2012年
8月のつぶやき
8月30日 長い一週間
今週は、一週間が長い。家族がいないと、時間が長く感じる。
昨日は、運転手と一緒にミーアチェの店で外食した。アチェ地方風の焼きソバである。ガイドブックによると、この店の名物は、カニが丸ごと一匹乗った焼きソバ(ミー スペシャル クピティン)であ。そのインパクトのある外観が見たくて注文したところ、すでに売り切れとのことであった。仕方なく、エビ入り焼きソバを食べた。
味は、いかにもB級グルメといった感じで美味しかった。噂によれば、美味しいミーアチェには、調味料として大麻が入っているらしい。そのために病みつきになるそうである。確かに美味しく、また食べたいと思う。
今日の夕食は、いつもの通りキャベツ炒飯とキャベツ味噌汁、クルプックであった。我ながら飽きることなく食べている。今日は、炒飯には明石名物のイカナゴの釘煮を入れ、和風の味付けにした。
そして、毎日ストレッチをやっている。体の硬い私が、毎日ストレッチをやることで、どこまで柔らかくなれるか試しているのである。
本当に、長い一週間である。
8月26日 しばしの単身赴任生活
今のところ、妻子はまだ日本にいるため、私ひとりで生活している。以下、それについてだらだらと書く。
食事については、初出勤日は、運転手にナシゴレンの美味しい屋台に連れて行ってもらい、そこで済ませた。本当に美味しく、これで160円程度だから非常に経済的である。これからも平日は、「運転手グルメ」にあやかろうと思っている。
土日の食事は、キャベツ炒飯とキャベツの味噌汁、それにクルプック(インドネシア風海老煎餅)ばかり食べていた。キャベツを一個買うと、なかなか長持ちするため、他の野菜を買う気になれないのである。あとは、上記のナシゴレン屋台の隣でテイクアウトした「マルタバ」(インドネシア風揚げお好み焼き?)を食べていた。私は、一人暮らしだと肉を殆ど食べない。さすがに肉も食べなければと思い、柔道の練習後は、焼肉定食にした。
家事もこなしている。私は、意外に家事が好きらしい。色々家事をしていると、気になることがあった。まずは、ガスコンロ。強火にするとガスボンベから異常な振動音がするのである。インドネシアのガス事情は、私は相当危険だと思っている。ガス爆発の事故はあるし、気付いたらガスが無くなるペースが早いとか、しばらく家を空けたら部屋がガス臭くなったとかいう話はよくある。なんせ、ガスボンベの交換をするのは、専門の業者とかではなく、スーパーの兄ちゃんとかであり、彼らも専門の知識を勉強したわけではなく、なんとなくの経験で交換しているのみなのである。
心配しすぎかも知れないと思ったが、気になるので、アパートのメンテナンスに来てもらい、状況を確認してもらった。どうやらジョイントが汚れていたらしく、セットし直したところ、異音は収まった。その他、風呂についても若干問題があったので、見てもらい、後で修理してもらうことにした。
衣類については、先月の「つぶやき」に書いた、Tシャツの消臭実験をしてみた。特定のTシャツのみ、着ていて汗をかくと臭いを発する件である。
案@Tシャツを茹でる(妻の要望により安い鍋を買った)
案A防虫剤を買い、スーパーの袋にTシャツと多めの防虫剤を入れて口を縛り、しばらく放置する。
いずれも、すでに洗濯して干してある。結果が楽しみである。
8月25日 無題
休暇で実家を回ると、祖父母の状態が良くないことを感じた。特に、母方の祖母の具合が悪かった。昨年会った時よりも痩せていて、私がいる間、殆ど何も食べず、うつむいていた。私のことは、最初誰か分からなかったようだが、幸一郎ですというと、思い出したようだった。夕方から、機嫌が悪くなり、怒りはじめた。怒っている祖母は、祖母の本質とは全く関係ないことに思えた。その内には、優しくて、おしゃれ好きな祖母が変わりなくいるということを感じた。祖母を支える叔母も大変そうだったが、大変だとは一言も言わず、相変わらず明るく陽気な叔母に、強さを感じた。
私は、ひとつの誓いを立てなければならないと思った。それは、私の妻が、将来どのような風貌になろうとも、私にどのような呪いの言葉を向けようとも、私は妻を愛するということである。私は、容姿の美しさで妻と結婚を決めたわけではない。性格の良さで妻と結婚を決めたわけでもなければ、器量の良さでもない。ただ、一生を共に生きると決めたから結婚したのである。
そんなことは、当たり前のことである。そんな当たり前のことをあえて記すのは、将来、私がそんな当たり前のことを忘れないようにするためである。
8月25日 レバラン休暇
今日、1週間のレバラン休暇を終え、ジャカルタに戻ってきた。とりあえず現在は私ひとり、妻子は1週間後に戻る。
相模原の母の家に始まり、神戸の母方の祖父母、明石の父と祖父、そして福岡の妻の実家と、割と忙しく過ごした。忙しいとは言っても、それぞれの家に着いたらのんびり話をして、美味しいものを食べて、という流れであるから、まあ大したことは無い。
それぞれの実家では、サチコが母の歌伴奏によりNHKの「いないいないばぁ」や「おかあさんといっしょ」などで覚えた歌や踊りを披露するという、まるで旅芸人のような休暇でもあった。
日本に行って感じたことは、まず、美しいことである。道にごみは落ちていないし、渋滞があっても割り込んだりせずに整然としている。2つ目は、食べ物が美味しいことである。そして、スーパーに行って妻と感動した。並んでいるものはどれも美味しそうで、なんと豊かなところだろうかと思った。一緒に行った家族は、どうしてスーパーごときでそんな感動してるのかと、不思議がっていたが、高級和食を食べるよりも、スーパーで買った食材で普通に料理して食べることに羨望を感じた。
アンパン教
サチコはアンパンマンが大好き、というよりは、何かの宗教にはまっているんじゃないかと思うときがある。まさに「アンパン教」である。
レバラン休暇中、そんなアンパン教の聖地「アンパンマンミュージアム」へ。横浜の高島町で降りて歩けば、アンパン教の信者たちが吸い込まれる様にアンパンマンミュージアムに入っていくのが確認された。また、「教祖様」の風船やポップコーンを携え、満足した表情でアンパンマンミュージアムを後にする信者たちもいた。
アンパンマンミュージアムに着くなり、サチコは目を輝かせた。まずは、入り口にあるゴミ箱に書かれたアンパンマンの絵の前で「アンパンマーン」と絶叫し、その後、360°アンパンマンで埋め尽くされた世界に大興奮であった。その後、千円払って館内へ。次々と押し寄せるアンパンマンの波状攻撃に、サチコは我を忘れてはしゃぎ続けていた。
気付けば、いたるところからサチコと同じように「アンパンマン」を絶叫する信者たちの姿があった。何が、ここまで子どもたちを興奮させるのであろうか。
その後、アンパンマングッズを買いにショップに入った。あらゆる物品に「教祖」アンパンマンのデザインが施されていた。こうなればお布施のようなものであろう。
8月14日 柔道と私
ジャカルタに来て、柔道を再開している。およそ14年ぶりである。毎週、日曜日に楽しく練習し、充実した生活を送っていると感じる。
柔道を始めたのは、中学1年のときであった。そこから中高一貫校で、高3で引退するまでの5年と少しを柔道で過ごした。入部した理由はよく覚えていないが、たいした理由は無かったと思う。ちなみに、入部したときの体重は35kgで、懸垂は一回も出来ないくらいのひ弱な体格であった。
私が入部したときは、練習は緩かった。乱取りは3分x5本。「突き上げ」と呼ばれる柔道独特の腕立て伏せは50回であった。顧問の先生はたまに来て、「ちゃんとやっとるかー」みたいなことを言っていた。私が中3のとき、当時高1だった先輩が、「オレが部長になったら練習を厳しくする」と言った。乱取りは3分x8本位にして、トレーニングも増やすと。私は大変になるなぁと思っていた。
ところが私が中3のとき、新任の先生が来た。一気に乱取りは4分x10本になり、突き上げの回数は200回になった。かの先輩も、きつすぎると文句を言っていた。お陰で、私たちの高校はそこそこ強くなったものの、県大会より上に行くことは出来なかった。
高1のとき、初段を取った。初段を取るまでが大変であった。他の人はすぐに黒帯になるなか、私はなかなか昇段試験で勝てず、焦った。ある朝、暗い気落ちで何回目か分からない昇段試験に行くとき、母が声をかけた。何と声をかけたかは覚えていないが、私はこらえきれずに涙が出た。確か、その日、ふっきれて勝つことが出来た。
今でも柔道の才能は無いなぁとつくづく思いながら練習をしている。それでも、やっぱり高校時代に体で覚えた感覚が残っている。体が勝手に動く感じが楽しい。貴重な財産を得たんだなぁと、つくづく思う。
サチコにも柔道をやらせたいと思っている。中学の必修科目になることで、柔道による死亡事故が多いことが指摘されている。確かに危険が全く無い訳ではない。しかし、柔道の事故数は数えられても、柔道をやっていたお陰で(例えば受身が出来たとか)命が助かった数はデータにはならないだろう。私は、後者の方が実は多いのではないかと、勝手に思っている。
柔道は、オリンピックでも日本のお家芸と言われ、メダルの数が少ないと容赦なく非難されるくらいのポピュラーな格闘技となった。一方で、「スポーツ」と呼ばれることを嫌い、ただ勝つだけではなく、美学まで要求される深みを持っている。そんな競技を楽しめることは、本当に幸運だと思う。
8月9日 最近のこと
昨日は、会社の帰りにブロックMスクエアの前の運転手のお奨めのカキリマ(移動式屋台)へ寄った。
ここは夜だけ営業する屋台街で、非常ににぎわっている。いたるところからいい匂いがしてきて、実に楽しそうであった。ここで、サテパダンとベベックゴレンを買って帰った。サテパダンについては、通常のサテ(焼き鳥)が鶏肉にピーナツソースなのに対し、サテパダンは牛のモツやタンにカレー味のソースで食べる。妻とウマいウマいと言いながら平らげた。
インドネシアに来た当初は、カキリマのものを食べるのはためらっていたが、評判のいいカキリマは本当に美味しい。それに対して、よくお客さんが来たときに行くような高級インドネシア料理店は、全然美味しくないのである。値段と味は必ずしも比例しないんだなぁと思った。
8月5日 最近のこと
日本ではオリンピックで盛り上がっているようだが、私の周りではそういう盛り上がりが殆ど無い。新聞で結果を知るのみで、動いているオリンピックの映像を見ることは全くない。NHKをつけても、最近は「ちい散歩」みたいな紀行番組ばかりで面白くない。今週末は、「巨大生物を追え」みたいな番組をやっていて、マッコウクジラ対ダイオウイカの戦いが見られるかと思ったら、結局ダイオウイカの撮影も出来ず、多少落胆して今に至る。
昨日は、予防接種を受けに病院に行った。A型肝炎、B型肝炎、狂犬病について、計3回接種しなければならないのだが、赴任前に時間が無く、3回目は現地で受けてくださいと言われていたのであった。しかし、赴任後のバタバタで忘れており、前回の人間ドックの際、肝炎については、免疫が出来ていないと言われた。
初めて知ったのだが、予防接種は、決められたとおり続けて打たないと、効果が失効してしまい、最初からやり直しになってしまうのである。仕方なく、もう一度計画を立てて受け直すことにした。駐在員によっては、医療レベルの低いインドネシアで予防接種を受けるのは、危険だから嫌だと思っている人もいるが、考え方の違いであろう。予防接種に高い医療技術は必要ない。
私は、滅多に罹る病気ではないからこそ、そして万が一罹った際に命を落とす病気だからこそ、きちんと受けておくべきだと思っている。
今日の柔道の練習には、柔道着を着たスウェーデン大使が現れた。彼はなんと、1992年のバルセロナ五輪に柔道選手として出場したらしいのである。何も知らずに練習したが、とてつもなく強かった。
それにしても、オリンピック選手として活躍した後、大使になるとは、文武両道の極みだと思った。
柔道を教えてくれる先生は、インドネシア人の女性と結婚したため、イスラム教に改宗しており、ラマダン中は断食をしている。日が昇る前に食事をし、日が沈むまでは一切の飲み食いをしないのである。それでも、普段どおり練習をし、休憩中は水も飲まず、練習後の食事には一緒に来て、周りの人がビールを飲んだり食事をしたりするのをニコニコ見ながら楽しく話をされている。
凄い精神力だと思う。妻は、そんな先生を見て、まるで武士だ、と絶賛した。
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