2011年
6月のつぶやき




6月29日 散髪屋続き

 髪を切って会社に行けば、また現地人に髪を切ったねと言われ、また床屋の話になった。彼の行っている床屋は約100円らしい。100円なのに、飲み物のサービスがあり、飲みながら髪を切ってもらえる上、散髪後マッサージもしてくれるらしい。その他、木の下で髪を切ってもらう青空床屋から、美人女性がエッチなマッサージをしてくれる床屋まであるらしい。

 実に色々あるなぁと思った。


6月25日 200円の差

 モールでは、散髪をした。散髪はインドネシアに来てから2回目である。初めてのときは、ショッピングモールの3階にある約700円の床屋であった。今回は4階にある約500円の床屋に行ってみた。

 インドネシアでは始めに髪を洗い、それから髪を切ってもらう流れなのだが、前回はお湯で洗ってくれたのに対し、今回は水であった。また、ごしごしこすっているうちに石鹸の泡がどんどん耳に入ってきて、それを流すために水も耳に入ってきた。これが200円の差かなと思った。

 切るときも特に見本の雑誌なども無く、「Biasa aja ya」(普通でいいよね)と言ってどんどん切られた。カバーも適当なので、切った髪の毛が腕などにどんどん積もった。そして、最後は切った髪を水で流して出来上がりであった。

 お金を払ってから気付いたのが、私の髪の毛がまだびしゃびしゃだったことであった。ドライヤーどころか、ろくにタオルで拭くこともなく終了したのであった。しかし、この国では濡れたままの髪の毛で歩いている人は結構いる。暑さ対策としてわざと拭かないのか。

 とりあえず、あまり気にすることなく買い物をして、帰宅した。それにしてもかの床屋はサービスも社員の雰囲気も3階とは違っていた。これが200円の差なんだなぁと感心した。

 ところで、会社で現地人と床屋の話をしたことがある。私の行った床屋が700円だったと言うと、彼は「おれの行ってる床屋は70円だよ」と言った。シャンプーなどのサービスは無いものの、一応マッサージはしてくれるらしい。一方で1万円くらいするところもあるらしい。

 インドネシアの価格設定は極端である。


6月25日 ぶらぶらする

 今日は、ふと思い立ってスラバヤ通りに行った。スラバヤ通りといえば、松任谷由実の「スラバヤ通りの妹へ」で知られている。歌詞の中にある「Rasa rasa sayang geh」は直訳すれば「いとおしく感じる」という意味である。スラバヤ通りはスラバヤにあるのかと思っていたら、ジャカルタにあった。地球の歩き方によれば、「外国人観光客の見物コースに入っている」とのことであった。

 トランスジャカルタ(バス)で最寄り駅を目指したところ、行き過ぎてしまった。しかし、周りにいたおっちゃんが色々面倒を見てくれ、乗務員に知らせてくれて何とか最寄り駅に着いた。そこから歩いてみたが、結構遠かったので、途中にいたタクシーに乗った。運賃はRp.10000(約100円)。

 スラバヤ通りは、静かであった。地球の歩き方を読んで、かなりにぎわっているのかと思っていたが、のんびりしていた。南側はかばん屋が立ち並び、北側は骨董品屋が並んでいる。どちらもあまり興味は無く、のんびり歩いて通り過ぎた。

 その後、最寄り駅から電車に乗ってみた。乗り方もよく分からなかったが、どうやら切符は「AC(エアコン)有り」と「AC無し」タイプがあるらしく、「AC有り」(約55円)を買ってホームへ向かった。

 ホームへ行ったはいいものの、どれが「AC有り」の電車か分からない。その意味を近くにいたおばちゃんに尋ねると「次来るやつに乗ればいい」とのことであった。どうして分かるのであろうか。とりあえず言われたとおり、次に来た「清澄白河行き」の電車(ジャカルタの鉄道は日本などで引退した電車を輸入してそのまま再利用されている)に乗ってみたら、なんとなく涼しく、「AC有り」らしかった。

 目的地は6番目の駅であった。車内は、アナウンスなども無く、駅名もあったりなかったりなので、地球の歩き方を見ながら駅の数を数えていた。「千と千尋の神隠し」のワンシーンのように不安であった。

 駅を降りたら、オジェッ(バイクタクシー)の人がいたので、それに乗ってアパート近くのモールまで行ってもらった。




6月24日 なんかの実

 昼食後、日本人スタッフの休憩室に行けば、見たことない果物が置かれていた。そこでの問答。

「これなんかの実じゃないの??」
「え、これなんかの実なんだ」
「え〜なんかの実ってこんなだっけ?」
「そうだよ、これなんかの実だよ」
「へ〜そうなんだ、これがなんかの実なんだ」

 始めはちんぷんかんぷんであった。その果物は見るからに「何かの実」である。「実」かどうかの議論をする必要は無いはずだ。

 よくよく聞けば、「ナンカ」という名前の果物らしい。ちなみにナンカは工場の敷地内に生えているらしく、誰かがもいできたものらしい。ナンカの実は、濃厚で美味しかった。


6月20日 暗いニュース

 通勤中の車の中では、ラジオを付けてもらっている。語学の勉強のため、ニュースやトーク番組などをかけてもらっている。内容はいまだにほとんど聞き取れないが、運転手が要約してくれたりもする。

 今日は、行きも帰りもずっとサウジアラビアでインドネシア人家政婦が斬首刑に処せられたというニュースをやっていた。

 ニュースによれば(というか運転手の解説によれば)先週土曜日、サウジアラビアで雇用主を殺した家政婦がイスラム法による斬首刑に処せられた。家政婦は雇用主から虐待を受けており、その苦痛から今回の殺人に至ったらしい。サウジアラビア政府からは十分な説明がなく、また遺体の返還にも応じていないことから、インドネシア人は怒っているらしい。また、斬首刑を待っているインドネシア人受刑者はまだ28人もいるという。

 誠にいたたまれないニュースである。インドネシアでは海外での出稼ぎ労働者は「TKI」(Tenaga Kerja Indonesia)と呼ばれる。彼らは、国内に仕事がない、または給料が安すぎるなどの理由で異国に渡る。例えば、国内での家政婦の月給が一万円強なのに対し、サウジアラビアでは4〜5万円となるらしい。

 ニュースが気になったので、帰宅して食事をしながらテレビをつけていた。私以外の人はNHKしか見ないので、インドネシアの番組を見ているのが気になったらしく、お手伝いさんが内容を少し教えてくれた。そして、自分はいつか日本で働きたいと言った。でも日本には家政婦の習慣はないよ、と言ったら、「じいさん、ばあさんの面倒を見る仕事がある」と言った。

 なるほどと思った。


6月18日 肥えとるのう

 インドネシアに来る前、サチコを連れて家族3人で実家めぐりをした。サチコを見て祖父祖母が口々に言ったのが、

「よう肥えとるのう」

であった。あまりに会う度に言われるので、笑ってしまった。私たちの世代はめったに使わない言葉なので新鮮であった。「肥える」という言葉は「太い」や「デブ」とは明らかに違う。「肥やし」などの言葉があるように、単に形状だけを述べる言葉ではなく、その内部に豊かさを含んでいるようなニュアンスがある。最初は、赤ちゃんとは言え女性に「肥えとる」はないんじゃないかと思ったが、祖父祖母にとっては最上のほめ言葉であったのだろう。

 スカイプでしか会えないが、サチコは順調に育っている。早く抱っこしたい。


6月14日 ビッグバンドサークル見学

 先週の日曜日は、「GALAXY」というビッグバンドサークルの見学に行った。これまでジャズは全くやったことがなく、全く未知の世界なのだが、ちょうど音楽をやりたいと思っており、ちょうどじゃかるた新聞でメンバー募集していたこともあり、また、柔道の先生が教えてくれたこともあって、練習の見学に行ったのである。

 練習は、約3時間みっちりと行っていた。私にとってはかなりレベルが高く思えた。

 練習後は、有志で飲み会であった。じゃかるた軽音部の人も集まり、まるで学生時代のサークルのように、熱い議論を交わしていた。私は、ロックもジャズも全く聴かないため、全くちんぷんかんぷんであった。

 それにしても、会った人はみんな柔道の先生を知っていたし、一緒に見学に来た女性は会社の人を知っていた。ジャカルタの日本人コミュニティは狭いなぁと思った。


6月11日 柔道大会

 今日は、ジャカルタで初めて柔道の試合に出た。柔道の試合もおよそ15年ぶりである。私は、昔から試合が苦手である。闘争心よりも恐怖心と焦りが出てしまい、練習の力を出せないことが多い。かつて、自分が柔道向いてないと思った理由のひとつである。

 結果は、1回戦不戦勝、2回戦不戦勝、3回戦一本負けであった。もっと練習しなければならない。

 まず驚いたのは、不戦勝の多さである。とりあえず登録だけして来れたらくる、或いは気が向いたら来る、という人が多いらしい。

 試合には、韓国人チームが来ていた。前回の試合では、彼らが各階級をほぼ総なめにしたらしい。今回も、韓国人は強かった。たまに決勝戦でインドネシア人が韓国人に勝つと、インドネシア人のナショナリズムが湧き上がるのか、大きな歓声が上がっていた。特に敵対的というわけでもないが、インドネシアの試合でほとんど韓国人が優勝したら面白くないであろう。

 途中、売店へジュースを買いに行けば、韓国人選手が店員と揉めていた。彼は、ジュースが6000ルピア(約60円)は高過ぎるじゃないかというようなことを言っていたが、何か勘違いがあったのかも知れない。

 また、抽選大会の多さにも驚いた。頻繁に試合が中断され、抽選大会が催される。準々決勝後、敗者復活戦後、決勝戦前、そして閉会式後(!)と4回にわたり抽選大会が開かれた。試合の時間と同じくらいじゃないかと思われるくらいであった。ちなみに主な賞品は扇風機などらしい。

 大会は朝9時に始まり、夕方6時頃終了した。他の先生方は、今回は早く終わっていいですねぇと話していた。以前は、子供の試合なのに段取りが悪くて夜中の12時までかかったこともあるらしい。

 試合後、先生方と夕食を食べた。初めてテントのレストランで食べた。会社の人とは絶対に入らないような場所である。学園祭のテントのような雰囲気である。私は、こういうところで食べてみたかったけど、なかなか勇気が出なかったので嬉しかった。会社ではこういうところで食べるのは危険だと言われるけど、実際は全然大丈夫なんですよ、と言われた。メニューは「YAKIMESI」(ナシゴレン)約120円など。「YASAITAMEK」(野菜炒め?)というのもあり、注文したらもやし炒めが出てきた。「MOYASITAMEK」のほうがいいと思った。その他、先生お奨めのアボガドと椰子の実入りかき氷やオタオタ(葉っぱで包んだかまぼこ)などを腹いっぱい食べた。減量していたので、満腹まで食べるのは久しぶりである。

 充実した一日であった。


6月10日 一風景

 会社の帰り、渋滞で止まっていると、モップを持った子供が車のフロントガラスを拭いた。拭いたというより、軽く撫でた。ジャカルタでは、こうやって小銭を稼ぐ小さい子供をよく見かける。運転手は、窓を開けて200ルピア(約2円)コインを渡した。子供は、「kok dua ratus?」(なぜ200ルピアなの?)と言った。運転手は300ルピアを足して、合計500ルピア(約5円)渡した。子供は、特にお礼を言うこともなく次の車に向かっていった。

 本当は、別に頼んでもいない窓拭きのためにお金を払う必要はないという考え方もある。運転手も、そのときの気分で払ったり払わなかったりする。ただ、ここでは貧しい者にはお金を分配するという考え方があり、金持ちでない人でもこういう時にお金を渡す習慣がある。

 それをどう感じるかは人による。


6月5日 ハイハイ

 週に1,2回、妻子とスカイプするのが楽しみである。サチコは、私が日本にいるときと比べて、顔がどんどんしっかりしている気がする。

 そして最近、サチコがハイハイらしきものをしている。スカイプで見ると、四つん這いになって一生懸命体を前後に動かしているものの「手を交互に出せば前に進む」という大人からすれば当たり前のことが分からないらしく、腕立て伏せのような運動をしていた。それでも、少しずつ前進しているようであった。これからどんどん上手になるであろう。

 今日は、スカイプで私の顔を見て、ニコーと笑っていた。まだ父親の顔は忘れていないらしい。


6月2日 トルニャン

 バリ島のキンタマーニは、日本人にとっては若干変な地名だが、バリ島の観光地としては壮大なカルデラ湖の風景として有名である。そのカルデラ湖の反対側に「トルニャン」という名の村があるらしい。今回の旅行では行かなかったが、この不思議な名前の村が気になっている。

 地球の歩き方によれば、トルニャンはいまだに風葬の習慣が残る村であり、その墓地では白骨化した頭骸骨が並べられているという。そして、その村人の閉鎖性からガイドも行きたがらないらしい。また、何かと金をしつこく要求される悪名高い場所としても有名で、村人に囲まれて10万ルピア(約千円)くらいの金をほとんど脅し取られるように奪われた被害も報告されているという。

 バリ島から帰って、トルニャンについてのいくつかのウェブサイトを検索してみた。写真を見れば、のどかな村の風景と子供の笑顔があった。地球の歩き方の解説で不気味なイメージを持っていただけに、意外であった。

 吉村昭の「破船」という小説を思い出した。海沿いの貧しい村では、難破船は宝船であった。人は誰でも、何がいいとか悪いとかではなく、ただ生きているのである。トルニャンの村人にとっては、たまに来る観光客が宝船のように見えるに違いない。子供たちは「マネーマネー」と叫び、大人たちはお布施と称して多くのお金を得ようとする。彼らが悪人なわけではない。ただ、そうやって生きているに過ぎない。

 こんな観光地化された土地なのに、まだこういった村が残っているあたり、魅力的だと思った。行ってみたいが、その勇気はまだ無い。
 

topへ