2011年
12月のつぶやき
12月31日 2011年最後のつぶやき
今年も最後の日となった。下痢もすっかり治った。ここの正月休みは4日しかないため、ジャカルタの自宅でのんびり過ごしている。大晦日は夜10時に紅白歌合戦が終わり、その後柔道場へ行って年越し稽古を行い打ち上げを行う予定である。今、紅白を前にだらだらとこのつぶやきを書いている。
今年も変化のある年であった。去年の大晦日は白河の自宅で紅白を見ながら過ごしていた。そのときには、インドネシアに赴任することは決まっていたが、大地震が来るとは思っていなかった。私にとっても、日本にとっても大きな変化のある一年であり、生き方について考えさせられる一年であったが、詳細についてだらだら書いていると紅白に間に合わないので割愛する。
ジャカルタでは全く寒くないため年越しという感じがしないが、それ以上に石油ストーブの音と匂いが無いことが年越しぽくないように感じる。それでも、テレビを見ながらだらだら過ごす感じは、年越しという感じがしなくもない。
だらだらとこうの史代の「平凡倶楽部」を読んだ。こうの史代氏は、私たち夫妻が最も好きな漫画家のひとりである。「平凡倶楽部」を読みながら、心からこの人は天才だと思った。この独特の感性と構成力と思いつきの素晴らしさは、他に類を見ない。それでも読めば読むほど引き付けられつつもだるくなり、正月のだらだら感と相まってどうしようもなくごろごろとした大晦日を過ごしている。
もうすぐ紅白が始まる。今年もお世話になりました。
12月27日 下痢になる
久しぶりに、強烈な下痢にかかった。朝、会社に着いたあたりから調子がおかしくなり、その後すぐに外出したのだが、外出先でも作業をしながらトイレを何度も借りた。はじめのうちは、下痢が出るだけで気分は悪くなかったのだが、作業が終わる頃になって、腹が痛くなってきた。更には目眩がして立つのもきつくなり、手が痺れてきた。
脱水症状だと思った。初めて下痢の脱水症状を体験してこれは怖いと思った。下痢で失われた水分は、体が気付かない。「喉が渇く」などの兆候が全くないのである。下痢は完全に水となっていた。インドネシア語で下痢を表す言葉はいくつかあるがその中に「ブアン ブアン アイル」というのがある。直訳すれば「水を捨てまくる」みたいな感じか。言い得て妙だと思った。
外出先の休憩室でくたばっていると、一緒にいた日本人の人がぬるめのポカリスエットを持ってきてくれた。更に、現地人のマリアさんという女性部長が、「スペシャルドリンク」を作ってくれた。飲んでみたら、異常にしょっぱいお湯であった。まるで海水である。ドラゴンボールの始めの頃、道に迷った亀が「すみませんが塩水を一杯いただけませんか?出来ればワカメでも添えていただいて」と言ってブルマが「贅沢な亀ね」と言いながらバケツの塩水を与えるシーンを思い出した。
最初は飲めないくらいしょっぱいと思ったが、これを少しずつ飲んでいるうちに、手の痺れが取れ、目眩も消えた。そして、この味を体が欲していることに気付き、これを飲み干した。さすが現地の人は下痢の対策をよく知っているなぁと感心した。そして、何とか車に乗れそうな気がしたので、そのまま病院に行った。
検便および血液検査の結果、アメーバ赤痢などの症状ではないことは確認され、恐らく細菌性の腸炎でしょうと言われ、薬をもらってそのまま早退した。家に帰って、暖かくしたポカリスエットを飲みながら寝た。寝ながら、ジャカルタの医者で、下痢をした患者に塩せんべいを与える医者のことを思いだした。話を聞いたときは滅茶苦茶な話だと思ったが、あながち間違いでもないようだ。昼間の海水のようなお湯を飲んだ体験からも、塩分は相当重要で、恐らく本能に反するくらい摂取しなければならないのだと思った。
そこで、チキンラーメンを生でかじりながらぬるいポカリスエットを飲んで過ごした。すると、今度は心が病んできた。ぬるいポカリと生チキンラーメンだけを食べて寝てる生活には耐えられないと思った。少し症状は改善してるから大丈夫であろう。それより精神衛生上も気を使わねばと思い、冷たいポカリスエットを作って飲んだ。更に夕食をゆっくり食べてシャワーを浴びて現在に至る。
思い出しても、結局何が原因だったかは分からない。妻子は健康だし、会社の人も大丈夫である。私一人で怪しいものを食べた記憶もない。逆に、下痢をして「これが原因だった」と明確に言った人にインドネシアに来て以来、一度も会ったことがない。
ともあれ、外出先で気遣ってくださった方々に感謝とお詫びを申し上げる。
12月25日 坂の上の雲
NHKドラマ「坂の上の雲」最終回を見た。「坂の上の雲」は2年前から第一部が始まり、今日で終わった。インドネシア赴任を言われたとき、「坂の上の雲」第三部をちゃんと見られるだろうか、というのは私の懸念のひとつであった。それゆえにちゃんと最後まで見られたことは、それ自体嬉しい。
司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」は、私がこれまで呼んだ小説の中で間違いなく一番好きな小説である。だが、この小説の危うさは、このままドラマにするとあたかも軍国主義を賛美しているように思われることである。最後の日本海海戦は、小説では最もカタルシスを感じるシーンだが、ドラマではその圧倒的な勝利を描くのではなく、戦争の残虐性にも焦点が当てられていた。小説では直接描かれていない主人公たちの思いも十分に描かれていると思った。また、原作の旅順要塞攻略のシーンでの乃木希典の描写は賛否あるところであり、かなり気を使って制作していると思った。
そして何より、これだけの迫力と深みのある小説を、毎回90分のドラマを計13回、これだけの量をまるで映画のような品質で仕上げたこと自体が凄いと思った。
12月19日 玄関のカギ
新しい家のアパートは、玄関のドアにも網戸が付いており、ドアおよび網戸それぞれにカギがあるのだが、実に不思議である。
まず、見た目のカギの複雑さは、網戸のカギの方がはるかに複雑である。その上、網戸のカギは一度左に回してから、再度右に回さないと開かない仕組みになっており、最初は混乱した。一方、ドアのカギは普通である。
網戸のカギが異常に厳重というのも、不思議な話しだなぁと思った。
12月18日 砂像フェスティバル
今日は、家族でスントゥールの砂像フェスティバルへ行ってみた。車で1時間程度の距離であるが、家族初めての遠出である。じゃかるた新聞に特集があり、思い立って行ってみることにしたのである。
10時過ぎに会場に着いて入ろうとすると、「午後1時からです」とのことであった。そんな情報は事前に全くなく、土日は朝9時からと書いている。こういうことはインドネシアでは普通なので、特に腹は立たず、どこで暇を潰そうかということを考え、付近をぶらぶらしてみたものの、特に特筆すべきこともなくだらだらと3時間が過ぎた。
砂像フェスティバルは、想像以上に凄かった。世界中の名物がどれも実に精巧に作られている。砂でよくここまで出来るものだと感心した。サチコはガルーダを見て怖くなったのか泣き出した。一方、ロシアのマトリューシカだけが異常に下手で、これはこれで面白かった。
その後は、公園内でサチコを滑り台から滑らせたり、歩く練習をさせたりしてのんびり過ごした。サチコが歩けばこういった外出も一層楽しくなるだろうなぁと思った。
12月17日 近況
久しぶりの更新となる。実は先週末、引越しをしていた。前任者が住んでいた、ホテルと併設された高層アパートから3階建てのタウンハウスに引っ越したのである。以前住んでいたアパートも便利ではあったのだが、無駄にセレブでいまいち落ち着かなかったことと、台所が臭いこと、そして何よりも赴任直前に震災を経験しており、高層階に住むのが心理的に若干怖かったことから引越しを決めた。また、プライベートエレベータだったので、他の住人の顔も見えないし、いざというときの助け合いみたいなのも望めないのも気になっていた。
引越し後の家は十分居心地が良い。3階建てのうち、2階部と3階部が我が家である。造りはシンプルだが機能的で、何よりも落ち着く。ただし、虫は多い。これは以前から覚悟していたことである。私にとって今回のアパート選びの根幹的な基準は、「地震リスクをとるか、デング熱リスクをとるか」であった。結局は、自分の力では不可避の地震リスクが脅威だと結論付け、引越しを決めた。地震の少ない国だからこそ、大きな地震があったときの建物の被害は未知である。現にインドネシア人は、地震が発生すると一目散に建物の外に逃げようとする。現地人も建物の耐震性をあまり信用していないということであろう。
また、前回のアパートとは対照的にこちらは近所の顔が良く見える。いわば「ムラ社会」である。そういうお付き合いも大切にしなければならない。
ともあれ、引越しをして非常に疲れた。我が家は荷物が多く、土日でそれらを片付け、そのまま平日仕事をしていたがどうも疲れが取れず、頭痛が続いた一週間であった。しかし今日、心行くまで寝てようやく復活した。
今日は、久しぶりに散歩して近くのモールまで髪を切りに行った。私は、外を歩く際は最上級の警戒態勢をとる。最上級の警戒態勢とは、Tシャツ、短パン、スニーカーに手ぶら。金はポケットに直に入れる。現地人と同じような格好をするが、サンダルは使わない。かばんも持たない。外を歩けば、気持ちよかった。道端にある色々な店を見たり、のんびりして座っている人を見たり。道端の風景を見れば、インドネシア人はのんびりと、しかし力強く生きているということを感じる。たぶん、私はそもそもこういう東南アジアの雰囲気が嫌いではないのだろう。それは、日本人駐在員の中では珍しいほうかもしれない。
妻によれば、その美容室は日本人スタッフがおり、2500円くらいしたという。事前に日本語直通電話にかけてみたところ、日本人は外出中とのことであったが、店はやっているとのことであり、とりあえず予約なしで店に入ってみた。店では、インドネシア人だと思われたのか、普通にインドネシア語で話しかけられ、値段も1000円であった。最初は、髪は細くて沢山ありますね、などと話しながら切り始めたのだが、あまりに多いのか、だんだん髪が多すぎて全然終わらないとぼやきはじめた。シャンプーをする前に、もっと前髪を切ってくれと言ったら、シャンプーをしてからやるとのことであったが、シャンプーしてからも全体をかなり調整したため、頭中切りくずだらけの状態で「はい出来上がり」と言われた。こういうことは、インドネシアでは別に普通である。もっかいシャンプーしてくれというのも面倒くさくなったので、タオルを借りてそれに切りくずをこすり付けて店を後にした。
ともあれ思ったより安くて得した気分になった。
12月8日 バクダン
今日、家に帰ってインドネシア風コロッケを揚げた。インドネシアコロッケは、衣が溶き卵のみなのが特徴で、これはこれで素朴で美味しい。
コロッケに溶き卵を付けて揚げてていると、ふと「バクダン」を思い出した。
私の子どもの頃の記憶なので定かではないが、「バクダン」とは確か、生卵を熱した油に割り落として揚げただけのシンプルな料理である。ただし、私は「バクダン」を食べた記憶がない。その代わり、父が「バクダン」を作りたがるのだが、母が油が汚れるという理由で拒否して作らせなかったという記憶がある。
「バクダン」とはどんな味がするのか。昔から気にはなっているけど未だに試したことがない。というか、詳しい作り方や味付けもよく分からない。果たして「バクダン」という名前だったかも定かではない。「ゲンバク」だったような気もするがさすがに不謹慎であろう。
12月8日 ねないこだれだ
今日、夕食を終えてサチコとだらだらしていると、手元に絵本があったので読んであげた。題名は「ねないこだれだ」(せな けいこ さく え)
ねないこ だれだ
とけいが なります ボン ボン ボン・・・
こんな じかんに おきてるのは だれだ?
ふくろうに みみずく
くろねこ どらねこ
いたずら ねずみ
それとも どろぼう
いえ いえ よなかは おばけの じかん
あれ あれ あれれ・・・
よなかに あそぶこは おばけに おなり
おばけの せかいへ とんでいけ
おばけに なって とんでいけ
私は読み終えて背筋が寒くなった。なんだか呪いにかけられたような気持ちになる。と思ったら、サチコが大声で泣き出した。まだ「おばけ」などの単語も知らないはずなのだが、この絵本の雰囲気が怖かったのかもしれない。怖いと思う感性は、こんな小さい子にも」あるんだなぁと思った。
12月4日 DVDレコーダー
以前にも書いたが、現在DVDレコーダーを探しているものの、インドネシアには録画の文化が根付かずほとんど売られていない。唯一ベスト電器で展示されている1機種のみあるが、在庫もないとのことであった。しかし、NHKドラマ「坂の上の雲」が始まる前にどうしても欲しいと思い、展示品を買いに行った。
店員によれば、来年にはブルーレイレコーダーが発売されるからそれを待ったほうがいいとのことであったが、私は今欲しいと言った。すると店員は、この展示品はDVD部が壊れており、ハードディスクへの録画は出来るがDVDへの書き込みは出来ないと言った。また、展示品なのでリモコンも説明書もダンボール箱も無いとのことであった。また、返品も不可とのことであった。
私は、それなら安くしてくれと言った。ただでさえ在庫が無いのに、この上、来年ブルーレイレコーダーが発売されればこれは用無しとなる。そんな壊れたハードディスクレコーダーを持っていても店にとっては損なだけじゃないかと言った。しかし、値段は2万円だったのが1万9千円程度になっただけであった。
私は、半額にしてくれと言い、何度か責任者を呼んでくれとも言った。しかし、その度に一度奥には戻るものの、同じ店員が戻ってくるだけである。それならば仕方が無い。これを買うことにした。そして、DVD部での不良は先ほど聞いたとおりだからクレームは付けないが、それ以外の不良が見つかったら返金するようにと言った。しかし、それは出来ないとのことであった。その代わり、次の日までに返品した場合はその商品と同額の金券として渡すと約束した。そんな交渉を1時間以上も続けているうちに、リモコンが発見され、ぼろぼろになった説明書も出てきて、色々使い方も分かってきた。そして、買うと言った直後に、責任者が現れた。もう少し粘ればよかったと後悔した。
梱包しながら、かの店員が「そういえば日本の番組だけは放送形式がNTSCだから録画できない」と言い出した。確かに、世界の多くはPALであり、NHKだけがNTSCの可能性はある。なぜか、家のテレビでも時々NHKだけが調子が悪いことが多い。しかし、NHKが録画出来なかったら買う意味は全く無くなる。結局、録画できなかったら返品すると強引に言って、購入した。
家で早速試してみたところ、問題なく録画出来た。私は妻と抱き合って喜んだ。
しかし、来週引越しをする家に持って行き、同様に試してみたら、映像が映らないのである。現在色々調べているが原因は特定できず。この土日は頭の中がそのことばかりである。
12月1日 サチコが立つ
今日、初めてサチコが立つのを見た。生まれて1歳3ヶ月を過ぎ、周りの同期がどんどん立ったり歩いたりしている中、サチコはのんびりとハイハイしていた。私や妻に似て、慎重で小心な性格なのかと思っていた。
それが2日前くらいから、少しの間だが立つようになり、今日初めて生で見た。その立ち方は、衝撃的であった。まず、掴まり立ちから恐る恐る手を離して立つものと思いきや、彼女はいきなり何も無いところからすくっと立ち上がった。それだけでなく、両手を握り締めて「うぉーーーー!」と叫んだのである。まるで初めてスーパーサイヤ人になったべジータのようであった。その姿は感動的ですらあった。
ともあれ良かった。少し立つのが遅いとは思っていた。心配する必要は無いと、頭では考えていてもどうしても気になっていたところであった。これからも楽しみである。
topへ