2010年
11月のつぶやき




11月29日 デザイナーについて

 今日のNHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」で、デザイナーの佐藤卓氏のことをやっていた。彼は、ロッテの「キシリトールガム」や、「クールミント」、大正製薬の「ゼナ」など、ロングセラー商品を連発する凄腕デザイナーらしい。

 私は、「デザイナー」という職業が、どちらかといえば好きではない。何やら抽象的な概念を懸命に議論し、地に足の着いていないようなイメージがある。そのくせ、自分は感性豊かだと思い込んでおり、オシャレなオフィスでスタイリッシュに働いているつもりでいる。大したことのない商品を、あたかも素晴らしい物のように錯覚させて消費者の購買意欲を刺激することについては、悪意すら感じる。彼らのいる世界は、私がずっと働いているものづくりの現場とは真逆の世界である。

 そんなことを考えつつ、はじめは斜に構えて見ていたのだが、そのうち引き込まれてしまった。デザイナーの仕事は、私には絶対にできないような種類の仕事であろう。以下、見て感じたこと。

 私たち技術者の仕事の多くは、ごく簡単に言えば、「1+1=2」のように、論理的に明確なことを積み重ねて成立している。一見難しく見えても、よくよく見れば、「ああだからこうなる」という簡単なロジックの組上げに過ぎない。一方、デザイナーの仕事は逆である。

 デザイナーの仕事とは、「答えが"2"になるためにふさわしいのは、何+何か?」という問いに答えを出すような仕事である。技術者ならば、その答えは無限にあると答えるだろう。当然、1.5+0.5 でも良いし、6/7+8/7 でもよい。

 しかし、デザイナーの仕事そは、そんな問いに対し、「答えは『1+1』しかありえない」ということを明示し、それ以外の答えがふさわしくないことを論理的に示すことなのである。それも、自分の感性に頼るのではなく、広く認められるくらいロジカルである必要がある。こんな問題を突きつけられたら、私は何から手をつければいいのかさえ分からない。それを、少しずつ搾り出す様に答えを出していくデザイナーの仕事は、凄まじく精神を消耗するものであろう。

 そんなことを考えながらつい見入ってしまった。そのおかげで、別のビデオ録画を見るつもりだったのに、見られなかった。


11月28日 Lang-8、スカイプ

 リエのブログで、「Lang-8」を知った。mixiのようなSNSなのだが、語学を勉強することに特化しており、勉強している言語で日記を投稿すれば、ネイティブの人がそれを添削してくれるのである。

 早速私もインドネシア語で日記を投稿してみたら、その日のうちに3人くらいのインドネシア人が添削してくれた。上手に書く必要は無く、「こんな風に言いたいけど、たぶん間違ってるんだうな」と思いながら書いた内容が、見事に私の言いたい通りに添削されているのには感動した。

 私も添削してもらうだけでは申し訳ないと思い、3件くらいの日本語を添削をした。使い慣れた母国語だから、大した負荷ではない。添削しながら、普段使っている日本語は難しいんだなぁと思った。日本語の「てにをは」は本当に難しい。「〜したら」「〜すれば」の違いはなんですか?という書き込みがあったが、よく考えると分からない。そういえば「が」と「は」の使い分けってなんだろう?

 インドネシア語の勉強と共に、日本語の難しさも再認識した。


 今日初めてスカイプを体験した。インドネシアに行っても妻やサチコと連絡するため、ウェブカメラを購入したのである。ウェブカメラは、2千円以下であり安いものである。スカイプもフリーソフトである。

 試しに母とスカイプで通話してみたら、画像のなめらかさと音声の明瞭さに驚いた。こんなことが無料でできるとは、本当に信じられない。初期投資はウェブカメラ代だけである。世界は近いんだということを感じた。

 これで、インドネシアに行ってもサチコを見放題である。


11月25日 食事会

 一昨日、フジタさんが我が家に来た。フジタさんはパパママ教室で知り合ったご夫妻の旦那で、出産予定日が9月25日と同じだったことや、地元出身者ではなく最近引っ越してきたことなど、何かと共通点が多く、その後も時々連絡を取り合っている友人である。結局、サチコは1ヶ月以上の早産となり、フジタ家のほうは予定日より数日遅れて男の子を出産した。奥さんのあーさんは里帰り出産をしており、もうすぐ帰ってくるとのことであった。

 フジタさんと話はとても面白い。お好み焼きを食べつつ、子育ての話から地元の道路事情、果ては鉛同位体の年代測定やら、暗号・素数の話など飛びに飛んだ。

 楽しいひと時であった。次はサチコを連れてフジタ家に遊びに行く予定である。


11月24日 幸福考

 「幸福」について最近思うトピックスを2点述べる。

 広州アジア大会のニュースが、密かに好きである。聞いたことないようなマニアックな競技が多い。また、囲碁なのにドーピング検査があり、ジャージ姿で行うという、不思議な感じが好きである。今日は、「空手 形」の女子で宇佐美里香氏が圧勝して金メダルを取ったというニュースをやっていた。空手の形をいかに美しくできるかを競うらしい。

 私は、不思議に思う。「空手 形」を一所懸命やっている人と、野球を一所懸命やっている人、また、フィギュアスケートを一所懸命やっている人は、その努力の具合において比較することができないであろう。いずれも想像を絶するような過酷な練習に耐え、世界一の栄冠を手にしているのである。

 にも拘わらず、野球で成功する人は億単位の年俸を手に入れ、フィギュアスケートでは国民的英雄となる一方、「空手 形」では夜のニュースで少し報道されるだけである。恐らく、「空手 形」だけで生計を立てることはできないであろうから、ほかの仕事をしながら空手に取り組んでいるのではないかと想像している。。

 世界の不均衡ということを感じる。野球のスタープレイヤーは、たまたま野球の流行っている国において、野球に一所懸命取り組んだから巨額の報酬が得られるだけであり、それが「空手 形」の人よりも何千倍も努力したとは思えない。すなわち、努力の量、または能力は、必ずしも報酬や名誉とは比例関係にないということである。

 まあ、だからといって、マニアックな競技に取り組んでいる人が損をしている、または不幸であることにはあたらないのだが。



 エコポイント終了に向け、液晶テレビが売れているらしい。液晶テレビの次は、3Dテレビであろう。テレビの進化は本当に早い。

 しかし、私は、ものごとが楽になることや、快適になることについて少し穿った見方をする傾向がある。例えば、アナログテレビからデジタルテレビに買い換えれば、画質が飛躍的に向上し、その美しさに息を飲み、感激する。これは明らかに幸福なことであろう。しかし、しばらくすればこれに慣れ、なんとも感じなくなる。

 モノクロテレビからカラーテレビに変わったときの感激は、アナログからデジタルの変化とは比べ物にならない位の感動であったろうし、そもそも初めてテレビを見た人の感動は更に大きいと思われる。

 3Dテレビを購入し、毎日のようにこれを見ている人が、初めて見た感動を維持しながら楽しみ続けられるとは到底思えない。しばらくしたら慣れてしまい、感動も薄れる。そういう意味では、16インチのアナログテレビをずっと見続けている人と、42型の3Dテレビをずっと見続けている人の幸福は、さして変わらない。モノクロテレビを見ていた昔の人たちが、現代人と比較して不幸だったとも決して思えない。

 すなわち、幸福を感じるのは、その質の高さではなく、変化量なのである。変化による快感を得たいがために人はものを購入する。企業は、変化を与えるという商売をしている。決して「快適な生活」を提供しているのではない。「より快適な生活への変化」を提供しているのである。そういう意味で、現状に不満が無いのに「より快適な生活への変化」を購入する必要は無い。不満がなければ、そのままで良いのである。

 現状でも十分快適なのに「より快適な生活への変化」を大々的に宣伝することについては、悪意すら感じる。なにもそんなに急いで「幸福」を食い尽くさなくてもいいと思うのだが。


11月22日 DAUN DI ATAS BANTAL

 インドネシア映画「DAUN DI ATAS BANTAL」(枕の上の葉)を見た。先週妹がくれたのである。海外で購入したものなので、吹替えも字幕も無い。インドネシアのストリートチルドレンを描いた映画で、内容はかなりシリアスである。インドネシア語の勉強も兼ねて見てみた。

 結果、殆ど聞き取れなかった。映画の中でのテレビやラジオの放送などはまだ少しは聞き取れるが、内容を理解するには至らない。会話に関しては、全く無理であった。

 まだまだ修行が足りないなと思った。


11月20日 先週末のこと

 久しぶりの更新となる。

 先週土曜日、妹が奨学金の面接のためドイツから一時帰国した。私は、丁度リコーダーのレッスンのため上京しており母の家で3人会う。母の作ったお好み焼きを食べる。驚くほど美味しい。山芋も入っていないし、キャベツの切り方も普通なのに。お好み焼きの奥深さをまたひとつ知った。

 昼食後、妹の買い物に付き合う。妹は、空のスーツケースを持参しており、日本の食材を買い込んでいくとのこと。味噌、醤油、海苔、カレールゥなどを購入していた。いずれも、ラインナップの一番安いものでいいとのこと。海外に行けば、そのような微妙な差は分からないらしい。

 夜は久々に親子で飲み、色々な話をした。妹はドイツ、私はインドネシア。田所家は日に日に家族バラバラ度が増すなぁと思った。


11月7日 お宮参り、初ゴルフ

 土曜日はサチコのお宮参りであった。参拝の為に、母がわざわざ来てくれた。まずは近所のベビー用品店兼写真屋で衣装を借りる。衣装とは言っても、きれいなよだれかけと帽子のほか、初着は抱っこした状態で上からかけるだけである。

 そして、神社で祝詞を上げてもらった。こういった体験は初めてだったのだが、祝詞をよく聞いていると、サチコはどこで生まれたとか、親の言いつけをよく聞くようにとか、乳をよく飲んで育つようにとか、大和撫子になるようにとか、色々なことを言っている。祝詞を上げている間、サチコの機嫌は悪く、ぐずり気味であった。私は、これが社会というものだよと、心の中でサチコに言った。

 祝詞の間うつむいてください、と言われて下を向いていると、サチコがおならをした。臭いが漂ってきたが、そのまま下を向いて祝詞が終わるのを待った。社会とはこういうものである。

 お宮参りが終わると、写真屋に戻り写真撮影をした。家族写真やらサチコひとりの写真やら数種類を次々に撮った。サチコは、常に決して愉快とは言えない表情であった。サチコにしてみれば、苦痛以外の何物でもないであろう。

 とりあえず一通りを終え、帰宅した。社会とは、こういう面倒臭いことで満ち満ちているのである。サチコも徐々にこういうことを学ばねばならないのである。


 日曜日、初めてゴルフをやった。インドネシアでは皆やっているとのことであり、始めることにしたのである。ありがたいことに、工場の方々からお下がりを譲り受け、ゴルフバッグと全てのクラブが揃っていた。今日は、会社の先輩であるソウマさんに打ちっぱなしに連れて行ってもらった。教わったコツは大体以下の様であった。

 ・(ボールを)打つ直前でスナップを効かせる。
 ・力は全く使わない。速度が重要である。
 ・打つ際に体重移動をする。

 どこかで聞いたなと思ったら、三宅太鼓を教わった時に言われたことと同じであった。特に「力を抜く」ということはあらゆる身体運動において重要なんだなぁと思った。私たちは、力を込めるためではなく、力を抜くために練習するようである。

 それにしても難しい。全然安定して飛ばない。まあ少しずつやってみよう。


11月5日 流出

 尖閣ビデオがyoutube上に流出した事件が話題になっている。中には、ビデオが見られて良かったと発言している人もいるが、私はとんでもないことだと思う。日本は、最も強力な交渉カードをどぶに捨ててしまったのである。

 中国政府は、漁船の衝突に関して中国に非があるものの、中国国民の感情を制御するにはこれを認める訳にはいかないという、苦しい状況にいる。そして、ビデオが中国の非を裏付ける決定的な証拠であることも知っている。日本政府がビデオを公開しないのは、その機微を察知して歩み寄ろうとしていたからだし、中国政府の対応もそういったことを鑑みて行われているはずである。だから、中国政府はデモも躍起になって鎮圧させたし、あれだけ騒いでいた賠償金の話もうやむやとなった。

 当たり前のことだが、交渉の目的は、落としどころを見つけることである。決して、相手の非を突きつけてひれ伏せさせることではない。そういう意味で、このビデオはいくら国民に見たいという気持ちがあっても、それを公開するか否かの検討、および公開のタイミングは慎重に行わなければならなかった。恐らく中国政府は、今回の流出について「ラッキー」だと思っているに違いない。今回の流出により、この交渉カードは完全に効力を失ってしまった。

 現在、どこから流出したのかに焦点は絞られているが、より重要なのはこの事実をどう受け止め、どう対応するかであろう。それは政府の対応だけでなく、私たちがこの問題についてどう思うかである。映像が世界中に広がってしまったからには、日本の世論が次の外交カードとなる。

 ビデオを見られて良かったという人は、ビデオの映像から得たことを元に自分なりに考え、デモを行うなり不買運動をするなりしてはどうか。それをしないのならば、国益を省みず「知る権利」を振りかざすただの野次馬であり、結局は政府に丸投げして批判するばかりの人になってしまうであろう。


11月4日 初外出

 昨日は、サチコの初外出であった。会社の工場で感謝祭があり、家族3人で行った。

 サチコは、初めてのチャイルドシートにも抵抗なく座り、機嫌よくしていた。車の振動が心地良いのだろうか。

 感謝祭では、家族で工場を見学できるイベントがあり、中に入ろうとしたところ、サチコがぐずり出した。ミルクの時間のようであった。そこで妻だけが工場に入り、私はロビーでサチコにミルクを与えた。サチコは、ミルクを飲み終えると、うんちをした。さすがにこれをロビーで処理するわけには行かないので、今度は会議室に入り、長机の上でうんちの世話をした。自宅以外でも何とかなるものだと思った。

 そんなこんなで、帰ってきた。感謝祭では、いろんな人に声をかけてもらった。これからもサチコに色々な人に会わせてやりたい。


11月2日 インドネシア語研修(3)

 研修のときに配られた本を先に終え、少し難しい本を買って勉強している。以下、その引用。
(「インドネシア語リスニング」ホラス由美子著 三修社より)

<例文1>
Ali: Kenapa Sakura tidak minta tolong kepada Aswan?
Sakura: Karena saya tidak mau merepotkan Aswan.
Ali: Oh, begitu.

アリ: なぜさくらはアスワンに頼まなかったのですか?
さくら: アスワンにめんどうをかけたくなかったからです。
アリ: あ〜、そうですか。

<例文2>
Samsudin: Mengapa kamal ini begini panas?
Sakura: Kerena AC-nya rusak.
Samsudin: Mengapa Sakura tidak memperbaikinya?
Sakura: Kerena ongkosnya mahal sekali.

サムスディン: なぜこの部屋はこんなに暑いのですか?
さくら: エアコンが故障中だからです。
サムスディン: なぜさくらはエアコンを修理しないのですか?
さくら: 修理代がとても高いからです。

 私は電車の中でこれを聴きつつ、しみじみとしてしまった。普通の例文として読んでしまえばそれまでだが、この例文にはさまざまな空想が湧く。

 アスワンに面倒をかけたくないと、自分でするさくら、エアコンが故障しても節約のため暑い家で我慢するさくら。単身異国の地で奮闘するさくらの姿が目に浮かぶ。恐らく留学生だろう。日本の学生とは違いストイックな生活をむしろ楽しんでいるような、はつらつとした姿が目に浮かぶ。一方、なぜアスワンにやらせないの? 何で部屋は暑いの? なぜエアコンを修理しないの? 無垢な質問を次々とする純朴なインドネシア人も良い。日本から来たさくらが、エアコンの修理すらためらっていることを不思議に感じている雰囲気が、行間からにじみ出ている。この例文には、単に例文を超え日本とインドネシアの気質の違いを浮き彫りにしているような気がする。

 まあ、私の考えすぎかもしれない。そんなことよりも勉強しなければ。

 話は変わるが、「AKB48」は、インドネシア読みでは「アー カー ベー ウンパット プル デゥラパン」と言う。ずいぶん雰囲気が変わるなぁと思った。
 

topへ