2003年
4・5月のつぶやき
5月25日 先週末のこと
今週末は密かに実家に帰っていた。本当は帰るつもりはなかったのだが、会社の先輩がたまたま横浜に用があり、ついでに車に乗せていってもらったのである。
イラハと翡翠のシーサー
実家で押入れをあさっていたら、去年私が福島に行く際にイラハからもらった樹脂製のシーサーが出てきた。このシーサーは片足が折れている。実はこのシーサーには少しばかばかしい思い出があるので紹介しよう。
去年のGWに送別会を開いてもらったのだが、このシーサーはこの飲み会中にもらったものである。イラハは「これは本物の翡翠(ひすい)のシーサーなんだから大事にしろよな。」とか言っていた。しかしどう見ても樹脂製である。私は「翡翠」という石のことをそんなに詳しいわけではないが、「石」か「プラスティック」かくらいは分かるつもりである。
私はこれが樹脂製であるということを主張したが、イラハは一歩も引かず、翡翠だと言い張っていた。私は「証拠を見せてやる」と言って、シーサーの足を噛み切ってやった。するとイラハは「翡翠に何をする!」とそれでも樹脂製であるということを認めなかった。
そこまで翡翠と主張されると少し心に迷いが生じる。樹脂製であるということを信じながらもごくわずかな翡翠の可能性を残して、福島に向かった。
そして今日、引っ張り出して改めてシーサーを見ると、やはりどうみても樹脂製である。家族に聞いてみたが、口を揃えて樹脂製だという。
しかし証拠がない。技術者たるもの確たる証拠でもって樹脂製であるということを証明しなければならない。大学のX線回折装置にかけようとか、密かに会社の分析に出そうかとか考えたが、あまりにばかばかしい。
そこでシーサーを福島に持ち帰り、折れた足をカッターで削ってみた。するとまるで木材を削るように削った跡がささくれ立った。もし石ならば粉末上にぱらぱらと落ちるはずである。
やはり樹脂製である。私の思いは確たるものになった。しかし、翡翠か樹脂かなどということはあまり重要ではない。用は友人がこうやって気遣ってくれることが最もありがたい。そして私はそれをおもいっきり仇で返した。それは相手が「イラハ」だからであろう。
ギター教室無料体験
横浜のヤマハに立ち寄った後、ふと見ると新堀ギター教室のファミリーコンサートの看板が立っていた。午後三時からだという。無料だというので、見に行った。
演奏は素晴らしかった。ギターをメインとしてピアニカやリコーダー、鉄琴などの合奏で「和気あいあい」と言った感じの暖かみのある演奏であった。雰囲気といい、テンションといい、なんとなく新歓コンサートを連想させた。
しかし本当に新歓だと感じたのはこの後である。コンサートが終わった後、演奏メンバーがやってきて私達にギターを教え始めたのである。ギターの持ち方から習い、最終的には「かえるの歌」を弾けるようになった。
かえるの歌を弾けるようになったときには、かなり無駄に誉められた。「10分でできるなんて凄い」「私はまる一日かかってもできなかったのに」といったノリである。まさに「エノメ太鼓」を叩いて誉められるのと全く同じ感覚である。
気恥ずかしさを感じると同時に、懐かしさを感じた。そして、新入生は大変なんだと思った。
メガネを直しに行く
福島に帰ったあと、どうもメガネが傾いてよくないため、メガネ屋に持って行った。
すると、「メガネの修理ならこの人だ」といった感じでベテランっぽいおっさんを紹介された。おっさんは一度私のメガネを持って行き、多少手を加えて戻ってきたが、全く直っていない。それを2,3度繰り返したが、一向にメガネは直らなかった。
するとおっさんはメガネの傾きを、私の眉毛が傾いているからだとか、私の耳の位置が左右でずれているからだとか、私の身体的要因を理由にし始めた。しかしどう見てもメガネは傾いている。そして以前は傾いていなかった。
そこで私は「直せないんだったら仕方ないからこのまま我慢しますよ。」と、おっさんを挑発してみた。するとおっさんは急にむきになって直し始めた。それまでいちいちバックルームに行って直していたのに、私の目の前でメガネをいじり始めた。私は直し方を聞いてみたが「お客さんは真似しない方がいいです」などと言っていた。
5分後、メガネは少し直った。まだ完全には直っていないものの、面倒臭くなったのでおっさんにお礼を言ってメガネ屋を後にした。
5月22日 深夜のNHK
お久しぶりです。最近「つぶやき」を書くたびに冒頭にお詫びの言葉を入れている気がする。更新しようとは思うものの、忙しくてなかなかできない。最近日が変わる前に帰ることはあまりなく、新聞もテレビも見ない世間と隔絶されたような生活を送っている。民研で言えば、夏合宿中の運営が毎日続くような感覚であろう。
そして最近は、NHKの番組がすべて終了した後の映像を見ながら寝ることが多い。NHKは番組が終了した後、美しい音楽とともに風景を流し続けるのだが、これがなかなか良い。映像は、名もない町の何気ない日常であったり、あまり知られていない史跡だったりするのだが、時折そのアングルが絶妙である。言葉による解説がないため、カメラワーク自体の細やかな表現が良く伝わってくる。
また音楽も良い。幅広いジャンルの名曲が流れており、思わず聴き入ってしまう。昨日は私の大好きなオカリナ奏者「宗次郎」の演奏であった。私はテレビの「お休みタイマー」を入れて寝た。
こういった風景を見たり、音楽を聴いたりしていると、さまざまな空想が沸いてくるようで心地よい。朝の無駄にハイテンションな番組なんかよりはよっぽどよいと思う。
久しぶりにしては短い更新だが、まあいい。これからもできる範囲で更新したいと思っているので、よろしくお願いします。
5月10日 GWのこと
またもやご無沙汰しております。ほぼ半月に一度の更新となってしまってしまい、申し訳ない。今日は、遅ればせながら、GWのことについて書こうと思います。
家族が来る
GWの前半、家族が白河に遊びに来た。久しぶりに家族四人揃ったのが、5月1日の午後二時頃なのだが、早速家族の息の合わなさを感じた。
「昼飯に何を食べようか」ということで意見が分かれたのである。母と妹はファミレスを主張し、父は白河ラーメンまたは白河そばを主張した。私はどちらかというと父よりであった。結局家族バラバラで昼飯を食べに行くという結論に達したが、父が望んでいたそば屋は開いておらず、家族4人で「サイゼリア」で飯を食べた。
その後も何を食べるとか、どこの温泉に入るとか入りたくないとか、かなりかみ合わないまま一泊二日を過ごした。
現在私の家族はみなバラバラに住んでいる。家族はやはり一緒に住んだほうがいいのかと思ったこともあったが、この一泊二日を過ごして、私の家族は「たまに揃う」くらいが丁度いいのかも知れないと思った。
プロレスを見に行く
GWの最終日、初めてプロレスを見に行った。メインイベントは橋本真也VS金村キンタローの有刺鉄線電流爆破デスマッチである。
午後五時開始ということで、五時から見ていたが、始めの方はいかにも前座という感じのつまらないものであった。時がたつにつれレベルは高くなるものの、あまり面白いものではなかった。私は最終の新幹線に乗るため、午後八時半には帰ろうと思っていたが、これらの前座が長引き、丁度メインイベントの直前で八時半を向かえた。
私はかなり考えたが、メインイベントを見ることにした。ここで橋本真也を見なければおそらく一生見ることはないだろう。
メインイベントの前、通常のロープから有刺鉄線に張り替える準備のため、30分程休憩があった。私はどんな仕組みで火薬が爆破するのかが気になったため、その準備をずっと見ていた。準備しているのは、私たちが学生時代やったような、人材派遣のバイト人であった。
見ていて分かったのは、「有刺鉄線に電流は流れていない」ということである。よく考えたら当然である。有刺鉄線に電流を流したら、あっという間にショートしてしまうし、たとえ流れたとしても放電して非常に危険な状態となる。それこそレスラーは間違いなく死ぬだろうし、観客にもその被害は及ぶ。
どうやら有刺鉄線にぶら下げてある火薬に導線がつながっており、その導線に電気が流れて火薬を爆発させるという仕組みらしい。それがレスラーがぶつかった衝撃で作動するのか、人が遠隔操作で爆破しているのかは分からなかった。しかも火薬はレスラーがぶつかるロープのセンター部を避けて設置されている。つまり大音量と発光はするものの、レスラーはかなり安全ということである。
とそんなことは忘れてメインイベントの橋本真也の試合を見た。橋本真也の圧倒的な強さと、その男ぶりに感動した。亡くなった冬木ナントカさんの遺骨を抱いて、自ら有刺鉄線に突撃する様は、非常に男らしいと思った。
プロレスラーに限らず、ある職業の頂点にあこがれてその道に進む人はたくさんいる。しかし、本当にその頂点に立てるのはごくわずかな人に過ぎない。その他大勢は、白ける観客を前に前座試合をしたり、売れないアイドル歌手が休憩中に知らない歌を歌ったりしているような、そのような現実である。もしかしたら、それでさえも恵まれている方なのかもしれない。人前に出ることさえできずに終わってしまう人ももっと大勢いるかもしれない。
私はある分野で頂点に立つには、「誰かを目指す」ようなやり方では駄目だと思っている。誰にも出来ないようなことを目指さなければならない。橋本真也の強烈なキックを見ながら、そんなことを考えていた。
ところで、プロレス会場は川崎球場だったのだが、そこにたどり着く際、競輪を終えた人たちがぞろぞろ帰っていくのを逆流するように歩いていた。
私は驚いた。あれほどの数のしょんぼりしたおっさんの顔を一気に見たことがなかったからである。そして、しょんぼりしたおっさんたちの中に、ごくわずかニヤニヤしたおっさんも含まれているのが印象的であった。
川崎はとても汚い町である。やはり競馬場と競輪場があると町は汚くなるのかと思った。
4月26日 近況について
ご無沙汰しております。今日は久しぶりに「つぶやき」を書こうと思い、筆をとってみたものの、何も浮かびません。何せ、最近は仕事をするか寝るかだけの生活で、面白みがないのです。今日はそんな中で、最近あったことを思いついた順に書こうと思います。
「親父の小言」のこと
現在我が家には「親父の小言」の額縁が飾られている。笑笑などの居酒屋のトイレのあれである。以前、実家に帰ったときに実家の押入れの中に置き去りにされているのを見つけ、せっかくだからと思い、我が家に持って来て飾ったのである。そのせいで、我が家は若干年寄り臭い雰囲気となっている。
私は「親父の小言」が好きである。「朝きげんよくしろ」に始まり、「初心は忘れるな」「大酒は飲むな」など、生活するにあたり基本的な注意事項が書かれている。あまりに基本的過ぎるから否定する気にもなれない。
私が一番好きなのは「人には馬鹿にされていろ」という言葉である。これを見ると安心する。人に低く見られたからと言って、むきになったり焦ったりする必要はない、自分のできる範囲でがんばっていればよいと言ってくれているようである。
最近知ったことだが、どうやら「親父の小言」の作者は福島のお寺の住職らしい。せっかく福島に住んでいるのだから、機会を見つけて行ってみたいと思っている。
通勤中のラジオ
最近出社する際、車の中でNHKのラジオを聴いている。ニュースも見ず、新聞も見ずの生活のため、せめてと思い聴いているのだが、これが最近は苦痛となっている。
ちょうど私が出社するときに「わくわくラジオ」という番組が始まるのだが、どう考えても年寄り向けなのである。この番組のコンセプトは「皆さんの声の行き交う番組」ということなのだが、読者からのお便りの主な内容は、孫が可愛くて仕方ないとか、最近の若者はどうなってるんだとか、そんな内容が多い。
その途中に入るニュースも、県内のニュースの場合は苦痛である。「福島県の今日の動き」のコーナーでは、どっかの小学校でバザーが開かれるとか、どっかの消防署で避難訓練が行われるとか、「福島県の今日の動き」というにはあまりに小さいのである。
そろそろ何か別の番組に変えようと思う。
木遣り唄奮闘記
最近アップした木遣り唄合唱のMP3が予想以上に反響を得ている。私の持っている音楽作成ソフトで生音の録音が出来ることが分かってからすぐに木遣り唄の合唱を作ろうと思い立った。
初めての録音では、とりあえず主旋律を歌ってみたのだが、半分も歌わないうちに見事に半音下がっていた。合唱経験者とはいえ、民研出身であったことをしみじみと思い出した。仕方なく、イヤホンであらかじめ作ってあったmidiを聴きながら録音した。我ながら情けないと思った。合唱で言えば、音の取れないパートの旋律を、仕方なくピアノで弾くようなものである。
部屋はもちろん閉めきっていたが、隙間の多い家のため、音はおそらく外にも漏れていたであろう。日曜の昼間に一日中「イェ〜」とか「ワッショイ」とか聴こえてきたら近所の人はさぞかし不信に思ったであろう。
いったん完成したので、保存しようとしたら、なんとパソコンが止まってしまった。どうやらファイルが重すぎて処理しきれなかったらしい。再起動しファイルを開いてみるとせっかく作ったファイルが壊れていた。
かなりへこんだ。もうやめてしまおうかと思ったが、この日に作らなければ多分一生作らないだろうと思い、今度はこまめに上書き保存しながら作っていった。
四苦八苦後、完成したときには頭が痛くなっていた。合計5時間くらい歌っていたことになる。上手くハモっていないところは多々あるが、もうどうでも良くなっていた。辛かったものの、久しぶりに楽しく有意義な一日であった。次はどうやって遊ぼうかと思案中である。
ここまで書いて、力尽きた。久しぶりの「つぶやき」であるが、これだけ書くのに異常に疲れてしまった。しかも、読み返してみると、かなり拙い文章となっている。原因は、どうしても「つぶやき」に書きたくなるような面白いことに出会ってないからであろう。
4月17日 風呂が沸騰する
私は最近朝風呂を心がけている。その手順は次の通りである。
目が覚めたら風呂を沸かし始める。
↓
タイマーを15分後にセットして二度寝する。
↓
15分後再び起きて、風呂をかき混ぜ温度ムラをなくす。
↓
再度タイマーを15分後にセットして三度寝する。
↓
15分後再々度起きて、風呂に入る。
いつもはこの手順で上手くいくのだが、昨日、三度寝したときにうっかり寝過ごしてしまった。一時間後くらいに慌てて風呂へ行くと、風呂がボコボコ煮えくり返っていた。私はかなり驚き、慌てて火を止めた。表面を見ると湯垢もたくさん浮かんでおり、悲惨な状況であった。我が家の風呂が血の池地獄と化してしまったようであった。到底風呂に入れる状態ではなかったので、仕方なくそのまま会社に行った。
会社から帰って、風呂を見るとやはり湯垢が大量に浮かんでおり、湯を入れ替えることにした。なくなっていくお湯を見ながら、私はあることに気付いた。
風呂がきれいになっているのである。普段ならば洗剤でこすらなければヌメヌメが取れないはずなのだが、すでに「きゅっきゅっ」とした手触りであった。また普段は掃除のできない風呂釜の奥にも手を入れてみたが、いつもよりもきれいになっているようである。
これは棚からぼたもちだと思った。熱で殺菌されたのであろうか。定期的にこれを行えば風呂がきれいに保てるかも知れない。後は二度寝には気を付けようと思った。
4月13日 実家にて
この週末は密かに実家に帰っていた。もともと帰るつもりはなかったのだが、若干疲れていたため、実家でゆっくり過ごそうと思い、土曜の午後四時半頃の新幹線にて実家に向かったのである。帰る前に実家に電話を入れると、インド・タイをバックパッカ―として二ヶ月旅行してきた妹が、「インドで知り合ったお笑い芸人が今日舞台に出るねんけど、来うへんか。」と言ってきたので、面白そうだと思い、新宿で待ち合わせをして見に行くことになった。
舞台は新宿の繁華街からちょっと外れた通りにあるこじんまりとしたところで、アットホームな雰囲気が漂っていた。「WAHAHA本舗」というお笑い集団の舞台で、妹がインドで知り合ったお笑い芸人は「コラーゲンナントカカントカ」みたいな名前なのだが、彼以外にも十組くらいの人たちが出場していた。
「コラーゲンナントカカントカ」は舞台のトップバッターであり、自分がインドで経験したことをつばを撒き散らしながら真剣に語っていた。「インドネタ」というと、なんとなくインドをバカにしたようなことを言うのかと思っていたが、違っていた。彼の語る言葉は常に真剣であり、お笑いにも関わらず、心打たれるものがあった。「涙あり笑いあり」などという言葉で片付けてしまいたくないほど、伝わってくるものがあった。おまけに面白かった。
彼以外の人たちも面白いもの面白くないものいろいろあったが、共通しているのはみんなすごく真剣であることだった。お笑いを生で見るのは初めてだったが、彼らから少し元気をもらった気がした。
家に着いてからは、母と妹と三人で居酒屋に飲みに行った。飲みながら、久しぶりに家族でいろいろな話をした。こういう機会は非常に久しぶりである。妹はついこの間まで旅行していたし、私も神奈川に帰ってきても、こんなに家族とゆっくり過ごすことは案外少ない。疲れが癒されていくのを感じながら、久しぶりに気持ちよく酔っ払っていた。
実家に帰ると、ブンチョウのヒナがいた。私はびっくりした。実家にはすでに手乗りのサクラブンチョウがおり、なぜ今になってヒナを飼うのかと思った。その理由は少々面倒臭いのでここでは割愛する。
実家に前からいるサクラブンチョウの方は、家族から「不細工」の烙印を押され、「テリー伊藤に似ている」などと、およそブンチョウになされるものとは思えない評価を受けている。比べて新しく来た白ブンチョウのヒナの方は、どちらかと言うと美人顔で、家族の評価は高い。「鳥の顔なんかどれも同じだろ」と言う方もいるかと思うが、人間がそうであるように、鳥の顔も確かに違う。サクラブンチョウの方は、現在やきもちを焼いている。
日曜日、白河に戻るため、新幹線のホームに行った。ホームで「駅弁を買おう」と思い立ち、駅弁屋へ向かった。普段は駅弁などあまり興味はないのだが、今日はなんとなくそんな気になったのである。そして、「東京弁当」という1600円もする弁当を買った。1600円と言えば、飲み会一回分である。学生時代には到底考えられなかった、とてつもない贅沢である。
席に座ると、弁当を食べた。確かに美味しかったが、1600円もするほどのものではなかった。しかし、1600円もする弁当を食べながら過ぎ行く東京の夜景を見ていると、非常に満足した気分になれた。
実家に帰って、疲れを癒すことが出来た。また明日からがんばろうと思う。
4月6日 今年度初のつぶやき
ご無沙汰しております。気付けば半月以上も更新しないまま放っておいてしまいました。せっかく足を運んでくださる方々には申し訳ない。今日は近況をいくつか書くことにします。
オーディオファイルで遊ぶ
今日、私の使っている音楽作成ソフトに新しい機能が付いていることが分かった。生音を録音し、重ね合わせて再生できる機能である。
これを上手く使いこなせば、一人でいろいろなパートを受け持って、一人で音楽の演奏を作ることが出来る。非常に楽しみであった。
とりあえず手始めに、間宮の合唱曲「知覧節」の冒頭のアルト主旋の部分でテストしてみることにした。この歌は大好きだったため、全パートを歌えるからである。まずアルトの「おんないだ〜け〜か〜ら〜」の部分を歌い、それに合わせてテノールとバスのハーモニーを付けていった。しかし、実際歌ってみると音やリズムが上手く取れず、ブランクを感じた。
重ね合わせてできた合唱は、民研時代の活動の合わせを彷彿とさせるものだった。男声パートのハーモニーは牛の唸り声を連想させた。みんな今どの部分を歌っているのか分からず、リズムと音程を取るのに精一杯で、もちろん指揮など見れるはずもなく、楽譜にかじりついて歌っているようであった。テナーが音を外すさまも上手く再現されており、大練にワープしたような錯覚に陥り、懐かしさすら感じた。
ともあれこういうことが出来ることは分かったので、何か一曲作ってみようと思い、曲を探した。男声合唱で、全パート歌える曲を探したところ、私が追いコンで作った「木遣り唄」の合唱が見つかったので、早速歌を入れ始めた。
四苦八苦三時間後、何とか録音は完成した。この曲は、ご存知の方もいると思うが、最後に「ワッショイ」とか「ダンダダンダ」とか掛け声を入れて、ハイテンションで終了する曲である。一人でパソコンに向かって四人分の掛け声をハイテンションで録音していた。しかし、ふと気付くと、ハイテンションな自分を冷静に見ているもうひとりの自分がいて、むなしさを感じた。
録音したのを聴いてみると、とりあえずはハーモニーになっていた。歌っている声はすべて私の声で、私がたくさんいるようであった。
ともあれ非常に楽しいひとときであった。これからも何か楽しいことに使ってゆきたい。
今年度の目標
実は、大学時代の隠れサークル「笛部」をアマチュアの音楽サークルとして再結成し、演奏活動を行っていきたいと本気で考えている。「笛部」は、以前はリコーダーだけだったが、最近手に入れた尺八やフルート、テナーリコーダーなど上手く使って何か出来ないかと思案中である。
社会人になってからも、なんらかの形で音楽に関わって行きたいという思いは常にあり、その結論である。私は今、音楽に飢えている。一人で作る分にはパソコンでもかなりのことはできるが、複数人でああでもないこうでもないと言ったり、息を合わせて演奏したりする方が断然おもしろい。
忙しくて時間がないというのは、言い訳である。
誰が言っていたかは忘れたが、「時間は『ある』ものではなく『つくる』ものである」という言葉を、私は非常に大切にしている。いくら自由な時間があってもそれを有効に使えない人もいれば、いかに忙しくても、その中で上手く自分の時間を作り出し、有意義に過ごしている人もいる。私は後者になりたいと思う。
とりあえず自分への戒めのつもりでこの「つぶやき」を書いてみた。
走る
今日は久しぶりに走った。隣り駅までの切符を買って電車に乗り、隣り駅から我が家まで走って帰ってきたのである。最近運動することが少ないため、どのくらい走れるかは心配であった。
走り始めは、結構きつかった。いつもよりもすぐに息が上がり、ペースも落ちた。しかし、ある程度以上走ると、疲れなくなった。走る感覚を思い出したようである。
結局4キロほどの道のりを一度も歩くことなく家までたどり着くことができた。やはり走るのは楽しいものだと思った。
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