2012年
10月のつぶやき




10月31日 ゆうなちゃんのスーパーダンス

 NHKの幼児向け番組「いないいないばあっ」で登場するゆうなちゃんが可愛い。妻と、サチコもあんな風に育ってくれたらと言いながら見ている。

 そんな中、毎回行われる「わーお」という体操の冒頭部で 「♪みんなみんなみんなみんなピョーン ピョン」 という歌詞に合わせてジャンプする振り付けがあるのだが、そこで、ゆうなちゃんのジャンプの仕方が凄い。空中にいる間、まるで絵文字の「ガックリ」  _| ̄|○  を縦向きにしたような体勢でジャンプしており、笑顔で普通に飛んでいるがあれは相当きついだろうし、相当訓練したに違いないと思った。

 私は妻の前で実際に飛んでみせて、ゆうなちゃんのジャンプの凄さを説明したが、私のジャンプがぎこちないこともあり、妻は信じなかった。「そんな無茶な飛び方をしている筈が無い」という。実際に録画を見てみたが、その日はゆうなちゃんも疲れていたのか、普通に飛んでいるだけであった。

 数日後、再び夫婦で「いないいないばあっ」を見る機会があった。ゆうなちゃんのスーパージャンプを見た妻は、確かに言った通りだと驚いていた。

 「いないいないばあっ」は、言葉が分からない幼児でも感覚的に楽しめるように作られており、それでいてその日ごとの一貫したテーマのようなものがある。その巧みな構成は、大人の私が見ても楽しいなと思う。


10月28日 冷蔵庫のルンダン

 10月27日のじゃかるた新聞のコーナー、「火焔樹」で、興味深いことが書かれていた。(以下引用)


   インドネシアに限ったことではないが、海外で暮らす日本人は大きく二つのタイプに分かれるようだ。ひとつは、現地に溶け込もうと努力し、言葉を学び、土地の食べ物を進んで食べ、文化や歴史を学ぶタイプ。もうひとつは、日本人のみと付き合い、言葉は必要最低限の単語のみ、日本食だけを食べ、文化や歴史など関係ないタイプ。

 ほとんどの日本人が会社の命令で赴任してきた人やその家族で、特にインドネシアに愛着があって来ている人たちではないので、インドネシアについて勉強しようという動機に駆られることなく過ごしてしまうのは理解する。だからこそ、そんな状況でも日本とは違う環境を認識し、道の国で遭遇するであろう全ての事柄に思いをはせることが出来る人々はとても貴重だと思う。

 あるとき、日本人宅にご招待された時のこと。「お昼は何を食べたの?」「冷蔵庫のルンダンをチンして食べた」というやり取りがあった。「ルンダン」(rendang・牛肉のココナッツ煮)とはインドネシアを代表する料理だ。でも、これを知っている日本人は多くはないだろう。そう答えた人は、インドネシアにやってきてまだ日の浅い30代前後の駐在員の奥様だった。

 これは私個人の勝手な想像だが、料理の流行には、例えば、イタリア系の料理が人気というと横文字料理の名前が氾濫し、ファッション感覚で美味しいと思い込み、流行から取り残されないようにする人もいることが背景にあるのだろう。私も大好きなイタリア料理であるが、案外こんなことに影響されているかもしれない。逆に、東京の中学校に通っていたとき、母がお弁当にルンダンを入れてくれたのを思い出した。周りのみんなは「うっ・・・なんだそれ?くせっ!真っ黒でうんちみたいだ・・・」と騒いだ。

 この奥様は、流行のイタリアンを口にするのが非常にお似合いと思えるようなお洒落で上品な方だったが、そのような人が冷蔵庫にしまっておいてまでルンダンを食べると聞いて、昔の思い出と重なったこともあり、少々驚いてしまった次第である。そして、「美味しいものは美味しい」と、奥様は付け加えた。

 このような人がどんどん増えれば、いつの日か日本の家庭の食卓のラインナップにルンダンが加えられ、お弁当のおかずにはるときが来るだろうか。(以上引用)


 私も、非常に同意する。インドネシア料理は、非常に多様である。美味しいと感じるものもあれば、やや口に合わないものもある。それを、イメージ、もしくは少しの経験だけで十把一絡げに美味しくないと言ってしまうのは、非常に勿体無い。

 我が家の食事は、三割くらいはインドネシア料理かもしれない。メニューの一例を挙げれば、ご飯と味噌汁にテンペゴレン(インドネシア風発酵大豆の揚げ物)、カンクン(空芯菜)炒め、それにかぼちゃの煮物、といった具合である。もちろん、妻のバランス感覚で、全部日本食のときもあれば、インドネシア料理尽くしのときもある。

 私も、来たくてインドネシアに来たわけではない。しかし、せっかく来たのであれば、せっかくだからここでしか出来ないことをしたいと思う。


10月26日 サチコ運動会

 昨日は、サチコの運動会であり、半休を取って見に行った。2歳児の運動会というのは全く想像が付かない。

 はじめは、アンパンマン体操であった。サチコは踊るのが好きらしい。私たちが想像していた以上に活き活きと、上手に踊っていた。次のサチコが出場しないダンスにも勝手に飛び入り参加して踊っていた。

 かけっこでは、サチコは圧倒的な速さでゴールにたどり着いたにもかかわらず、テープを切るということを知らず、テープの前で立ち止まってしまい、1位は逃していた。

 続いて、バスに見立てたそりに園児が乗り、親がそれを引いて運ぶ競技で、私が引く役をやった。途中の箱の中にあるぬいぐるみを回収し、次の箱の中に入れるというルールであったのだが、サチコはちゃんとルールを理解し、その通りやっていた。

 気付けば、成長してるものである。いつの間にか自分で考え、親も知らない技能を身につけている。

 宮崎駿はその著作「出発点」で「子供時代というのは、大人のためにあるのではなくて、子供時代のためにある、子供の時代にしか味わえないことを味わうためにあるんだと思う。子供時代の五分間の体験というのは大人の一年間の体験より勝る」と述べている。

 私はこの言葉が好きである。サチコが将来覚えているかどうかはどうでもいい。とにかく、今を楽しく生きてほしい。


10月21日 ハリーポッターを読む

 英語を勉強しようと思い、ハリーポッターの原書を買った。困ったことに、副題は付いているのだが、それが何巻なのかは書かれていない。何巻か書かれていないということは、どこから読んでも大体分かるようになっているのだろうと思い、とりあえず「Order of the Phoenix」というのを買った。

 ちなみに、私自身はハリーポッターを日本語でさえ読んだことはなく、映画も第一作を見た気はするが、内容は全く覚えていない。確か、ハリーポッターが流行っていた頃、これを原書で読むのが流行っていた気がする。割と読みやすいと評判であったと記憶している。

 読んでみたら、全くちんぷんかんぷんであった。全部で956ページあり、知らない単語は1ページあたり10個以上はある。一日1ページずつ読んでいたら、3年くらいかかってしまう計算である。おまけに、冒頭から知らない登場人物が当たり前のようにどんどん登場する。ネットで調べたら、私が買った本は全7巻のうちの5巻であった。

 とりあえず、これまでのあらすじを知ろうと、Wikipediaで日本語のあらすじを読んでみたが、あらすじでさえよく理解できない。一体これのどこが読みやすいのであろうか。

 しかしまあ、せっかく買ったので気合で読みすすめようと思っている。100ページくらいまで読んだら、突然すらすら読めるようになりはしないか、と淡い期待を持って。


10月16日 キャビアを食べる

 ドイツからの帰りの乗り継ぎで寄ったアムステルダム空港で、キャビアを買った。1ビン5ユーロで、隣のイクラより安い。世界三大珍味の味を知りたいと思い、買った。

 欧米では、キャビアはパンなどに乗せて食べると言われる。果たして家で食べたところ、イクラと同じ味であった。欧米人にとっては珍しい味なのかも知れないが、私たち日本人にとってはあまり珍しくない。むしろイクラのほうが食べ応えがあって美味しい。色々調べると、キャビアにも色々ランクがあり、偽物などもあるそうだが、最高ランクのキャビアでも、今回味わった味と全然違うということは無いだろう。

 結局、妻も私も、白いご飯に乗せて食べるのが一番美味しいという結論に達し、そのような食べ方で全部食べてしまった。


10月12日 ドイツ旅行記

 先週から今週にかけて、家族でドイツ旅行に行った。シゲオがドイツに異動になったのを機に、せっかく知り合いがいるのだからということで、行くことにした。シゲオの家の割と近くに、同じく民研時代の同期ヨーコが家族で住んでいた。また、ミヤザキ一家も一緒に行くことになった。

 本当にありがたい旅行であった。私は「ドイツに行く」と発言した後は殆ど何の役にも立っておらず、ミヤザキ家がレンタカーを借りてくれ、サッカー観戦も手配してくれた。ヨーコやシゲオは泊まる場所を提供してくれた上、旅程をコーディネートしてくれた。

 私は、事前に地球の歩き方を読んだりしたものの、いまいちピンと来ない。帰ってきてこの「つぶやき」を書く今も、一体私はどこの町で何を見てきたのか、ということを覚えていない。というよりも、よく分からないまま観光していた。これを書きながら、改めて、自分が見てきたものを整理している。

 ちなみに、ヨーコの旦那が、「あんな怠惰な日本人たちを見たのは初めてだ」と言うほどのんびりしていたらしい。また、シゲオいわく、私たちの旅行は「外人がわざわざ日本に旅行に来て、横浜に宿泊し、東京や京都、奈良に行かず、川崎や蒲田で満足する感覚」とのことであった。以下、備忘のためだらだらと記す。  

10月3日(水)
 出発の日、この日はなんと、ジャカルタで大規模なデモが行われており、各地で工場が閉鎖されるなどしていた。無事空港まで着けるか不安で、かなり早めに家を出たのだが、逆に皆外出を控えているらしく、高速道路は拍子抜けするほどガラガラであった。

10月4日(木)
 ドイツのフランクフルト空港に無事到着し、シゲオと再会した。

 空港から出てまず思ったのは、先進国に来た、ということであった。道にゴミは落ちていないし、トイレはきれいである。道行く人の足取りは速い。また、道行く人が親切であった。道に迷っているだけで、「お困りですか?」と声をかけてくれる。こういう経験は何度もあり、親切な国だなぁと思った。

 同時に、アジアでは味わうことのないアウェー感があった。日本車は殆ど走っておらず、アジアでは普通に見かける日本企業の看板も無い。人々の顔立ちも、いかにも「外人」である。そんな中、見つけた日本文化。


寿司の形状は、日本には無い独創さ

 この日は、気温が低く、雨も降っており寒かった。夕方にミヤザキ一家が来るので、それまでフランクフルト観光をと思っていたが、なかなか外を歩く気にもなれず、シゲオの車で宛ても無くグルグルと市内をさまよった後、カフェに入って休んだ。しばらくすると、晴れてきたので、外を歩いた。

 美しい町だと思った。初めてヨーロッパに来たが、これまで行った町とは雰囲気が全然違う。これまで、色々な場所で見た「西洋風」なるもののモデルを見たようであった。

 夕方ミヤザキ一家と無事に再会し、シゲオ宅、そしてヨーコと再会した。大学を卒業して以来初めて会うが、代わらぬ様子であった。ちなみにここに集まった子どもはヨーコの息子、ユリアン、ミヤザキの娘、チヨコ、そしてサチコである。なお、タドコロ家はヨーコ宅に、ミヤザキ家はシゲオ宅にお世話になった。


フランクフルトの広場。

10月5日(金)
 この日は、ヴァイブリンゲンの町を散策した。城壁などを散策し、昼にビールを飲んだ。実に美味しい。


城壁と担ぎ込まれるサチコ。

 その後、ルートヴィヒスブルグへ。実に美しい城があった。


ルートヴィヒスブルグ城

 

10月6日(土)
 午前中は、女性のみでバザーへ。男性は子守をしていた。ヨーコ家の庭でのんびり子どもと遊んで過ごした。

 午後はウルムへ。ウルムの大聖堂に登った。世界一高いと言われる大聖堂の展望台(141m)まで登った。当然エレベータなどなく、螺旋階段をひたすら登る。頂上は混み合っており、寒かった。

  
左:ウルムの大聖堂 高さ161.53m!        中:らせん階段をひたすら登る       右:上からの絶景

 ヨーコが城壁の説明をしてくれたのだが、ドイツの町は、城壁で町が覆われていた。まるでドラクエの世界である。そこでは、血なまぐさい戦いが行われていたに違いない。今でこそ人権を重んじる先進国家となっているが、ほんの数百年前までは、それとは程遠いことがここで行われていたのだと思った。

 また、ウルムはアインシュタインの生誕地であり、ショーコが「アインシュタイン像と共にベロを出して写真を撮りたい」と言っていたが、像は見つけられなかった。また、「アインシュタインハウス」というのを発見したが、博物館などではなく、ただの生涯学習センターであった。

 夜は、昨日行ったヴァイブリンゲンで祭があり、そこにシゲオが所属している「天馬太鼓」という団体が太鼓を叩くとのことで、見に行った。こんな異国で太鼓をやっている人がいるのが、実に不思議であった。彼らはワイン樽と牛の皮で太鼓を自作するという。それにしても、ドイツまで行っても太鼓と縁があるとは。

 
左:祭の様子        右:天馬太鼓の演奏

10月7日(日)
 ソリテュード宮殿へ行った。ガイド付きで中に入ってみた。ヨーコがガイドの通訳をしてくれた。宮殿の優雅な生活について色々説明を受けたが、どうにも魅力を感じなかった。私だったらこんなところに住みたくない。この無駄な煌びやかさは、孤独の裏返しのように思える。

 その夜、男性はサッカー観戦へ、女性はまったりと家で過ごすことになった。初めてサッカーを見たが、その迫力に驚いた。その後、まっすぐ帰ろうと思い、満員のホームで待っていると、何かしら放送が流れ、周りの人ががっかりした表情で駅を出始めた。恐らく何か事故で電車が止まったのだろう。私たちも人の流れについて行くと、なんとそこはオクトーバーフェスト(ビール祭)の会場であった。

 仕方なく、そこでビールを飲み、ソーセージを食べた。それにしてもアトラクションが凄まじい。エレクトリカルパレードのように電飾が飾り付けられており、仮設の遊園地とは思えないような、本格的な絶叫マシンが並んでいる。それに酔っ払った大人が絶叫しながら乗っている。巨大テントの中では、ほぼ全員が椅子の上に立って、盛り上がっていた。まあ、この楽しみは明日に取っておこうと言うことで、祭会場を後にした。

 その後、それぞれの家に帰ろうとしたら、ヨーコから男性はもう帰ってこなくていいから全員シゲオ家に泊まるようにとの連絡が入る。

 ほろ酔いでシゲオ家に入れば、まるで学生時代と同じである。飲み会で疲れて誰かの家に泊めてもらい、そこでもう一杯やる、という感覚は実に懐かしい。よく分からない映画を見ながら、ああだこうだとどうでもいい話をして、寝た。

 
左:ソリテュード宮殿        右:酒井選手

10月8日(月)
 この日は、エスリンゲンという町へ。ここにはヨーコの友人のヒロさんが住んでおり、ヨーコの計らいで彼女が町を案内してくれることになっていた。

 待ち合わせ場所は「アイスクリームの塔」なるものらしく、シゲオを先頭に「アイスクリームの塔」を探して歩き始めた。結局よく分からなかったので、観光案内所で落ち合ったのだが、シゲオは「アイスクリームの塔」の正式名称も、それがどんな形なのかも知らなかった。一体私たちは何を探して歩き回っていたのだろう。

 その後、ヒロさんお気に入りのレストランに連れて行ってもらった。今までの中で一番美味しい。なお、ここに限らずよく食べたドイツ料理は以下。

 シュペッツレ・・・ドイツ風うどん、麺は短く、コシは無い
 シュニッツェル・・・ドイツ風とんかつ おたふくソースをかけたくなる味
 マウルタッシェン・・・ドイツ風ギョーザ

 ちなみに、ドイツ人は料理をシェアするのを嫌がるらしい。私たち日本人の感覚からすれば、別々のものを注文して分け合って食べた方が、色々食べられて楽しいが、ドイツ人は自分の注文したものだけを食べるという。ここの料理はかなり巨大で一人で一品食べたら飽きると思うのだが。独立心の強い国民性なのだろう。そういえば、一昨日の太鼓も、自分で叩く太鼓は自分で用意するようである。確かに「楽器」としてみたらそうかもしれないが、不思議な感じがする。

 そして、城壁に登り、スパークリングワインを飲み、更に街中を色々案内してもらい、最後にアイスを食べた。そして、夜はシュツットガルトのビール祭へ。ここでもビールで乾杯し、それにしても結構寒い。そんな中、ドイツ人はかなり寒そうなドイツの民族衣装を着ており、頑丈だと思った。

  
   左:エスリンゲンの城壁と町並み          中:盛り上がるビール祭!       右:観覧車からの風景。仮設とは思えないくらい立派

10月9日(火)
 最終日は、ハイデルベルクへ。ここは「川崎」でも「蒲田」でもなく、「鎌倉」あたりであろうか。学生街を抜けて橋の上から見る古城の風景は絶景であった。これでこの旅も終わったなぁと思った。これからケルン経由でベルギーに入るミヤザキ家とはここで分かれ、空港へ。


ハイデルベルク城

10月10日(水)
 無事ジャカルタに到着した。妻も私もぐったり疲れた。また、鼻水が出た。風邪をひいたらしい。確かに、あの冷たく乾燥した空気の感覚は久しぶりで、サチコも病み上がりだったことから、私たちに移ったのかもしれない。ちなみにこの「つぶやき」を書いている今はだいぶよくなった。

 ともあれ、素晴らしい旅行であった。ドイツで出会ったみんなに感謝!である。
 

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