2012年
4月のつぶやき
4月29日 新型うつ
NHKスペシャル「職場を襲う"新型うつ"」を見た。「新型うつ」とは、症状はうつ病と同じなのだが、常に発症している訳ではなく、職場にいるときのみ発生し、それ以外の時間は気分が回復し、趣味や旅行なども可能であるらしい。「新型うつ」は、20〜30代の若者の間で増えており、それは単に怠けやわがままと捉えられたりしやすく、抗うつ剤も効きにくいという。アンケートによれば、新型うつと見られる社員を抱える企業は65%に上るという。
この症状が病気なのか、もしくは単なる怠けやわがままなのかということは、あまり重要ではない。問題は、こういった現状が日本で増えているということであり、そのことが日本の国力を落としうるであろうということである。どこにそういった問題の根源があるのかということは、真剣に調べなければならないだろう。
江川紹子氏が、例えば学校には校則など理不尽なことが沢山あって、これまでそういった理不尽をなくすことが良いことだと考えてきたけれども、社会に出れば理不尽は沢山あるわけで、理不尽を無くすことが良いとは限らないといった趣旨のことを言った。私は、その意見に賛同する。
理不尽な経験で思い出すのは、いつも高校時代の柔道部の遠征合宿であった。そこの先生はプラスティックのバットを持って指導しており、練習が少しでもだらしないと怒鳴りながらそれで生徒を殴る。夜は食いきれないくらいの飯を与えられ、全員が全て平らげるまで部屋に戻れない。食べ過ぎて途中で吐くと、「吐いた分も食え」と言われる。また、毎日体重を量り、前日よりも落ちていると殴られる。夜は先生は酔っ払っており、深夜に突然集合させられて筋トレさせられたりした。引退してからも、「あの頃を思い出せば今後どんなことも大丈夫だ」と仲間と冗談半分に言っていたが、その経験は今の私に確実に生きていると思う。
子どもの頃に理不尽な経験をしたり、怒られたり辛い思いをしたりすることは、必要だと思う。しかし、日本ではそれは「良くないこと」だとして、減らす努力をしてきた。それは、民間信仰や伝統行事が廃れてきたことと似ている。
就職活動に対する考え方も、不自然だと感じる。就職活動をする際、「自己分析」なるものを行う。自分がどういう人間で、どういう特徴があるからどういう仕事が向いているか、ということを分析し、それを元に面接に臨む。しかし、本当はそんなこと分かるはずも無いし、仕事のイメージも湧いていない中で、どんな仕事が向いているかなど、分かるはずが無い。
それが分かったところで、実際に働けばその「自分が向いていると結論付けた仕事」が出来るとは限らない。大体、企業にとってはとりあえず健康で、どこでも転勤してくれ、どんな仕事でもきっちりやってくれる社員が欲しいのである。そこに就職活動の矛盾がある。「自己分析」は、就職氷河期において、とりあえず学生を選別するための独特の手法に過ぎない。「どんな仕事がしたいのか?」と聞かれて、上手く答えられなければ落とす。仕事のヴィジョンがしっかりしている学生がいれば「思い描いている仕事が出来ないがいいのか?」と言って落とす。そういった禅問答に上手く答えられる学生が合格する。
仕事は、もっとシンプルなものである。給料をもらって生活するために行う。ただそれだけである。その上で、社会貢献がしたい、出世してもっと大きなビジネスをしたいという思いが、おまけのように付いてくるに過ぎない。それなのに、仕事は自己実現が第一で、そのためには自己分析をしっかりしなければ、という風潮はおかしいと思う。
番組は、会社側も個人個人に合わせた仕事を与えられるような工夫が必要だという結論で結ばれた。これは対処療法的だと思う。これと同時に、その根源がどこにあるのか、もっと深める必要があると感じた。
4月28日 サチコ語録
サチコがよく喋るようになった。備忘のため記す。
父ちゃん→とーたん
母ちゃん→とーたん
サチコ→ち、こ、こ
まだ「と」と「か」の区別が付かないらしく、どっちも「とーたん」になっている。ちなみに我が家では「父ちゃん」「母ちゃん」である。多くのご近所さんは「パパ」「ママ」だが、若干歯がゆいため。続いて若干困る言葉。
カバ→ばか
りんご→ちん○
早めに直したいが、なかなか直らないものである。
4月23日 財布を落とす
先週の土曜日の夜、財布を無くした。家の中や車の中をくまなく探したが見つからず、恐らく車を降りて家に入るまでの数メートルの間にうっかり落としたと思われた。
口の悪い駐在員は、「インドネシア人を見たら泥棒と思え」と言う。そこまで思わないにしても、落とした財布は見つからないだろうと思った。そして、半ば諦めてクレジットカードをストップした。
そしたら、今日、アパートのオフィスに財布の落し物があったと、妻に連絡があった。他の部屋の運転手が届けてくれたらしい。家に帰って確認してみたが、特になくなっているものもなく、入っている現金も私の記憶する額と同じであった。
私は嬉しくなると同時に自分の管理の甘さが恥ずかしかった。こういうことが無いよう、管理をしなければならないのである。例えば、現金を金庫に入れるのは、お手伝いさんを疑っているわけではない。貴重品を厳重に管理するということは、お互い気持ち良く過ごすためのマナーなのである。
去年の話だが、寮で単身赴任していたとき、ジーパンのポケットに30万ルピア(約3千円)を入れたまま洗濯に出してしまったことがあった。すると、お手伝いさんが申し訳なさそうに「ごめん、一緒に洗ってしまった」と、シワシワの30万ルピアを持ってきてくれた。
これからもこのマナーを気をつけなければと思った。
4月22日 アンパンマンのマーチ
ここのところの週末「アンパンマンのマーチ」リコーダー4重奏に取り組んでいた。ジャカルタに来て初めてのリコーダー編曲からの作業であった。
1ヶ月くらい前から編曲を始めた。録音は、実は先週完了していたのだが、どうも気に入らず、今週もう一度トライした。そして先ほど、とりあえずアップしたものの、気になるところが沢山ある。聴けば聴くほど、直したくなってしまう。「プロフェッショナル仕事の流儀」で、日本の原動力となるのは「こだわりの力」だと、茂木健太郎が言っていた。もっとこだわらねばと思いつつも、これ以上やると楽しく出来ないと思い、別にプロじゃないしいいやとも思い、妥協の末一応終えることにした。「完成した」と「諦めた」は、ほぼ同義であろう。
作ろうと思った理由は、ただひとつ、サチコが大のアンパンマン好きだからである。アンパンマン離れが起こる前にやっておこうと思った。演奏は、いつもの通りエコーを効かせてごまかし、今回は写真を入れてみた。ヒマな方はお聴きくださいませ。
4月21日 無題
NHK土曜ドラマ「あっこと僕らが生きた夏」を見た。実話を元に作られたドラマで、癌を患った女子マネージャーと部員たちの物語である。舞台となった楊志館高校は、この年奇跡の甲子園出場を果たす。青春ドラマとして、そして子を持つ親としての視点から見た。
人の生きる期間と、その濃度には相関性があるのではないかと思うことがある。長生きをした人と、短命の人では、短命の人のほうが濃密な時間を送っているということはありうるような気がする。そして、こういうドラマを見ると、私が癌になったら、或いは家族が癌になったら、私は適切に振舞えるだろうかということをいつも考え、悶々としてしまう。
インドネシアに赴任が決まった時、妹と話したことはいつも胸に刻まれている。現地採用としてタイの日系企業で働いていた妹は、あまり乗り気でなかった私に、駐在員として赴任することが羨ましいと言った。だって、給料は現地採用とは雲泥の差だし、豪華な家に住め、妻はメイドを雇って家事から解放され、悠々自適の生活が出来る、という。
同時に、駐在員に対する不平も漏らした。現地人や現地採用の日本人とは比較にならない給料をもらっているのに、ろくに言葉も喋れず、そのくせ偉そうにいばっている人がいる。妹は、本来は自分の職務ではない、ちょっとした翻訳や通訳の仕事までやらされる。タイ語と言っても、単語を単発で発するだけで、例えば「地図」という単語だけを現地人に言うけど、「地図」をどうして欲しいのかも分からない。妹は現地人と、そんな駐在員の物まねをして笑っていたらしい。
ちょっとした話だが、その言葉は今の私の働く姿勢に大きく影響している。上記の様にだけはなるまいと決心した。
新しく始まったNHKの朝ドラがいまいち面白くない。前回の「カーネーション」は、朝ドラとしては異質のドラマだったが好きであった。毎日、スマップの主題歌が流れるたびに、朝食を食べながら妻と批判をしている。妻は、毎朝この声を聴くたびに「げんなりするなぁ」と言う。そして、ここの音が上がりきっていないとか、高音の伸びが全く無いとか、歌唱力を批判しながら朝を過ごす。何せ椎名林檎からスマップだから、その落差は激しい。ドラマの内容も、いまいち空疎で、個性が無く、重みも感じられない。妻は「学芸会のようだ」と言う。
しかし、文句を言いながらも、とりあえず見ている。
4月8日 バリ島へ
この週末は、3連休であった。この連休を利用して、バリ島に家族旅行へ行った。バリ島の中でも山側のウブドという場所でのんびり過ごした。
ウブドは、長野県のようであり、代官山のようであり、本宮のようであった。稲穂が実った田んぼにセミの声が鳴り響く風景は、とても懐かしい。日本の四季の中でも最も好きな瞬間のひとつである。ここから椰子の木を取り除けば、そのまま日本の風景となろう。そして、メイン通りは代官山である。オシャレな小店が立ち並び、欧米人が闊歩している。ウブドは殆ど欧米人なのである。
ここでは、さまざまな伝統行事が日常と共にある。そろいの衣装を着て、トラックの周りでたむろしてる男たちは、元宮の神輿大好会の人たちのようであったし、伝統衣装を着て参加する人々の風景も元宮のお祭のようである。こういった祭礼が日常と共にある風景は、どこか懐かしい。世界随一の観光地となりつつも、一方で伝統的な生活を失わず、それがまた観光地としての魅力を上げているということも、細かい事情はさておき、奇跡的だとも言える。
そんなバリで、サチコは風邪をひいていた。一日目はまだ元気で棚田を散歩していたのだが、二日目はダウンし、病院へ行き薬をもらい、ホテルで安静にしていた。そして三日目は町を少し散歩してそのまま空港へ。
それでも、ゆったりとしたいい旅であった。こうやって無理せずのんびりするのもいい。むしろサチコが元気であったら、またあくせく歩き回ってへとへとになっていたことだろう。
4月1日 犬のおまわりさん
今日、妻がサチコに歌を歌ってあげていた。私はそれをボーっと聴いていた。のどかな日曜日の午後である。
♪まいごのまいごのこねこちゃん あなたのおうちはどこですか?
♪おうちをきいてもわからない 名前をきいてもわからない
♪ニャンニャンニャンニャン ニャンニャンニャンニャン
♪ないてばかりいるこねこちゃん
♪犬のおまわりさん 困ってしまって ワンワンワンワン ワンワンワンワン
♪まいごのまいごのこねこちゃん この子のおうちはどこですか?
♪カラスにきいてもわからない すずめにきいてもわからない
♪ニャンニャンニャンニャン ニャンニャンニャンニャン
♪ないてばかりいるこねこちゃん
♪犬のおまわりさん 困ってしまって ワンワンワンワン ワンワンワンワン
楽しげな曲だが、改めて聴くとその救いようの無い歌詞に愕然とした。問題は何も解決していない。子猫も犬のおまわりさんも楽しい歌詞とは裏腹に悲しみに暮れている様子が目に浮かぶ。3番があって、無事お母さん猫に会えるとかあるのかと思ったら、2番で終わりらしい。なんという悲しい歌だろうか。これを作詞した人は、何か思うところがあったのだろうか。
続いて、「森のくまさん」。
♪ある日森の中 くまさんに 出会った
♪花咲く森の道 くまさんに 出会った
♪くまさんの 言うことにゃ お嬢さん おにげなさい
♪スタコラ サッササノサ スタコラ サッササノサ
♪ところが くまさんが あとから ついてくる
♪トコトコ トコトコと トコトコ トコトコと
♪お嬢さん お待ちなさい ちょっと 落とし物
♪白い貝がらの 小さな イヤリング
♪あら くまさん ありがとう お礼に うたいましょう
♪ラララ ララララ ラララ ララララ
これも聴けば聴くほど不思議な歌詞である。お嬢さんに「お逃げなさい」と言ったのは何故なのか?恐らく、熊の存在自体がリスクなのではなく、熊がこの歌では語られていない別のリスクを察知してお嬢さんにアドバイスをしたと思われる。或いは熊が二重熊格で、凶暴な野生が目覚める前に逃げなさいと言ったのかも知れない。
ともあれ、よく分からない歌が多いなぁと思った。
topへ