町内会の祭り」そのものであった。さっきまでのはなんだったんだろうと思った。

 この祭りの特徴は、観光客を歓迎しないことだと思う。祭りがある日はどこの店も閉まっており、昼ごはんに困った。しかし、真に自分たちのために祭りをするところが、例えば阿波踊りとは違うこの祭りの最大の魅力なんじゃないかと思う。そして、一部の保存会の人だけでなく、そこに生きる人全員で祭りを作っている、そんな感じのするとても暖かみのある祭りだと思った。

 最近、噴火の影響を乗り越え、再度牛頭天皇祭が行われたということを知った。是非また行きたいと思った。(2007/10/26追記)

牛頭天皇祭の写真はコチラ



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