2011年
9月のつぶやき




9月29日 ネットトラブルについて

 今日のじゃかるた新聞によれば、「日本で十代、二十代の若者を中心に、カンニングや未成年の飲酒、喫煙、飲酒運転といった自分の悪事をツイッターで明らかにして炎上、インターネット上で袋叩きにされた上、所属する学校や会社にまで通報され、停学・退学・謹慎などに追い込まれるケースが後を絶たない」らしい。

 私はこのホームページで常に実名を使ってきた。よく実名をネット上に出すなぁと言う人もいるが、これはこれで私の予防措置のひとつでもある。実名を出しておけば、それが抑止効果となって書く内容もおのずと制限するし、無責任なことも書かない。誰に読まれてもいいようにしている。それに、例え実名を出さなくても、悪意のある人がその気になれば、実名どころか上記のような情報まで探り当てられてしまうのである。ネット上に何かを書く以上、実名を出そうが出すまいがあまり変わらない。

 それでもこの十年で、ネット上に実名を出すことについては、以前よりも抵抗感が少なくなっているように思う。ブログやmixiが流行っていた頃は、実名を出す人はほとんどいなかったが、フェイスブックやツイッターあたりから、実名を出す人が多くなってきたように思う。

 スマホを使っていると、実にいろんなことが出来る。ツイッターがアドレス帳やフェイスブックを自動的にスキャンして友人を探したりも出来る。便利な反面、怖さも感じた。スマホは理由は分からないが何も操作していないのにしばしば接続している。それが個人情報を流しているのだとは思えないが、情報はダダ漏れだという前提でこれらを使ったほうがいい。一方で、GPSはオフにしたり、上記のような自動の同期機能は出来るだけ使わないようにしている。

 ちなみに同新聞によれば、インドネシアでは、一般市民が炎上にさらされるケースはまずないらしい。


9月28日 ツイッター

 最近、ツイッターを始めてみた。通勤の車中があまりに暇なこと、スマホを買ったはいいが相変わらず電話とメール以外は使ってないことから、ツイッターをやってみることにしたのである。

 思えば、色々なツールが増えたものである。私がこのホームページを始めた頃は、「ホームページ制作」というのが流行っており、HTMLタグを使用して(今のこれもそうだが)各自が自己表現をしていた。そのうち、「ブログ」が流行りだし、ホームページ制作は廃れた。この私の「つぶやき」もよく「ブログ」と呼ばれる。そしてmixiが流行り、フェイスブック、ツイッターが流行る。

 この「つぶやき」を始めて10年、よく続いているものだと、我ながら思う。


9月25日 ジャカルタジャパン祭

 今日は、ジャカルタジャパン祭のファイナルイベントに行ってきた。ジャカルタジャパン祭は、日イ交流の一環として年に1回行われるイベントで、1週間の祭の最後を独立記念塔(モナス)広場で行われる。

 前にも書いたが、インドネシアは親日国である。日本が好きだという人が実に多い。会場に行けば、やはりコスプレをしたインドネシア人が沢山いた。日本に関するイベントであればコスプレをしても恥ずかしくない、という感覚があるのかもしれない。まあ彼らにとってみれば、法被を着るのもセーラー服を着るのも同じ感覚なのかもしれない。

 そして、神輿が2台と山車が1台、会場内を練り歩いていた。日本の祭と見劣りしないくらい、勇壮でかっこいい。そして、周りで見ている人たちもノリが良くて、非常に盛り上がっていた。一方メインステージでは、ガムランと沖縄エイサーのコラボが行われていたり、バンドでアニメソングを演奏したりしている。

 そしてフィナーレは盆踊りである。「ジャカルタ音頭」は独特の雰囲気で、インドネシア人にも乗れるように作られているらしい。Youtubeで見た映像では、郡上八幡の徹夜踊りと匹敵するくらい盛り上がっている。会場の真ん中には、実に立派な櫓が準備されており、私たちは人ごみに多少疲れていたが、楽しみにしており、盆踊りを見届けようと思っていた。

 しかし、午後8時からの予定なのに、8時になっても一向に始まる気配が無い。8時半ごろまで待っても始まらない。ステージでの軽音イベントが押しているらしく、櫓の上もまだ準備がされていなかった。

 結局、かなり疲れて盆踊りを見ずに会場を後にした。

2009年の盆踊りの映像はコチラ↓
http://www.youtube.com/watch?v=6lkS3PC39EE


9月24日 無垢

 サチコを見ていると、無垢だなぁと思う。そう思うと同時に、無垢という言葉について考える。無垢とは、優しいということでもないし、心が美しいということでもない。「何者でもない」ということである。何にでもなる可能性があるということである。

 サチコは私たちの育て方ひとつで、善人になるかもしれないし、犯罪者になるかもしれない。そういったことを考えると、身が引き締まる思いがする。


9月18日 ブリ1、グラティス1

 「ひとつ買えば、ひとつ無料」という意味である。インドネシアではこの手のキャンペーンが多い。

 先日、インドネシアでクレジットカードを作ったところ、なんと2枚のクレジットカードがやってきた。私は2枚も要らないし、どうして2枚も来たのかと総務に尋ねてみたが、よく分からないので確認して見るとのことであった。総務が確認したところ、ブリ1、グラティス1だったらしい。クレジットカードを1枚注文すると、もう1枚オマケでついてくるというのである。そのカードは初年度は無料だが、2年目からは年会費6千円かかるらしい。

 そんな余計なクレジットカードは要らないと、即刻解約してもらった。


9月13日 JKT48

 昨日のじゃかるた新聞の一面は「JKT48」結成についてであった。AKB48の姉妹グループらしい。オーディションにも続々人が来ており、簡単な日本語が話せる子が多いという。ここに住んでいると、インドネシアは親日国だということを感じる。日本の映画やアニメを好きだという人が多い。今日などは、会社で「アオキガハラとはどういう場所だ?」と聞かれた。イスラム教国という壁はあるものの、海外初の海外姉妹グループとしてインドネシアが選ばれたのは、そのような理由だろう。

 新聞によれば「日本のように、JKT48も「会いに行けるアイドル」を基本に、CD発売、インドネシア全国での公演、写真撮影会、ファンとの交流会などの実施を予定。女の子たちが一生懸命に汗をかく姿、成長していく姿を届けることで、インドネシア独自の「国民的アイドル」を目指す。」とのことである。

 ここでは、貯金の習慣はあまりなく、借金に対する抵抗も少ない。秋元康の術中にはまって身を持ち崩すインドネシア人が多発するかもしれないと、今から心配である。


9月11日 ドリアンサチコ

 今日の夕食はお好み焼きと味噌汁とドリアンであった。サチコの夕食も同じである。サチコにドリアンを与えてみたところ、若干不審そうな顔をしたものの、ぱくりと食べた。そのまま続けて5口くらいは普通に食べたが、ある程度腹が満たされると食べなくなった。

 ドリアンは、妻にはあまり口に合わないらしい。私はドリアンは2回目だが、初めて食べたときよりは美味しいと感じた。やみつき効果があるのかもしれない。

 そして冷蔵庫はドリアン臭くなった。


9月10日 母帰る

 今日、手伝いに来てくれた母が日本に帰った。この10日間、私たちは非常に助けられたが、母も楽しんでくれたようでよかった。

 母の要望により、今日はコーヒールワック(山猫の糞から取り出されたコーヒーで、幻のコーヒーと言われる。1杯分で2千円位する)を買いにグランドインドネシアへ。ふと気付けば、母は店員に「猫のうんちのコーヒーありますか?」と日本語で尋ねており、店員がちんぷんかんぷんの顔をしていた。このアグレッシブさに妻は助けられたに違いない。その後、だらだらとウィンドウショッピングをしたり、ブランドの財布を駆ったりして過ごし、一度家に戻って休憩してから再び空港へ向けて出発した。

 空港前のレストランで、夕食を食べた。注文したのは、枝豆と餃子とオタオタとナシゴレンとミーゴレンとてんぷらうどんであった。多すぎたがとりあえず全部食べた。たぶん、私たち家族は駐在員としては珍しいほうにあたるだろう。来た当初からインドネシア料理をどんどん食べ、レストランの生野菜も特に気にすることなく食べ、その一部はサチコにも与える。腹を壊したことはまだ無いが、腹を壊しても気にしない。柔道部の先輩は、気にする人ほど下痢をするんだと話していた。気にするから下痢をするのか、下痢をするから気にするようになるのかはよく分からないが、その両方なのだろう。

 とりあえず、母は機嫌よく帰って行った。旅の無事を祈る。


9月5日 インドネシアへ

 家族でインドネシアに住んで5日が経つ。今は私の母も手伝いに来てくれており、何とか家の片付けもおおむね終わった。今日は休暇明けの仕事始めであった。

 福岡空港で5ヶ月ぶりの再会をした時、サチコは少々戸惑っていたが、すぐに私のことを思い出した。中二日の日程のうち、一日は神戸、明石の実家めぐりを、もう一日はサチコを福岡のご家族に預けて妻と映画(コクリコ坂から)を見たり、買い物をしたり、とんこつラーメンを食べたりして日本最後の一日を過ごした。慌しい帰省であったが、まあ仕方ない。

 インドネシアでの家族の生活は少々心配していたが、今のところおおむね問題ない。妻も想像していた以上にインドネシア語を喋れるし、母は英語と関西弁とボディランゲージを組み合わせた独特のコミュニケーション術で、なんとなくうまくいっている。お手伝いさんや運転手とも今のところは上手くいっている。妻が「私は人との巡り会わせがいい」と、さらりと言ったことを私は素直に尊敬する。不思議な論理だが、そう思っている人は本当にそうなるし、逆もまた然りであろう。

 ともあれ今のところは思った以上にスムーズで、一安心である。


9月2日 日本へ

 先月末、日本に一時帰国し家族と共にインドネシアに戻ってきた。日本にいた時間は中二日と短く、慌しい帰省であったが、色々感じるところもあり思いつくままに書く。

 久々に日本に帰り、美しい国だと改めて思った。道端や店内にごみは落ちておらず、道路もきれいに整備されている。人々は穏やかで、交通マナーも守られ、クラクションを無駄に鳴らす人もいない。安心して散歩が出来る環境が嬉しい。店の店員はマニュアルに従い完璧な接客をこなす。こういったことは、久々に戻れば非常に新鮮に感じる。

 一方で、不思議な国だとも思った。以下は私がいる間に報じられたニュース。

○体育館の雨漏りで足を滑らせて重い障害を負った女児に対し、市は学校側に責任があることを認め1億円の賠償金を支払うことで和解した。
○メガネが無いため、新幹線を緊急停止。最大45分の遅れ。運転手の視力は0.9(規定では1.0以上)

 どちらでもインドネシアではまずありえないニュースであろう。日本では何か問題が起こった際、政府、行政、企業などの責任が追及される。これはいい悪いの話ではないだろう。それだけ社会システムがしっかりしているとも言えるし、何でも人のせいにする体質であるとも言える。インドネシアでは社会システムがしっかりしておらず、警察や官僚機構は腐敗しているから、自分の力で生きるという姿勢が強いように感じる。

 個人的には、出来るだけ他に頼ることなく生きられるよう、自分と家族の生きる力を高めておきたいと思った。
 

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