2011年
7月のつぶやき




7月30日 ワンピース

 少年ジャンプの「ワンピース」を読んでいる。インドネシアに来る際、暇つぶしにと、発売されている全巻を買って持ってきたのである。以前にも書いたが、「ワンピース」については、きぶさんや嫁の強い推薦により少し読んでみたものの全く面白さがよく分からず、読むのをやめてしまったことがある。

 現在28巻まで来た。「これは面白い」と自分に言い聞かせながら読んでいるうちに、だんだん面白くなってきた。現在、天空の島に昇り、神様軍団などとバトルロワイヤルを繰り広げている。

 それにしても、久々に少年マンガを読んだが、このデフォルメされた暴力表現というのは、少年マンガに独特だなぁと思った。主人公一行の、敵をむちゃくちゃに殴る残虐性を持つ一方で、仲間同士の深い絆を持っているという道徳的観念のバランスも、冷静に見ればかなり危うい。恐らく、男の子にとって「暴力」は楽しい。だからこういうマンガが流行るのである。これはいいとか悪いとかではなく、男にとって暴力の肯定というのは本能的なものであって、後に道徳や社会性を学ぶことでこれを抑制しているに過ぎない。

 暴力表現を含む創作を見せないから良い子になるわけでもなく、ワンピースのような作品を見たから少年犯罪が増えるわけでもないと思う。重要なのは、「男性は本来的に暴力を好む」という性質をそれぞれが自認するようことであろう。自認が無ければ、抑制も出来ない。逆にそれさえ出来れば、暴力表現は教育上悪とはならない。

 そんなことをちょくちょく考えながら読み進めている。  


7月26日 突き指する

 今日、突き指をした。ポケットから出そうとした携帯電話が落ちそうになり、反射的に左手を出したところ、自分の右足にぶつかってつ突き指したのである。自分以外の人、モノは何一つ関わっておらず、完全な自爆である。

 久々の突き指はかなり痛く、曲げ伸ばしもろくにできない。そのうち、指が腫れてきた。このことを現地人に話すと、「ウルットをしたほうがいい」とか「ニョンニョンを塗ったほうがいい」などのアドバイスが返ってきた。ウルットはどうやらマッサージのことらしい。どこそこの課にウルットの上手い奴がいるから、と言われたが、突き指でマッサージをしたら余計に酷くなりそうなので、丁重にお断りした。「ニョンニョン」については辞書にも載っておらず、意味は未だに分からない。

 とりあえず現在寮で指を冷やしつつこのつぶやきを書いている。早く治るとよいのだが。


7月23日 JJC個人部会フェスティバル

 今日はJJC(ジャカルタジャパンクラブ)個人部会のお祭であった。ジャカルタで活動しているサークルが集まって日ごろの活動を発表し、ひいては部員勧誘につなげようという意図らしい。場所はJJS(ジャカルタ日本人学校)であった。

 JJSは素晴らしかった。小学校と中学校がくっついた施設なのだが、その中は広々としていておしゃれでもあり、その雰囲気は私立大(行った事無いけど)の様であった。今日は中庭に屋台が出ており、それらを食べたりビールを飲んだりしつつぐでぐでしててもいいという、のんびりした雰囲気であった。

 私たち柔道部は、8時に集合してマットを敷き、10時から公開練習、13時から公開試合を行った。

 最後はラッキードロー抽選会であった。一枚10,000ルピア(約100円)の抽選券を最大30枚まで購入できるのだが、私は10枚購入して臨んだ。賞品はバティックのセンスやお菓子の詰め合わせから、IPad2やハンディカムまであり、そして最大の目玉商品は日本への往復航空券であった。「日本のお米2.5kg」というのも地味にいいなぁと思った。

 私は結局何も当たらなかったが、他の先生方はハンディカムやお米などが当たっており、意外と当たる確立は高い。

 ラッキードローが終わった後は、会場を後にした。楽しい一日であった。


7月16日 ティダアパアパの国

 先日先輩が、娘さんが修学旅行から帰って食中毒になり夜中にうなされていたという話をしていた。一緒に行った生徒も何人か食中毒となったとのことであった。先輩は、日本だったらすぐにニュースになり感染源はどこだとか、食事を提供したホテルは営業停止だとか大騒ぎになるけど、インドネシアだと「食中毒になっちゃったねー」で終わりだ、と笑っていた。

 ドイツの大腸菌流行についても、「欧米人が下痢をしているから話題になっているのであって、インドネシア人にとってはすでに普通だから、珍しくもなんともない」といった内容の内科医のコメントも見たことがある。

 ここの人は「ティダアパアパ」という言葉を頻繁に使う。「大丈夫」「気にしない」などの意味である。あまり先のことは考えない。失敗したら失敗したときに考えればいいのであって、失敗しないように事前に何とかしようという思考回路はあまりない。そのことが仕事ではストレスになることもあるが、ある程度は仕方ないと思うしかない。貯金をする習慣もあまりないらしく、お金がなくなると携帯電話を売ってその場をしのぎ、給料が入るとまた携帯を買い戻す。借金をすることもあまり抵抗がない。それでもお金がないという悲壮感はあまりなく、おおむねにこにこと楽しそうに暮らしている。

 昨日、柔道部の飲み会の時に、ジャカルタに長く住む大先輩から、それはかつての通貨切下げによりインドネシア人がルピアを信用していないからだと教えてもらった。その代わりに彼らは金を買う。札束で持っているよりも、現物で持っていたほうが彼らにとって安心感があるのかもしれない。そして、そういう気質がインドネシアの経済を回転させているのだと思う。

 それにしても、上記のようなことを考えていると、どうしてもシゲオを思い出してしまうのである。


7月9日 金魚

 神輿が始まる前、ニシムラ君と座って気だるく待っていると、目の前に金魚を持った女の子がいた。以下、それについての会話。

N:金魚すくいなんてありましたっけ?
私:ああ、なんか見た気がするなぁ。
N:インドネシアにも金魚いるんですかね?それとも輸入かなぁ。
私:どうだろう。でもそういえば日本でも「野生の金魚」って見たことないけど、あれどうしてるんだろ??
N:そういえばそうっすね。鯉とかならいるけど。
私:金魚って身近だけど、そういえばおれたち金魚のこと何も分かってないよな。。。

 どうでもいい話だが、そういえば「金魚」ってなんだ?と思った。


7月9日 ブロックM縁日祭

 今日は、ブロックM縁日祭の神輿に参加した。ちょうどじゃかるた新聞で神輿の担ぎ手を募集しており、参加できることになった。人が足りないとのことで、会社の先輩のカネさんと柔道部新人のニシムラ君を誘って一緒に参加した。法被などの衣装も全て現地で貸してくれるとのことであった。

 ブロックMに行けば、コスプレをしたインドネシア人がたくさんいた。インドネシア人も日本のアニメが好きらしい。神輿の時間以外はブロックMをぶらぶらしながら屋台で買い食いしたり、ビールを飲んだりして時間をつぶした。とんこつラーメンは予想以上に本格的で美味しかった。よく分からない色とりどりの氷入りのあんみつのようなお菓子は「明日色とりどりの下痢が出るな」と冗談を言いながら食べた。

 久しぶりの神輿は楽しかった。神輿は、日本でも大きいほうに入る立派なものである。そして何といっても、周りで見ている人たちの反応が日本と全然違う。日本では神輿はごく一般的にどこでもあるため、それ珍しいものではないが、インドネシアでは恐らくここだけであろう。みんな目を輝かせて見てくれているし、一緒に掛け声をかけて騒いでいる人もいる。担ぐ時間は合計2時間程度と大して長くはなかったが満足した。担ぎ手のほとんどはインドネシア人であったが、みんな楽しそうに担いでいた。

 最後は心地よく疲れてブロックMを後にした。縁日祭の人たちに感謝!である。


7月4日 水

 インドネシア人は、水を飲めば飲むほど健康になると信じているらしく、毎日大量に水を飲んでいる。工場では、タンクの水を持って場内を回る係がいて、その人が来ると水を汲みに人が群がっている。

 彼らが言うには、水は最低一日4リットル、好ましくは7リットル飲むべし、と言う。彼らによれば、水の効果は驚くべきである。水は、肝臓に作用してその機能を高め、ひいては腰痛に効くらしい。更に、体の循環が良くなり、体に入ったジャカルタの汚い空気に含まれる埃なども排出される。その他、口内炎や唇の乾燥も治るという。とにかく水は何でも効くらしい。私が持参した水筒の約0.4リットルの水も飲まずに残していると、それでは水が足りない、そんなに小さい水筒なら10回はお代わりをしないと駄目だと言う。例えのどが渇いていなくても、飲むようにすべし、と言う。

 確かに日本にいるときは、水を意識して飲むということはなかった。こまめの水分補給は、南国では大事かもしれない。それでも7リットルは飲みすぎのような気がするのだが。


7月1日 難しい問題

 少し前の話だが、豪州がインドネシア向けの生きた食用牛の輸出を見合わせるというニュースが流れた。きっかけはオーストラリアのテレビでインドネシアの牛処理場での牛への凄惨な虐待映像が放送されたことによる。youtubeなどでその映像は見られるが、その映像は確かにショッキングである。その映像からして、これがでっち上げだとは思えず、私はこれは恐らく現実の姿だろうと思った。私がオーストラリアの牧場主なら、インドネシアに輸出したくないと思うであろう。

 一方、牛肉の年間生産量は、インドネシア35万トンに対し、オーストラリア230万トン(2008年)である。また、インドネシアの人口2億4千万人に対し、オーストラリアの人口は2千2百万人(2010年)。オーストラリアは、インドネシアの十分の一の人口ながら、およそ7倍近くの牛肉を生産していることになる。

 こういう問題は本当に難しい。もちろん、感情的にはオーストラリアの対応は理解できる。しかし、オーストラリアはインドネシアの何倍も多くの牛を殺しているのである。残虐ではない殺し方であれば、いくらでも殺していいのであろうか。私たちは、他の動物が当たり前のように体験している、生きた生物を殺して食べるという体験をしたことがほとんどない。それどころか、私たちはそういうことを見ないよう努め、「そういうことをしていない」と錯覚するよう自己暗示をかけているように思える。

 食べるという行為は、本来本能的であり、それ自体残虐性を伴うと思う。食べるという行為は、他の生き物を殺すという行為とほぼ一体である。その残虐性から目を背けるために、テーブルマナーが生まれ、美しい料理が生まれたとも言えなくもない。

 色々書いてみたが、結論は出ない。
 

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