2011年
8月のつぶやき
8月27日 レバラン休暇
昨日、日本からの荷物が届いた。合計約90箱のダンボールが届き、とても処理しきれず一部は放置されて今に至る。
そして今日は、休暇前の最終日である。工場を閉めるチェックを終え、いったん家に戻ってシャワーを浴びて今このつぶやきを書いている。今夜日本に帰り、31日には家族とともにインドネシアに来る。これからが正念場である。家族を守らなければならない。
話は変わるが、日本に持っていくスーツケースの鍵をなくしてしまった。クリップを針金みたいにしてがちゃがちゃやっていたところ、開けられることが分かったので、昨日クリップで開け閉めする練習を3回くらいやった。非常に大きいスーツケースなので、年に何回も使わないであろう。買うのも癪だなぁと思いつつ今に至る。ただ、税関などで「開けろ」と言われたら若干面倒くさいなぁと思う。
また話は変わるが、今朝の通勤中の車中のラジオで、たまたま下に書いた「佐賀のがばいばあちゃん」のことをやっていた。本の内容を説明しながら、それぞれが感想を述べる。この本が、インドネシアでも認知されているのが嬉しい。その会話の中で頻繁に「ミスキンチュリア」という言葉が出てきた。「貧乏でも陽気に」と言った意味である。なるほどこういう風に表現するのか、と思った。目標は飛行機の中で読破である。
8月22日 意味不明の新聞記事
今日のじゃかるた新聞で、以下のような意味不明のニュースがあった。
■捕まえてみたら。。
東ジャワ州スラバヤで18日、住民のガトットさん(55)は、コーヒー屋台の経営者ヤントさんからお金を盗もうとしたトゥユル(小さな子どものお化け)を捕まえた。ヤントさんの20万ルピアを手に持っていたという。トゥユルの大きさは約30センチで、ビンの中に閉じ込められた。(ドゥティック・スラバヤ)
じゃかるた新聞は、一面がインドネシアのニュースで、中央には汚職事件などのメインニュースが、右側には地方の新聞を翻訳したと思われるトピック記事が掲載される。上記のニュースはその右側に載っていたものである。
インドネシア人は、割とお化けの存在を信じているが、お化けの記事が普通に新聞に載るあたり、面白い。
8月21日 サチコ、1歳
今日は君の誕生日だ。君は福島の病院で予定日より一ヶ月以上も早く生まれた。
そのときからすれば別人のように成長した。今は高速ハイハイやつかまり立ちをして、なんとなくだが自分の名前が「サチコ」だということを認識するくらいに成長している。今日、スカイプで話していたときも、君はノートパソコンのところまでよじ登ってキーボードを叩き、液晶の後ろに私がいるんじゃないかとノートパソコンを折りたたもうとし、ウェブカメラを持って振りまわしていたね。私はずっと笑っていた。たった一年前の福島の病院での出来事は、遠い昔のことのようだ。何よりも、無事に一年間生きていられたことが、一番嬉しい。
以前にも書いたが、私たち両親の役割というのは、君を両親の助けなしで生きていけるようにすること。それだけだ。激動の時代においてもたくましく、笑って生きられるようになって欲しい。それさえ達成できれば、あとはどうでもいい。極端に言えば、私と勘当してもよい。
しかし一方で、親というのは、子供にいつまでも子供でいて欲しいと願う一面もある。いつまでも頼られたい。私にその思いがないと言えば嘘になる。しかし、それは子供にとって最も害をなすものであろう。気をつけなければならない。
ともあれおめでとう。
8月20日 大掃除
今日は、新しく引っ越したアパートを大掃除した。今日は、初めてお手伝いさんに来てもらった。まずは一緒に向かいのカルフールへ行き、必要な掃除用品を購入して掃除開始した。
アパートは掃除してみればみるほど酷い状態であった。台所の下にある汚水フィルターは悪臭がし、ふたを開けてみると中はヘドロだらけで、そこから蜘蛛が沢山出てきた。アパートに頼んできれいにしてもらった。2つあるベランダはどちらも真っ黒で、水で流して雑巾で拭いた。ところがベランダのうちひとつは排水口が詰まっており、水を流しても排水口に流れず、きれいにならなかった。そういえば、前ここに住んでいた前任者が、雨が降ると水が部屋に入ってくると言っていたのを思い出した。それもアパートに依頼したが、今日中には直せないとのことであり、来週やってもらうことにした。床は埃だらけで、少し裸足で歩いただけで足の裏が真っ黒になる状態であった。全て掃除機で吸った後、モップがけを2回やった。
丸一日かけて掃除して、だいぶ良くなった。それでも裸足で歩くとうっすらと足の裏が黒くなる程度ではあるが、まあそのうちきれいになるであろう。来週は日本からの引越し荷物の受け入れである。間違いなく混乱することであろう。
ちなみに、掃除を終え風呂に入ったところ、もう温泉の匂いはなくなっていた。
8月18日 風呂に入る
昨夜、久しぶりに風呂に入った。これまで住んでいた寮はシャワーしかなかったのだが、新しい家には浴槽がある。5ヶ月間誰も住んでいなかったので、浴槽内も埃が溜まっていたが、シャワーで軽く流してお湯を貯め始めたところ、予期せぬ自体が発生した。
なんと、お湯が温泉の匂いなのである。この硫黄と鉄分の匂いは、那須の山奥で入ったかけ流し源泉の匂いそのものであった。お湯はいくらか黄色味を帯びている。
私はいくらか混乱した。いくらなんでも、インドネシアのマンションで温泉を出すサービスは無いであろう。恐らく、長く使っていないために配管が錆び、その成分が出てきたためと推測できる。しかし、鉄の匂いはそれで納得できるが、なぜ硫黄の匂いがしたかはよく分からない。
それでも普通に気持ちよく風呂に入った。私が日本人だからこそ、問題なく、それどころか意外な喜び及びノスタルジックな感傷と共に風呂に入れたのだと思った。外人だったら気持ち悪くて入らないかもしれない。
8月17日 独立記念日
今日は、インドネシアの独立記念日である。私は家族用のアパートへの引越しをした。引越し先は5ヶ月間誰も住んでいなかったため、うっすらと埃をかぶっており、少し掃除をしたが到底終わらず、諦めて今に至る。
夜、窓から外を見れば、いたるところから花火が上がっていた。ここでは、一般人が普通に打ち上げ花火を上げる。それぞれは小ぶりだが、色々なところから上がっていて面白い。これまでも何度か見たことがあるが、こんなに沢山の場所で上がっているのは、やはり独立記念日だからであろうか。
インドネシアは今、幸せな時代を送っている。町はどんどん開発され、ビルやモールがどんどん出来ている。ショッピングモールは大勢の人で賑わっている。毎年大幅な昇給があり、人々はどんどん豊かになっていく。幸せとは、絶対量ではない。変化量である。政治家の汚職や警察の腐敗、貧富の格差など問題もあるが、おおむね未来は明るいという楽天的な雰囲気がある。
通常、独立記念日には、油を塗って滑りやすくした木の棒を登り、上にあるラジオや携帯電話などの賞品を取る遊びをしたり、パン食い競争の様にしてクルプックと呼ばれる揚げ菓子を食べたり、妻の衣装を着てサッカーをしたり、川に木の棒を渡してその上で落としあいっこをしたりして過ごすらしい。ただし、今年は断食中なのであまりやらないらしい。
独立記念日という日に馬鹿な遊びをして過ごすという考え方もまた面白いなぁと思った。
8月14日 てっぱん
インドネシアに来てから、朝6時に(時差2時間)朝食を食べながら連続テレビ小説「おひさま」を見ているが、いまいち面白くない。一番の理由は、作者の顔が見えないからであろう。前回の「てっぱん」のほうが好きであった。大好物のお好み焼きが頻繁に登場するからというのもあるが、作者のちょっと執拗なくらいの主張が伝わってくるのが良かった。それは「血の絆の否定」である。
「てっぱん」は、一言で言えば「他人どうしが育んだ絆は、血の絆を超えられるか?」という問いに対し、迷うことなくイエスと応えるドラマであった。そしてそのために必要なのは、「一緒に食事をする」という極めてシンプルな手段であると主張している。キャッチコピーは「かならず腹はへる。かならず朝は来る。」。実子ではないヒロイン、あかりを暖かく育てる尾道の村上家と、さまざまな個性の持ち主がひとつ屋根の下で暮らす大阪の田中荘。どちらも血の繋がりが無いという点と、一緒に食事をするという点で共通しており、そのふたつををつなぐように、尾道焼きと大阪焼きという2種類のお好み焼きが象徴的に存在する。
ヒロインが実の父と対面するシーンが忘れられない。お好み焼きのてっぱんを挟んで向かい合った親子はそれぞれ「おかみさん」「お客さん」と呼び合い、ついに実の親子であることを明かさずに別れる。実の親が、育ての親に負ける瞬間であった。全編を通じて最も感動的な回であったが、同時に血の繋がりというのがいかに取るに足らないかということを暗示しているようでもあった。
上記とは少し話は違うが、妻が自分の子供ではない子供を産んだとしたらどうするか、という議論を友人達と何度かしたことがある。私は全く問題ない、普通に育てると答えると、ほとんどの人は賛成しない。妻を許せないし、生まれてきた子供を愛せる気がしないという人が圧倒的に多かった。逆に、私は「実子」というものに対する愛情に欠けているのではないか、と心配になった。それ程違うものであろうか。
また話は飛ぶが、新婚旅行で行ったブータン王国では、都市部では少なくなって来たらしいが、まだ夜這いの習慣が残っているらしく、年頃の娘の部屋に男が入ってくる。そして気に入った人と結婚することになるわけだが、だからと言って妻が産んだ子供が夫の実子とは限らない。ブータン人は、そういうことはあまり気にせず、その家にいる子供はとりあえず育てるらしい。
まあ、上記の「てっぱん」の解釈は私の独断と偏見が大いに入っているであろう。ちなみにてっぱんとは真逆なのが伊坂幸太郎の小説「重力ピエロ」であった。私は「てっぱん」の考え方のほうが好きである。
8月7日 ペイントボール
今日は、初めてペイントボールをした。ペイントボールとは、2つのチームに分かれて銃で塗料の入った弾丸を撃ち合う遊びである。場所は表の野原のような場所であり、戦場の臨場感が楽しめる。妹が好きらしいのだが、私は一度もやったことがなかった。今回、「えいてぃ〜ず」という80年代生まれの集まりに参加して、初めてペイントボールをした。今回のメンバーは19人で、うち3人が女性であった。
会場に着いて、まずは迷彩服に着替え、インストラクターの説明を聞いた後、ゴーグルと銃を持って会場へ。会場は野原にドラム缶や廃タイヤが並べられたような場所である。そこで二手に分かれて銃を撃ち合う。20分のゲームを4回やったが、実に面白かった。弾丸は遊びとは言え当たると結構痛い。頭に当たったときはかなり痛かった。他にも当たったところがあざになっている人も沢山いた。コツを掴むのは結構難しい。大胆過ぎてもすぐに撃たれてしまうし、慎重過ぎても相手を狙えない。
それにしても戦争のリアリティを追体験することが、れっきとした遊びとなり得ることは、実に不思議である。こういう体験を確かに人は「楽しい」と感じるのである。
ともあれ色々な同年代の仲間に出会えて楽しい一日であった。
8月5日 ラマダン
今週から、ラマダン(断食月)に入った。インドネシアの9割を占めるムスリム(イスラム教徒)は、約1ヶ月の間、夜明けから日の入りまで一切の飲食をせずに過ごす。
どんな雰囲気かなぁと多少不安であったが、雰囲気はいつもとあまり変わらない。「タドコロサンは断食しないの?」と冗談で何度も聞かれた。敬虔な信者という雰囲気は全く無く、みんなやっているから自分もやってるといった感じの、一種の流行のような雰囲気である。テレビやラジオでは、断食を乗り切るためのエネルギードリンクなどの宣伝が多くなる。運転手によれば、断食中は健康になると言っていた。たぶん、タバコを吸わないことが一番影響しているのであろう。
夕方の断食終了時(マグリブ)には、甘いお茶を飲んで軽食を食べる習慣がある。会社で現地人に誘われたので何事も経験だと思い社員食堂に行ってみた。ムスリムじゃないのに参加して大丈夫なのか不安であったが、中では歓迎された。食堂はにぎやかで、周囲の屋台などで買ってきた食べ物を食べつつお茶を飲む。そこで座っていると、あれも食べろこれも食べろと言われ、美味しいか?と何回も聞かれた。結構美味しく、勧められるがままに食べた。マグリブではあまり沢山食べずにお菓子をつまむ程度だと聞いていたのだが、結構お腹一杯になった。
そんな雰囲気のラマダンである。これが終われば日本一時帰国、早く帰りたい。
8月4日 佐賀のがばいばあちゃん
先週末、本屋に行けばインドネシア語版の「佐賀のがばいばあちゃん」があった。日本のマンガは大量にあるが、小説まであるとは思わなかった。気になったので、買った。値段は約400円。小説の名前は知っていたものの、これまで読んだことはなく、内容もよく知らない。
内容は、平易である。たぶんインドネシア人なら小学生でもどんどん読めるだろう。私にとっては、ゆっくりだが一応理解できる。知らない単語でも、周りの雰囲気から推測できることもあれば、知っている単語しかないのに理解できない文章もある。通勤中、少しずつ読み進めている。
プロローグによれば、貧乏だから不幸だというわけではないし、金持ちだから幸せというわけでもない。幸せというのはそれとは関係ないところにある。そういうことをおばあちゃんから教えてもらった。というようなことが書いてある。
こういう感覚は、日本人に独特だなぁと思った。日本人で、上記について賛成できない人はいるかも知れないが、何を言っているのか分からないという人はいないと思う。私たち日本人は、金が無くても幸せがありうるということを感覚的に理解している。そういう感覚を共有した上で「でもやっぱりカネは重要だよね〜」という話に発展するのであって、初めから理解できないわけではない。
「貧乏が、よかった」は、映画「ALWAYS三丁目の夕日」のキャッチコピーである。「貧乏でも、よかった」だと、負け惜しみになってしまう。「貧乏が、よかった」と言った瞬間、社会批判の意味が込められた強烈な言葉となる。日本人は、そういう感覚にあまり違和感が無い。そして、そのことが世界的に珍しいとも思っていない。
世界的には、金が無い人が一生懸命がんばって金持ちになる話や、金が無い不幸を描く話はあるけれども、貧乏を楽しむ話はあまり聞いたことがない。
こういう本が日本から出ることは、なんとなく誇らしい。
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