小倉祇園祭(福岡)
小倉祇園祭は、7月の第3週目の金、土、日曜日に行われるで、山車の前後に太鼓を据え付け、その前後から太鼓を打ち鳴らしながら市内を練り歩く祭である。私は2008年に初めて祭を見に行った。メンバーはボンサン、シゲオ、モコであった。
<7月19日>
昼過ぎ、私たちは小倉駅に着いた。右も左も分からないまま、駅で配られたパンフレットを元に、「太鼓競演大会」をやっている小倉城大手門広場に向かった。
始まる前、夕立が降ってきたので、小倉城に入った。中には、「飛脚とレース」「電動駕籠に乗ってみよう」「昔の天秤で重さを量ろう」などのイベントがあり、職員のお姉さんも暇なのか、とても丁寧に遊び方を教えて下さった。他にも、「殿の一日」では、殿の駄目駄目な暮らしぶりが明らかになるなど、有意義な時間を過ごした。
外に出ると、雨は小降りになっており、競演会が行われていた。そこは、阿波踊りの桟敷席のようになっており、審査員がいる赤絨毯の道を歩きながら太鼓を打つものであった。
よくわからないが、何となくあまり盛り上がっていないなぁと思った。見ている人もまばらである。しかしまあ、太鼓を叩いているところも見れたし、ぶらぶら戻りながら見物しようと思い、駅に向かって歩き出した。
すると、紫川沿いの広場で、さまざまなチームが据え太鼓を叩いていた。その熱狂振りは、先ほどの競演大会とは比べ物にならないくらい盛り上がっていた。太鼓の叩き方は人によって、チームによってさまざまだが、共有するリズムはきれいに聴こえてきて、個性と一体感が同時に感じられる。なによりも、競演会とはうって変わって、物凄く楽しそうである。
更に、アーケードの中では、山車が曳き回されており更なる盛上がりであった。私たちが見たところ、彼らは大きく3つに分類できる。
@町内会 Aヤンキー Bその他
@は、町内会の組織で、近所の人たちが集まって和気あいあいとしており、子供から老人まで世代は幅広いが、特に子供が主役になっている。白系、青系の揃い浴衣を着ており、健全な雰囲気である。
Aは、黒を基調にした衣装を着ており、サングラスにリーゼント、モヒカンなど、思い思いの格好をしている。着ぐるみを着ていたり、山車の上に乗って、シュレッダーのくずを紙吹雪として撒くなど、悪ふざけも好きだが、きちんとほうきとちりとりも準備しているなど、行儀の良い一面もある。
Bは太鼓が好きな人たちのサークルのようなものである。
特に、@とAの対比は、その本質は別として、ビジュアル的には正義と悪くらいにはっきり分かれており、面白い。町内会とヤンキー、水と油ほども違うはずの彼らが違和感なく共存しているところは、他の祭にはない面白さだと思う。
彼らが入り混じったアーケード内は本当に楽しかった。子供も大人もヤンキーも、心から祭を楽しんでいるなぁと思った。
どこの町内会か、山車の先頭で小倉祇園囃子を唱えている女の子の、とても一生懸命な姿に見入ってしまった。
小倉名物太鼓の祇園
太鼓打出せ元気出せ
あっやっさやれやれやれ
小倉祇園さんはお城の中よ
赤い屋根から太鼓がひびく
あっやっさやれやれやれ
太鼓打つ音海山越えて
里の子供も浮かれ出す
あっやっさやれやれやれ
少し涙が出た。何が彼女をこれほど一生懸命にさせるのであろうか。それは、「この町と人が好きだ」ということであろう。小倉の町は彼女にとって、いくつになっても愛すべき故郷であり続けるだろうと思った。

左:道交法に従う山車(写真は信号待ち
) 中:太鼓を叩く覆面レスラー 右:熱心に小倉祇園囃子を唱える女の子
<爆笑神楽>
20日は、まず八坂神社へ向かった。資料によれば、そもそも小倉祇園祭は八坂神社の例大祭らしい。しかし、あまり人はいなかった。やはり祭の中心はアーケードらしい。
お参りしていると、中で奉納神楽が始まった。そして、中に入れてもらえることになった。ここで、神楽の固定観念が覆された。
神楽を見ているうちに、どうやらヤマタノオロチの話であることが分かってきた。ヤマタノオロチは、どんなおぞましい姿で現れるのかと思いきや、ねずみ男のような服に獅子の面をして現れた。そして、酒を飲むとまるでオッサンのようにごろりと寝っころがるヤマタノオロチ。
そこへ現れたスサノオノミコトは、ヤマタノオロチをぐるぐる回ったり飛び越えたりした後、まるで酔いつぶれたオッサンに駅員が
「終点ですよー」
と言わんばかりにぐらぐらと揺り起こした。せっかく酔わせたのになぜ起こすのか。そのあたりで爆笑した。
更に、スサノオノミコトとヤマタノオロチが戦う姿は更に面白かった。始めは神楽ぽく演技するのだが、そのうち取っ組み合いのけんかのようになってきた。スサノオノミコトをバックから羽交い絞めにするヤマタノオロチ。更には客席にまでなだれ込んでの大乱闘となり、
「がんばれスサノオ!!」
などの野次が飛んた。あまりの面白さに、笛の伴奏していた巫女さんも総立ちとなり、神楽はプロレスのような熱気となった。そして、スサノオノミコトの大勝利!
凄いのは、その一部始終ずっと、ぴくりとも動かず戦局を見守っていたクシナダヒメであった。これは一番辛い役柄であろう。
神楽が終わって、私たちは爆笑し続けた。何回思い出しても面白いし、観客もそれを楽しみに来ているようであった。神楽がこんなに面白いとは知らなかった。

取っ組み合いをするスサノオノミコトとヤマタノオロチ
<行政、官憲>
その後は、パンフレットに載っていた据え太鼓競演会を見に行った。昨日と同じく小倉上大手門広場に行き、炎天下、見物した。
昨日も思ったが、ここのイベントはあまり盛り上がっていなかった。パンフレットに載っているイベントはことごとく面白くない。なんとなく、祭が行政によるコントロールを拒否しているように思えた。かろうじてコントロールしているのは、強権を発動できる官憲(=ポリス)だけである。
競演会に飽きて、小笠原庭園に行った。「日本のゲーム展」では、昔の将棋を見て興奮していた。昔の将棋は駒の種類も多く、盤のマス目も多い。「金将」「銀将」のほか、「銅将」「鉄将」「石将」などもあり、歩の上には「仲人」「犬」など、およそ役割の分からない駒もいた。
その後、庭園の縁側に座って小倉城を仰ぎ見れば、その隣に官憲のシンボルマークを付けた高層ビルが建っていた。案内してくれた職員のお姉さんに「あれは酷いですね」と話しかけたら、彼女も「ここにも景観を損ねる建物を規制する条例がなくて、仕方ないんですよ」と言った意味のことを話しており、官憲の建造物には立腹の様子であった。
官憲と言えば、「小倉の警察は若者に厳しい」と、小倉祇園太鼓で知り合ったノブくんが言っていた。確かに、警察は祭のアーケードを10人が1列になって厳しい表情で行進していた。それでも、「祭の時だけは、警察も若者に優しい」らしい。

官憲の立てた看板。休憩すらも厳禁らしい。
<アーケードにて>
ともあれ、そんな風に暑気を払い鋭気を養った後、アーケードを見に行った。祭は夜の11時頃まで行われるのだが、最後の方は見ている方まで興奮するほど盛り上がる。太鼓を叩く少年、リズムに合わせて周りでメチャクチャな踊りを踊っている女の子たち、電車ごっこのようにつながって山車の周りを回る若者、太鼓の轟音と掛け声が一体となって、祭は最高潮を迎えていた。
見に来てよかったと、心から思った。
そんな中、太鼓を叩いていた女の子が、バチが差し出した。「一緒に叩きましょう」と言う。こんなクライマックスでよそ者が叩いてもいいのかと思ったが、とにかく叩いた。最高に楽しかった。

左:一生懸命太鼓を叩く子供たち 中:クライマックス 右:太鼓を叩くシゲオ
本当に楽しい2日間であった。太鼓を叩いている小倉っ子は、子供もオッサンもヤンキーも最高にカッコいいと思った。カッコいいと言えば、ボンサンもシゲオも私も、口を揃えて「小倉には美人が多い」と言ったし、モコは「カッコいい男が多い」と言った。ハレの日であるという錯覚かもしれない。しかし、そんなことはどうでもいい。小倉は美人が多い。
また来年も来たいと思った。(2008/7/21)
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