2007年
沖縄旅行記(2007年1月)




 1月27〜29日、風邪をひいたまま沖縄に行ってきた。メンバーはタザワ、イラハ、ミヤチ、シゲオ、ユウノシン、ユキ、私の7人であった。タザワが沖縄のマラソン大会に出場するため、その応援、というのが名目である。

 「名目」。旅行前日のイラハとのスケジュールの打合せのイラハの発言が、それを如実に表している。、

「タザワが走っている間は俺たち観光してていいんだよな??」

 以下、項目別に内容を記す。


<ルートビア>

 沖縄での最初の食事は沖縄独特のファストフード店「A&W」であった。A&Wの定番ドリンク「ルートビア」を皆で飲んだ。「ルートビア」はA&Wの創業者が薬屋の店員だった頃、病気の友人の為に薬草、薬品を調合した体に良い飲み物を作ったのが始まりとされる。沖縄の定番ドリンクだという。

 一口飲んで、がっかりした。非常にまずい。膏薬を溶かして飲んでいるような気がする。しかも、お代わり自由である。丁度体調が良くないので、これを飲めば元気になるかと思い、お代わりしてみたが、体調は一向に改善しなかった。


ルートビアを飲んでがっかりする私。イラハデジカメの沖縄旅行記念すべき1枚目となる。

 その後、紆余曲折を経て、深夜に入った民謡酒場で本当に沖縄人はみなルートビアが好きなのか聞いてみたところ、苦手な人も多いことを知って安心した。


<沖縄マラソン大会>

 さて、本旅行のメインイベントとなる、「タザワ応援」である。前日は明け方の3時過ぎまで遊んでおり、当日は朝7時に起きて会場に向かった。全員コンディションはいまいちである。


左:マラソンが始まるまでだらだらする応援メンツ   中:タザワ走っている間、遊具で遊ぶ応援メンツ   右:記念撮影。この後タザワは休む暇も与えられず観光に連行される。

 とりあえず、タザワがスタートする時、応援し、見えなくなったら会場にあるおもちゃで遊んだ。そして、約40分後、タザワのゴールを見届けてすぐに観光へ向かった。タザワは何故沿道で応援してくれないのか、不満そうだった。


<エイサー>

 マラソンが終わった後、名護市で「さくらまつり」が開かれており、エイサーのパレードを見に行った。本場のエイサーを見るのは初めてである。

 エイサーは、かっこよかった。民研でやったエイサーはあまり好きではなかったが、本場のエイサーは動きも音も全く違う。太鼓はきびきびとして迫力があり、女手踊りは手の動きが優雅で美しい。

 そんな中我々が注目したのは「チョンダラー」であった。「チョンダラー」とはエイサーの道化役で、今回ふたりいたのだが、その中のひとりがダケヤンそっくりだったのである。彼は終始だるそうに踊りの列の合間をうろうろ歩き回っていたのだが、その様子がコミカルであった。


エイサーの様子。真ん中は「ダケデチョンダラー」。踊っている最中の動きとは思えないのが面白い。しかし、たまに見せる踊りは上手い。




<ムーンビーチ>

 二日目の夜はイラハホテル、ムーンビーチに泊まった。「リゾート」と聞いて連想する光景が、目の前にあった。深夜まで宴会をしたが、タザワが持ってきたアルコール45度の日本酒を飲み始めたら皆次々と寝床に就いた。


左:ムーンビーチの様子           中:プライベートビーチにて。真冬とは思えない。          右:プールでくつろぐタザワ




<美ら海水族館>

 最終日はタザワは送り出した後、「美ら海水族館」に向かった。天気は晴れ、東京での5月頃の暖かさであった。

 美ら海水族館は、水族館の常識を覆すほど圧倒的な迫力があった。本当に海の底にいるような気になってくる。巨大水槽にはジンベエザメやマンタが悠々と泳いでおり、小さな魚は「魚群」としてあたかもひとつの生命体であるかのように動いていた。


左:美ら海水族館前にて        右:顔ハメするイラハ。冴えない

左:驚く我々          右:名物ジンベエザメ。超巨大。




<グスク・首里城>

 水族館に行った後は、シゲオのたっての希望により、「グスク」(城跡)に行った。シゲオは旅行中ずっと「グスク!グスク!」と騒いでおり、マラソンの応援などは眼中に無い様子だった。

 「座喜味城跡(ざきみグスク)」に着いた途端、シゲオは走り出した。そして、「これは良いグスクだ!」と騒いでいた。

 もうすぐこの旅も終わる。ミヤチは座喜味城跡を見た後、一足先に帰った。私たちはその後那覇に戻り、首里城を巡ってから家路についた。


左:グスクとシゲオ                  中:座喜味城跡にて                  右:首里城守礼門前にて






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