2011年
11月のつぶやき
11月26日 グローバル人材
久しぶりに「つぶやき」を更新しようと、パソコンの前に座っているが、なかなか筆が進まない。内田樹氏のブログを読んで、色々考えているが、なかなか考えがまとまらない。それとともに下記のブータン国王の演説、今読んでいる小説「邂逅の森」(熊谷達也著・文春文庫)、そして私が今置かれている状況、全てが何かのヒントになっていそうで、そして何かで繋がっていそうで、それがよく分からないのである。しかし、何か書かなければならない。ここに書かないということは、私が思考を停止していることと同じだからである。
「故郷」という感覚が私には希薄である。3月の津波で甚大な被害を受けてもそれでもその場所に住み続けたいと思う感覚が、頭では分かるが、実感として心から湧き上がってこない。私にとってのそういう場所が無いからであろう。ある意味気楽だけれども、一方でそういう場所を持っている人に憧れる。海外で働きたい、という若者は割りと多い。一方で、嫌だという人もいる。私はどっちでもいい。このどっちでもいいという感覚と、故郷の感覚が希薄というのは関係があるのかは、よく分からない。
「邂逅の森」で登場する鉱山労働者の同盟「友子衆」では「子分の不始末は兄分の責任」が当然とされている。私は、この考え方が好きである。新人は、何者でもない。サチコと同じである。先輩により彼・彼女の能力向上の全てが決定付けられる。実際にどうかは別として、先輩はそう思って接しなければならない。そう思っている。一方、内田樹氏のブログによれば、「グローバル人材」とは、「英語がしゃべれて、コンピュータが使えて、一日20時間働いても倒れないような体力があって、弱いもの能力のないものを叩き落とすことにやましさを感じないような人間」「できるだけ安い労賃で、できるだけ高い収益をもたらすような(人間)」とある。グローバル人材にとっては、「子分の不始末は子分の責任」らしい。
ようやく結論が見えてきた。私は、どこでも生きていける能力、そして家族を守り養える能力を身につけたい。それがここ数年の命題であった。もちろん、重要である。例え日本が沈んでも私と家族は生き続けたい。そのためにスキルとインスピレーションを磨く。これは「グローバル人材」を目指していることと同義であろう。もちろん重要だが、それだけではいけない。そこからひとつレベルアップしなければならない。どうやら自分は今、そう考えているらしい。
その先はまだうまく言葉に出来ない。疲れたので寝る。
11月20日 ブータン国王演説
ブータン国王の国会での演説をコピーして載せる。ブータンは、新婚旅行で行った私の最も好きな国のひとつである。今まで行った旅行の中で、間違いなく一番の思い出となっている。演説を聴いていると、その豊かな自然の風景や民族衣装を着て穏やかに微笑む人たちの姿が目に浮かんだ。言葉は力強く、励まされる一方、私たちにはもったいなく、このままでは恥ずかしいと感じた。今一度背筋を正そうと思った。
<以下引用>
天皇皇后両陛下、日本国民と皆さまに深い敬意を表しますとともにこのたび日本国国会で演説する機会を賜りましたことを謹んでお受けします。衆議院議長閣下、参議院議長閣下、内閣総理大臣閣下、国会議員の皆様、ご列席の皆様。世界史においてかくも傑出し、重要性を持つ機関である日本国国会のなかで、私は偉大なる叡智、経験および功績を持つ皆様の前に、ひとりの若者として立っております。皆様のお役に立てるようなことを私の口から多くを申しあげられるとは思いません。それどころか、この歴史的瞬間から多くを得ようとしているのは私のほうです。このことに対し、感謝いたします。
妻ヅェチェンと私は、結婚のわずか1ヶ月後に日本にお招きいただき、ご厚情を賜りましたことに心から感謝申しあげます。ありがとうございます。これは両国間の長年の友情を支える皆さまの、寛大な精神の表れであり、特別のおもてなしであると認識しております。
ご列席の皆様、演説を進める前に先代の国王ジグミ・シンゲ・ワンチュク陛下およびブータン政府およびブータン国民からの皆様への祈りと祝福の言葉をお伝えしなければなりません。ブータン国民は常に日本に強い愛着の心を持ち、何十年ものあいだ偉大な日本の成功を心情的に分かちあってまいりました。3月の壊滅的な地震と津波のあと、ブータンの至るところで大勢のブータン人が寺院や僧院を訪れ、日本国民になぐさめと支えを与えようと、供養のための灯明を捧げつつ、ささやかながらも心のこもった勤めを行うのを目にし、私は深く心を動かされました。
私自身は押し寄せる津波のニュースをなすすべもなく見つめていたことをおぼえております。そのときからずっと、私は愛する人々を失くした家族の痛みと苦しみ、生活基盤を失った人々、人生が完全に変わってしまった若者たち、そして大災害から復興しなければならない日本国民に対する私の深い同情を、直接お伝えできる日を待ち望んでまいりました。いかなる国の国民も決してこのような苦難を経験すべきではありません。しかし仮にこのような不幸からより強く、より大きく立ち上がれる国があるとすれば、それは日本と日本国民であります。私はそう確信しています。
皆様が生活を再建し復興に向け歩まれるなかで、我々ブータン人は皆様とともにあります。我々の物質的支援はつましいものですが、我々の友情、連帯、思いやりは心からの真実味のあるものです。ご列席の皆様、我々ブータンに暮らす者は常に日本国民を親愛なる兄弟・姉妹であると考えてまいりました。両国民を結びつけるものは家族、誠実さ。そして名誉を守り個人の希望よりも地域社会や国家の望みを優先し、また自己よりも公益を高く位置づける強い気持ちなどであります。2011年は両国の国交樹立25周年にあたる特別な年であります。しかしブータン国民は常に、公式な関係を超えた特別な愛着を日本に対し抱いてまいりました。私は若き父とその世代の者が何十年も前から、日本がアジアを近代化に導くのを誇らしく見ていたのを知っています。すなわち日本は当時開発途上地域であったアジアに自信と進むべき道の自覚をもたらし、以降日本のあとについて世界経済の最先端に躍り出た数々の国々に希望を与えてきました。日本は過去にも、そして現代もリーダーであり続けます。
このグローバル化した世界において、日本は技術と革新の力、勤勉さと責任、強固な伝統的価値における模範であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。世界は常に日本のことを大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることへ願望を持って何事にも取り組む国民。知行合一、兄弟愛や友人との揺るぎない強さと気丈さを併せ持つ国民であると認識してまいりました。これは神話ではなく現実であると謹んで申しあげたいと思います。それは近年の不幸な経済不況や、3月の自然災害への皆様の対応にも示されています。
皆様、日本および日本国民は素晴らしい資質を示されました。他の国であれば国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう事態に、日本国民の皆様は最悪の状況下でさえ静かな尊厳、自信、規律、心の強さを持って対処されました。文化、伝統および価値にしっかりと根付いたこのような卓越した資質の組み合わせは、我々の現代の世界で見出すことはほぼ不可能です。すべての国がそうありたいと切望しますが、これは日本人特有の特性であり、不可分の要素です。このような価値観や資質が、昨日生まれたものではなく、何世紀もの歴史から生まれてきたものなのです。それは数年数十年で失われることはありません。そうした力を備えた日本には、非常に素晴らしい未来が待っていることでしょう。この力を通じて日本はあらゆる逆境から繰り返し立ち直り、世界で最も成功した国のひとつとして地位を築いてきました。さらに注目に値すべきは、日本がためらうことなく世界中の人々と自国の成功を常に分かち合ってきたということです。
ご列席の皆様。私はすべてのブータン人に代わり、心からいまお話をしています。私は専門家でも学者でもなく日本に深い親愛の情を抱くごく普通の人間に過ぎません。その私が申しあげたいのは、世界は日本から大きな恩恵を受けるであろうということです。卓越性や技術革新がなんたるかを体現する日本。偉大な決断と業績を成し遂げつつも、静かな尊厳と謙虚さとを兼ね備えた日本国民。他の国々の模範となるこの国から、世界は大きな恩恵を受けるでしょう。日本がアジアと世界を導き、また世界情勢における日本の存在が、日本国民の偉大な業績と歴史を反映するにつけ、ブータンは皆様を応援し支持してまいります。ブータンは国連安全保障理事会の議席拡大の必要性だけでなく、日本がそのなかで主導的な役割を果たさなければならないと確認しております。日本はブータンの全面的な約束と支持を得ております。
ご列席の皆様、ブータンは人口約70万人の小さなヒマラヤの国です。国の魅力的な外形的特徴と、豊かで人の心をとらえて離さない歴史が、ブータン人の人格や性質を形作っています。ブータンは美しい国であり、面積が小さいながらも国土全体に拡がるさまざまな異なる地形に数々の寺院、僧院、城砦が点在し何世代ものブータン人の精神性を反映しています。手付かずの自然が残されており、我々の文化と伝統は今も強靭に活気を保っています。ブータン人は何世紀も続けてきたように人々のあいだに深い調和の精神を持ち、質素で謙虚な生活を続けています。
今日のめまぐるしく変化する世界において、国民が何よりも調和を重んじる社会、若者が優れた才能、勇気や品位を持ち先祖の価値観によって導かれる社会。そうした思いやりのある社会で生きている我々のあり方を、私は最も誇りに思います。我が国は有能な若きブータン人の手のなかに委ねられています。我々は歴史ある価値観を持つ若々しい現代的な国民です。小さな美しい国ではありますが、強い国でもあります。それゆえブータンの成長と開発における日本の役割は大変特別なものです。我々が独自の願望を満たすべく努力するなかで、日本からは貴重な援助や支援だけでなく力強い励ましをいただいてきました。日本国民の寛大さ、両国民のあいだを結ぶより次元の高い大きな自然の絆。言葉には言い表せない非常に深い精神的な絆によってブータンは常に日本の友人であり続けます。日本はかねてよりブータンの最も重大な開発パートナーのひとつです。それゆえに日本政府、およびブータンで暮らし、我々とともに働いてきてくれた日本人の方々の、ブータン国民のゆるぎない支援と善意に対し、感謝の意を伝えることができて大変嬉しく思います。私はここに、両国民のあいだの絆をより強め深めるために不断の努力を行うことを誓います。
改めてここで、ブータン国民からの祈りと祝福をお伝えします。ご列席の皆様。簡単ではありますが、(英語ではなく)ゾンカ語、国の言葉でお話したいと思います。
「(ゾンカ語での祈りが捧げられる)」
ご列席の皆様。いま私は祈りを捧げました。小さな祈りですけれど、日本そして日本国民が常に平和と安定、調和を経験しそしてこれからも繁栄を享受されますようにという祈りです。ありがとうございました。
http://www.youtube.com/watch?v=FtxuPyRNszY
11月14日 DVDレコーダー
DVDレコーダーを探している。基本的にここではNHKしか見られないのだが、NHKで見たい番組があるときに録画したいと思ったのである。DVDレコーダーくらいどこでもあるだろうと探し始めたのだが、意外なことに全く見当たらないのである。
電気屋に行けば、DVDプレイヤーはもちろんのこと、ブルーレイプレイヤーも3Dテレビも普通に売っている。家電の技術レベルとしては、日本で売っている製品と遜色ないのである。それでもDVDレコーダーは全くない。唯一、ベスト電器で1機種のみ見つけたのだが、在庫は無いとのことであった。入荷の予定もないらしい。
恐らく、インドネシアでDVDレコーダーなるものが売れなかったのであろう。テレビを予約録画して見るという習慣があまりないらしい。以前、入ってきたが、売れなかったため撤退して今に至ると思われる。
これから「坂の上の雲」第三部など、見逃したくない番組がある。もう少し探してみよう。
11月12日 どうぶつしょうぎ
今日、テレビで「どうぶつしょうぎ」についてやっていた。「どうぶつしょうぎ」は、女流棋士の北尾まどか氏が考案した将棋で、3x4マスの中にライオン(王、)象(飛車)、きりん(角)、ひよこ(歩)の4種の駒を置いて対戦するゲームらしい。ルールはほぼ将棋と同じで、ひよこは敵陣に到達するとにわとり(と金)になるし、取った駒は自分の駒として使える。今ではカフェで男女が楽しく食事をしながらこの「どうぶつしょうぎ」をしたりしているらしい。
気になったので、ネットで調べて遊んでみた。これだけマス目も駒の数も少ないのだから、大して面白くないだろうと思っていたが、意外に複雑である。これだけ見た目がシンプルなのに奥深く作れるのは、凄いことだと思った。そして、プロ棋士がそもそもこういう将棋を作ろうと思い立ったところがまた凄いと思った。
ネットによれば、一応後手必勝との解析結果が出ているらしいが、人間が楽しむぶんには十分に複雑だろうし、スマホなどで対戦するには手軽であろう。何よりも、伝統的な将棋の性質は残しつつ新しいゲームを作ったことが、非常に興味深いと思った。
11月7日 柔道の練習にて
日曜日、久々に柔道の練習に行った。なんだかんだ重なって1ヶ月くらい行けなかったのである。練習後の食事中に、大晦日の年越し練習なるものがあると聞いた。夜10時に行く年来る年(時差2時間のため)を見て、11時ごろ柔道場に集合し、乱取り中に年を越すという趣旨らしい。その後はみんなで花火をして遊ぶという。
非常に面白そうである。旅行はやめてこちらに参加するかと、早くも妻と話していた。花火はここでは普通に結構大きな打上げ花火を上げる。しかし、時々暴発して上に上がらずに爆発することもあるらしい。話は花火の暴発についてになった。「こないだは花火が上がらずに爆発して手に当たって血が出ちゃったんですよ」と普通に話している。
日本では結構重大な事態でも、こっちで話を聞いていると大したことない話のような気がするから面白い。
11月5日 旅行会社、蕎麦屋
今日は、家族で旅行会社に行ってみた。年末年始の休みは4日間しかなく、日本に帰るには足りない。近場でゆっくりしたいと思ったのである。バリ島あたりでのんびり過ごすのはどうかなどと、妻と話しており、とりあえずバリ島に行く前提で旅行会社に行ってみた。
すると、旅行会社の方によれば、年末年始のバリ島は全くお奨めしないとのことであった。まず、ホテル代が高い上、すでに用意されているディナーパーティー等も一緒に予約しなければならない。飛行機も高い。しかも雨季で雨も降る。バリ島に行くなら3月か4月の三連休などを使ったほうがいいですよ、と言われ、そこまで言うのならと諦めた。では年末年始のんびりするにはどういったところがよいのでしょうと、逆に訪ねてみたところ、プラウスリブはどうでしょうと言われた。ジャカルタの港から船で2時間程度らしい。何かカタログとかはありますか?と聞いたところ、「他の島のカタログならあります」と言って、似た島のカタログを渡された。
ともあれプラウスリブに言ってみようということになった。ちなみに「プラウスリブ」は「千の島々」という意味。
続いて、モールで食事をした。妻が「蕎麦を食べよう」と言い、「小粋」という蕎麦屋へ。メニューを見て驚いたのは、「YAKISIBA」なるものがあったことである。普通、蕎麦屋で焼きソバは出ない。その他、具沢山のでピリ辛の「スパイシー蕎麦」など、蕎麦本来の味を損なうメニューが沢山有り、斬新なメニュー群に妻と見入った。そして、ベーシックな日本蕎麦にするか、インドネシア独特の蕎麦にするかかなり迷ったのち、私はベーシックにざる蕎麦・かき揚げ丼セット、妻は果敢に「チキン焼き蕎麦」を注文した。
「キチン焼き蕎麦」は、やはり更科蕎麦を使用した焼きソバであった。ソースと醤油で味付けしており、ケチャップの風味もする。斬新だと思ったが、次は食べないだろうと思った。
もともと、蕎麦やうどんはインドネシア人の口に合わないのである。先週の日本出張でも、「変な味だ」と言っていた。かつおだしも「魚臭い」と感じるらしく、油っ気も全く無いから、いまいちなのであろう。たぶん「チキン焼き蕎麦」とかの方がこっちの人には向いているのかも知れない。
11月3日 無題
先週、日本に出張に行ったら、色々な人から「インドネシアではずいぶん馴染んで楽しくやってるみたいじゃないか」というような意味のことを言われた。
私としては違うような気がする。日本人の駐在員なのに、ゴルフもカラオケもやらないのだから、一般的には馴染んでいるとは言いがたいし、インドネシア生活を楽しんでいるとも言いがたい気がする。たぶん、来て半年にしてはインドネシア語が堪能だから言われたのだろう。
インドネシア語については、私の心配性な性格により堪能になったのだと思われる。私は心は強いほうではないから、仕事でろくに喋れなかったら心を病むかもしれないとか、街中でやばい目にあったらどうしようとか、そういうことを考えてインドネシア語を勉強した気がする。
初の海外での仕事はどうだ?、と聞かれたが、上手く答えられなかった。日本での仕事と特別違うとも思わない。別に鬱々としているわけでもなければ、うきうきしている訳でもない。普通である。
よく考えれば、それは普通だと思い込むように努めているからである。赴任前に読んだ何かで、海外駐在員の傾向として、赴任当初は何もかもが目新しく、気持ちが高揚し、その後しばらく経つと言葉の壁やホームシック等で鬱になり、更にそれを乗り越えてようやく安定する、といったのがあった。心配性の私は、そんな風に高揚したり鬱になったりするのは嫌だから、何でも普通だと思い込むようしていたのである。
ただひとつ、家族と一緒であればあとはどうでもよい。だから今は非常に満足である。
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