2012年
1月のつぶやき
1月25日 リゾートに行く 田所幸一郎
先週末は、三連休を利用して「プラウスリブ」という島に旅行に行った。「プラウスリブ」は「千の島々」と言った意味で、ジャカルタ北部にある小島の点在する地域を指す。その中のプトゥリ島というところに行ってきた。
ジャカルタから船で出発すると、それまで茶色かった海が、深緑色に変わっていった。そして、島に着くと、その色は更に鮮やかとなった。プトゥリ島は、20分程度歩けば一周できるほどの小さな島で、海沿いにコテージが点在している。
日本人はリゾートの楽しみ方が下手だと、誰かが言っていた。リゾートでは、「何もしないこと」が求められる。上級の環境に身を委ね、のんびりと過ごしつつ日々の疲れを癒すのである。私たち家族にとっては、初めての「リゾート」旅行でる。これまで旅行といえば、次々に観光地を回ったり、真夜中に車で出発して祭に参加して踊ったりなど、ハードな旅行が多かった。そんな私たち家族が「リゾート」という上級の旅行を遂行するのは、家族としてレベルアップするための試練だと思った。
「リゾート」は、なかなか難しかった。私たちは、島に着くや否や、いきなり無駄に島を2周もしてしまった。うち2周目は、内陸側を通ったため、蚊に襲われた。ここの蚊は獰猛で、人を見つけるとすぐに襲ってきた。ほうほうの体でコテージに引き上げた。
その後も蚊は執拗に襲ってきた。蚊よけを塗っても、すぐに効果が切れてしまう。どうして周りの人はあんなにのんびりと外で過ごせるのか。もしかしたら彼らも蚊に襲われているがやせ我慢をしているのではないだろうか。そんなことを考えた。そして、しばらく海で泳いではサンセットクルーズへ行き、その後は夕食など、スケジュールをこなした。夜は、やはり蚊が入ってきていてよく眠れなかった。
二日目、私たちは昨日よりはのんびりと過ごしたように思う。朝食を食べた後は、海で遊び、それからグラスボートに乗った。行く途中、船で知り合ったご家族がのんびりリゾートを満喫していた。旦那さんは子どもと海で遊び、奥さんはリゾートチェアに腰掛けてそれを見守りつつ読書をしている。リゾート地に来て読書が出来るのは、相当上級者である。その姿は洗練されており、リゾート慣れしてるなぁなどと妻と話した。
グラスボートが終わって戻ってきたとき、ご家族はまだそこでのんびりしていた。妻と「なんたるリゾート魂」などと絶賛しあった。それに比べ、私たちはなんとあくせくしていることだろうか。
その後も、帰りの船に乗るまでの時間に「オオトカゲ」を見に行かねば、という話になり、再度島を散策した。オオトカゲは道端で昼寝をしており、妻は写真を何枚も撮って満足していた。
最後、リゾートチェアに腰掛けて海を見ながらのんびりした。そして、これが正しいリゾートの姿だなどと妻と話していた。すると、私は突如蜂に襲われ、それをかわそうとしたところ、リゾートチェアから落ちた。
そして、船に乗り、青い海は緑となり、茶色となってジャカルタに戻ってきた。途中、かなり揺れ、ぐったりと疲れた。
そんな感じの旅行であったが、なんだかんだ言って満喫した。まあ、下に書いたとおり、サチコにとっては苦痛以外の何者でもなかったかもしれないが。
後日談だが、次の日、私は腹痛に襲われた。そのうち治るだろうと思って会社に向かおうとしたが、耐えられずにいったん家に戻り、病院に行った。原因はよく分からないが何か菌でも入ったんでしょうと言われ、抗生物質をもらって会社に向かったが、やはり耐えられず早退。その後、39度近くまで熱が上がり、深夜、更に激しく痛んだ。その痛みは股間を蹴られたような痛みであり、下腹部から腰まで重く痛んだ。私が痛みの詳細を説明すると、妻が背中をさすりながら、「陣痛の痛みは股間を蹴られた痛みだったのか」と妙に納得していた。
現在、ようやく痛みは落ち着いた。それにしてもあの痛みは何だったのだろうか。
1月23日 りぞーとにいく 田どころさち子
生まれてはじめてりぞーとにいきました。生まれてはじめてふねにのりました。まわりにはたくさんちゃぷちゃぷがあって、こわかったです。おふろのちゃぷちゃぷよりも多いです。
こわくてないているうちに、いつのまにかりぞーとにつきました。まわりはちゃぷちゃぷがいっぱいあります。そこであるきました。わたしはつかれてたちどまってしまいましたが、おとうちゃんとおかあちゃんがてをひっぱるのでないてしまいました。だっこしてほしかったです。
そのあと、きがえてちゃぷちゃぷに入りました。わたしはこわくて泣いていましたが、おとうちゃんとおかあちゃんはへらへら笑いながら私をみていました。そのあとさんせっとくるーずにいきました。おとうちゃんとおかあちゃんはけしきがきれいだといっていたけど、わたしにはよくわかりませんでした。となりのおっちゃんがあんぱんまんのふくろをもっていてうれしかったです。
よるごはんは、おんがくがうるさかったです。よるねるときは、蚊がたくさんいていっぱいさされました。よるは、いつものまくらがなくてよくねれませんでした。つぎの日、またあるきました。やっぱりだっこのほうが好きです。だっこしてほしくてたちどまると、おとうちゃんとおかあちゃんがわたしをおいて先に行ってしまいました。おとうちゃんとおかあちゃんはへらへら笑いながら、じぶんの足であるきなさいと言いました。わたしはつらくて泣いてしまいました。
そのあとまたちゃぷちゃぷに入りました。きのうよりはこわくなかったけど、おかあちゃんがべつのうきわを持ってきたら、かおにちゃぷちゃぷがかかってこわかったです。わたしが泣いていると、やっぱりおとうちゃんとおかあちゃんがへらへら笑っています。ちゃぷちゃぷがおわってひるねをしたのですが、15ふんくらいで起こされて、ぐらすぼーとにいきました。
ぐらすぼーとではちゃぷちゃぷの中がみれます。おとうちゃんとおかあちゃんはまどをじっとみていましたが、わたしはねむたくておもしろくありませんでした。
そのあとは大きなとかげをみました。1.5めーとるくらいありました。おかあちゃんはしゃしんをたくさんとっていましたが、わたしはこわかったです。
かえりもふねにのりました。ふねのなかはあつくてすごくゆれてつかれました。
もうりぞーとにはいきたくないです。
1月21日 リコーダー多重録音第二弾
私は、またリコーダーの多重録音をして遊んでいた。今回は「宇宙戦艦ヤマト」である。
実は、この「宇宙戦艦ヤマト」をここ3週間くらい練習していた。最初の週は、曲が難しすぎて演奏にならなかった。二週目は、まず鼻歌を歌いながら手拍子をしたものを録音し、それに合わせて各パートを吹くという方法を試みたが、この鼻歌が途中でどんどんのたってしまい、全く迫力に欠ける演奏となった。
そして今日、ようやく拙いながらもようやく納得の行くものが出来た、というか全然納得してないがとりあえず諦めがついたのでアップすることにした。どうぞお聴きください。
ところで、今週末はインドネシアでは中国正月があり3連休となる。明日からプラウスリブ(千の島々の意)へ行く予定である。プラウスリブはジャカルタの北に点在する島々で、私たちが行く島は船で1時間半くらいらしい。これまで私たち家族にはあまり縁のなかった「リゾート」というものを満喫する予定である。
だが、船は小型で相当揺れるらしく、妻が以前から相当心配している。今日はサチコのオムツを改造して嘔吐用の袋を作ってみると言っていた。
妻のアイディアは面白いと思った。
1月19日 誕生日
今日は、誕生日であった。今日が誕生日であることを、自分自身も忘れており、会社で現地人に「誕生日おめでとう」と言われ、ツイッターでジンさんにおめでとうと言われて思い出した。現地人には誕生日がいつかは言ったかも知れないが、よく覚えているものだと思った。
夜は妻がタン塩とドリアンとチーズケーキで祝ってくれた。嬉しいものである。
サチコは最近、私が帰ってくると私を避けるようにし、私が抱き上げると泣き出すようになった。「母の独占を妨げる厄介な存在」となりつつあるのかもしれない。まあ、これも成長の過程であろうと思うことにしている。
1月15日 サチコの成長
サチコはここ最近、大きく成長した。
まず歩けるようになったことが大きい。今ではヨタヨタと10歩くらいは歩けるようになった。外でも片手を持ってやれば、割とスタスタと歩くようになった。また言葉も良く出てきた。「ワンワン」「マンマ」「ネンネ」などは覚え、挨拶ではなぜか「こんばんは」を先に覚えた。朝でも昼でも「こんばんは」と言っている。その他、偶然かもしれないが「ごちそうさまでした」らしき単語がかなり正確に出てきたのは驚いた。将来はうるさくなることであろう。
その他、手でご飯を食べられるようになった。最初は当然、母が与えてサチコが食べていた。次の段階は、食べ物を手で掴んで母に渡し、食べさせてもらうという、回りくどいパターンを覚えた。更には、母の口に持って言って母に食べさせてあげる、という高度なテクニックを覚えたにも拘わらず、自分で食べることは出来なかった。今は、母に食べさせてもらいつつ母に食べさせてあげ、かつ自分でも食べるという複雑な食事を謳歌している。
あと、ジャニーズが大好きになった。日曜の夜はNHKでジャニーズのコンサートをやるのだが、食い入るように見ている。アンパンマンと同列に見ているのかも知れないが。私としては平清盛とかを一緒に見たいのだが、これはあまり興味がないらしく、落ち着きなくうろうろしている。14歳くらいになったら、サチコの部屋にはこういうポスターが貼られているかもしれない。
1月14日 鏡像の謎
こないだツイッターで「鏡に映ったものは、左右は逆になるのに上下は逆にならない理由をエレガントに説明できない」とつぶやいた。この疑問は以前から抱いており、時々考えてはよく分からなくなっていたことを、夕食を食べながら妻に話した。妻は考え込み、絵を描いたり鏡の前で手足を動かしては首をかしげ、結局よく分からなかった。そして、「考えたせいで夕食の味が全然しなかった」と文句を言った。
色々なイメージをしてみる。自分の頭が右側についていて、手が上下に付いた生き物だったら?もし自分の目が上下についていたら??色々考えてもよく分からない。鏡像の視点から見るから左右が逆になっているように見えるだけで、実際は逆になっていない。という推論も、ではなぜ鏡像の視点から見ると上下は逆に見えないのかという疑問が残る。これは恐らく、「左右」という概念と「上下」という概念は等しく空間の方向を表すものだと思っていたが、違うのだろう。これは理科の問題ではなく、国語の問題に近いような気がする。
しかし、分からないままにしておくわけにはいかない。将来サチコが同様の疑問をいだいたとき、親としては滞りなく答えなければならない。妻がネットで調べたら、この問題を解決するためだけに一冊の本が書かれていることが分かった。以下、「鏡の中のミステリー」(高野 陽太郎著)のAMAZONの商品紹介より引用。
商品の説明
出版社/著者からの内容紹介
鏡に映った自分の顔が左右逆に見える.なぜか.そんなことはもうとっくに理由がわかっていることだと思っていませんか.しかし,これまで誰ひとりとして正しく説明できた人はいないのです.目が左右に付いているからだとか,鏡は180度回転させる作用をもつからだとか,諸説紛紛.どれも不完全でした.ついに解けたのです.
内容(「MARC」データベースより)
鏡に映った自分が、上下は変わらないのに左右が逆転したように見えるのはなぜか。これまで誰にも解けなかった謎がついに解けた。視覚の心理をめぐる私たちの常識に、意外な落とし穴があることを指摘する。〈ソフトカバー〉
早速買おうという話になり、ネットで購入し、妻の実家経由で送ってもらうことにした。同じような疑問を持っている人はいるものだなぁと思った。
1月11日 大河ドラマと兵庫県知事
兵庫県知事が大河ドラマについて、記者会見で「鮮やかさがなく、薄汚れた画面ではチャンネルを回す気にはならないというのが第一印象」と述べたという。兵庫県出身のひとりとして、この知事の発言が気に入らない。
知事は、あの雰囲気を出すのにどれほどの努力が支払われたか、想像がつかないのであろうか。観光客誘致のキャンペーン中だからと言って、大河ドラマを見て「あんな薄汚い街には行きたくない」と思う視聴者がいるとでも思ったのであろうか。このタイミングで上記発言をしたところで、ドラマの脚本が修正されるとでも思ったのであろうか。
そんなことよりも、今回の発言で、自身の品位が低下することをイメージできないのであろうか。もし仮に知事の意見に県民が賛成したとしたら、兵庫県のイメージはより低下することをイメージできないのであろうか。逆に、せっかくの記者会見のタイミングでゆかりの地の魅力を伝えたほうが効果的だと、なぜ考えなかったのか。
私には、大河ドラマの第一回は、十分に魅力的な内容であった。ドラマの感想については人それぞれなので、もちろん知事と同じ感想を持った人もいるとは思うが、公人が個人の感想を公の場で述べて、どういう結果となるか位はイメージするべきだと思う。
1月8日 顔についての議論
日曜の夜、海外用NHKは毎週ジャニーズのコンサートを放送している。ファンにとっては毎週内容が違って見えるのかも知れないが、私たちにとっては毎週同じ放送をしているように見える。そんな放送をぼんやり見ながら妻との会話。
私:これだけ沢山のジャニーズがいる中で、SMAPや嵐が飛びぬけて有名になったのは何故だろうか。私は、あまりかっこよすぎない、歌が上手すぎない、運動神経が良すぎない、というのがキーポイントになっている気がするのだが。
妻:かっこいい顔というのは、人間の顔を平均した顔らしい。かっこいいということは、個性のないこととほぼ同義といえる。
私:確かに出てる人を見てもどれも同じに見えるなぁ。その中でSMAPや嵐は多少の個性らしきものがあるのかもしれない。
妻:まあ、テレビの露出が多いから顔を覚えてしまっただけかも知れないけど。
私:それにしても、なぜジャニーズのような顔が女性に人気があるのだろうか?生物という観点からすれば、男性は胸毛がもじゃもじゃ生えていて、生殖器が大きくて、筋肉モリモリの方が、生きる力が強く、当然生まれてくる子どもも強い子どもが生まれるはずではないか。
妻:「生きる力」の定義が変わったのではないか。第三次産業が主体の現代においては、肉体的に優れている男性が必ずしも生きる力が強いとは限らない。トークが上手で見た目の良い男性が好まれるのではないか。
私:トークが上手については分かる。しかし見た目についてはそもそも「見た目のよい男性とはどんな男性か」ということであって議論が無限ループをしているのではないか。(いったん議論終了)
私:ところでサチコがなぜ可愛いかといえば、私たちが大事に育てたくなるよう仕向けるためではないか。
妻:それは「ベビーシェマ」と言って、赤ちゃんは親が育てたくなるような顔をして生まれてくるものなのだ。
私:なるほど。もしサチコがひげもじゃもじゃでオッサン面だったら、こんなに大事に育てないかも知れない。
妻:そしたら介護の仕事はどうであろうか?
私:あれこそは生物の本能に反する仕事であって、まさに人間でなければなし得ない、人間愛の最もよく現れた仕事のひとつではないだろうか。
妻:なるほど。
という、無駄に知的でどうでもいい会話をして日曜の夜は過ぎていった。
1月7日 博多ラーメンを食べる
今日は家族で、ジャカルタで営業している博多ラーメン「一幸舎」へ行ってみた。店は中国人が多く住む北ジャカルタにあり、周囲は雑多な下町の風景である。店の前には、行列が出来ており、店員が名前をチェックして順番に呼んでいた。相当な人気ぶりである。まさか、インドネシアでラーメン屋の行列に並ぶことになるとは思わなかった。店の回転もよく、並ぶ時間は長くはなかった。
とんこつラーメンは約300円。餃子250円。イスラム教徒用に、ラーメンは鶏ベースも用意されており、餃子は豚肉と鶏肉から選べる。私たちは、とんこつラーメンと餃子、キムチチャーハンを注文した。どれも非常に美味しかった。本格的なとんこつラーメンを食べるのは久しぶりであり、しかもジャカルタで出会えるとは思わなかったのでとても嬉しい。
店内の客に日本人の姿は殆ど見当たらず、ほぼ地元民相手の商売で成功している。店自体は中国人街にあるとは言え、豚肉を食べないイスラム教徒が9割を占めるインドネシアで、とんこつラーメン店を出す勇気と、しかもこれだけ成功させる手腕というのは本当に凄いと思った。
ところで、ラーメンが来る前に、サンバルと唐辛子が運ばれてきていたのだが、全く食べていなかった。ラーメンを食べ終えて、最後何気なくその唐辛子をほんの少しだけ口に入れてみたところ、激辛であった。口と喉に激痛が走り、水をいくら飲んでも辛さが消えない。店を後にして水を買って飲んで、ようやく収まってきた。あれだけ辛いものをどうやって使うのだろうか。
帰り、上記により水を飲みすぎたため、車の中で尿意をもよおし、渋滞している高速で我慢しながら帰宅する羽目になった。
1月2日 アンチョールへ
今日は、「アンチョールドリームランド」へ行ってきた。「アンチョールドリームランド」は、遊園地、水族館、海水浴場などが入ったジャカルタの巨大テーマパークである。今日は、その中の水族館へ。
水族館は、思ったよりも本格的で面白かった。特に、動く歩道に乗って海中トンネルを見られる施設は、巨大なエイやサメが間近で見られて大迫力であった。サチコは怖がるかと思ったが、意外に平気で楽しそうに魚を指差したりしていた。
その後、海を見に行った。あいにくの雨であったが、ボート屋が声をかけてきた。ボートを見れば、かなり揺れており、乗らないほうがいいなと思った。ロシア民謡「母なるヴォルガを下りて」の「♪荒波 逆巻く 逆巻く波間に 小舟ただひとつ」の歌詞を思い出していた。
「アンチョールドリームランド」を出た後、日本食スーパーで買い物をして帰った。私は奮発して大トロとサーモンの刺身を買った。各3個入りで約千円。日本の値段とあまり変わらないと思った。それと、日清のローカルチキンラーメン約20円。チキンラーメンと刺身を並べて食べながら、このふたつの食品に50倍もの値段差があることがなんとなく不思議に感じた。どちらも美味しい。
そんな感じの正月であった。
1月1日 2012年最初のつぶやき
明けましておめでとう御座います。今年もよろしくお願いいたします。
さて、2012年の正月はこれまでないくらいにだらだらと過ごした。本当は昨日の大晦日、紅白を見た後に柔道場に行って年越し稽古をするはずだったのだが、紅白を見ている最中に腹の調子がおかしくなってきた。下痢が再発したらしい。それでも紅白を見終わるまでは参加するつもりだったのだが、どんどん酷くなってきたので残念ながら年越し稽古は見送ることとした。
これで今年の年末年始唯一のイベントがなくなり、本当に何もない年末年始となった。仕方なく、久しぶりにリコーダーの多重録音をして遊んだ。フリーソフトをダウンロードして、リコーダーの音を次々と録音して、試聴しては修正してを繰り返し、到底満足の出来る出来ではないが、これ以上こだわっていたら今日中に終わらないというところまでやって、今このつぶやきを書いている。
曲はドラゴンボールのオープニングテーマ「摩訶不思議アドベンチャー」。かつてリコーダー部用に編曲したのだが、結局演奏することなく今に至る幻の曲である。
私と同様暇な正月を過ごしている方はぜひ聴いてみて下さい。それにしても「つぶやき」以外のところ編集したのは久しぶりである。
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