2011年
4月のつぶやき




4月26日 インドネシアのCM

 インドネシア語の勉強および危険情報把握のため、テレビはインドネシアのテレビニュースを見るようにしている。しゃべっている内容はなかなか理解できないが、面白いCMがいくつかあるので紹介したい。

・殺虫剤
 殺虫剤をまくことで、蚊を殺すだけでなく爽やかなオレンジの香りも付与する殺虫剤のCMがあった。CMでは、父親が従来の殺虫剤を撒いたところ、子供が匂いを嫌がるのだが、この殺虫剤では部屋も爽やかな香りに包まれ子供も笑顔になるという内容である。殺虫剤が危険であることに変わりはないだろうから、むしろ臭いままのほうがいいような気がするのだが。

・クレジットカード
 クレジットカードのCMで、お店でカードリーダーを通した瞬間、マイカーが突然現れるという内容である。そのクレジットカードの所有者は、信じられないと言った表情で喜んでいる。あたかもタダで車が手に入るような演出がいいなぁと思った。

・エアコン
 センサーが内蔵されており、人がいるところに集中的に風を当てるエアコンのCMであった。人間に直接風を当てることにより、効果的に冷却でき、結果的には節電になるという内容であった。直接エアコンの風を浴びるのは良くないという日本の発想とはずいぶん違うが、このメーカーはパナソニックであった。


4月23日 ジョグジャ旅行記

 今週はインドネシアでは3連休があり、ジョグジャカルタへ一泊二日の一人旅に出かけた。一番の目的は、下に何度か書いたとおり、この国での経験値を上げること、二番目はジャカルタの汚く騒々しい雰囲気から逃れてのんびりすることである。事前準備は航空券と手配とホテル予約のみ。あとは行ってから考えるつもりであった。そして、結果的にはさまざまな経験をすることになった。

 まずは、空港でチェックイン出来なかった。チェックインの際、クレジットカードの番号が必要らしいのだが、持ってきていなかったのである。クレジットカードは私の部屋の中でカギをかけた引き出しにしまわれている。とりあえず寮で同室のカネさんに連絡して、手持ちのカギで開くかどうか試してもらったが、開かないとのことであった。とりあえず、現金で払うから乗せてくれと交渉していると、再度カネさんから「引き出しを破壊した」との連絡が入り、クレジット番号を教えてもらった。

 結局、現金で払って飛行機に乗れたのだが、携帯の電源を切る瞬間にあっと思ったのは、PINコードを覚えていないということであった。会社で支給された携帯は、電源を入れた後、指定の暗証番号を入れる必要があり、3回間違えると使えなくなってしまう。確か7で始まる番号だったなと思いつつ、適当な番号を入れてみたが、2回とも失敗。カネさんなら私のPINコードを調べられるだろうと思ったが、カネさんの携帯番号すら分からない。それどころか、腕時計をする習慣の無い私にとって、携帯が無いと今が何時かも分からないのである。取り急ぎ、時刻が知りたいときはデジカメで写真を撮り、撮った写真に表示された日時を見て確認するという方法でプランバナンを観光した。

 夕方ホテルに行き、フロントにてカネさんの電話番号を記憶を頼りに何度もトライするがことごとく失敗。インターネットカフェで自分のメールを確認してようやくカネさんと連絡が取れ、PINコードを入手した。


 旅行自体は、学生の貧乏旅行の様であった。交通手段は、トランスジョグジャと呼ばれる一回30円のバス、オジェッと呼ばれるバイクタクシー、ベチャという三輪自転車などである。緊張の連続であったが、ジョグジャの人は基本的に親切で人懐っこく、行きたい場所を言えばどうすればよいか教えてくれる。バスの中で話しかければ、他愛もない話で楽しい時間を過ごせる。結局、右も左も分からず気付いたら目的地に着いており、気付いたら戻ってきている感じであった。

 一日目は、プランバナンへ。プランバナンは、9世紀ごろに建立されたと考えられている寺院郡で、ヒンドゥー教と仏教が融合した特徴があるらしい。そのあたりはよく分からなかったが、中央にあるロロ・ジョングラン寺院は素晴らしかった。ここでは、ガイドブックを売っているオッチャンと仲良くなり、地震や噴火の際の身の上話を聞き、日本のツナミは大丈夫かと聞かれた。

 ホテルに行った後は、ベチャでレストランまで行った。レストランには他に客はおらず、暇しているウェイターと仲良くなり、おしゃべりした。ここでは、地酒のアラックを飲んだ。結構美味しい。インドネシアはイスラム国であり、地酒は無いものと思っていただけに嬉しかった。ここではレストランのその後は、ベチャのオッチャンに勧められるがままに夜のジョグジャをのんびり回り、ホテルに帰った。

 二日目は、世界遺産、ボロブドゥールへ。ここへはバスで一時間半くらい、距離は約30km程度と結構遠いのだが、バス料金は行きはわずか100円、帰りは何故か50円であった。ホテルからバス停までの10分程度の三輪自転車が200円であり、このあたりの料金設定はよく分からない。

 ボロブドゥールは、素晴らしかった。これは8〜9世紀頃に建造されたと考えられている仏教施設で、約千年もの間、火山灰に覆われていたというミステリアスな遺跡である。回廊では、精巧な彫刻がなされている。その彫刻は、実に人が多い。何をしているかはよく分からないが、「何か」をしている人が沢山描かれている。人は、そうやって何百万年も生きてきたのであろう。そして、最上階に上れば、人は一人もいなくなり、一気にシンプルなシンボルに集約される。地球の歩き方によれば、これは仏教の「三界」を表しており、沢山の人が描かれている回廊が 煩悩で生きる「欲界」および悟りを求める「色界」、そして、最上階が物質世界から解脱した「無色界」を示しているらしい。特に、無色界への飛躍が実に心動かされるものがあった。

 ボロブドゥールを見た後は、また色々な人に尋ねつつバイクタクシー、バス、トランスジョグジャと乗り継ぎ、無事空港まで来た。非常に疲れたが、久しぶりの一人旅はまずまず楽しめた。


左:ボロブドゥール            中:ベチャとオッチャン             右:プランバナンの怪しいマスコット




4月16日 風評被害について

 先月のつぶやきで、食品の風評被害について書いた。その時は、「危険だと分かっているものは、食べてはならない。しかし、99%安全だと思われるものは、食べるべきである。ほうれん草を食べることは、被災者を援助する手段なのではないだろうか。」と書いた。このことについて、書いたときからずっと引っかかっている。そして、最近のニュースを見れば見るほどもやもやしている。

 私は、昔からひねくれ者である。人が正しいと言えば、なんとなく正しくないんじゃないかという気がするし、間違っていると言えば、実は正しんじゃないかと勘繰ってしまう性格である。最近のNHKニュースを見れば、出荷制限のかけられていない食品は安全であり、風評に惑わされずどんどん食べましょうという、ちょっとわざとらしいくらいのキャンペーンが張られているように思える。私は、このキャンペーンの黒幕は国ではないかと思っている。

 しかし、放射能検査は恐らく抜き取り検査であり、一匹一匹の魚や、ほうれん草の一束一束まで検査しているのではないだろう。「3回連続下回れば」という条件も、何を持って3回なのか、よく分からない。放射能値の高い食品が検査されずに混入する可能性は無いのだろうか。

 こういった疑問が湧くのも、今回の事故の深刻さのスケールがよく分からないからである。私たち専門家でない多くの人々は、政府の情報を信用するしかないのである。それなのに、事故の深刻さが後手後手で公表されては、何を信用していいか分からない。だから、「風評」を信じるしかなくなるのである。食品問題まで後手後手は許されない。もちろんパニックを引き起こしてはならないが、本当に重大な危機があるとしたら、だらだらと後回しにせず、英断を下して欲しい。


4月10日 ここでの生活について

 インドネシアに来て約3週間、住んでみて感じたこと。

 よく、海外の駐在員はお抱えの運転手がいて、お手伝いさんがいて悠々自適の生活をして羨ましいなどと言われる。しかし、それは、私たちが弱い立場であることの裏返しではないかと思う。少なくとも私は、外出する際に結構な緊張感を伴う。もちろん、日本ほど治安がよくないということもあるが、それ以上に「ここは私の国ではない」という漠然とした不安定感があるからだと思う。私は、他人の国に住んでいるのである。だから、予測不能な事態が起こったときにどう対応すべきかも分かっていない。予測不能の事態が起こりそうかどうかを感じる直感も、日本にいるときほど鋭敏ではない。そして、当然だが、この国の政府は非常事態の際には、自国民を優先的に守るであろう。

 だから、緊張するのである。家族が来る前に、少しでも多くこの国で生活するスキルを磨いておきたいと思っている。とりあえず、第一に語学、第二に広い人脈、第三にさまざまな経験、とにかく大事だと思う。

 そういう立場の私たちがこの国に求められていることのひとつに、お金を大量に使うことが挙げられる。車は一人一台でなければならない。乗り合いのほうが安上がりでいいじゃないかという感覚は、ここでは通用しない。いい場所で割高な食事をし、週末はゴルフをすることが良いとされる。贅沢な暮らしが何となく後ろめたいという感覚は、あまりなく、むしろ贅沢な生活をして、お金を使うべきだと言われているようにさえ感じる。

 とにかく、日本にいたときと感覚が異なるから、結構戸惑っている。


4月8日 「セルフィス」

 インドネシア語で仕事をするのは色々不便があるが、なかでも英語と混ざっている場合に難儀している。

 今日は「セルフィス」とという言葉が出てきた。何か聞いたら、英語だと言う。「selfish」(=自分勝手な)かと思ったが、文脈からしても「selfish」ではないと思われた。よく分からないから、書いてもらったら

「service」

であった。インドネシアでは「R」は必ず巻き舌でラ行を発音し、「V」は「F」の発音になる。その法則に従えば、サービスはセルフィスになる。あとで考えれば分かるが、突然出てきてもなかなか分からない。その他、「バル」と言われて、「baru」(インドネシア語で「新しい」の意)かと思ったら、英語の「bar」(棒)だったりする。あと、「ガンバル」はインドネシア語で写真や図面のことだが、たまに日本語の「頑張る」だったりする。

 果たして、先輩方のようにすらすらと理解できる日が来るのであろうか。


4月3日 柔道部へ

 今日は、ジャカルタジャパンクラブの柔道部の練習に行ってきた。柔道は中学、高校とやっていただけなので、およそ14年ぶりである。

 行けば、いきなり「田所先生です」と紹介されてびっくりした。大人が子供に教えるのがメインらしい。「先生」とは言っても、長い間やっていなかったので、酷く疲れ、終わる頃にはへろへろになっていた。それでも不思議と柔道をする感覚は覚えており、中学高校時代の経験もまんざらではないなと思った。最後、少しだけ大人同士の練習もあったが、その頃には動けないくらい疲れ、パスした。

 家に帰ってシャワーを浴びれば、心地よい疲れを感じる。体がきれいになった感じがする。そして何より、社外に知り合いができるのが楽しい。


4月2日 バスに乗る

 今日は、初めてバスに乗った。ジャカルタでは「トランスジャカルタ」と呼ばれる公営バスが走っている。このバスはバス専用道を通るため、渋滞もしないし、治安も比較的安全と言われている。運賃は3500ルピア(約35円)で、一度切符を買えばバスを乗り継いでどこでも行ける。運転手を使うことも出来るが、この国での行動の自由度を高めておきたいということで、どきどきしつつ乗ってみることにした。

 インドネシアで外出する際は、会社の後輩ヤマトが教えてくれたことを参考にしている。財布は持たず、ポケットに携帯と現金だけを入れて地球の歩き方を持って歩く。かばんは、いざというときのためのティッシュペーパーと傘だけである。服装も、現地人と同じような格好をするよう心がける。

 バスは混んでおり結構揺れるため、結構疲れたが楽しかった。混んでいるとは言っても、乗務員が乗る人数などを制限するため、ぎゅうぎゅう詰めになることはない。バスは山手線くらい頻繁に来る。乗務員は、子連れの乗客のために、座っている人に席を譲るよう指示していた。

 バスを降り、「ジャカルタの秋葉原」と言われる「マンガデゥアモール」へ。インドネシア同期のカネさんとエンドウさんは運転手の車で行っており、マンガデゥアモールで合流した。3人で建屋内にぎっしり立ち並ぶ電気屋や偽ブランドショップなどを巡り、結局何も買わずに帰ってきた。

 ようやくジャカルタの地理感覚が掴めてきた。やはり自分で地図を持って自主的に動くほうが、覚えられる。


4月1日 下痢になる

 今朝、下痢になった。会社でも数回トイレに行った後、寒気がしてきたので先輩に相談したところ、病院に言ったほうがいいと言われて病院に行った。社内にも診療所はあるが、初心者は日本人のいるちゃんとした病院に行ったほうがよいとのことらしい。

 便および血液検査の結果、私のお腹の中に寄生虫がいるらしいことが分かった。抗生物質と下痢止めの他、脱水症状防止のためのポカリスウェットの様な粉末をもらって病院を後にした。薬をもらって飲めば、だいぶ体調はよくなってきた気がした。抗生物質は、5日間飲み続け、かの寄生虫が死んだかどうかをもう一度検便して調べる必要があるらしい。

 会社に戻り、現地人にこの話をしたのだが、「寄生虫」という単語が分からず、とりあえず「私のお腹の中にススアトゥ(=何か)が住んでいるらしい。インドネシア語の名前は分からないが、スランガ(虫)とウイルスの中間くらいの生き物だ」といった意味のことを言った。すると、「それはバクテリアか?」とか「それはララットか?」といった質問が返ってきた。バクテリアではない、ララットの意味は分からないと答えた。

 後で調べて見たら、「ララット」は蝿のことらしい。蝿がお腹にいるわけがない。なお、寄生虫は、「パラシット(=パラサイト)」でいいらしい。

 下痢は辛いが、経験としては悪くない。家族が来る前に、この国での経験値を上げておかなければならない。下痢になるのも、病院に行くのも、ここで生活するために必要な経験である。これらの経験ひとつひとつが家族を守る力になるのだと、結構本気で思っている。
 

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