2010年
10月のつぶやき




10月31日 粉だしを作る

 今日は、粉だしを作ってみた。粉だしとは、その名の通り、粉末状のだしである。普通にだしを取るのではなく、粉末状に砕いただしを添加することで旨みを出すのである。だしがらを捨てるわけではないので、普通にだしを取るよりも手軽で、栄養価も高く、さまざまなだしをブレンドできるので旨いという。いつかの新聞に書いてあり、今日ふと作ってみたくなった。

 実は昨日、私は買い物に行く妻に「ほんだし」を買ってきて欲しい、と言っていた。私は、「ほんだし」が好きである。あれを振りかければ、味噌汁でもだし巻き卵でも明石焼きでも、本格的な味となる。そして妻は昨日、お徳用のほんだしを買ってきていたのであった。

 せっかく昨日「ほんだし」を買ってきたのに、今日になって粉だしを作ると言い出した私に、妻は不満げであった。私は、「家で使われていない昆布や削り節などを全て使うから、食材の有効活用になる」などと言い訳した。そして、煮干しや干し椎茸などの食材を買いに行った。

 作り方は簡単で、かつお節、昆布、煮干し、干し椎茸を全てミキサーで砕くだけである。それを容器に保存しておけば、「ほんだし」のような使い方で手軽に天然だしが取れる。

 試しに、ミキサーにこびり付いた粉だしを洗い流した水で、お吸い物を作ってみた。この水にしょうゆ、塩、乾燥ワカメを入れただけだが、これが非常に美味しい。特に、普段使わない干し椎茸や昆布が旨みをより複雑にしている。妻も美味しいと言っており、ひとまず「ほんだし」による不満は払拭された。

 それにしても美味しい。味、手軽さ、コスト、全てにおいて普通にだしを取るより優れていると思われる。もっと普及しても良いと思うのだが。


10月26日 インドネシア語研修(2)

 インドネシア語研修も、今日で5回目となった。3時間の語学学校での研修のほか、通勤に要する往復3時間と、会社での自習など、毎日の殆どをインドネシア語の習得に傾けている。

 結果、自分で思っていた以上に話せるようになった。多分、旅行程度ならば問題ない。インドネシア語で書かれた「ドラえもん」も、思った以上に読める。語学の才能が無いと思っていただけに意外であった。世界で最も簡単な言語と言われる、インドネシア語だからであろう。

 不思議なことに、インドネシア語を学んでいると、以前から会社で週に一回行っている英語の授業も理解し易くなった。これまでは質問の意味すら分からず、無為に過ごしていたのに。頭が語学モードになってきたからなのか、来年から海外に行くという緊張感からか、恐らくその両方であろう。

 その代わり、妙に日本語が下手になったようにも感じる。英語の直訳のような日本語になってしまうような気がするのである。また、仕事は全くしていないため、技術的な思考についてはどんどん退化していると思われる。


10月24日 家族のあり方

 内田樹氏の著書「邪悪なものの鎮め方」には、以下のように書かれている。

(以下引用)

 人間の共同体は個体間に理解と共感がなくても機能するように設計されている。そのために言語があり、儀礼がある。
 人間の整理過程が「飢餓ベース」であり、共同体原理が「弱者ベース」であるように、親族は「謎ベース」である。親子であれ配偶者であれ、「何を考えているのかよくわからない」ままでも基本的なサービスの供与には支障がないように親族制度は設計されている。
 成員同士が互いの胸中をすみずみまで理解できており、成員間につねに愛情がみなぎっているような関係の上ではじめて機能するものとして家族を観念するならば、この世にうまくいっている家族などというものは原理的に存在しない。
 原理的に存在しえないものを「家族」と定義しておいて、その上で「家族は解体した」とか「家族は失われた」というのはまるでナンセンスなことである。
 変わったのは家族ではなく、家族の定義である。

 誰が変えたか知らないけれど、ほんらい家族というのはもっと表層的で単純なものである。

 (中略)

 家族の条件というのは家族の儀礼を守ること、それだけである。それがクリアーできていれば、もうオッケーである。
 朝起きたら「おはようございます」と言い、誰かが出かけるときは「いってきます」「いってらっしゃい」と言い、誰かが帰ってきたら「ただいま」「おかえりなさい」と言い、ご飯を食べるときは「いただきます」「ごちそうさま」と言い、寝るときは「おやすみなさい」と言いかわす。家族の儀礼のそれが全部である。それができれば愛も理解も要らない。
 私はそういう意見である。
家族の間には愛情も理解も不要である。必要なのは家族の儀礼に対する遵法的態度である。
家族と言ったって、ほんとのところは「よくわからない人」である。とりあえずわかっているのは、「この人もまた渡し同様に家族の儀礼を守る人だ」ということだけである。

(以上引用)

 一見冷たい記述に見えるが、これほど家族の問題について安心感を与え、温かみのある文章はないであろう。

 例えば、15年後くらいにサチコが反抗期となり、母子の会話はなく、父は汚物扱いされているとしても、何も悩む必要は無い。ただひとつ、家族の儀礼を守るように教育すればよいだけである。どんなに機嫌が悪くても、「おはようございます」「おやすみなさい」を言いなさい。その時、私たち両親に愛情を込める必要は無い。ただ、「言うだけ」でいいから言いなさい、なぜなら家族の儀礼で決まっているから、と言えばよい。子供への教育は、このくらいシンプルでよい。

 私は、今、サチコがなぜ泣いているか分からないが、どうすれば泣き止むかは分かる。しかしそれは、泣いているサチコを抱っこしているうちに、テクニックとして習得したものであり、決してサチコの気持ちを分かっているわけではないのである。そしてたまには、泣いているサチコをしばらく放置してみる。

 そして「親子は分かり合えないものだよ」と泣くサチコに言い聞かせる。逞しく育ってほしいものである。


10月18日 インドネシア語研修

 今日は、インドネシア語研修の初日であった。一緒に赴任する3人で研修を受けた。

 講師であるインドネシア人女性のアユさんは、私を見るなり、「タドコロさん、日本人にミエナイネ。インドネシア人ミタイネ」と言った。日本人からそのようなことを言われることはあったが、初対面のインドネシア人に言われるとは思わなかったので、びっくりした。

 私は、外国語をまともに勉強したことが無い。語学の才能も無いのではないかと思っている。案の定、初日の3時間は非常にハードであった。私の知っている言葉を意味の無い言葉の羅列に置き換える作業は、全く脈絡の無い記号を丸暗記するに等しい。そして、私は昔から暗記が大の苦手である。

 今日一日で学んだことはあまりに多く、とても復習しきれなかったので、まずは数字を覚えることにした。何度も唱えて、とりあえず1〜10まで覚えた。下記の通り、本当に何の脈絡も無いから、覚えづらい。

1 サトゥ
2 ドゥア
3 ティガ
4 ウンパット
5 リマ
6 ウナム
7 トゥジュ
8 デゥラパン
9 スンビラン
10 スプル

 家に帰り、妻にこれを教えたところ、5分くらいで全部覚えた。私よりもはるかに覚えが早い。そして、さっそくこれらを使って会話することにした。

「サチコが前にミルク飲んだのは、『ジャム ウナム ティガ プル リマ ミニツ』(6時35分)だから、まだ『ドゥア ジャム』(2時間)しか経ってないね」
「じゃああと『ティガ プル ミニツ』(30分)後くらいしたら『ジャム ウンビラン リマ ミニツ』(9時5分)だから、そのくらいしたらミルクをあげようか」

 と言った具合である。そうこうしつつ、なんとかゆっくり考えれば1〜100までは言えるようになった。

 語学を初めてまともに習ってみて、語学は笛の演奏に似ているなぁと思った。笛は、指使いを覚えただけでは何も吹けない。繰り返し練習し、指が勝手に動くくらいになって初めて演奏ができるのである。語学も、単語を暗記しただけでは使えない。一瞬で言葉の意味が理解できるくらいになって初めて、喋れるのである。

 そして私は、笛を初見で吹いたり、新しい曲の指使いを覚えるのがとても苦手なのである。果たして、無事喋れるようになるであろうか。


10月17日 週末

 土曜日、久しぶりに太鼓を叩いた。色々な曲を叩いたが、どれも覚えているものだなぁと自分で感心した。学生の頃、ほとんど毎日のように叩いていた時期もあり、体に染み付いているんだということを感じた。この体に染み付いたあまり実生活で役に立たない能力が、私たちを結びつけ、卒業して10年後もこうして顔を合わせ、太鼓を叩き、馬鹿話をしながら飲めるのだということを感じる。

 練習後、ささやかな送別会を開いてくれた。その中で、カセダの両親についての話が含蓄があったので述べたい。私は、娘が大きくなったら父親は汚物扱いされ軽蔑されることを危惧していると述べた。これに対しカセダは、自分はご両親のことが大好きだと言った。その理由は、ご両親がお互いに尊敬しあっていたからであった。母親は、毎日遅くに帰ってくる父のことを、私たちの為に一生懸命働いてくれているのだと娘に伝えた。休日くらいしか顔を合わせることができない父は、母が支えてくれているからこそ、こうして働いていられるのだと言った。それでカセダはご両親のことが大好きになった。

 カセダが大きくなって聞いたところでは、なんとご両親は、娘の幸せのために素晴らしい夫婦を演じていたらしい。演じていたら、本当にお互いが好きになり、現在も仲睦まじく暮らしているという。

 娘に尊敬されるためには、娘に働きかけてはならない。ポイントは妻なのである。妻の態度ひとつで、父は聖人にもなれば汚物にもなるのである。


 日曜日は、会社の運動会であった。駅伝で出場したが、散々の結果となった。純粋な練習不足であった。

 そこで、カワシマさんの息子(8歳)とマチダさんの息子(3歳)、娘(6ヶ月)に会う。子供が生まれてから、他の子供と触れるのがより楽しくなった。子供の成長は、実に面白い。2ヶ月のサチコはまだ本能に従って泣き、ミルクを飲み、糞尿を垂れ流すだけだが、6ヶ月の娘は、あやしたり呼びかけたりすると何となく反応する。3歳の息子は自在に言葉を操るし、8歳の息子はいたずらをしたり、3歳の息子の面倒を見たりする。そんな子供たちを見ていると、サチコの成長が更に楽しみになった。

 その後は、帰りがてら川越まつりを見物した。ずっと行きたかったのだが、所沢に6年も住んでいたにもかかわらず、毎年他の用事と重なって行けなかったのである。初めて見る川越まつりは、優雅であった。秩父夜祭のような直線的で力強い感じとはまた違った味わいだなぁと思った。

 ともあれ、充実した週末で疲れた。


10月11日 曽祖父母が来る

 今日は、私の母方の祖父母と叔母、そして私の母の4人が来た。ほぼ一日かけて、神戸からわざわざ来て、一泊して明日神戸に帰るとのことであるから、本当に私たちに会うためだけに来て下さった。祖母は89歳、祖父は87歳であるから、このような遠いところまで来て下さったことに感激と感謝である。

 ひ孫を抱いた祖母は、とても嬉しそうであった。ひ孫ということは、私にとってサチコの孫にあたる。そう思えば、考えられないくらい未来の話のような気がする。

 私の残りの人生もまだまだ長いのだなぁと、感じた。


10月10日 ふと思い出したこと

 ふと、思い出したことがある。私が妻の実家に結婚したい旨を伝えに妻のご両親の元に向かったときのことである。

 私はその時、「セミフォーマル」という、これまで身にまとったことのない曖昧な姿で行くことを求めていた。あまりきっちりしているのもおかしいであろう。すこし砕けた感じのほうがよいのではないか。私たちは、横浜のダイエーで、「セミフォーマル」に値する服を妻と選んだことを記憶している。

 しかし、結局はスーツ姿で向かった。「セミフォーマル」という曖昧さに、自分自身が耐えられなかった。

 私は、妻のご両親と会うなり、私は即座に改まって、あなたたちの娘さんと一生を共にしたい旨を伝えたことを記憶している。無駄に雑談をしては機を逃してしまう。先手必勝である。そう思った。「あなたの娘さんと結婚したい」その思いを伝えたとき、義父は、「はぁ」という声を出したことを、なんとなく覚えてくる。

 その後、うちの娘がいかに「ふつつか」であるかということを延々と述べられた。料理もろくにしたことがないし、家事もできないのです、よく「ふつつか者ですがよろしくお願いします」などと言うが、うちの場合は冗談抜きで「ふつつか」ですけど、それでもいいのですか??と言った意味のことを幾度となく言われた。

 私は、その度に「大丈夫です」みたいなことを何度も言った。そうこうするうちに、妻のご両親と打ち解けていったように記憶している。

 今でもあのとき、最初に話を切り出してよかったと思っている。雑談を重ね、なしくずしになってからでは、なかなか言えないであろう。

 今思い出せば、良い思い出である。それにしても、あのときは私も妻のご両親も緊張したものであった。


10月9日 感謝

 今週は、連日送別会であった。色々な人に励まされたり、感謝の言葉を頂いたりした。

 私が最近思うのは、「私は運がいい」ということである。職場では、常に人に恵まれていた。大してメンタルが強いわけでもなく、話術に秀でているわけでもなく、知能が優れているわけでもない私が、こうして働いていられるのは、運がいいという他は無い。

 そもそも、会社に入ったのも、大学に行けたのも、運がいいからであろう。大学に行くための能力が身についたのも、大学に行く金があったのも、私の周囲の環境がそうなっていたからである。私個人の功績というのは、全く無い。よいタイミングで人生の転機があり、その度によい出会いがあった。私の人生はそれに尽きる。

 最近、センチメンタルになっているのか、朝の連ドラ「てっぱん」を見ては連日感涙してしまう。故郷を離れて就職するヒロインのあかりを、将来のサチコと重ね合わせたり、現在の自分自身と重ね合わせたりしつつ見ているらしく、心が揺さぶられる。

 そして、「てっぱん」の舞台は広島と大阪。オープニングでは、毎日お好み焼きを焼くシーンがあり、毎日見入ってしまうのである。


10月4日 名刺で割り箸を折る

 先週の探偵ナイトスクープで、名刺で割り箸を折る達人のことをやっていた。達人は、何の変哲もない名刺をすばやくチョップして、割り箸を折るのである。手品とかではなく、コツがあるらしい。

 しばらく練習しているうちに、依頼者である小学校5年生の女の子もできるようになった。探偵も依頼者の母もできた。

 私もやってみたくなり、割り箸と自分の名刺を取り出した。どうせ異動だから名刺を無駄遣いしてもいいだろう。妻に割り箸を持ってもらい、挑戦したが、何度やってもできない。5年生の女の子でも割と簡単にできたのに。私は悔しくなり、持っている名刺の半分以上を使ってみたが、駄目であった。

 結局、諦めて今に至る。その間、サチコは6時間ミルクなしで寝続けている。大抵は3時間で欲しがるのに。珍しいこともあるものだ。


10月3日 尾道のお好み焼き

 今週末は、ほとんど外出もせず家にいた。だらだらテレビを見ていると、NHK連続テレビ小説「てっぱん」のPR番組をやっていた。今回の舞台は広島の尾道らしい。

 その番組で、ヒロイン役の瀧本美織が尾道のお好み焼きの作り方を実演していた。尾道のお好み焼きは私の知っている広島焼きとは少し作り方が違う。一般的な広島焼きは、そばは別で焼くのに対し、尾道のお好み焼きはそばも乗せた状態でひっくり返すのである。砂肝が入るのも特徴である。

○一般的な広島焼き(我が家の場合)
・層構成(下から)
 粉/キャベツ/もやし/とろろ昆布/天かす/豚肉/ツナギ/焼きそば/卵
・作り方
 粉〜豚肉までを重ね、ツナギをかけてひっくり返してよく焼き、焼きそばの上に乗せ、更に広げた卵の上に乗せて再度ひっくり返す。

○尾道のお好み焼き
・層構成(下から)
 粉/かつお粉/きゃべつ/もやし/焼きそば/ほたて/砂肝/天かす/いか天/豚肉/ツナギ/卵
・作り方
 粉〜豚肉までを重ね、ツナギをかけてひっくり返してよく焼き、広げた卵の上に乗せてから再度ひっくり返す。

 テレビを見ていると、いつもの禁断症状が出てきた。お好み焼きを食べたくて仕方なくなり、今日、テレビでやっていた通りの尾道のお好み焼きを作ってみた。

 これはこれで美味しいと思った。一般的な広島焼きよりも庶民的な味わいである。砂肝の食感も良い。作り方が少し違うだけで、これだけ味わいが変わる。やはりお好み焼きは面白い。

 朝の連ドラも見ようと思った。これでまたお好み焼き率が高くなるであろう。


10月2日 異動

 突然だが、インドネシアに異動となった。今後、語学研修などを経て、来年からの赴任になるだろうとのことである。以下、頭の整理のため、思いつく限りプラス面とマイナス面を列記。

・プラス面
 自身のスキルは確実に上がるであろう。海外で働くことや、生活することに対する抵抗感も少なくなる。海外旅行なども気軽に行けるになるだろうし、転職する場合にも選択肢は広がる。子供が小さいうちなので、家族で暮らすことが出来るだろう。子供が高校生くらいになったら、さすがに単身でいかざるを得ないであろうから、時期としては悪くない。貯金も溜まるのではないかという気がする。

・マイナス面
 ここ数年、異動が多すぎる。仕事についても、ここのところ中途半端なままであり、じっくりと腰を据えてテーマに取り組めていない。生活についても、今年はじめに引越しして、ようやく落ち着いたばかりである。異動が多すぎて、生活の安定感が無い。最初は単身で行くことになるだろうから、しばらく妻子に会えない。職場の同僚等との繋がりが途切れるのが寂しい。友人とも会えず、太鼓もしばらく叩けないであろう。何よりも私は、日本という国が好きであり、祖国を離れるのは辛い。

 先週、妹が我が家に来た際に、日本企業の海外駐在員がいかに優雅で素晴らしい生活を送っているかについて語っていた。現地採用の妹は、待遇面でも相当の差があったらしい。単身タイで働き、貯めた金でドイツに留学する妹。そんな妹の激動の人生に比べれば、私の異動など大した変化ではないであろう。
 

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