2012年
3月のつぶやき




3月31日 ガソリン価格値上げデモ

 昨日は、4月1日から行われる予定であった、ガソリン価格の値上げに反対するデモが、インドネシアの至るところで行われていた。ジャカルタでも国会前に大勢の大学生が集まり、車を燃やしたり廃タイヤを焼いたりして抗議したらしい。警察は催涙弾や花火を打ち、これに対応した。

 こうした情報があったため、いつもの国会前の道を通らず、遠回りして帰った。渋滞はしていたが、特に危険な目に会うことなく、帰宅できた。家に帰ってテレビを見たが、壮絶であった。家と国会は結構近く、家のすぐ近くでこんなことが行われているのかと思った。いつもは平和に思えても、何かあれば事態は一変する。

 ガソリン価格だが、1リッターあたり4500ルピア(約41円)から6000ルピア(約55円)となる予定であった。日本人の感覚では、それでも十分安いじゃないかと思う。現状、ガソリンには補助金が付いており、歳出削減のため、この補助金を減らすというのが、今回の法案である。

 ただ、インドネシア庶民は一般的に車を所有していない。彼らがが心配しているのは、ガソリン価格が上がることで運搬コストが上がり、生活必需品の値段が全て上がることである。生活の足であるミニバスやオジェック(バイクタクシー)値段も上がるだろう。

 会社で色々話を聞いていると、政府や公務員に対する不信感が強い。ガソリンは本当はもっと安く買えるのに、政府が汚職をして自分たちの私腹を肥やしているからこんなに高くなってしまう。ガソリンは本当は3000ルピア程度だと言っている人もいた。真偽はよく分からないが、汚職で儲ける公務員・政治家 VS そのために生活が苦しい庶民 という図式がインドネシア人の自然な思考回路になっている。だから、ガソリン価格が値上げされたぶんは、公務員や政治家の懐に入るのだと思っているようだ。

 結局、ガソリン価格値上げは延期された。それでもやはり、ベンツに乗っている人まで補助金の恩恵を受けるのはおかしいと思う。そもそも、車を所有できる人はある程度裕福だから、裕福な人のために補助金を使うのはおかしいという意見もある。補助金を必要としているところに効率的に配る仕組みが必要だと思うが、今の感じだとどんな良案でも政府への不信感により受け入れられない気がする。


3月29日 サチコ語めも

 サチコはよく喋る。大半はよく分からないが、大好きなアンパンマンのキャラクターは覚えているらしく、以下の様に認識しているらしい。

アンパンマン → あんぱんまん
バイキンマン → ぴんぴんばん
チーズ → ちーゆ
食パンマン → りあぱんまん
カレーパンマン → りあぱんまん
ジャムおじさん → りあぱんまん
天丼マン → ちんちんどんどん

 よく分からないキャラは「りあぱんまん」らしい。天丼マンはマイナーキャラだが、初回で登場し、かつ何度も見ているため覚えたようだ。天丼マンの歌が「♪てんてんどんどん てんどんどん」なのだが、「ちんちんどんどん」で覚えてしまった。

 あと、最近のサチコの流行は「ビール」である。サチコ語では「びーゆ」という。ビールを見かけると「あっ!びーゆだ!」と目を輝かる。先日、スーパーでビールを買って、サチコを抱っこしてレジに並んでいると、拳を振り上げて「びーゆ!びーゆ!」と、ひとりで絶叫していた。

 将来サチコとビールを飲み交わす日が楽しみである。


3月25日 ボゴールへ

 この週末は、インドネシアでは三連休であり、ボゴールへ一泊二日の旅行へ行った。ちょうどパプアにダイビングに行く途中に寄ってくれた元リコーダー部のまーさんも急遽参加した。

 一日目はボゴール植物園へ。ここは、特に目立ったアトラクションがあるわけでもないが、のんびりするには良い。そして、植生が日本と全然違うのに驚く。日本であれば御神木となってしめ縄がされているであろうような巨木が、普通にその辺に生えている。しかも、そんな巨木に普通に落書きされていたりして、逆にこの国のスケールの大きさを感じた。

 一日目の夜は、近くのモールをぶらぶらして夕食を食べる場所を探した。まーさんが来ているからここでしか食べられないものをと思ったが、「滝川」という名前の日本料理屋に惹かれて入ってしまった。怪しい日本料理が出てくるかと思ったら、普通に美味しかった。「カニカツ」という名のカニかまぼこのカツは、以外に美味しい。普通に白木屋で飲む位の感覚が味わえる上、寿司の感性は独特であり、日本と違った感じも楽しめた。

 二日目は更に山側にある「タマンサファリ」(サファリパーク)へ。タマンサファリまでの道は、渋滞時は一方通行規制が敷かれる。1時間毎に一方通行の方向が切り替わるのである。運が悪ければ、1時間全く進むことなく待たなければならない。道幅自体はは車が十分に交互通行できるくらいの幅はある。何故一方通行にする必要があるのか、運転手に聞いてみたところ、混んでいる道で交互通行をやると、みんな我先にと反対車線にはみ出し、混乱が起こるからだと言っていた。みんなが交通ルールを守れさえすれば、こんな一方通行規制をしない方が効率的である。

 一方通行の道を走り、タマンサファリに入る道を曲がった瞬間、道端はニンジン売りだらけとなった。ここでニンジンを買って、動物に与えるらしい。私たちもニンジンを買った。ニンジンは7束で2万ルピア(180円)。袋一杯のニンジンを手に入れてタマンサファリに入った。

 タマンサファリは凄い迫力であった。目の前で口を開けているカバにニンジンを投げ込めば、もしゃもしゃ食べた。その他、ゾウ、ラクダやシカにもニンジンを与えて回った。草食動物コーナーのほうが面白かった。肉食動物コーナーは、窓を開けられない上、動物たちも寝っ転がって動かない。サチコはずっとびびって泣いていた。サチコも哺乳類の子供である。こういうのを本能的に怖がる感性があるんだなぁと思った。

 続いてイルカショーを見た。タマンサファリはかなり山奥にあり、こんな山奥にイルカがいるのが不思議な感じがした。イルカはよく訓練されており、次々とアクロバッティックな芸を繰り出した。その度にサチコはびびって号泣していた。イルカショーの後、イルカと触って写真が撮れるコーナーに行ったが、やはりサチコは泣いていた。

 そんな二日間を終え、帰宅した。その夜、まーさんはパプアに向けて出発するため、タクシーを予約した。電話したら、新人みたいな人が応対した。電話番号を聞かれ、「0815・・・」と言うと、「0185・・・ですか?」と聞かれた。「いいえ、0、8、1、5、です」の様に、英会話のテキストのようなやりとりをして8時半に約束した。なんか嫌な予感がした。

 予想通り、8時半には来なかったので、もう一度電話すると、あと10分か15分で到着するという。10分後、もう一度電話すると、タクシーは今道に迷っているという。そして、「お宅はボゴールですよね?」と聞かれた。家はジャカルタだし、電話のやりとりで「ボゴール」という言葉は一言も発していない。ボゴールに似たような地名があり、勘違いをしたらしい。

 仕方なく、家の外を走っているタクシーを捕まえて事なきを得た。楽しかった二日間であった。まーさんの旅の無事を祈る。


3月19日 免許を買う

 会社の送り迎えをしてくれている運転手に、以前から抱いていた疑問をぶつけてみた。それは、どこでどうやって運転の練習をしたのか、ということである。運転手は、一般的に自家用車を持っていない。免許を取って、いきなり運転手の仕事を探しても、運転したことの無い人に仕事を任せる任侠者はそうはいないであろう。かといって、運転しなければ上達しない。

 聞いてみたところ、彼の場合、昔ミニバスの車掌として働いていたらしい。バスのドアから半身を出して、乗客を呼び込んだり料金を徴収したりする役である。そして、仕事前や仕事後は、車庫からバスを出して道路まで運転したり、逆に仕事後、駐車スペースに駐車するまでをやらせてもらっていたらしい。まあここまでは問題ない。

 その後、運転に慣れてきたら、運転手に「ちょっとやってみるか?」と聞かれ、自信があれば運転させてもらう。もちろん、乗客は乗っている。そうやって運転の仕方を学んでいくらしい。そうして一日数百円くらいずつ給料をもらい、それをコツコツ貯めて免許を買うらしい。

 「免許を買うの?」私は聞き返した。免許は、一応試験はあるものの、大体誰でも受かるらしい。金さえ払えば手に入る、という。この国では、「免許を持っている」ということと、「運転できる」ということは、全く別のことらしい。

 もちろん、仕組みとしては危険である。しかし、日本のようなマニュアル社会とは違い、決められた手順の無い中で生きていくたくましさを感じた。


3月18日 市場へ

 今日は、柔道の練習を終えて帰る途中、クバヨランラマ市場に寄って買い物をした。クバヨランラマ市場は、土曜日にたまたまタクシーで走っているときに見つけた。道の両側に果物や日用雑貨の屋台が並び、実に楽しそうである。妻も「まるでジャカルタの松原商店街だ」目を輝かせた。

 こういう喧騒の市場に行けば、まるでアジア観光してるような気分になる。運転手にスリに気をつけるようにと言われ、財布は鞄の奥に入れ、現金だけをポケットに入れて、市場をぶらぶらした。買ったものは以下。

・ドゥク(ライチに似た果物)・・・キロ9,000ルピア(約80円)(キロ5,000ルピア(約45円)のもっと安いのもあった)
・ドリアン・・・一個10,000ルピア(約90円)
・嫁の靴・・・一足15,000ルピア(約135円)

 もっと値切れるのかは知らないが、すでに十分安い。我が家の壁にかかっている「親父の小言」のひとつ、「小商ものは値切るな」に従い、言い値で買った。これまでスーパーなどでしか買い物したことがなかったが、以外に日本のスーパーとあまり値段が変わらない。こっちの人は数万円の月給でどうやって生活してるんだろうかと思っていたが、こういうところで買えば安いのだ。

 帰ってドゥクとドリアンを食べたが、どちらも普通に美味しい。


3月17日 アンパンマンその他

・母から、EMSが届いた。中にはアンパンマンの絵本やアンパンマンのシャツなどと一緒に、朝日新聞のアンパンマンに関する記事の切抜きがあった。以下、抜粋。


 やなせさんは「正義とは何か」というテーマをどうしても書いてみたかった。根底にあるのは戦争体験だ。<中略>「この戦争はアジアの人々を救う正義の戦いだ」と教えられたが、日本が負けると中国人は喜んだ。実弟は戦死した。声高に語る正義はうそ臭い。この世に絶対の正義はない。唯一揺るがない正義があるとしたら、ひもじい人を食べさせてあげることだ――そう、強く思った。

 声高に語る正義はうそ臭い。このくだりを読んで、ビンラディンを殺害した際のオバマ大統領の演説を思い出した。この演説では、「justice」(正義)という言葉が何度も登場する。そして、この「正義」は、アメリカにとっての正義であり、アルカイダにとっては別の「正義」がある。


・サチコとアンパンマンのDVDを見た。サチコは食い入るように見ている。見れば、アンパンマンとしょくぱんマンとカレーパンマンがそれぞれアンパンチとショクパンチとカレーパンチをバイキンマンに放って、バイキンマンは空のかなたに飛んでいった。パンチを放った3人は「やったー!」と喜んでいる。

 次の話では、らくがきマンが登場し、町中を落書きだらけにしてしまう。バイキンマンも落書きされていた。それでもらくがきマンは、アンパンマンの制裁を受けることはなく、最後には落書きを辞めて町の人に受け入れられるのに対し、バイキンマンは相変わらずアンパンマンの制裁を受けていた。

 これでいいのだろうかとは、思った。アンパンマンの正義観については、考えさせられる。アンパンマンが何とかやっていけるのは、どんな理不尽な目にあってもくじけないバイキンマンのお陰であろう。恐らく、アンパンマンの真骨頂は、バイキンマンをやっつけるところではない。これは話の都合上、行われる儀式のようなものであり、本当は中盤の顔をちぎって差し出す、決して派手ではないところにその真髄があるのだろう。


・今朝、朝食を終えたサチコが、水を飲んで、噴出した。私はその様子が面白くて妻に「なんかこういう風に水を噴出して虫を捕らえる魚いなかったっけ?」と言ったら、「それはテッポウウオだよ」という答えが返ってきた。

 しばらくしたら、サチコが噴出した水の上を妻が歩いて、転んだ。そして、転んだ妻にサチコも少し接触した。どちらも怪我はないが、サチコは泣き出した。妻は不機嫌になり、テッポウウオの話をしただけで拭いてないのかよという意味のことを言った。

 サチコが泣いてはいるものの、元を辿れば自分が水を噴出したせいでこういうことになったのだが、この因果関係を説明するにはサチコはまだ若すぎるなぁと思った。ということを考えていると、不機嫌になった妻から「なぜこういう時にすぐ慰めの言葉をかけないのか」と言われた。


・最近、家に帰ってサチコを寝かしつけながら、自分も寝てしまう。サチコを見ながら横で添い寝するのは至福の時間でもあるのだが、サチコが寝た後の時間も楽しみたい。どうせ寝てしまうのなら歯を磨いてしまおうかとも思うのだが、寝かしつけている間はサチコが寝た後起きる気まんまんであり、歯を磨くことは、寝てしまうことを認めてしまうようで気が進まない。

 不思議なことに、サチコと一緒に寝てしまい、夜中の2時とかに起きて歯を磨いてもう一度寝ると、疲れが取れない。6時間一気に寝るのと、3時間を2回に分けて寝るのとでは効果が違う。感覚的には、後者の場合、1度目の3時間は睡眠時間としてカウントされず、3時間しか寝てない位の感じがする。


3月10日 無題

 震災から一年が経つ。震災の日、福島からインドネシアへの転勤のため、引越しの準備をしていた。震災の次の日、本当に引越しは出来るのかと思っていたら、引越し業者は普通にやってきて、余震の中引越しは終わり、その夜、後輩の運転する車で東京までたどり着いた。後ろ髪引かれる思いで、インドネシアに来た。

 それから一年である。私の生活環境も大きく変わり、日本の状況も大きく変わった。この一年で、企業の海外進出というのは更に加速したのではないかと思う。猫も杓子も新興国、新興国と言って、特に東南アジアへ進出している。グローバリゼーションとか、世界を相手に戦うとか言えば、かっこいい。しかし、果たして新興国に乗り込んでいって、現地人を文字通り桁違いの安い給料で雇い、アジア人はやっぱり怠け者だとかバカだとか文句を言いながらモノを作り、広告で現地人の購買意欲をそそり、売りつけることがかっこいいだろうか。

 私には、ひとつの流行のようになっているこの現象が、どうも浅ましい行為に思えて仕方が無い。大体、本来必要としていない人の購買意欲を掻き立てモノを売るのは、犯罪的だとさえ思う。そして、どんどん膨張しなければ存続できないという、企業体なるものに疑問を感じる。

 今日、会社の帰りにモールに寄ったら、入り口で東日本大震災の写真展をやっていた。みんなその写真を真剣な表情で見ており、涙をぬぐいながら見ている人もいた。

 インドネシア人は、親日的である。話していても、日本に対して憧れのようなものを抱いているように感じるし、優れた車や家電製品を生み出す日本、震災時でも略奪などは一切起こらず、規律正しい態度を示した日本人はここでも評価されている。しかし、親日的であることを加味しても、私たちは他国の災害に対して、これほどの共感を持って受け止められるだろうか。また、私たちは、彼らの高評価に耐えられる存在だろうか。

 ここに住んでいるとバランス感覚がおかしくなる。なぜ私たちはこんな生活をしているのか。どう考えても不公平である。それでも、ここに住む態度だけは常に気をつけないといけないと思う。


3月5日 雑記

 しばらく書かないと、格段に文章力が落ちる。というか、書く内容が思いつかなくなる。定期的に無理矢理書かないとと思い、以下に記すが、内容は支離滅裂。リハビリのようなものである。

・「鏡の中のミステリー」(高野陽太郎著)を読了した。鏡は左右を逆にするのに上下を逆にしないのはなぜか、という私の長年の疑問に答えてくれる一冊であった。この中で驚くべきことは、自分を鏡に映して左右が逆に見えることと、鏡に映った文字が逆に見えることは、逆になるプロセスが違うということであった。私が期待したとおりのエレガントな説明であった。ただ、もっと一言で言い表せるくらい簡単なことだと思っていたが、かつて多くの学者が失敗してきた重いテーマであったらしい。

・「未来少年コナン」全26話を見終わった。仕事後に少しずつ見ていたのであった。初めて見たのは高校時代くらいか。たまたま再放送で見て凄く引き込まれた記憶がある。ちなみに初放送は1978年、私が生まれる前の作品である。

 名作だと思った。内容は見ているほうが恥ずかしくなるくらい、健全である。

・久しぶりに柔道の練習へ行った。本格的に練習するのは1ヵ月半ぶりくらいである。大いに汗を流して、へとへとになるまで練習すれば、体の中の汚いものが一緒に外に出たような感じがして実に気持ちよい。

・リコーダーで「スーパーマリオ」を多重録音した。実は3週間くらい週末に録音してはやりなおしてを繰り返していた。シンコペーションの苦手な私には、裏拍が多すぎて何度やってもうまくいかなかったのである。最後はまだハマってはいないが、諦めてアップした。

・サチコは最近一日百回くらい「あんぱんまん」と言っている気がする。アンパンマンが大好きである。そのほかはジャニーズも好きで、ジャニーズがかかるとテレビに注目する。あと、意外なことに民謡も好きらしく、一昨日は民謡番組を見ながら体でリズムを取ったり手を叩いたりして盛り上がっていた。

 さすが私たちの娘である。
 

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