2011年
5月のつぶやき




5月31日 英語が出ない

 バリ島では、多くのインドネシア人が英語を話す。ホテルやレストランでは殆ど英語で話しかけられるのだが、英語がちんぷんかんぷんになっている自分にショックを受けた。

 レストランで、何か英語で話しかけられ、全く理解できなかったので、インドネシア語で言ってもらったところ、「Berapa orang?」(何名様ですか?)という中学一年生でも分かるような簡単な質問であった。また、「パイナップル」の発音が聞き取れず、「ナナス」(インドネシア語でパイナップルの意)と言われてようやく理解できた。二日目のに雇った運転手は、最初は英語で説明してくれていたのだが、さっぱり分からないため、インドネシア語に切り替えてもらった。お寺ですれ違った中国人女性グループに「この先には何があるの?」と英語で聞かれたが、答えにもインドネシア語の単語しか思い浮かばず、何も返事ができなかった。

 この国で生きるには問題ないが、汎用性の高さで言えば不利であろう。せっかく赴任前に英語教室に通ったのに、殆ど無意味であった。ただ、今英語を勉強しても無駄な気がするから、とりあえずインドネシア語をもう少し極めようと思う。


5月30日 バリ島旅行記

 先週の土日は、職場の先輩のエンドウさんとバリ島に行った。バリ島と言えば、南国のリゾート地というイメージがあるが、ここに住んでいると九州人が沖縄に行くくらいの気軽さで行くことになる。バリ島の中でも、浜辺のリゾート地帯ではなく、山側のウブドを中心に観光したため、海は全く見ていない。

 ウブドに着けば、あたり一帯は欧米人であった。エンドウさんは「軽井沢のようだ」と言った。確かに完璧な観光地という感じがする。しかし、その中でもヒンドゥーの土着文化が垣間見えるあたりが面白いと思った。以下、かいつまんで書く。


 一日目の夕食後は、ケチャダンスの上演を見に行った。ケチャダンスと言えば、かつて会社の先輩にCDを借りて以来、いく度となく聴いている。夜のドライブなどで寝そうになったときにこのケチャダンスを流せば、一気にアドレナリンが出て、しばらく目が覚めるという使い方であった。一度本場のケチャをこの目で見てみたかった。

 ケチャダンスの歴史は意外に新しく、1930年頃にドイツ人が提案して作ったものらしい。だからと言って、芸能としての価値が下がることにはならないと思う。津軽三味線だって、現在の形となったのは戦後である。

 ケチャダンスを見れば、日本で見た地方の芸能に似ていると思った。メンバーの中には、一生懸命歌っている人もいれば、適当に歌っている人もいる。それぞれが比較的自由に振舞っているのに、全体としてひとつに見える。西洋の芸術とは全く異なる完成形がここにある。

 ケチャの次に見たファイヤーダンスは、もっと凄かった。馬の頭のような道具を持った人がひとりで現れ、ケチャの合唱の中、燃え盛る椰子の殻を裸足で蹴散らすのである。踊りというか、蹴散らすだけであった。凄い迫力であった。


左:ケチャダンスの様子   右:ファイヤーダンス(とは言っても炭を裸足で蹴散らすだけ)凄まじい。



 二日目は、道端にいる「タクシー」とつぶやいている人に連れていってもらって車で観光した。ウブドと言えば10メートル歩く事に「タクシー」と声をかけられる。店で手配してもらおうと思ったが、閉まっていたため、道端にいる人に連れていってもらうことにしたのである。

 「マデ」という名前の運転手は、面白かった。「Kenapa」は「なんでやねん」(過去に乗せた関西人に教えてもらったらしい)、「Datang」は「来る」だから、「Kenapa datang?」(なぜ来たの)は「なんでやねん来る?」らしい。

 バリ島は、ヒンドゥーの島である。バリ人は、私が思っていたよりも敬虔で、生活が宗教と共にあることを感じた。ティルタ・エンブル寺院では、多くの地元民が沐浴をしていた。沐浴でありつつ、プール感覚でもあり、南国のおおらかさを感じる。ここでは、祭礼があるらしく、至る所でお祈りをしている人がいた。


左:ティルタ・エンブル寺院で沐浴する人々。楽しそう。    右:巨木に向かってお祈りする人々。となりのトトロのワンシーンを思わせる。



 その他、コーヒー園で、コーヒーの試飲をした。世界最高級と言われるコーヒールワッは、山猫がコーヒー豆を食べ、その糞から取れた豆で作られたコーヒーで、値段は桁違いに高い。店員は日本語で「ねこのうんちコーヒー」と言っていた。試飲してみたが、私にはあまり味は分からなかった。


左:棚田の絶景。    右:コーヒールワッの原料(左上の黒いのは猫の糞)。ここから絶品コーヒーが出来る。




 結局、一泊二日という短い旅であったが、それなりに楽しんで帰ってきた。




5月21日 ふるさと

 今日の夜、帰りの車の中で運転手がラジオチャンネルをいじっていると、突然唱歌「ふるさと」が流れてきた。チャンネルを止めてもらい、懐かしいなと思いながら聴いた。インドネシアのラジオで「ふるさと」が流れるとは思わなかった。そして、この歌は日本の有名な歌で、私たちのように(運転手はカリマンタン出身)故郷を離れて働いている人が故郷を思って歌う歌だ、というような意味のことを説明した。

 歌が終わった後に続けて聴いていると、この番組はインドネシア人のための日本語レッスンであった。「Apa ini?」は、日本語では「これは何ですか?」と言います、最後の「か」は音を高く発音します、と言った意味のことをインドネシア語で説明していた。「は」「です」「か」のそれぞれの意味についても説明されていた。インドネシア語では「何」「これ」に当たる言葉しかないため、さぞかし理解が難しいであろう。

 「これは本です」と「これが本です」の違いについても説明していた。私が理解したところによれば、「は」はすでに知っているものについて言う場合に使われ、「が」は相手がまだ知らないものを言う場合に使われる、と言った説明であった。これが全てではないが、とりあえずの説明としては何となく分かる気がする。「は」と「が」の違いについては、私も明確に説明することができない。

 とりあえず面白かった。そして、インドネシア人のための日本語教室は、私のインドネシア語勉強のためにも役立った。


5月18日 動物園へ

 昨日は、祝日だったので、同室の先輩エンドウさんと近所のラグナン動物園に行った。トランスジャカルタと呼ばれるバスで4駅である。

 動物園は、広かった。日本の動物園と比べて、動物の密度が極端に低い。動物園に来たというよりは、公園にところどころ動物がいるといった感じである。そのため思ったより臭くなく、また、木が多いため思ったよりも涼しかった。ただ、あまりに広く、案内図も少ないため、自分たちがどこにいるのか全く分からないまま園内をぐるぐると歩き回っていた。

 一番見たかったのは、コモドドラゴンであった。「世界の果てまで行ってQ」で、イモトアヤコがコモドドラゴンに追いかけられている映像を見ており、あの異形を実際に見てみたかった。しかし、実際に見れば、コモドドラゴンはぐったりと動かず、あまり面白くなかった。

 動物園の中は、大盛況であった。現地人は、ビニールシートを敷いてのんびり家族や恋人どうしで楽しんでいる。場内は、小型の列車や馬車がところ狭しと走り回っている。馬車は、ちょっと危険なんじゃないかと思われるくらいのスピードで人ごみを駆け抜けていた。また、ちょっとしたパレードがあり、猛禽類を手に乗せた人々や、ゴルフカートに乗せられたオランウータンがやってきた。何でもありという感じがとても面白い。

 昼食は、客引きのおばちゃんに誘われるがままに園内のワルン(レストランと屋台の中間くらいの飲食店)で食事をした。ナシゴレン、ミーゴレンともに約150円。ワルンで食べるのは初めてだったのでどきどきしたが、下痢をすることもなかった。

 事前情報ではつまらないと聞いていたが、思ったよりも楽しめた。家族と来ればなかなか楽しめる気がする。


5月16日 気になるCM

 気になるCMを見つけた。「Djarum Super」というタバコのCMである。インドネシア各地が登場し、インドネシアの多様な自然やさまざまな文化が入り混じった様子が力強く描かれている。

 そして、音楽がかっこいい。民族調のメロディとオーケストラが入り混じった雰囲気はアディエマスの音楽を連想させる。初めてCMを見てから、この曲のことが気になっていた。今日、Youtubeで動画を見つけたので、BGMに関する情報はないかとコメントを見てみたが、「この曲のタイトルは何か?」 という質問コメントは沢山あり、「アディエマスに似ている」 などのコメントがちらちら見られるものの、手がかりは無かった。

 CMの最後、「たばこは癌、心臓発作、インポテンス、および胎児への悪影響があります」のコメントがほんの0.5秒くらい出る。これでは現地人でも読めないと思うのだが。

動画はコチラ http://www.youtube.com/watch?v=KYl2MIfaJ2k


5月14日 無題

 インドネシアに来てほぼ2ヶ月が経つ。地震の日、私は福島県に住んでおり、次の日が引越しであった。

 地震が発生した後、ずっとテレビを見ていた。相馬港の映像は、これまで陸地だったはずのところが、いつの間にか海に変わっていた。これが津波なのかアナウンサーも分からず、「さっきまで陸地だったところが水没しています」と繰り返し放送していた。それは、今見るような衝撃的な濁流の映像ではなかったが、大変なことになっていると思った。夜もずっとテレビをつけていた。夢うつつの中で、何度か緊急地震速報が来た後に余震がやってくるのを感じた。あまりに何度も来るので、すでに恐怖感はあまり無かった。地震速報のとき以外は、コメンテーターがああでもないこうでもないと夜通し言っていた。

 深夜、東京に向かう車の中ではラジオを聴いていた。原発の事故について、ああでもないこうでもないと言っていた。内容は良く覚えていないが、その時は原発事故は何とか収束に向かいそうに思えていた。津波の影響も、まだ全貌が見えていなかった。運転中、緊急地震速報が何度も来て、車を止めるよう指示を出していたが、私たちも含め指示に従う車は一台もなかった。

 そして、今思えば不思議なくらい、引越しは何とか行うことができ、妻子は福岡へ、私はインドネシアに来ることができた。人によっては、このことについて、私たち家族は運が良いと言う。もちろんそうだが、そのことについては手放しに喜べない。あらかじめ決まっていた予定とは言え、災害から逃げるように引越しをし、インドネシアに来たことについて、後ろめたさを感じている。

 ただし、その気持ちはいったん断ち切ることにしている。インドネシアに来たからには、そして、家族とここに住むからには、ここでの生活に慣れ、家族を守らなければならない。例え身勝手でも、自分の家族が最優先である。


5月8日 週末

 ここのところ、週末ごとに柔道クラブに通っている。14年ぶりの柔道はかなりきつく、終わるたびに体力が空になってしまうが、少しずつ感覚を取り戻している。それでも、元々それ程強いわけではないから、感覚を取り戻しても大したことなないであろう。

 高校で柔道をやっていた時、自分は柔道に向いていないことを感じ、続けるのをやめた。私なりに一生懸命取り組んでいたが、仲間と比べて成長が遅かった。何よりも、試合などで闘争心が出ず、恐怖心ばかりが先に出てしまう。それでも、柔道の動きについては体が覚えていて、意外なほどきちんと動ける。6年間やったことは私の財産になっているんだということを感じる。

 来月、試合があるらしい。60kg以下級である。私は30歳を過ぎてから少しずつ体重が増え、60kgを超えていた。減量しなければならないなと思いつつ今日計ってみたら、59kgまで下がっていた。

 減量する必要なし。良かった良かった。


5月4日 東京電力への非難について

 東京電力が窮地に立たされている。今日のヤフーニュースでは、浪江町役場にて東京電力の社長が土下座して誤ったとのニュースが載っていた。私は、一連の災害における東京電力への非難について、違和感を感じ続けている。

 もし今回の東京電力への対応を非難する資格がある人がいるとしたら、これだけの災害の可能性を事前に予測し、かつそれに対する対策の甘さを以前から提言していた人だけである。平時は何の危機対策も考えず、事故が起こってから声高々に非難するのは身勝手ではないか。東京電力が可哀想である。

 大体、東京電力が倒産または大規模なリストラの憂き目に会ったら、電力供給は更に不安定になるだろう。当然、そうならないために、国が介入するだろう。即ち、税金が使われる。東京電力を非難して賠償金を引き出しても、結局それは国民全体に返ってくる。それなら、はじめから国が補償したほうがよっぽどシンプルではないか。
 

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