2012年
9月のつぶやき
9月24日 いつも何度でも
会社の先輩から教えてもらった、youtubeの動画に感動した。ウクライナの歌手の歌う「いつも何度でも」である。
http://www.youtube.com/watch?v=ry_WACFd8Ds
驚いたのは、これは歌番組とかではなく、「視点・論点」という論説番組だということである。論説番組でこういう内容にしたのは、NHKの担当者は相当勇気が要ったことであろうし、思い入れも強かったのであろう。こんなに心に響く提言がありながら、原発事故を起こしてしまったというのは、本当に残念である。
9月23日 無題
若干、落ち込んでいるので、ここにぶちまける。かと言って、実際上は特に問題がある訳ではないので、心配は無用である。時々、こういうことは誰でもあるだろう。
・仕事では、本当に役に立ってるのかと思う。それどころか、私の言った事が逆効果となったり、人を傷つけたりしているのではないかということも考える。
・最近、柔軟体操を始めたが、あまり柔らかくなっている実感が無い。目標は180°開脚であるが、程遠い。それどころか、柔らかくなっている実感が無いのである。柔軟をやっていると柔らかくなってくるものの、次の日にもう一度やろうとすると、元に戻っている。そして、昨日と同じくらい柔らかくなったところで、疲れて終わってしまう。
・柔道も最近伸び悩んでいる。私は、昔から姑息な技ばかりやっていて、豪快に投げるような技を持っていない。そういう技を身につけたいと思って、練習しているものの、そういうことを意識すればするほど、何も出来なくなってしまう。
・最近、人とも上手く話せなくなっているように思う。人によっては、小さいときから話し上手で、殆ど先天的な才能ではないかと思うような人もいる。私自身、子どもの頃より人と話すのが苦手で、そういう人が羨ましかった。私のコミュニケーション力というのは、ほぼ啓発本などで得たスキルであり、大人になってから得たものである。だから、ちょっと意識するのを怠ると、すぐに元に戻ってしまう。
上記のように実に下らないことを、時々うじうじと考えている。
9月15日 報告
8月のつぶやきに書いた、Tシャツの消臭実験の結果報告。実験は以下の2種である。いずれも、以下の処置後、通常通り洗濯し、通常通り着てみて、臭いを確認した。
@Tシャツを茹でる(約5分間)
A防虫剤とTシャツを一緒にレジ袋に入れて縛り、放置する(2日間)
その結果、いずれも消臭効果が確認された。いずれのTシャツについても、一日着てみたが臭いは全く感じられなかった。また、Aについては、バスタオルでも実験してみたが、明らかな違いがあった。
シャツを茹でるのは意外に労力が要り、また火傷のリスクもあるので、Aの方が断然簡単である。袋から出した瞬間は、防虫剤の臭いがするものの、洗濯して干せば臭いは消える。使った防虫剤も、2日間くらいでは殆どなくならないため、袋に戻して密封しておけば何度でも使える。もしかしたら1日間でも効果があるかもしれないので、試してみようと思う。
同じ悩みをお持ちの方はお試しあれ。
9月14日 チフスに感染する
先週金曜日、熱が出て喉が痛むので、風邪をひいたかと思い、土日安静にして寝ていたが、月曜日になっても熱が下がらない。
月曜日、しつこい風邪だと思って、病院で薬をもらえばすぐに治るだろうと思い、出社前に病院に行ったところ、チフスに感染していた。チフスは腸の病気だから、腹痛や下痢の症状だと思っていたが、実際の症状は熱、喉の痛み、そして若干の便秘。ほぼ風邪と同じ症状である。
医者に言われたのは、野菜、果物の食べ過ぎは不可、ビタミンC、食物繊維は控えめに。うどん、ピザ、パンもNG。食べていいのは、米、肉、魚、とのこと。どうも他の病気とは感じが違う。健康そうな食品がことごとくNGなのは実に意外であった。そして、1週間は安静に。運動も不可。もし腸が破裂して出血したら手術ものだよ、と脅された。
火曜日、会社を休んだ。妻はチフスについて色々ネットで調べており、「チフスのメアリー」という、健康ながらチフス菌を出し続ける「排菌者」の話や、チフスになると高熱により「チフス風貌」と呼ばれる、無気力な顔になるとか、高熱時に体に斑点が出来るとかいう話をしてくれた。私は「チフス風貌」にはならず、斑点も起こらず、快方に向かった。
水曜日、出社した。駐在員には、もっと休んでろと言われた。あと、カキリマで変なもの食ってるからなるんだとも言われた。ただ、現地人の殆どは、チフスが食品や水から感染するものだとは考えていないようだ。疲れていたり、食事のリズムが不規則だったりするとチフスになると思っている人が多い。確かに症状が風邪とほぼ同じだから、食べ物から来るという感覚はなかなか湧かない。私の場合は、両方であろう。妻子が戻るまで、割と適当な食事を摂っていて、体が弱っていたのかもしれない。また、インドネシアではチフスになるとミミズ、もしくはミミズから作られた薬を飲むらしい。田舎ではミミズを食べるという。冗談かと思ったが、何人かに聞いたら同じような答えが返ってきた。
木曜日、金曜日、普通に仕事して今に至る。まあ、大したこと無くてよかった。あとは、家族に移さないよう気をつけるのみである。
9月6日 ソフトボールと私
私は、球技が苦手である。正確に言えば、スポーツ全般は得意ではなく、特に球技が苦手である。しかし現在、会社にソフトボールチームがあり、駐在員は全員チームに所属することになっているため、ソフトボールをしている。
小学生のとき、地元のソフトボールチームに入っていた。しかし、あまり楽しい思い出ではない。よく覚えているのは、デッドボールを食らって痛く、二度とバッターボックスに立ちたくないと思ったこと、そして、タッチアップのルールがよく分からずにアウトになってしまい、監督に怒られ、グラウンドを走らされたことである。
そんな中でも、憧れたことがあった。ピッチャーの、腕を一回転させてボールを投げる投法である。それをする人は稀であったが、かっこいいと思った。真似してやってみたが、ボールは全く明後日の方向に飛んでいった。
いずれにせよ、ソフトボールは全く好きになれず、転校と同時に辞め、それ以来ソフトボールとは全く縁無く過ごしてきたのだが、ジャカルタで再びソフトボールに出会った。昔やったことがあるとは言え、上記のような有様だったため、全く出来るはずも無く、半ば強制参加なのに殆ど出番も無くベンチに座っているだけであった。そのうち、私は貴重な休日に何をやっているんだという、惨めな気持ちになり、せっかく貴重な休日を潰しているのだから、もう少し有意義な時間にしようと思うようになった。
そこで思い出したのが、昔憧れた、腕を一回転させて投げるあの投法であった。野球経験者はいても、ソフトボールのピッチャーを経験した人はまずいない。これであれば、スタートラインは同じだし、運動神経の悪い私でも何とかなるかもしれない。
早速、アパートの洗車用スペースで練習を始めた。距離は丁度良い。投法は、ネットで検索したり、youtubeの動画を見て研究した。そこで初めて、この投法は「ウィンドミル」ということを知った。しかし、実際やってみると、実に難しく、ボールは思う方に飛んでいってくれない。ボールは、周りの植え込みに入ってしまったりして、何度も探し回った。
初めてピッチャーをやったときは、散々な結果であった。連続フォアボールで1回で12点を取られた。1回くらいは何とか3アウト取りたいと思ったが、全く出来ず、降板した。上司には、ウィンドミルはやらないほうがいいんじゃないの?と言われた。一方、監督からは、逆にもっと速い球を目指してみては?と言われた。ウィンドミルにこだわっていた私は、当然上司のアドバイスを無視して、後者を採用した。
その次の試合からは、何とか試合になるようになった。とりあえず、ストライクさえ入れば何とかなる。今でも、球速に変化を付けてみたりとか、コースを狙うなんてことは出来ない。馬鹿の一つ覚えみたいに、全く同じ動作を毎回するよう、心がけているだけである。周りの人は、ピンチでも私が動じずに落ち着いていると言うが、実は単にテンパっていて余裕が無いだけである。
それでも、有意義な日曜日を過ごせるようになった。
9月2日 優しさの象徴
9月1日のじゃかるた新聞の「火焔樹」というコーナーに非常に心動かされた。少し長いが引用したい。なお、文中のカッコ内はインドネシア語。(以下引用)
小さな島の領有権で揺れている。国と国との大海の間に揺れ動き、どちらつかずの位置に浮いている小さな島をめぐって、「戦争(perang)」だと叫ぶ人たちの気が知れない。
どちらつかずの島の立場は、いわゆる「ハーフ(bresteran)」として生まれた子に似ている。普通は、お父さんの国籍を子は受け継ぐが、お父さんとは関係ない国で生まれ育ち、それでもお父さんが「外人(orang asing)」だからあなたは日本人ではないと言われた時の子どもはとてもつらいものがある。
大切なのは本人がどう感じているかであり、この場合、その島に密接に関わる人気持ちであろう。島に住民がいなくただの岩だというなら、岩の取り合いで戦争が起こるなんて何と滑稽な話で、21世紀の世の中に何を根拠に英知あふれる人として生きているのであろうか。
そもそも政治家が絡むとろくなことはない。今をときめくKポップ、Jポップ、韓流スター、中国の有名人たちが島に上陸し、手を取り合い世界に向けてここは平和の象徴だと叫べば、そんな気運が高まり、政治家なんて太刀打ちできないほどのパワーが生まれるはずだ。
この島に関わる三つの国が体験してきた歴史的な悲劇を考えれば、悲劇の中で無数に生まれたどちらつかずの子どもたちの象徴として島を生かしていくことを考え付かないのは、いつまで経っても変わらぬ人の傲慢さ以外の何物でもない。徹底的にグレーのままにすればいいのである。
それは、本来ならば韓国人、朝鮮人、中国人、日本人として生きていたであろうはずのどちらつかずともいえないグレーな気持ちを生涯抱えたまま生きることを余儀なくされた人々への償いの場とすればいいのだ。国益は利害のある人たちの間で「こそこそと(diam-diam)やればいい。そもそも自分のことしか考えぬ人たちにとってそれは得意技であろう。
インドネシアは無数の島と人種で成り立っている。問題も頻発するが、それでも交わって生きていくことを選択し、試行錯誤を繰り返しながらも優しさの象徴である「インド(多種多様な)ネシア(島々)」を大切にする様を見習うべきだ。(以上引用)
例えば、国際司法裁判所への共同提訴が実現したとして、もし竹島は韓国のものだという裁定が下されたならば、日本人は納得して引き下がるであろうか。それは逆も然りであり、白黒はっきりした時点で、両国の関係ははより悪くなるであろう。私はここの結論はグレーにし続けるしかないと思っている。もちろん、自国の領有権をしっかりと主張しなければならないという側面もあるだろう。しかし、両国民にとって、この小さな島による利益はどれだけのものだろうか。上記の考え方は、過度なナショナリズムに走ることへのアンチテーゼとして重要だと思う。
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