2012年
7月のつぶやき




7月29日 シャツを茹でる

 私の着ているTシャツの中に、洗った後は問題ないのだが、着て汗をかくと臭いがするものがある。特定のシャツのみこの現象は起こり、実に不思議だと感じていた。ネットで調べていると、樟脳が効くとか、ミョウバンが効くとか、色々な対策がある中で、「鍋で茹でるとよい」という極めてシンプルな対策があった。

 早速、妻に、Tシャツを茹でてみたいというと、妻は、別に構わないがその前に専用の鍋を買って、それでやってくれと言った。Tシャツを茹でた鍋で食品を調理するのが耐えられない、と言う。私は、それは勿体無いと思った。洗濯済みのTシャツを茹でようと思っていたし、洗えば特に問題ないじゃないかと反論したが、どうしても駄目だという。

 これは感覚の違いだろうし、たぶん私の感覚の方がおかしいのだと思い、とりあえずは保留とした。


7月28日 ドリアン専門店

 今日は、家族でジャカルタをうろうろして過ごしたのだが、その中で、会社の現地社員が教えてくれたドリアン専門店に行ってみた。タドコロサンの家のすぐ近くですよ、というが、本当に歩いて行ける位の近いところにあった。

 中では、この道何十年といった感じの味のあるオッサン達がドリアンを売っていた。目の前にあるドリアンの山の中から、良さそうなのを選んで、割ってくれ、少し実を取り出して味見させてくれる。ドリアンにも色々あるらしく、かの現地社員によれば「ドリアンモントン」というのが美味しいと教えてくれたのだが、あいにく今は無く、「ドリアンメダン」というものだけであった。とりあえず、この「ドリアンメダン」を二つ買った。

 その他、「ドリアンチップス」に「ドリアンアイス」と、ドリアンを使ったお菓子が並んでいる。中にはイートインコーナーもあり、買ったばかりのドリアンをその場で食べることも出来るらしい。

 家に帰って食べれば、美味しかった。これからも通うことになりそうだ。


7月27日 故郷の感覚

 今日、民研の後輩ヤスがインドに赴任したと聞いた。同期のミヤチはフィリピンへ、シゲオはドイツへ、そして私はインドネシアにいる。民研の仲間が世界に散っていく。望む、望まないに拘わらず、この傾向は今後しばらく続く気がする。

 私は、東日本大震災の直後にインドネシアに赴任した。その半年後、妻と娘も来イした。妻としばしば話すのは、「故郷の感覚」についてである。

 転勤族だった妻や、小学生時代に転勤した私、そして就職後もあちこち行った私たち夫婦にとって、「故郷の感覚」が希薄である。原発の事故で自分の故郷が汚染され、故郷に帰りたくても帰れない人たちの気持ちは分かる。頭では分かるのだが、恐らく心の底からは分かっていない。もし自分に置き換えたら、真っ先に他の安全な場所に移動し、そこで暮らすであろう。

 自分は、本来人が持つべき大切な感情を持っていないのだろうかと、思うことがある。そして、非常に複雑な感覚だが、汚染された故郷へいつか帰りたいと願う人たちに対して、憧れの念を抱くのである。

 一方で、世界に散った上記の友人たちとどこで会おうかと、胸をときめかせるのである。


7月12日 逆の立場

 また、妻と夕食を食べながら議論した。

 尖閣諸島を都が買うか国で買うか、揉めているという。尖閣諸島を埼玉の地権者から都が買う以降を示したことを受け、野田首相は国有化の意向を示しているという。私はよく分からない。尖閣諸島が私有地か国有地かと、そもそも尖閣諸島がどの国に属するかは全く次元が違う気がする。

 逆の立場に立てばどうだろうか?北京市の市長が尖閣諸島を中国人の誰かさんから購入すると言い、それに対して温家宝首相がやはり国で購入しようと言い出す。そんなニュースが流れたとして、私たちが感じるのは、「よく分からないけど、尖閣諸島は日本なんですけど」ということであろう。それと同じくらいのばかばかしさを中国国民は感じているであろう。

 領土問題の難しさは、お互いの国および国民が、本気でその土地は自分の領土だと思っていることである。私は日本人だから、尖閣諸島は日本の領土だと思っているし、それに対する中国の反論は、胡散臭いものだと思っている。その思いと同じくらいの強さで、中国人は尖閣諸島を中国の領土だと思っているのである。

 一方で、中国、日本どちらにもいえることだが、国民の99.9%は、尖閣諸島が例えどちらの領土であったとしても、実利的な害は全く無い。領土問題は、感情的な要素が大いにある。だからこそ、冷静でいなければならないし、毅然とした態度で主張していかなければならない。

 そして、こと領土問題に関しては、問題を一気に片付けようとしたり、「白黒はっきりしようじゃねぇか」といった態度は、非常に危険だと思うのである。


7月9日 夕食にて

 今日、家に帰って夕食を食べながら、妻と議論をした。以下それを羅列。

 小沢氏が民主党を離党して新党を結成する方針であることについて、意外に世間の目は冷たい。自民、公明、民主が消費税容認に対し、真っ向から反対する小沢氏は、もっと庶民の味方として支持されてもよいだろう。消費税増税の世論調査は、半数以上が反対にもかかわらず、増税反対を真っ向から打ち出した小沢氏が支持されないのはどういうわけだろう。もしかしたら国民は、政策の良否ではなく、フィーリングで判断しているのかもしれない。

 私も妻も、増税はある程度仕方ないんじゃないかと思っている。少子化だし。ということで少子化の話へ。

 そもそもなぜ少子化になったのか。ひとつは女性に社会進出により、女性がキャリアを重視するようになったことがあるだろう。それにしても、「できちゃった結婚」というのは、何故いけないことなんだろう?少子化の観点からすれば、素晴らしい出来事のように思う。

 それは、しかるべき手順を踏んでいないから認められないのだ、と妻は言う。しかし、その「しかるべき手順」はどこから来たのか?日本は元々夜這いの文化である。ブータンなどに行けば、男女が交わっている姿の仏画もあるほどであり、性に対して大らかである。

 一方、キリスト教やイスラム教では、こういうことに厳しい。婚前交渉や不倫は死刑となる場合すらある。異性を情欲の目で見ることだけで罪だという考え方さえある。こういった文化の差はどこから来たのであろうか。

 それは、父系社会か母系社会かによるのではないか、と妻が言った。今日の妻は実に冴えている。父系社会であれば、妻が他の男と交わって出来た子は、一族の子ではないのに対し、母系社会であれば、妻が誰と交わって子を作ろうが、その子は全て一族の子となる。日本は基本的には父系社会だが、母系社会の風土があるのかもしれない。

 そんな話をしながら妻とのんびり夕食を食べた。


7月4日 コロッケタルタル

 昨日の夕食で、コロッケが出た。ソースをかけて食べたら、美味しい。コロッケを食べていると、ふと高校時代のことを思い出した。

 高校の学食では、コロッケが名物であった。部活が終わった後、学食でコロッケを食べたものであった。中でもタルタルソースをかけた「コロッケタルタル」が美味しかった。部活の後でジュースを飲みながら食べるコロッケは至福の時を与えてくれた。

 そういえば、学食では、「インチャ」と呼ばれるメニューがあった。「インディアンチャーハン」の略だが、それでもどのような料理か想像できないだろう。要するに、チャーハンにカレーをかけただけのものである。今思えば、素晴らしいネーミングセンスである。

 続いて、妻と学生時代の話をする。今ではyoutubeなどで、地方の伝統芸能をいくらでも見ることが出来る。民研に伝わっている太鼓や踊りが現地ではどのようなものなのか、すぐに見ることが出来るのは、本当に凄い変化だと思う。

 私たちが学生の頃は、現地まで行かないと見られなかった。宿も取らずに祭の日に三宅島に行き、祭を見て興奮し、夜はテントを張って海で寝るという旅行をしたものであった。

 というような話をしみじみしたが、すでに10年以上も前の話であった。意外に世の中の変化は早い。


7月1日 ブロックM縁日祭

 今日は、ブロックM縁日祭に行った。ブロックMは、別名リトル東京とも呼ばれ、ジャカルタでも日本人がよく利用している。今年は神輿を担ぐつもりは無かったのだが、柔道部の成り行きで今年も担ぐことになった。

 神輿や山車は結構立派で、出店も沢山有り、本当に日本の縁日に来たような気分になれる。ただ、日本と違うのはコスプレをしている人がやたら多いことである。日本では普通、縁日でコスプレはしないだろう。

 そんな中、凄まじいコスプレを発見した。ただ、ダンボール箱をかぶっただけのガンダム。もはやコスプレと言えるかどうかさえ怪しい。

ちなみに、後ろには「made in china」と書かれており、妻と爆笑した。それでも、結構一緒に写真を撮ってもらっており、面白かった。

 神輿は、疲れるけど楽しい。やはり、神輿を見ている人たちの目の輝きが日本とは全然違う。インドネシア人にとっては珍しいものなのだろう。というか、インドネシア全土に神輿はここだけなのかもしれない。

 それにしても、日本の祭ではどこにでもいる、ちょっと柄の悪いオッサンとか、法被が似合うネエチャンとか、そういう日本人がジャカルタにもちゃんといるのは本当に不思議である。普段生活していても、そういう人たちにお目にかかることはまず無い。妻ともども「普段はどこにいるんだろう?」と疑問に思った。

 山車の上では、子どもたちが太鼓を叩いている。JJSに通うアパートの女の子が太鼓部に所属しており、山車の上で演奏していた。演奏は、最近流行の創作太鼓であった。せっかく太鼓部をやるんだったら、伝統曲を教えればいいのに、と思う。八丈太鼓をやって、八丈島はどこにあるの?とか、太鼓は流刑された人から生まれた太鼓だとか、色々調べれば、日本を離れて暮らす子どもたちにとって、日本を見つめるいいきっかけになるだろう。

 帰りは、久しぶりに日本食スーパーで寿司と刺身を買って、妻と家で食べた。美味しかった。
 

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