2010年
12月のつぶやき




12月24日 目指すもの

 先日、妻と世界の工場に潜入する番組を見た。シルシルミチルなどで、今ものづくりの現場を紹介する番組が流行っている。

 その番組では、「むいちゃいました甘栗」や、冷凍エビフライ、100円蟹缶などのアジアの製造現場が紹介されていた。決して高いとは言えない賃金で、一日中栗を剥き続ける中国の女工や、インドネシアで海老を加工する人たちが紹介される。妻は、これを見て、日本の雇用は海外に流出していると感じると言った。私は、決して認めたくはなくても、貧富の差による階級が歴然と存在するということを感じた。番組では、「世界はこのように繋がっている」ということを前面に押し出し、面白おかしく演出していたが、そんな楽観的に見られる映像だとは思えなかった。

 それにしても、アジアでは、こんなにも大量の雇用がある一方で、日本ではニートの増加が社会問題となっている。一体、私たちが目指しているものはなんなのだろうか。

 極めて当然のことだが、ものづくりにおいては、コストを減らすことが最も重要視される。そのために、例えば、全自動のロボットを導入したり、人件費の安い海外に製造移管したりする。私たちは、出来るだけ働くことなく、楽をして、ものを作りたいのである。それは、究極的には、何もしなくてもものづくりが出来、対価を得られることを求めていることになる。

 一方で、ゲームやテレビの技術はどんどん向上している。私たちは、エンターテイメントによる刺激を全身で味わいたいと願っており、企業もそれに応えようと開発を進めている。

 すなわち、私たちは、ほとんど働くことなくゲームをしたりテレビを観賞したりして過ごすことが出来る世の中を作るために、一生懸命働き、日々改善をしていることになる。要するに、私たちはニートになりたいのである。個人個人がどう思っているかは別として、ロジックとしては、少なくとも企業体の究極的な目標は、「全員がニートになること」にならざるを得ない。

 一方で、ニート対策も取られているのは、矛盾しているように思える。ニートが増えることは、喜ばしいことではないのだろうか。一体日本は雇用が欲しいのか、欲しくないのか。それならば、例えば「むいちゃいました甘栗」を日本国内で剥くことを支援するような施策があってもよいと思うのだが。


12月19日 BYOBパーティー

 昨日は、我が家で会社の友人たちと「BYOBパーティー」なるものを行った。「BYOB」とは、「bring your own bottle」の略であり、要は持ち寄りパーティーである。会社の英語研修の際、英語教師のブレンダンがその話をしたことで、社内でBYOBの名前が流行り、今回で3回目である。

 楽しいひと時であった。本格的な手料理からモスチキンまで、さまざまな料理を食べながら、主に下らない話をして盛り上がった。ちなみに我が家では妻がクラムチャウダーを、私は適当に思いついた「イカのイカワタ炒め」と「山かけやまいも」を作った。適当な割には美味しくできた。

 サチコも色々な人に会えた。何も覚えていないだろうが、こうやって人に接する機会は大事な気がする。


12月17日 リコーダー部送別会

 一昨日は、リコーダー部で送別会をしてもらった。私の壮行会のほか、クワ先生の結婚、カゴチンさんの娘出産など、おめでたいことが沢山あった。

 リコーダー部とは、気づけば長いものである。元々はインターネットで知り合い、気付けば私の結婚式で演奏してもらい、花見や音楽会で更に知り合いが増え、太鼓大好会のメンバーともつながりが出来るなどして今に至る。福島帰りの終電があるため、2時間あまりであったが、本当に楽しいひと時であった。

 帰りは、東京駅の改札口でリコーダーを演奏して見送ってもらえるという、恥ずかしくも嬉しいサプライズがあった。大人になったらなかなか無いであろう。感謝!の一言に尽きる。


12月14日 インドネシア語4

 インドネシア語の教則本を全て終えた。中盤では以前に書いたとおり、「さくらの家はなぜこんなに暑いのですか、なぜならエアコンが壊れているからです」と言った日常会話的な内容であったが、だんだん難しくなり、後半はニュースや論説などの読解およびヒアリングである。最初は「レモングラスの効用」から始まり、地震のニュースやら日本の少子化、インドネシアにおける携帯電話やインターネットの普及などの話題が続いた。

 そして最後はどんな話題かと楽しみにしていたら、なんと「恩赦について」であった。インドネシアの刑務所では、8月が近づくと囚人は待ち遠しくてたまらなくなります。なぜなら恩赦があるからです。恩赦には一般的なものと特別なものがあり、特別な恩赦は10年に一度で「ダサワルサ恩赦」と呼ばれます。ダサワルサ恩赦は、一般的な恩赦と違い、服役期間が6ヶ月以下の囚人にも適用されるなどの特典があります。といった内容である。

 内容のマニアックさに笑ってしまった。恩赦はインドネシア語で「remisi」というらしいのだが、恐らくインドネシアで使うことはないだろう。インドネシアで恩赦のシステムについて議論する機会も無いと思われる。

 それにしても、以前のさくらとインドネシア人のやりとりなど、面白い本であった。


12月13日 忘れもの

 今日、帰宅すると、妻から買い物を頼まれた。醤油と、小麦粉と、灯油である。私は、うっかり忘れることが多いので、3つのうちどれかは忘れるだろうと予測した。そのことを妻に伝えると、妻は「しょうゆ、こむぎこ、とうゆ」と何度も私に言って聞かせ、更に灯油が一番重要だから灯油だけは忘れないで欲しいと言った。

 こういったやりとりは、ユーモアであり、本当に忘れたときの言い訳であり、またこのやり取りにより覚えられるという、記憶術でもあるだろう。そんなことを考えながら車を運転していると、灯油タンクを持ってくるのを忘れていることに気づいた。

 灯油を買うことは覚えているが、容器が無い。雨も強く降っており、寒い。こんな日に灯油を汲むのは面倒くさいし、ましてや一度家に帰ってもう一度出かけるなんてなおさらである。どうしようか考えながら、とりあえずジャスコで小麦粉と醤油を買った。そして、灯油が少しでも残っていたら、灯油は今度でいいやと思いながら、帰宅した。

 家に帰って灯油タンクを持ち上げたところ、見事に空であった。私は再度灯油を汲みに出かけた。


12月12日 NHKスペシャルについて

 NHKは、その性質上、中立で客観的な立場を強要される。それを意識しながらも、番組には製作者の強烈なメッセージを込められている。それは、民放のニュースキャスターがいかに雄弁に語ろうとも到達し難い域であろう。このことについては賛否両論あるだろうが、私はそういう番組が好きである。なぜなら、何の主義主張もなく良い表現ができる訳がないからである。

 今日、NHKスペシャル「世界ゲーム革命」を見た。ずっと釘付けになって見てしまった。この番組は、一見最新ゲームを開発するスタイリッシュな人たちを紹介するように見せかけつつ、 彼らに対し生理的な嫌悪感を抱かせるように作られている。そして、仮想現実にのめり込むリスクに対し、無言の警鐘を鳴らせる。しかし、そんな文言は一切出てこない。ただただ、最新ゲームを製作する世界中のクリエイターが自分の成果を披露しているだけである。それだけで、ここまでの主張が伝えられる番組を作るのはなかなかできることではない。

 過去に見た、NHKスペシャル「貧者の兵器とロボット兵器」もそうであった。オフィスでモニターを見ながら無人戦闘機を操縦し、アフガニスタンのイスラム過激派のアジトを攻撃する若手アメリカ軍人と、アフガニスタンで、人さらいをして麻薬漬けにし、洗脳した後に自爆テロの実行犯に仕立て上げ「貧者の武器」とするテロ組織。一体どちらが正しい姿なのか。番組ではその答えは語られないが、言葉にならない明確なメッセージがそこにある。

 あることに対し、真に客観的な評価など出来るはずがない。出来たとしても、誰も真に客観的だと判定できないからである。そういう意味で、NHKの番組作りは難しいであろう。しかし、それだからこそ逆に説得力のある番組が多いのは、面白いことだと思う。


12月5日 長芋掘りへ

 この週末は、長野に住むミネムラ家にお邪魔して長芋掘りをした。サチコを連れて初めての長距離ドライブであり、どうなるか心配だったが、大きな問題もなく、非常に充実した週末であった。

 土曜日は、朝4時半に起き、サチコにミルクを飲ませてから出発した。車の中が心配だったが、チャイルドシートに座ったサチコは、むしろ家にいるときよりもよく寝た。

 長芋掘りは、難しかった。深く掘って慎重に取り出さないと途中で折れてしまう。長い芋ほど難しい。焦ったり、安易に考えてしまったりすると、うまく掘り出せない。長芋掘りは人間修行のようなものだなぁと思った。一日目、妻は長芋を折らずに掘り出すことができず、非常に悔しそうであった。しかし、楽しい。一度始めるといつまでも掘りたくなってしまう。

 この日、ミネムラ家には沢山の子供が集まった。ミネムラ家の長男、テンセイ(3歳)、次男、ハルツグ(9ヶ月)、イクヨの長男、ケン(1歳)、そしてうちのサチコ(3ヶ月)である。サチコが一番下っ端である。サチコにとっては、他の赤ちゃんを見るのも初めてであったが、まだそういう「他者に会った」という意識は芽生えていないようであった。もう少ししたら、もっと楽しくなるであろう。私たちにとっては、サチコ以外の子供と接する機会はあまりないので、楽しいひと時であった。こんな風にサチコも成長するんだなぁと思った。

 夜はミネムラ家に泊めてもらい、次の日も芋掘りをさせてもらった。2日目は、ショベルカーで土をある程度掘ってから芋を掘るやり方であり、昨日とは違った楽しさがあった。妻も、今回は芋を傷つけずに掘れ、満足していた。  帰るとき、掘った長芋のほか、山ほどの採れたて野菜をいただき、帰路についた。本当に、ミネムラ家には何から何までお世話してもらい、楽しい思いをさせてもらった。ミネムラ家に感謝!である。

 帰り道、パパママ教室で知り合ったフジタ夫妻より連絡あり、帰宅前にフジタ家にお邪魔して夕食をご馳走になった。フジタ家の長男、ダイチ君はサチコと出産予定日が同じであった。サチコは一ヶ月の早産だったため、誕生日ではサチコが先輩である。

 ダイチ君と出会ったサチコは、先輩ヅラをしているように見えた。そこで楽しく夕食を頂き、おしゃべりをしてから家に帰った。

 楽しい週末であった。日本での良い思い出になった。
 

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