2012年
5月のつぶやき




5月28日 ロマサガ

 ここのところ、またまたリコーダーの多重録音をして遊んでいた。今回は私が中学生の時にハマったRPG「ロマンシング サ・ガ」の名曲である。2週間くらい前に、急に思い出してやりたくなった。やりたくなったら、いつも頭の中で音楽がなってしまうたちである。早速、MIDI音源を探して、そこからリコーダー5重奏に編曲した。MIDIさえ見つかれば、編曲は難しくない。というか、単にその音をリコーダーにあう調に変えて、難し過ぎる部分を簡単にすれば出来上がりである。バスリコーダーが2本という珍しい編成である。

 録音しているとき、サチコが横にいた。つまらないらしく、途中でモノを落としたり、泣いたりしていたのが録音に入っている。気付けば、バスリコーダーのハードケースにジョイント用グリスで絵を書いていたらしく、白い線がぐるぐる書かれていた。なに書いたのと聞いたら、「アンパンマンだ」と言った。

 と言うわけで、雑音も入り、生活感あふれる感じになっていますが、ヒマな方はコチラからどうぞ。


5月21日 先週末

 先週の土曜日は、家族でクマンに行った。クマンはジャカルタ市内の町で、欧米人街とされている。ここにバリワインの店があり、これを買いに行くついでにクマンの町をぶらぶらしようと思っていた。

 しばらくクマンに行かない間に、クマンの町はまるでバリ島のウブドの様に美しくおしゃれな町だという思い込みがあったのだが、実際に行ってみると、普通の汚いジャカルタの町並みであった。ここでちょっとおしゃれな店で昼食を食べ、ワインを買った。

 更にぶらぶらしていると、セブンイレブンがあったので入ってみた。インドネシアのセブンイレブンは、2階がオープンスペースになっており、そこで自由に飲食することが出来る。インドネシア人の行動パターンを考慮した素晴らしい仕組みだと思う。

 せっかくなので、私たちもジュースをお菓子を買って2階に上がってみた。2階は思ったよりも清潔で、気持ちが良い。そこでのんびりしてから、買い物をして帰った。

 いい一日であった。


5月20日 原発について2

 前回、話が脱線してしまったので、もう一度考えてみる。

 もし仮に、原発が本当に100%安全であったなら、反対する人は大幅に減るであろう。それでも反対する人がいるとしたら、恐らく事故に対する耐性よりも、核開発と関連した話となると思われるが、今回は安全性に焦点を絞ることとし、こちらについてはとりあえず置いておく。原発の問題は、100%安全かどうか、ではなく、100%安全ではないものをどうするか、である。

 今日のNHKスペシャルでは、アメリカとスイスの事例を紹介していたが、「原発は100%安全ではない」という認識が当然として受け入れられているように感じた。だから、外部機関にチェックさせる、もしくはストレステストで過度な状況をシミュレーションして必要な対策を講じる、といったことが行われている。一方、日本ではストレステストは安全基準として使用されている。

 2008年、東京電力では、15mの津波が予測されていたが、これは仮定の数字と判断され、対策も講じられなかった。その裏には、これに対して対策を講じたとすれば、これまで住民に安全だと説明してきたことが嘘になってしまう、という思いがあったのだろう。

 ここに原発の落とし穴があった。安全だ、と主張し続けるためには、安全対策を行えない。なぜなら、対策を行うということは、対策を行う前は安全ではなかったということの証明に他ならず、先の安全が嘘になる。ここに原発の落とし穴があり、安全神話が出来てしまった。

 だから、原発に関しては、安全だという主張こそ危険である。安全と言ってしまった以上、新たに見つかったリスクを隠す風土が強まるからである。

 原発の議論は、安全だから再稼動させるか、もしくは安全が保証できないから再稼動させないか、という議論は不適切だと思う。100%安全でないけれども、永続的に安全性を高めながらコントロールしていくか、或いは100%安全でないから再稼動をやめるか、という議論とすべきである。

 どっちがいいかは、私自身答えは出ていないが、少なくとも原発が安全かどうかを議論している現時点では、まだ危険だと思う。


5月12日 原発について

 5月5日、日本国内の全ての原発が停止した。原発の再稼動について、賛成派と反対派がいる。私はこういうとき、なかなかどちらの立場にも立てないたちである。とりあえず、原発とはなんだったかを思い出すために、物理の教科書を読み返してみた。

 原子力発電では、ウラン235という物質を使う。ウラン235に中性子を当てると、ふたつの原子核に分裂すると同時に、いくつかの中性子を出す。その中性子が更に別のウラン235に当たり、ねずみ算式に核分裂反応が起こり巨大なエネルギーが発生する。それを一気に行えば核爆弾となり、中性子を吸収してゆっくり核分裂反応を起こさせると、原子力発電となる。なお、ウラン235は天然ウランの中にわずか0.72%しか含まれていないため、天然ウランの中からウラン235のみを取り出す(濃縮)工程が必要である。

 原子核の結合エネルギーをその質量数で割った、核子一個あたりの結合エネルギーは、鉄(原子番号28)が最も強い。即ち、鉄よりも小さい原子核どうしがくっつくか、鉄よりも大きい原子核が分裂したりすると、より安定した状態となる。別の言い方をすれば、エネルギーの低い状態となる。また別の言い方をすれば、エネルギーが発生する。前者が核融合、後者が核分裂である。

 ビックバン直後、陽子と中性子と電子だけだった宇宙は、まず、核融合によりヘリウムが生まれた。その後恒星が生まれ、その内部で鉄までの物質が生まれた。鉄より重い物質については、恒星が寿命を終えるときに起こる超新星爆発により、生まれたと考えられているらしい。原子力発電の力の源はこの超新星爆発にある。

 発電のことは良く考える。私の考えでは、火力発電の源は太陽エネルギーである。火力発電で使用する石油や石炭は、植物や生物の死骸が長年かけて変化した生まれた燃料であり、彼らは元々光合成で生まれた植物、およびそこから始まる食物連鎖により生まれた生物である。その意味では、太古の太陽エネルギーを使用している。

 水力発電も、源は太陽エネルギーであろう。海の水が太陽により温められて蒸発する。この時、太陽により水の位置エネルギーが増すのである。それが雨となり、川を流れて落ちるときに運動エネルギーとなる。水力発電はこの水の運動エネルギーを利用しており、元々は太陽により得た位置エネルギーが源であろう。同様に風力も太陽エネルギーといえるだろう。一方、地熱発電は、地球の内部の熱を拝借して発電する。太陽が全く関係ない発電方式は、地熱と原子力くらいであろう。

 太陽エネルギーは膨大である。年間で太陽から地球に降り注ぐエネルギー総量は、全人類が使用するエネルギー総量の1万倍にも及ぶという。人類を含め殆どの生物は、ほぼ100%太陽エネルギーに頼っていると考えてよい。太陽エネルギーを必要としない生物は、深海の海底火山付近に住み、硫化水素を栄養源としているごく一部の生物だけであろう。ただし、「発電」という意味では、太陽エネルギーは地球に満遍なく降り注ぐ、「薄く広い」ものであるため、利用が難しい。

 非常に勿体無いと、思うときがある。ひとつは、洗濯物を乾燥機で乾かすときである。洗濯物を干すという行為は、日々の生活の中でも、太陽エネルギーを直接使用できる、数少ない人間活動のひとつである。太陽エネルギーで行えば無料なのに、乾燥機を用いると、電気代がかかる。その電気が火力発電だとしたら、石油の無駄遣いである。

 そしてもうひとつは、ジム等にあるウォーキングマシン。本来であれば、人が走ることで、エネルギーを生み出せるはずなのに、逆に電気を使って機械を動かし、その上を走る人もエネルギーを消費する。誠に理解に苦しむ機械である。

 話が、逸れた。結局、原発は動かすべきか動かさざるべきか、よく分からなかった。継続して考えようと思う。ただ、久しぶりに物理の教科書を読んで、勉強になった。その中には、ベクレルやシーベルトの説明もあり、高校時代にすでに学んでいたんだと思った。


5月9日 柔道大会のこと

 下に柔道の試合に出たことは書いたが、思えば日本の大会とはずいぶん違う感じがしたのでここに記す。ずいぶんユルいのである。

 大会は8時集合らしいのだが、先生からは「8時に始まるはずがないので9時集合で」みたいな連絡が来た。また、階級別の団体戦なのだが、「オヤジということで大目に見てもらおうと思ってますので、間違っても減量などしないように」ということであった。そして、会場では体重測定自体が無く、自己申告でやっているようであった。

 9時に行けば、試合が始まろうとしていた。私たちは6試合目なので早めにアップしておくよう言われ、着替えて準備して待っていると、3試合位終わったところで、突然開会式が始まった。

 偉い人が来るまで開会式は出来ないのだが、かといって偉い人を待っているといつまでも始められないので、試合をしながら偉い人を待っていたのである。当然、偉い人は遅刻するのが普通である。

 こうやってどんどん間延びしていく、と言うのがこの国のパターンである。


5月8日 サチコの体格について

 サチコの体重は今日9.5キロであった。最近は食欲も増え、少しずつ増えてきているようだ。身長は丁度妻の半分くらいである。腹は出ていてミニトトロのようである。

 と考えた時に思ったのは、体積は長さの3乗に比例するという事実であった。同様、重量も長さの3乗に比例する。即ち、身長が2倍になるということは、体重は8倍になるということである。体格がそのまま相似形であれば、の話である。

 サチコが今の体格のまま、妻と同じ身長になったら、体重は9.5kgx8倍=76kg となる。なんという肥満体型であろうか。「千と千尋の神隠し」に登場する「坊」を思い浮かべた。サチコは今の大きさだから可愛いのである。

 気になってサチコのBMIを計算したところ、今度は痩せ過ぎと出た。よく分からないものである。


5月7日 ゴルフ未亡人

 私は、ゴルフをやらない。来たときにはやろうと思っていたのだが、想像以上に面白くなく、金もかかるため止めてしまった。記憶が正しければ、初めてのスコアが198、二回目が204であった。もちろん、コースに出る前に何度も打ちっぱなしには行って練習していた。

 「上手になってくれば面白くなってくるよ」と言われたが、そうは思えなかった。偶然いいヒットを打ったときに「気分いいだろ?」と聞かれたが、特に嬉しくも気持ちよくも無かった。ミスしても特に悔しくないし、いいヒットが打てても特に嬉しくない。ただ早く終わって欲しいとだけ思いながらプレイしている自分に気付いたとき、もうやめようと思った。

 妻から聞いたのだが、駐在員の妻(=駐妻)の間で「ゴルフ未亡人」という言葉があるらしい。旦那が週末ごとにゴルフばかりをしていて、家にいない状態を指す言葉らしい。そして、「ウチの旦那なんかさぁ」と、ゴルフに熱中する旦那についての話が始まる。「ゴルフ未亡人」。面白い語感だなぁと思った。

 雑誌によれば、駐在員の8割以上がゴルフをしているらしい。先週リコーダークラブの人と会ったときも、ゴルフをしないと言うと、こっちが驚くくらい驚かれた。そして、上記スコアを言うと、更に驚かれた。

 妻は、奥様方と話しているときに、旦那がゴルフをせずに柔道をしていると話すと「趣味があっていい旦那さんね」と言われるらしい。しかし、妻に言わせれば、ゴルフであろうが柔道であろうが週末家にいないことに変わりはないらしい。

 柔道未亡人である。


5月6日 柔道の試合に出る

 今日は、柔道の団体戦に出場した。ジャカルタジャパン柔道部は、かつてないくらい「オヤジ柔道家」が多く、今回は2チーム編成した。私は60kg以下の先鋒。

 私は、高校時代から試合の雰囲気が苦手であった。周りの選手全てが強く見え、自信がなくなって怖くなってくる。これを闘志に変えられるかが、試合に向いている資質かどうかだと思うのだが、私はどうも苦手であり、それが大学に入るとき柔道を辞めようと思った理由のひとつでもある。

 結果は惨敗であった。私は最初に有効を取ったものの、逆転負け。チームも3対2で1回戦負けであった。「目標は3位入賞」であり、「今日は夕方までかかる」と言っていたにも拘わらず、打ち上げは昼食となった。

 体力の無さを痛感した。試合時間は5分なのだが、2分過ぎくらいから力が入らなくなってくる。当然相手も同様だが、その落ち方は私のほうが明らかに大きい。そして、試合が終われば、肩のあたりが凄い筋肉痛となった。例え勝っていても2回戦はろくに戦えなかったような気がする。

 とりあえず、筋トレを始めようと思った今日この頃である。


5月5日 ジャカルタリコーダークラブ

 今日、「ジャカルタリコーダークラブ」の方々と会った。インドネシアに来てからリコーダーをやりたいと思っていたのだが、つい先日じゃかるた新聞にメンバー募集の記事が載っているのを見つけ、連絡をしてみたのであった。

 基本的には子どもを持つ母親達の集まりであり、平日の午前に活動しているとのことであったが、月に1〜2回、土日の練習を行いたいと言って下さった。代表の方は実に活発的な方であった。リコーダークラブの他、ボランティア活動も積極的にされており、何よりそれを自分が楽しんでいるという感覚でやっておられるのがいいなぁと思った。コーヒーを飲みながら色々楽しい話を聞いた。

 初練習は来週。実に楽しみである。

 ジャカルタリコーダークラブの方々、よろしくお願いします。


5月1日 交通違反

 今日、運転手が遅刻をした。電話で理由を色々言っているのだが、いまいちよく分からない。とりあえずタクシーで先に会社に行くと伝え、会社に向かった。

 帰り、話を聞いてみると、どうやら警察に捕まっていたらしい。インドネシアの警察は、通常2万ルピア(約170円)位渡せばそのまま開放される。バイクであれば1万ルピア位らしい。当然、そうして警官に渡った金は、彼の昼飯代などになる。それがこの国では普通である。

 しかし、今朝、停止線オーバー彼を捕まえた警官は、金を受け取ろうとしなかったという。その代わりここで罰を受けよ、と言う。そして、罰は、 @エンジンを切ったバイクを押して、約500mの距離を2往復する。もしくは、 A信号機に向かって30分間敬礼する。 からいずれか好きなほうを選べ、と言う。彼と一緒に5人くらい捕まったらしいのだが、5人ともバイクを押すほうを選んだらしい。

 信号機に敬礼はあまりに恥ずかしいから、バイクを押すほうを選んだが、合計2kmの距離は長く、汗だくになりながら押したという。そして、あの警官は金を受け取らないなんて変わった奴だ、ということを言っていた。

 私は、このばかばかしい話に大いに笑ったが、かの警官に思いを巡らした。小遣いをもらって解放すれば、警官の懐も暖まり、ばかばかしい罰に付き合わなくても済むのに、小遣いを拒否したのは、インドネシアの交通事情を良くしたいと、本気で思っているからであろう。大体、警官が市民から普通に金を巻き上げてポケットに入れていることがおかしい。全員が今朝の警官のような、真面目な人なら、インドネシアの交通事情は良くなるだろう。ということを運転手に言ってみたが、「インドネシアでは金を受け取る警察が普通だ」と笑っていた。私も笑った。

 その他、色々話を聞いていると、腕立て50回やれと言われたり、車の上に起立して信号機に敬礼しろと言われたりすることもあるらしい。

 実に面白い国である。
 

topへ