2011年
2月のつぶやき
2月28日 引越し下見
今日は、2週間後に控えた引越しのための下見であった。引越しは、若干複雑である。@私のインドネシア単身赴任用荷物、A妻と娘が実家で使用する荷物、B当面使わないが家族でインドネシアに住むときに必要な荷物、C日本帰国まで使用しない荷物 に分けられ、BCはとりあえず会社の倉庫に置かれる。インドネシアの家には、家具は一通り揃っているらしく、食器と衣服くらいがあれば事足りるとのことだが、かといって全て処分してしまうと帰国したときに何も無くなってしまう。
意外なことに、引越しの準備は生ごみを捨てる以外は何もしなくてよいという。こちらで梱包しても、業者のほうで再梱包されるらしい。かといって何もしなければ、小物類は何がなんだか分からなくなってしまう気がする。小物の整理くらいはしておこうと思っている。
2月27日 いわきへ
今週末は、パパママ教室で知り合ったフジタ一家といわきへ旅行した。旅行の手配は、フジタさんが殆ど、というか全部やってくれ、私たちはただついて行くだけ、という申し訳ないくらい頼りきりの旅行であった。
いわきに着き、昼食を済ませたら、「スパリゾートハワイアンズ」(旧名ハワイアンセンター)へ。映画「フラガール」で名前だけは知っていたが、行くの初めてであった。なんとなく、海沿いにあるのかと想像していたが、結構山奥にあるのが意外である。ハワイアンセンターは、かつていわき地方で盛んだった炭鉱事業の斜陽化に伴い、炭鉱で厄介者扱いされていた地下の熱水を利用して室内を暖めて作られた、ハワイをイメージした施設である。
ハワイアンセンターの雰囲気は、独特であった。実にさまざまなな人がいる。まず、常に土足で歩いている人と裸足で歩いている人が混在しており、土足エリアの境界が無い。服装も普段着の人、水着姿やアロハ姿の人、更には着物姿の人までいる。ハワイアンセンターと言っても、フラダンスの舞台がある他、純和風の温泉があり、温泉の手前には江戸の町並みを再現したみやげ物売り場があり、スーパー銭湯のような長机と畳の休憩所があり、新幹線の駅構内のような土産物売り場もあり、楽しいことは何でも入れてしまおうという感じがする。
フラダンスのステージは、驚きであった。独特の雰囲気がある。ものすごく上手なのだが、その中にアマチュアの輝きがある。才能にあふれたプロの踊りではない。誰でも努力すれば到達できるレベルだが、必死の努力を重ねないと誰にも出来ないレベルでもある。フラダンスの枠を超え、ハワイアンセンター独特の踊りになっているように感じた。見ながら、民研の八木節を見ているような感覚を覚えた。
その後、あーさんの実家で夕食をご馳走になり、宿へ。宿は、一軒家なのだが、風呂が石造りになっており、「源泉」の出る蛇口があった。蛇口から温泉が出てくるとは、想像を絶する。温泉に入って、就寝。次の日は、あーさん実家で朝食までご馳走になった。本当に、何から何までお世話になっている。
二日目は、いわき市石炭・化石館「ほるる」へ。化石の展示と、いわきが炭鉱の町であった頃の再現展示がある。ここでは、地元のボランティアのおばちゃんがつきっきりで説明してくれる。象の歯の構造から炭鉱技術の変遷まで、詳しく話を聞くことが出来た。
最後は、帰り道にある「石川町立歴史民族資料館」へ。フジタ夫妻の初デートの場らしい。ここは、知らなければ素通りしてしまうくらいの、垢抜けない古い建物である。入り口には「本日は職員が不足しているため、御用の方は呼び鈴を押して下さい」との表示があり、鍵がかけられていた。呼び鈴を押すと、職員が現れて鍵を開けてくれ、「帰るときにはまた声をかけてください」と言って去っていった。客は私たちと、そのすぐ後に来た二人組みのオジサンだけである。
中の展示物も、薄暗いフロアにストイックに陳列されているだけだが、内容は実に面白かった。鉱石を中心に、地元で取れた珍しいものから世界の珍品まで、豊富なラインナップがある。「石川石」というここで初めて発見された鉱石もあった。我が家のすぐ近くで、こんなに珍しい鉱石が採れる場所があるとは知らなかった。サチコが大きくなったら鉱石掘りに来たいと思った。
その後は、帰宅した。楽しい旅行であった。インドネシア行きを前にして良い思い出になった。フジタ夫妻に感謝!である。
サチコにとっては、昨年の芋掘りに次ぐ二番目の旅行であった。サチコにとっては、何がなんだか分からず連れ回されるだけの苦痛に満ちた時間であったかもしれない。家に帰れば、慣れ親しんだ感じが嬉しいのか、ずっと甲高い声で叫んではげらげら笑っていた。もう少し大きくなれば、旅行も一緒に楽しめるようになるであろう。
2月24日 春
最近暖かい。毎年のように書いているが、春の暖かさは別れを連想する。少し、センチメンタルな気分になる。先週は、こちらに異動してから始めたフルートレッスンの最終回であり、今週は今年から習い始めた英語レッスンの最終回であった。これからしばらく、「最後の○○」が続くであろう。
昨年結婚したフルートの先生は、英語の先生も結婚する予定があるという話を聞いて、「私に会った人は結婚する」というありがたいジンクスを作って下さった。英語の先生は、たまたまインドネシア人のハーフの人で、最後のレッスンの日に自分とインドネシアに住む友人のメールアドレスを教えてくれ、困ったことがあったら相談するよう言ってくれた。
本当に、有難いと思う。色々な人が励ましてくれ、助言をくれる。自分は、期待されてインドネシアに行く。しかし、あたかも自分が優れているような錯覚を起こしてはならない。かといって、卑下してもならない。常に中庸でいたい。
とここまで書いて、「中庸」って一体どういう意味だ??と思い、Wikipediaを調べたところ、「儒教の倫理学的な側面における行為の基準をなす最高概念」らしい。簡単に成し遂げられるものではないようだ。
2月21日 ONE PIECE
最近、妻に薦められて「ONE PIECE」を読み始めた。妻によれば、非常に面白いという。昔全巻持っていたらしいのだが、かつて会社の人にあげてしまったらしく、現在は40巻あたりからしかない。いくら面白くても、40巻から読んでも仕方ないだろうと思い、手を出さなかったのだが、インドネシアの暇つぶしになるかもしれないと思い、少しずつ大人買いしている。
始め読んでみたが、大して面白くない。面白くないことを妻に伝えると、「少年の心を忘れてしまった」と言われ、面白くない理由を伝えても、「理屈ではない」と言われる。しかし、せっかく買ったのだからと思い、半ば義務感で読み進めている。こんなに話題になっているのに、面白く思えないのは私の感性が変なのであろうか、などと考えていると、妻がインターネットで調べたらしく、「ONE PIECEがつまらなくて悩んでいる人は沢山いるみたいだよ」と教えてくれた。
現在11巻まで読んだ。少しずつ面白くなってきた。
キブさんによれば、「ONE PIECE」はすでにマンガの域を超え、伝説の域に達し始めていると言う。100年後には三国志や源氏物語の如き読み物になっているであろうとのことである。
2月14日 広辞苑
先日、夕食を食べながら何か分からない言葉があって、広辞苑を引いた。それから、しばらく広辞苑の話となった。広辞苑の凄さは、誰でも分かるような単語を引いたときに分かる。それからしばらく、妻と広辞苑を使って遊んだ。
・こと【事】
意識・思考の対象のうち、具象的・空間的でなく、抽象的に考えられるもの。「もの」に対する。
・もの【物】
形のある物体をはじめとして、広く人間が感知しうる対象。また、対象を直接指さず漠然と一般的に捉えて表現するのに用いる。
・うみ【海】
地球上の陸地以外の部分で、塩水をたたえた所。
なるほど、「事」ってそういう意味だったのかと改めて思う。「海」の定義も明快である。簡単な言葉ほど、説明するのが難しい。こうやってひとつひとつの単語を定義していく作業は本当に大変であろう。なかには、編纂時に疲れたのかこんなのも発見した。
・ひかり【光】
光ること。また、光るもの。
↑↓
・ひかる【光る】
ぴかっと光を放つ。
2月13日 お宅訪問
今日は、会社の先輩、ナカハタさん宅に家族でお邪魔した。ナカハタ家には4歳のチヒロ君と7ヶ月のシオン君がいる。サチコにとって先輩である。
男の子二人の家庭らしく、家にはガンダムや変身ベルトなどが沢山あった。変身ベルトは、メモリーカードのようなものを差し込むことで鳴る音声やイルミネーションが変化するようになっている。最近のおもちゃは高度である。父も戦闘機やプラモデルが好きらしく、子供の趣味もその方向に傾倒しているようである。
チヒロ君は、サチコのことを気に入ってくれ、「さっちゃん」と叫んではサチコのお腹に顔を埋めたり、足を触ったりしていた。最後は「さっちゃま〜」と何度も呼んでいた。4歳ならではの純粋な愛情表現だなぁと思った。小学校に上がれば、「男子」「女子」の意識となり、なかなかやってくれないであろう。
サチコが生まれて以来、子供を見るのが本当に楽しい。サチコはどのように成長するのであろうか。
2月12日 英語教育について
海外赴任に向けて、少しずつ英語を勉強している。日本の英語教育といえば、散々な評価であろう。その主な内容は、日本の英語教育は受験英語であって、実用性に乏しい。その証拠に、殆どの大人が外国人とまともにコミュニケーションが取れないじゃないか、といったものである。
私が思うに、外国語は、外国に行って生活をしているだけで、勝手に話せるようになるだろう。現に私の妹がそうである。言語のスキルのうち、スピーキングおよびリスニングは、例えまともな教育を受けなくても習得できる。貧困層と言われる人たちが出来ないのは、読み書きであって、殆どの場合、会話は出来る。
日本の英語教育は、ライティングとリーティングに重点が置かれている。そしてこれが、上に書いた批判を受けているように思われる。
私が思うに、日本の英語教育を批判する人は、英語教育の目的自体がそもそも違うのではないか。日本の英語教育というのは、海外の書物を理解することに原点がある。海外の優れた技術や文化を習得し、国力を向上させ、ひいては異国の侵略から国を守りたい。明治時代のそんな思いが現代の英語教育の原点となっている。一方、上記批判者たちは、英語教育の目的を、外人とスムーズにコミュニケートし、仲良くするためと考えている。ほぼ真逆である。
現代で言えば、英語教育とは「論文を読み書きする能力の育成」と定義できるかもしれない。大学に入れば、必須の能力である。そう考えれば、日本の英語教育も悪くない。逆に、英会話に重点を置きすぎて本来の目的を見失うのはもったいないと思う。
以上は、どこかで読んだ本の内容のような気がするのだが、出典は思い出せない。
2月11日 来客
今日は、民研の後輩ユキが娘を連れて我が家へきてくれた。帰省途中に立ち寄ってくれたのである。娘のミキちゃんは1歳半。サチコのほぼ1年先輩である。
1歳半の子供は面白い。言葉もある程度理解し、知性もある。お手玉を渡してくれたり持っていったりを飽きずに繰り返し、大人をアスレチックのようによじ登ったり、椅子代わりに座ったりもしている。更には、食事をしながら歯を磨くという、想像を絶する行為もごく当たり前のように行っていた。常識に囚われない感じが本当に面白い。
ミキちゃんが帰った後、サチコがいつも以上に小さく見えた。サチコもこうやって大きくなるんだなぁと思った。
2月6日 スノーボードへ
昨日は、会社の友人数名とスノーボードに行った。インドネシアでは出来ないだろうから、滑り納めであり、日本でのよい思い出となった。
その前日、多少問題があった。同じ事務所にいる先輩が、インフルエンザになった。事務所での先輩の体温は、37.1℃であった。そしてその日、私の体温も高めであった。
先輩はインフルエンザである。
先輩の体温は37.1℃であった。
私の体温は37.0℃である。
以上の情報から「私はインフルエンザである」という推測を立てることは、ごく自然であろう。当然、妻は怒り、多少の言い争いになった。私としては、この後何年も出来ないだろうから、スノボーに行った後に寝込んでも構わないと思っていたが、その発想は一般的には正しくない。「そんなにスノボーに行きたいの!?」「ああ、行きたいさ!」と言った多少感情的なやり取りをして、風呂に入った。風呂で考えれば、当然ながら100%妻が正しい。私は自分の欲望に従って生きているだけであり、ただの我が侭な小さい人間である。
風呂から上がり、一緒に行くヤマトに「やっぱりやめとく」という内容の連絡を入れたところ、当日朝の体温を測って最終決定をしましょうと言われた。それも100%正しい。そうしようということになった。なお、就寝前の体温は36.3℃。
そして、起床時の体温は36.2℃。かくして行くことにした。それにしても、私の周りには「正しい人」がたくさんいる。私は、彼らの意見に従って行動するだけで、自分の意思とかそういう類のものは、何一つない。この小さな一連の体験で、そんな感覚を持った。
2月2日 八百長について
家に帰ってテレビを見れば、大相撲の八百長疑惑について報道されていた。賭博事件の捜査過程において、八百長を示唆する携帯メールが認められたと言う。
大相撲の八百長疑惑と言うのは、ずっと前からくすぶっては消えを繰り返していたように思う。もしかしたら、江戸時代くらいから普通にあったのかもしれない。
ふと、愛媛の大山祇神社で行われている「一人相撲」と呼ばれる神事のことを思い出した。これは、春の御田植祭と秋の抜穂祭で行われる神事で、田の神「精霊山」と人間の「一力山」が相撲を取るのだが、田の神は当然目に見えないため、あたかもひとりで相撲を取っているように見える。というか、一人で相撲をとる「ふり」をする。勝負は三本勝負で、必ず二勝一敗で田の神が勝つ決まりになっているのである。当たり前だが、これを八百長だと非難する人は多分いないだろう。
日本は、その良し悪しは別として、古来より八百長に対して寛容であったのではないだろうか。相撲は、弥生時代に起源を持つらしい。独自の倫理観、精神文化を持っていて当然であろう。相撲は、神事であり、武術であり、見世物であった。それを、「スポーツ」としてしかとらえず、西洋のスポーツマンシップやフェアプレイ精神に当てはめようとしたときに、問題が発生するに過ぎない。
以下、Wikipedia「八百長」より引用。
八百長は明治時代の八百屋の店主「長兵衛(ちょうべい)」に由来するといわれる。八百屋の長兵衛は通称を「八百長(やおちょう)」といい、大相撲の年寄・伊勢ノ海五太夫と囲碁仲間であった。囲碁の実力は長兵衛が優っていたが、八百屋の商品を買ってもらう商売上の打算から、わざと負けたりして伊勢ノ海五太夫の機嫌をとっていた。
しかし、その後、回向院近くの碁会所開きの来賓として招かれていた本因坊秀元と互角の勝負をしたため、周囲に長兵衛の本当の実力が知れわたり、以来、真剣に争っているようにみせながら、事前に示し合わせた通りに勝負をつけることを八百長と呼ぶようになった。
この文章からは、八百屋の長兵衛が悪人だという風には読み取れない。むしろ、ほのぼのとした雰囲気が窺えるし、更には八百屋の長兵衛の生きるための強さ、したたかささえ感じられる。
大体、力士はつらい修行や特殊な上下関係に耐えて精進する、普通の人間には到底耐えられない人生を過ごす。ある程度は荒くれ者であって当然であろう。そんな彼らに公務員のような品行方正さを求めるのは、公務員に相撲部屋に入れと言うのと同じくらい無理があると思う。
別に、八百長してもいいと言っているわけではない。ただ、そこまで目くじらを立てなくてもいいのではないかと思うだけである。
2月1日 メガネを買う
今日は、東京に外出したついでにメガネを買った。インドネシアに行くにあたり、メガネを複数持っていたほうが良いとのことであり、会社の後輩ヤマトによれば、「ジンズ」というメガネ屋が安いとのことで、仕事後に八重洲の地下にあるジンズに向かった。偶然ヤマトも東京に出張があり、一緒に行った。
ジンズに行き、その安さに驚いた。一番安いメガネは、レンズ込みで3990円であり、非球面の薄型レンズを選んでも同じ値段である。また、注文してから30分後には商品を受け取れる。
さて、薄型レンズは、その屈折率からレンズの厚い順に 1.60、1.67、1.70、1.74 の4種類が選べる。当然、同じ値段なのだから一番薄い1.74のレンズを選んでやろうと思っていた。
ところが、店員にあなたくらいの度数なら1.67程度で十分ですよ、これ以上薄いレンズを選択してもレンズ厚みは0.5mm程度しか変わりません。それどころか、薄いレンズは比重が高いため重く、透明度も下がります。しかも薄いレンズは在庫が無い為、お渡しは5〜10日後になりますが、いかがいたしますか? と言われたので、そこまで言うなら、と、1.67のレンズにした。
私以上に近眼であるヤマトも、絶対1.74にしようと決めていたらしいのだが、店員に、こういったフレームの場合、1.74のレンズは脆くて欠けやすいですよ、と言われ、更に1.70と1.74のレンズのサンプルを見せられ、ほら、殆ど変わらないでしょう、1.70ならその場でお渡しできますが1.74の場合は5〜10日かかりますが、いかがいたしましょうか? と言われたらしく、結局1.70にしたらしい。
当然、同じ値段で売るのだから、高屈折率のレンズを使用したほうが利益率は下がる。低屈折率のレンズで満足させるセールストークが相当磨かれているなと感じた。待ち時間中、店を出てヤマトと、ジンズは店ごとに屈折率別の売上げデータを集計しており、高屈折率のレンズを沢山売った店長は会議で相当絞られているんじゃないか、など、ジンズの内情を空想しつつ議論した。それにしても、ここまで高屈折率レンズのデメリットを聞いたのは初めてだったので驚いた。
結局、3990円のメガネを2つ買って店を後にした。ともあれ安い。お得な買い物をしたと思った。
2月1日 無題
時期柄、自己分析をすることが多い。最近、周りの人と話したことなどを元にまとめるというか、殴り書き。
私は、どちらかといえば、安定志向である。というか、かなりの安定志向で、心配性である。インドネシアに行くことに対し、周りの人からは田所はいつも前向きでいいなぁなどと言われるが、私の心の内は違うように思う。
安定志向といえば、例えば、転職を好まず、ひとつの会社にしがみつくような人を指す。私は、そうではない。それどころか、更に安定志向である。例えば、会社が倒産したらどうすればいのか、また、職場が鬱病になるほどストレスフルな環境になってしまったらどうしようか、ということを考える。そのために、出来るだけ汎用性の高いスキルを身につけておかねばと思う。私は、「心配だから」という、フロンティア精神に富む肉食系男子とは恐らく全く異なる理由で、自身のスキルアップを考えている。
また、日本が経済破綻して円の価値が今の十分の一、百分の一になってしまったらどうしようということを考える。大体、あんな紙切れ1枚を渡すだけで、米約30kgやガソリン約80Lを貰えるなんて不思議である。そんな紙切れを千枚集めようが、一万枚集めようが、あるときみんなが、その紙切れに価値が無いことに気付けば、それは本当にただの紙切れになるであろう。そんな時、私たち家族が生きていくためにはどうすればいいかということを考える。大金持ちになりたいとは思わない。とにかく、何があっても対応できるようにしておきたい。
インドネシアに行くことに関しては、それほど不幸な事態だも考えないようにしているし、逆に異国で働くことに対する高揚感も感じないよう努めている。ただ、普通に仕事をし、必要とされ、報酬を得、家族を養いたい。それは、場所がどこであろうが同じだと考えるようにしている。
本当は、一次産業、すなわち農業か漁業に携わるのが一番安定しており、究極的には自給自足をするのが一番安定しているのではないかと思っているのだが、まだそこに踏み出すほどの勇気は無い。
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