タイ旅行記
2005年1月




 1日目
 夕方にタイに着き、空港を出ると、まるで日本の夏の夜のような蒸し暑さを感じた。タイは現在冬らしいが、それでも日本の真夏並みの気候である。一番遠い季節を感じ、懐かしい気分になった。タクシーに乗ると、運転手が道に迷い、えらく遠回りをしてホテルに着いた。後でもタクシーが道を間違うことは多々あり、日本との違いを感じた。


 2日目
 次の日は、バンコクの寺を見に行った。最も驚いたのは、タイ人の仏教に対する敬謙さである。タイ人は、休日になると徳を積む為に参詣し、拝み、お布施をする。自分の持っていない「宗教」というものを初めて肌で実感した。タイでは「人の為に尽くす」ことは当然な行為であるらしく、プーケットへのボランティアも、当然のように人が集まるらしい。


左:祈る人々  右:ワット・ポーの巨大仏


ワット・アルンとチャオプラヤ川

 チャオプラヤ川を渡ったところにある、「ワット・アルン」では、面白い光景を見た。入り口付近にベニヤ板で作った顔ハメの絵があり、下の方に小さい字で「40バーツ(約110円)」と書かれている。それに気付かずに外人が顔を覗かせて写真を撮ると、どこからともなく爺さんが現れて金を請求する。そこで諍いが起こる。40バーツと言えば、屋台のラーメンが2杯食べられる金額である。全く色んな商売があるものだと、感心した。妹は、休日にはワット・アルンに赴き、この一部始終を眺めては、ほくそ笑んでいるらしい。


何も知らずに顔ハメに興ずる外人と、
愛想良く写真を撮るぼったくり爺さん

 歩きながら、妹は「あの人はゲイだ」とか教えてくれた。タイには、ゲイが多いという。妹によれば、ゲイだからといって社会的差別を受けているわけでもなく、普通に暮らしているらしい。妹は、ゲイと女性を見分けることが出来るらしく、歩きながら教えてくれたが、私には見分けがつかなかった。

 そして、夜はゲイショーを見に行った。本物の女性以上に美しいと思った。



 3日目
3日目は、「世界の車窓から」に登場するような列車に乗って、アユタヤー遺跡に向かった。アユタヤー遺跡は、バンコクから列車で北方に一時間ほど行ったところにある遺跡で、14〜18世紀に繁栄し、ビルマにより滅ぼされたまま、ほとんど修復されず野晒しになっている。


 アユタヤーに着き、トゥクトゥク(タイの三輪タクシー)を半日チャーターしようとして、妹が運転手のオッサンと交渉したところ、はじめ1400バーツ(約3900円)と言われた。この値段は、タイでは法外に高いらしく、500バーツ(約1400円)まで値下げし、駄目押しに母が片言のタイ語で450バーツ(1260円)まで下げて妥結した。

 その後、トゥクトゥクに乗って食事に行き、帰ってくると、トゥクトゥクの運転手がオッサンから高校生くらいの少年に代わっていた。どうやらオッサンの弟子らしい。年配のオッサンはこんな安い仕事はしたくないらしい。少年は遺跡にもついてきて、親切に案内してくれた。

 遺跡は、感動的だった。かつてビルマ軍に滅ぼされ、そのまま野晒しにされて残された遺跡は何を言いたいのであろうか。過去の栄華を誇りたいのか、戦争の悲惨さを語りたいのか。それとも諸行無常を説きたいのか。遺跡は何も語らない。そして、そんな言葉では表せないような、心の揺さ振りを受けた。

 トゥクトゥクに戻ると、今度は助手席に可愛らしい女の子が乗っていた。少年の彼女らしい。ふたりとも17歳らしい。妹は「羨ましい」としきりに言っていた。


左:木になった仏像   右:廃墟の風景


左:首を取られた仏像  中央:破壊し尽くされた遺跡  右:トゥクトゥクの少年と彼女

 一通りアユタヤーを巡り、最後に行った遺跡の芝生でライトアップをのんびり待っていると、運転手の少年が来て、しばらく妹とタイ語で話していた。自分のことを話し、日本のことをいくつか聞いていたようだ。そして彼は、日本と言う経済大国から来た私たちが、トゥクトゥク料を値切り、ろくに土産も買わずに帰るのが不思議だったらしい。

 最後の夜は、屋台で食事をし、妹の家で泊まった。給湯器はないらしく、水のシャワーを浴び、ビールを飲んで寝た。



 4日目
 朝起きると、物凄い数の小鳥が鳴いていた。まるで八丈島の朝である。すぐに空港に向かい、家路についた。

 非常に楽しく、充実した旅であった。タイは食べ物も美味しく、暑さに強い私にとっては気候も快適であった。また、バンコクでは、物凄い勢いで成長しようとするエネルギーや、人々の生きようとする力を感じた。そして、何よりも妹の元気な姿を見れたのが良かった。


左:タイ式ジュースの飲み方  中央:タイ式マクドナルド  右:母と妹

  

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