2001年
7月27日〜10月28日のつぶやき




・10月27日  『熟茶』を獲る
 今日サークル棟の前の自販機の近くでしゃべっていたら、友人の一人が「自販機の奥に『熟茶』が引っかかってて今にも取れそうだ」と言った。取り出し口を覗き込んでみると、確かに手を伸ばせば届きそうな位置に『熟茶』が縦向きに引っかかっている。手を突っ込んでみたら、『熟茶』に触れることは出来るものの、取り出し口の構造が複雑に入り組んでいて、取り出すことは非常に難しそうであった。手の小さい女の子に頼んでやってもらったが、やはり取り出せない。
 自分はその時決して暇ではなく、その後すぐに用事があったのだが、どうしても『熟茶』を取り出さないと、気になって有意義な一日を過ごせないと思った。
 色々悩んだあげく、取り出し口にショックを与えて取り出す作戦を考えた。縦向きに引っかかってる『熟茶』を横向きにすることが出来れば、ゴロンと転がってでてくるのである。取り出し口のふたを開けて、中の『熟茶』めがけてパンチをかましてみた。しかし『熟茶』は位置を変えるのみで一向に横向きにはならない。何度か試みたのち、渾身の力を込めて思いっきりパンチしてみた。するとついに『熟茶』がゴロンと転がり落ちてきて目の前に現れた。

 おれは狂喜した。数年に一度位しか来ないであろう程の喜びだと思った。
 大げさすぎると思うかもしれない。確かに楽しいことは、これまでにも山ほど経験してきた。しかしこれほど素朴で、衝撃的で、純粋な幸福はめったに来ないような気がしたのである。
 その後喜びをかみしめながら『熟茶』を飲んだ。いつもはあまり好きではないのだが、その時ばかりは至高の味に思えた。

 一応断っておきますが、ショックを与えたとは言っても、自販機の故障につながるようなことは一切やっていないのでご安心を。


・10月26日  サムトゥッソリステージ
 十日ぶりにここに書き込むことになる。ここにあまり書き込むことがないということは、もしかしたらおれの創造力であるとか、イマジネーションであるとかが欠落してしまっているのではないかと思ってしまい非常に不安になってしまう。まあとりあえず最近あった出来事について書き込みます。
 昨日サムトゥッソリステージというのがあった。韓国のポップミュージシャンのステージだったのだが、もちろん韓国語で歌うので何といっているか分からない。しかし、メロディーや歌い手の表情で、何を言おうとしているのか伝わってきた。意味はわからなくても、その曲にこめられた感情は伝わってくるのである。ベタながら「音楽に国境はない」などと思った。
 しかし、後でもらったパンフレットに載っていた日本語訳を見て非常に衝撃を受けた。その歌詞はあまりに直接的で、具体的で、生々しかった。その時代を生きた人の魂の叫びが、恐怖を感じさせるほど強烈に表現されていた。
 自分が感じたことなどは、歌い手が伝えたかったことのほんの一部分でしかないのだと思った。

 演奏会が終った後、サイン会があったのでサインをもらいにいった。まず、サインをもらいにいくという経験自体が初めてだったので新鮮だった。サインを書くスピードは驚くほど速く、かつ何を書いているのか分からなかった。まずそれが、アルファベットなのか、ハングルなのか、日本語なのかそれすら分からなかったのでびっくりした。サインをくれた人たちは、さっきまでの舞台での輝きとは違って、ごく普通の気さくな人たちに見えた。


・10月15日  八丈太鼓ステージ
 今日、八丈島の唄と踊りと太鼓のステージを見に行った。非常に素晴らしいステージだった。驚いたのは、けっこうなチケット代を取る割には、演奏者にプロ意識がほとんど感じられなかったことである。これは悪い意味で言っているのではない。むしろそうだからこそ、決して飾ることなく、心の底から音楽を楽しむことの素晴らしさを感じることができた気がする。
 八丈の島唄を聴いていると、それが彼らにとってあまりに何気なく、空気のように存在しているものなんだと感じた。そして私達が失ってしまった物への憧れを感じた。
 八丈の踊りは会場にいる人も交えて行われた。会場には八丈出身の人も多いらしく、若い人も飛び入りで踊りに参加していた。その姿は非常に楽しげで、郷土の芸能を年齢に関係なく、平等に楽しめることをうらやましく思った。
 そして何より強く思ったことは、「太鼓の音はいいもんだなあ」ということである。あれだけ太鼓に身近に接していながら、太鼓の音のよさをしばらく忘れていた。打ち方や技巧のことに目が行ってしまい、「太鼓」と言う楽器のよさを忘れていたのである。一年生の頃に、初めて太鼓の演奏を生で聴いて、心の底から感動したことを思い出した。そしてその時の気持ちをこれからも忘れないようにしようと思った。終ったあと、涙を流して感激しているお客さんもいた。八丈を離れ、本土で暮らしている人々も、生まれ故郷を大事に思っているんだなと思った。
 帰りに外にでて上を見上げると、アサヒビールのビルの屋上にあるウンコが光り輝いていた。なぜこんな形をしているのだろうと毎度ながら思った。


10月10日  タランチュラーとの格闘
 今日卒業研究の実験をした。雨が降っていたので乗り気がしなかったが、そう言っていてはいつまでたってもやらないだろうと思い、やることにした。実験室は森の中にあり、大学内の道路を外れて、道なき道を歩いていったところにある。雨が降っていたので、草木やぬかるんだ地面で全身ぐしょぐしょになった。実験室はお世辞にもきれいとは言えず、薄暗くじめじめしている。
 鍵を開けて中の電気をつけると、なにかコソコソ動くものがあった。よく見ると5,6センチはあろうかという巨大なクモだった。

 まさにタランチュラーだ。
 いきなり明るくなったことに驚いてか、タランチュラーはゴミ箱の陰に隠れた。ゴミ箱を持ち上げると今度は棚の陰に隠れる。もう無視して実験を始めようかとも思ったが鳥肌が立って始められそうにない。仕方なくタランチュラーと闘うことにした。
 しかしクモを殺すことには気が引けた。昔からクモを殺すと雨が降るというし、こんなにでかいクモを殺すとさぞかしブルーであろう。色々考えたあげく、その場にあった布切れでタランチュラーをはたき、ドアの外に追い出す作戦をとることにした。

 しかし相手はタランチュラーである。
 どのような攻撃を仕掛けてくるか分からない。十分に用心しながら一気にタランチュラーをはたいた。するとタランチュラーは途中のコードに引っかかり仰向けになった。起き上がれないでもがいている。そこでコードをどけて、もう一度はたいた。するとタランチュラーはドアの外に落ち、動かなくなった。別に殺すつもりはなかったのに。何て弱いんだろうと思った。

 布切れで、はたいただけである。
 ドアの外で元気に這い回るものと思っていた。でかい=強い、とは限らないんだと思った。よく見ると、コードの近くにタランチュラーの足が一本落ちていた。非常にブルーになったが本当にブルーなのはこの後である。
 気を取り直して実験を始めた。途中用があって実験室の外にでたら、タランチュラーは雨に打たれながらまだ、かすかに生きていた。全くかわいそうなことをしたと思った。どうせなら一思いに殺してあげればよかったと思った。まさかこんなに弱いとは思わなかったから。しかしこのまま放っておくのは、いくらなんでもかわいそうだと思い、とどめを刺した。
 非常に罪深さを覚えた。


・10月9日  国会中継
 今日生まれて初めてNHKの国会中継を見た。大橋巨泉が小泉首相にさまざまな質問をしていた。質問内容はまるで容疑者に対する取調べのように感じた。「何月の何日に誰それに電話をかけていましたね」とか「この英語の意味をご存知ですか」といった内容だ。
 まるで小泉首相を困らせるためだけに理論武装してきましたという風であった。小泉首相も負けてはいなかった。巨泉のことを暗に皮肉ったりしながら応戦していた。周りの議員たちはそのやりとりを時には笑い、時には拍手をしたりしながら見守っていた。時に「静粛に」と言われてもざわつきが収まらないこともあった。

 僕達と一緒だと思った。

 それにしてもあんな話し合いをすることが、日本を良くすることに少しでも影響するのだろうか。
 無知な私には分からなかった。


・10月3日  内定式での普及活動
 会社の内定式に行ってきた。その際渡された書類の中に、一枚の楽譜が入っていた。やはり音楽をやっている人間としては気になって仕方ない。話も聞かずにずっと楽譜に目を通していた。
 歌詞は多少変なところもあるが「夢」について情熱的に語られている。メロディは一昔前のポップソングといった感じであるが、素直で、歌っていると自然と表情がつきそうで、なかなか素晴らしい。昔流行った曲だろうかと思っていたら、どうやら会社のグループソングであるという。社員からキーワードなどを募集して作ったらしい。「後の懇親会で練習をして皆で歌うから、」といわれた。
 非常に楽しみであった。まるで民研の普及活動ではないか。普及活動をまさか会社で出来るとは。そして期待通り懇親会はまさに普及活動そのものだった。
 まず一回通して聴いて、その後フレーズごとに区切って練習した。Bメロからサビへの盛り上がりが素晴らしかった。そして何より前で仕切っているおっちゃんの表情がよかった。
 しかしあたりを見回してみると明らかにみんな引いていた。やはり普通はそうであろう。自分は民研でよくやっているから興味を持っていたけど、そういうものに触れたことがない人にとっては恥ずかしいし、苦痛かもしれない。歌の練習をしながら普及活動の難しさを痛感した。
 練習の後のパーティーでかのおっちゃんと話したいと思い、探したが見当たらなかった。あれだけ前で堂々と歌っていたのに顔も名前も覚えられなかった。顔は自分の頭の中に焼き付けたつもりでいたのに。
 自分の記憶力のなさにあきれた。


・9月28日  服を買う
 今日、すごく久しぶりに服と靴を買いに行って来た。本当に着るものと履くものがなくて困っていたのである。
 まともな靴は、セッタ以外には一足しかなかった。ズボンもひとつを除いては妹のお下がりばかりで、サイズが全く合わない。
 これからの生活を送るに当たっての、必要に迫られての買い物であった。
 まずはユニクロに行った。とりあえず黒いジーンズが欲しかったので、色々探しては試着してみた。ショックだったのは、試着している自分を見て、それが似合っているのかどうか、また、どのような合わせ方をすれば映えるのか、全く見当がつかなかったことである。試着室の鏡の前でぼう然と立ち尽くしてしまった。「なんとなくこんなのがいい」というのは一応ある。しかしどうすればそれに近づけるのか分からないのである。自分のファッションセンスのなさと、色彩感覚の乏しさを痛感したのち、「買ってから考えよう」という結論に達した。
 その後、靴屋で靴を買い、895円のジャージ上下を買った。結局ズボン一足と上着2着、靴2足にジャージ上下で1万5千円ほど使った。買った量にしては安いのではないだろうかと思う。

 そういえば今日のニュースで「現金輸送車を襲い5千万円強奪」というのを見た。「ハンマーで警備員を殴るなどして逃走」したらしい。
 正直驚いてしまった。あまりの古風さに、である。
 やれ少年犯罪だ、ネット犯罪だと騒がれている現在、あまりに目的がはっきりしていて、分かりやすすぎる犯罪ではないか。よくないことだと思いつつも、ある種の懐かしさを覚えてしまった。おそらく警備員もあまりに一般的すぎて、逆にまさか現実に起こるとは夢にも思わなかったであろう。そして、今ごろ犯人達は僕達が見た漫画のように5千万円を前にほくそえんでいるに違いない。


・9月26日  八丈島のこと
 八丈島に行って来た。一泊二日の慌ただしい旅だったが楽しかった。なにより一番印象的だったのは帰りの船だった。出航のとき、見送りの人がみんな手を振っていた。見送りの人だけでなく、毎日のように来ているはずの荷降ろしの仕事の人まで手を振っていた。
 この島のあたたかみを感じた。別名「情け島」と呼ばれることがなんとなく分かる気がした。
 朝歩いていたときにすれ違ったおばあさんが普通に挨拶してくれたことを思った。
 出航の時間が近いのに帰ってこない私達を心配して、みやげ物屋にまで電話してくれた民宿のおばちゃんのことを思った。
 たった一泊しかしてないのに、出航のとき横浜に「帰る」というより「行って来る」という感覚があったのが、非常に印象的だった。
 東京に着いたとき、それまでとのあまりのギャップに驚いた。来るときはきれいに見えた夜景が、石油のかたまりに見えた。自分たちはなんと無用な浪費をしていることかと思った。今ある便利で豊かな生活は、あらゆるスピード化に迫られて仕方なく出来たもののような気がした。
 八丈島で、ひとつの景色をいつまで見ていても飽きないことを尊く思った。


・9月15日  大阪でのハプニング
 今朝深夜バスで大阪から帰って来た。かの有名な「岸和田のだんじり」を見に行ったのである。実はこの深夜バスに乗るときにちょっとしたと言うか、かなり大変なトラブルがあった。なんとバスの指定券の日付が一日ずれていたのである。これは明らかにチケットセンターのミスなのにもう満席だからあきらめてくれと言われ、さらに食い下がると、キャンセル待ちの券をくれた。要するにキャンセルがあれば帰れるが、もしなければ野宿ということになる。しかもその時5人(含一年生女の子)いたが、全員が帰れるとは限らない。
 しかし、そうこう話しているうちに「野宿もいいのではないか」という風潮になってきた。
 だんじりの本番は二日目である。
 我々が見たのは一日目だけである。大阪の夜を満喫した後、だんじりを最後まで楽しむというのも素晴らしいのではないか。心配だったのはかの一年生女の子であったが、彼女も面白そうといいだした。しかしやはり結論は微妙で、結局5人でじゃんけんをして負けた人から順にキャンセル待ちのバスに乗ることにした。おれは三番目だった。バスが到着して次々と指定券を持った人が乗り込んで行く。それが終ったあと、ついにキャンセル待ちがまわってきた。まず最初の二人が呼ばれ、あっさりバスに乗り込んでしまった。バスの中に消えていく彼らの表情はなんとなく切なげに見えた。それを見ておれははっきり確信した。
「おれは帰りたくない」
と。
 そのわずか20秒後、
「はいじゃあ、残りの三人のってや〜」
あっさりバスに乗せられてしまった。
 とりつくしまもなかった。乗ってから、もし野宿してたらどれほど楽しかったろうという気持ちに襲われた。しかしもうすでに手遅れである。今日中に帰れたことを喜ぶことにしよう。

 その時思ったのはおれらは幸せ者だということである。たとえどんな状況に陥ってもそれを楽しむことが出来る。今日帰れたらそれは嬉しいし、帰れなくてもそれなりに楽しめる。なんでも楽しい方向にもっていけるというのは本当にすばらしいことだと思った。そしてこれが民研の、民研人のいいところだと思ったのである。

 しかし、横浜に着いたあと、疲れのあまり相鉄で横浜→海老名→二俣川と経由して大和にたどり着いた。相鉄だけで一時間も乗ってしまった。非常にブルーな気持ちで家に帰った。


・9月7日  山梨の猿橋
 ゼミ合宿の帰りに山梨にある猿橋に行ってきた。猿橋は日本三大奇橋のひとつで、なるほどとても面白い構造をしている。実は夏合宿の後の鈍行の旅でも行っており、わずか10日ほどの間で2回も猿橋に行ったことになる。この猿橋はなんとあの八木節の国定忠治が役人に追われ雨中の激流に身を投げ難を逃れたという伝説を持っている。しかも身を投げた後菅笠と蓑を並べておいてあったいうのだからにくらしい。上から覗くと電情棟の屋上位の高さがあった。

 国定忠治はすごいと思った。

 そのあと車の中でテーマなしの山手線ゲームをやった。要するに思いついた単語何を言ってもいいわけである。何を言ってもいいのになぜかあまり続かない。人間の想像力の貧困さを痛感した。
 あと資料採取用の注射器を水鉄砲にして遊んだ。単発だが下手な水鉄砲より威力がある。
 山梨の川はとてもきれいだと思った。


・9月3日  おわら風の盆のこと
 ついさっきおわらツアーから帰って来た。おわらはこれで二回目だがやはりおわらはいいと思った。とはいっても最初からそう思っていたわけではなかった。むしろ最初のほうは多すぎる観光客やそれを狙って法外な値段で商売をする現地の人々にうんざりしていた。そして確かに踊りも上手で伴奏も美しいが、わんさか集まる観光客のために踊る彼らは、僕にはあまり魅力的には映らなかった。
 しかし夜中の三時ごろにみた観光客が帰ったあとのおわらは本当に素晴らしかった。

 今年もおわらに来てよかったと心の底から思った。

 何が素晴らしいかというと真に自分達のために踊っているという点である。深夜になると踊り手は編み笠を脱いで踊りだす。それは笠を脱ぐことによってそれまで閉ざしていた心を開いたかのように見えた。自分達が純粋に楽しむために踊る踊りはとても活き活きしていた。夜中に現地の爺さんが
「踊りはあまり上手くならん方がええ」と言っていたのがなんとなく分かる気がした。
 おわらを見ながら次はおわらをモチーフにした曲を創ってみたいと思った。


・8月30日  千と千尋の神隠し
 もう十日も前の話になるが、ついに「千と千尋の神隠し」を見に行った。どうしても夏合宿前に行きたくて、忙しい合間を縫って家から自転車で五分のところにある映画館へ行った。
内容は非常に素晴らしかった。何度も感涙した。両親をブタにされて泣かない人はいないであろう。クモみたいな爺さんが「愛だよ」とつぶやいたところが非常に印象的だった。あまりに直接的で的を得ている表現に心打たれた。

しかし謎も残った。

一つ一つの話に没頭しているうちに全体的な話の流れが分からなくなってきた。この人は今すごく頑張っているけど、そもそもなんでそんなに頑張らなくてはならなくなったんだろうとか思ったりする。
まただ。
おれは頭が悪いのだろうか?ともかくもう一回くらい見に行ってはっきりさせようかなと思っているところである。


・8月6日  ジェラシックパークV
 今日は3年ぶりぐらいに映画を見に行った。「千と千尋の神隠し」を見ようと思っていたのだがどうも時間的に合わなかったため、「ジェラシックパークV」をみた。
残念だったのは、最初の方は恐竜のリアルな表情に驚愕したり、そのしなやかな動きに感動したりしていたが、中盤以降になってくると変に冷めてしまい「また恐竜か」となってしまったことである。やはり朝まで飲んでそのまま行き当たりばったりで見に行ってしまったのがいけなかったのか。最後の最後まで感動し続けながら見たかったと思った。しかも最後の方は集中力がなくなってしまい「なんでこの人はさっきまで船に乗ってたのにいつの間にオリに閉じ込められて川に沈められんとしているのだろう」とか「さっきまで彼は森の中を走って逃げていたのにいつの間に鉄塔の上でしがみついて恐竜に食われまいとしているのだろう」とか素朴な疑問をもってしまいストーリーがつながらなくなってくる。
そんなことどうでもいいからもっと素直に映画に感動すればよかったと後悔した。
でも久しぶりに映画館に行ってやはり映画はいいなあと思った。新作のプレビューを見ていると頻繁に映画館に通いたくなってしまった。


・8月2日  ホームページ公開!
 今日ホームページを公開した。なんだかんだやって気づいたら朝の5時である。思えばここまでの道のりでうちのノートパソコンにかなりの重労働を強いてしまった。もともと頭はいいらしいのだが根性がどうも足りずすぐに動かなくなったり終了できなくなったりする。だから彼を長時間働かせるためにいろいろ気を使ってきた。
第一に彼には一度にいろんなことをさせない。そして彼が完全に作業をし終えるまで次の命令は出さない。なんせ起動している間に風呂が沸くぐらい遅いので気長にやった。
二番目は信じられないかもしれないが、パソコンをうちわで扇ぎながら作業をした。長時間作業するときは内蔵されているファンだけでは心もとなく、右手にマウス、左手にうちわで作業していた。そして2時間ごとに15分くらいの休憩を取ってパソコンを裏がえして扇ぎ続けたりもした。
多分なんとローテクな人なんだと思われるでしょう。
でもファンをガンガン廻し続けて頑張ってるのを見ているとなんとなく気を使ってやりたくなってしまう。「俺も頑張るからおまえもがんばれ!」という気になってうんだな。

もう寝てないせいで自分でも何言ってるかわからん。


・7月28日  曲の打ち込み完了
 ついさっき笛部のホームページで載せる曲の打ち込みが完了した。思えば長い道のりだった。マウスの使いすぎで右手が90度以上曲がらなくなった。肩こりもひどい。しかし実際にホームページを作ってみて思ったのは「俺はパソコンが好きなんだ」ということ。あれだけメイルだホウム頁だと馬鹿にしていたのに。要するに理詰めで考えたり試行錯誤したりするのが好きなのである。
そういえば昨日初めてチャットというものに触れてみた。
非常に衝撃的だった。
何の意味もない会話を延々と続けていて、しかもそれがなんとなく楽しいということ。その面白さは小さい頃糸電話で遊んだ面白さに似ていた気がする。絶対に聞こえるはずがないほど離れているのに相手の声が聞こえるという不思議さと、他の人には聞こえないという秘密裏的な要素がチャットに惹かれる原因なんじゃないかと勝手に分析してみた。多分メイルも似たような魅力があるんじゃないか。



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