2012年
11月のつぶやき
11月26日 昔のつぶやき
昔のつぶやきを読んでいたら、実にいい文章があった。全くの自画自賛だが、ここにもう一度載せたい。
これを書いたのは2009年12月で、このとき、私は福島に異動となったばかりだが、妻はまだ仕事をしていたため、一時的に福島で一人暮らしをしていたのである。もうすっかり真冬だが、会社の駅伝大会が控えており、毎日仕事を終えたら走り込みをしていた。また、当時、子供が欲しいと思っていたが、なかなか子宝に恵まれなかった。
12月14日 流れ星
今日、仕事を終えて車に乗ろうとすると、車に付いた水滴が凍っていた。もうすっかり冬である。それでも、下に書いたとおり家に帰ったら走ろうと決めていた。
エイヤッと外に飛び出せば、満天の星空であった。その美しさに驚いた。オリオン座は、よく知られている星の形の間に無数の星が見え、全体が明るく輝いていた。北斗七星とカシオペア座が指し示す先には、教科書どおりに北極星が輝いている。それらの星を見上げながら、ゆっくりと走った。
しばらく走ると、星が流れた。そういえば、ニュースで今日あたりにふたご座流星群が見られると言っていた気がする。もう一度星が流れたら、次のように願い事を言おうと思った。
「子供を授かりますように」
次に星が流れたら、これを言いたい。それだけを考えながら走った。そして、これで子供を授かったら男の子なら「流星」女の子なら「星子」だななどと、くだらないことまで考え始める始末であった。
すると突如、巨大な流れ星が落下した。その時間は長く、上記の願い事を心の中で唱えるのに十分であった。流れ星に願い事ができたのは、生まれて初めてかもしれない。それだけで、今日はいい日だと思った。
実は、この直後、妻はサチコを身篭るのである。これ以来私は、流れ星の願いを信じている。
11月17日 ノルウェーの働き方
こないだ、テレビでノルウェー特集をやっていた。ノルウェーは女性が働きやすく、子供を産んだ後も安心して職場に復帰できる。子供がいても働いている女性の割合は8割、女性管理職の割合は4割と高い。残業は無く、4時には会社を出るという。大学にも保育園が完備され、学生時代に出産しても安心して授業が受けられるという。
私の知る限り、北欧の国の特集の場合、福祉がこんなに充実していて、人々は活き活きと人生を謳歌している。それに比べて日本はまだまだ遅れている、政府は何をやっているんだ、という論調で番組が進行する。だから、こういうあからさまな番組を見ると、うんざりしてしまう。
では、私たちは、日本も早急に消費税を25%にして、ペットボトルの水が450円くらいするような国になるべしだと言うであろうか。或いは、ノルウェーに引っ越して上記のような生活をしようと思うであろうか。恐らく、そうはならない。私たちは、こういう番組を見て、羨ましいと思い、かつ自国を卑下し、それでも何のアクションも起こすことなく終わるのである。
一方で、「プロフェッショナル仕事の流儀」などでは、一日3時間しか寝ず、食事もコンビニのサンドイッチと缶コーヒーだけで、手術をこなし続ける脳外科医の様子を見て感動する。私たちは、心のどこかで、定時通りに仕事をするだけではいい仕事は出来ない。24時間寝ても覚めても仕事のことを考えているくらいじゃないといい仕事は出来ないとも考えている。それは、いいとか悪いとかいう話ではない。
他国のことを参考にするのはいいことである。しかし、他国と比較して遅れているとか、劣っているとか感じる必要は無いと思う。
11月17日 ワインとカレー
こないだ、テレビでワイン特集をやっていた。ワインの種類による違いなどを説明していた。ワインによって入れるボトルの形状を変えているという。また、同じワインでも使うグラスによって味は全く異なるという。
私は、こういうのを聞くとばかばかしいと感じてしまうたちである。そりゃ、厳密に言えば違うのかも知れないが、殆どの人にとってみれば同じであろう。グラスを変えても、いきなりワインが日本酒のような味になったりはしないだろう。非常に狭い世界の話だと感じる。
私はインドのカレーを思い出した。インドに出張に行った人は異口同音に、「食べるもの食べるもの全てがカレー味だった」と言う。恐らく、インド人にとってはどれも全然違う味なのだろう。しかし、外国人である私たちからすれば、どれも似たような味であろう。
不思議なのは、ワインの世界はそのごく僅かな違いを分かることが一種のステータスになっているのに対し、カレーについてはあたかもインド人が可愛そうな人種のように見られることである。インド料理の微妙な違いが分かることに対する価値と言うのは、殆ど認められない。
恐らく、ヨーロッパとインドというイメージの違いがそうさせるのであろう。こういうことを考えていたら、寿司だって外人が食べたら、マグロもハマチもヒラメも同じ味に思えるのかもしれないと思った。酸っぱいご飯と醤油とわさびのせいで、魚の味なんかしないと言っているかもしれない。
11月16日 ホッチキス
ずっと前の話を急に思い出した。会社でホッチキスを借りようと思って、現地人に「ホッチキス貸して」と言ったら、通じなかった。私は、英語っぽく「ハッティキース」などと言ってみたが、やはり通じない。そして、こうやって紙を挟むやつだよと言ったら、「ステップラーのことか」と言って、ホッチキスが出てきた。
一体ホッチキスとは何語なんだ?と思った。と思って検索したら、出てきた。以下Wikipediaより引用。
日本での「ホッチキス」という呼び名は、明治中期に伊藤喜商店(現、株式会社イトーキ)が米国より初めて輸入したステープラが、E.H.ホッチキス社(E.H.Hotchkiss)の製品であり、これを「ホッチキス自動紙綴器」と名づけて販売したことに由来する。
11月15日 イスラム正月
今日は、イスラム暦の正月らしく、祝日であった。そこで、家族でクラパガディンへ。クラパガディンは華僑が多く住むエリアで、美味しい店が多い。今日は、広島焼き屋「ニロク」に行ってみた。この店は、無料雑誌「さらさ」によれば、広島出身の店長が、現地の材料で本場の味を再現しているとのことである。
店は、雑多なレストラン街の一角にある。あまり広くはなく、見過ごしてしまいそうな感じである。入ってみれば、日本の個人経営のお好み焼き屋に入ったような安心感があった。
広島焼きは、美味しかった。私は広島焼きが大好きで、東京の有名店を色々食べたが、それらと比較しても負けない味である。私の広島焼きの基準として、「自分で作るのとどちらが美味しいか」をまず比べる。ここの店は、悔しいが、自分で作るよりも全然美味しい。
まさかジャカルタで本場の広島焼きが食べられるとは思わなかったので、非常に嬉しい。定期的に通うことになりそうである。
その後は、「クラパヒジョウ」なるものを探しながら家に向かった。「クラパ」とは椰子の実のことだが、現地の人によれば、クラパには3種類あるという。それぞれ、
クラパパウン(もしくはクラパコピョール、意味は不明)
クラパヒジョウ(緑の椰子の実の意)
クラパビアサ(普通の椰子の実の意)
現地人によれば、クラパヒジョウが美味しいという。色は緑色ではなく、斧で切るとむしろ赤いらしい。味は、微炭酸のような感じがするという。健康増進の効果があり、妊娠した人はこれを飲むらしい。ちなみに、運転手によれば、クラパヒジョウの木にはクラパヒジョウしか生らず、クラパビアサも同様。しかし、クラパパウンの木には、クラパパウンもクラパヒジョウもクラパビアサも生るらしい。にわかに信じられないので、面白い話として話半分で聞いた。
椰子の実は、道端に売っているので、それらを見つけてはクラパヒジョウはあるか?と聞いた。2件目で見つけて買った。
家で飲んでいたが、微炭酸は感じられなかった。あまり品質がよくなかったのか。また今度チャレンジしてみたい。
11月13日 どうでもいい話
通勤などで外をボーっと見れば、外には実に色々な人が暮らしている。カキリマ(移動式屋台)を引っ張っている人や、ギターを弾いている人、外に座ってボーっとしている人もいる。
もし私が、ジャカルタの道端の家で生まれていたら、ということを考える。案外、悪くないかもしれない。決して裕福ではないだろうが、彼らの表情は決して暗くない。むしろ、穏やかで、気楽に笑っている。子供たちは元気に遊んでいる。彼らは、私よりも幸せかもしれないし、幸せではないかもしれない。
宮崎駿はその著書「出発点」で、創作の原点を「失われた可能性を求める」と述べている。人は、生まれた瞬間に、あらゆる時代、場所に生まれる可能性を失う。そして、失われた可能性への憧れが、創作の原動力になっている。
幸せというのは、相対的なものである。それは、幸せというのは、自分の物差しで他の幸福を計ることは出来ないということであり、同時に、夢枕獏の「羊の宇宙」にあるように、「人間は誰に遠慮することなく、幸福になってもいい」ということでもある。
ちなみに、この「つぶやき」に頻繁に登場する宮崎駿の「出発点」は、私が高校生の時に当時の私にとっては高い2600円で買った本である。そして、受験勉強の合間などに読んでいた。今では私にとっての聖書のようになっており、モノを考えるときには文字通り「出発点」になっている。
11月6日 ハリーポッター
先月のつぶやきに、英語の勉強のためハリーポッターを買って読んでいることは書いたが、結局、第一巻を買って最初から読んでいる。確かに、いきなり五巻から読むよりも分かりやすい。
それにしても、何回も同じ単語が出てきても、すぐに忘れてしまうのは実に悔しい。登場するたびに、同じ単語を何度も調べている。
仕事で使うような単語は少なく、どうでもいい単語ばかりを覚えている気がする。「睨む」(stare)、「喘ぐ」(gasp)「あざ笑う」(sneer)「舞い降りる」(swoop)とか、ハリーポッターでは実に頻繁に登場するが、仕事ではまず使わないだろう。
しかし、それでもいいと思っている。人間の頭は、メモリースティックとは違って、一定の容量しか入らないという訳ではない。どうでもいい単語も含めて片っ端から覚えていった方が、必要な単語だけ選んで覚えるよりも返って効率的なのではないかと、勝手に思っている。
ふと思い出したのが、赴任前に勉強していたインドネシア語の本である。この本の、最後の長文はなんと「恩赦について」であった。「恩赦」(remisi)「受刑者」(narapidana、略してnapi)など、全く使うことの無い単語だが、それでもとりあえず覚えた。そして、10年に一度与えられる特別な恩赦は「Remisi khusus dasawarsa」というらしい。まず使うことは無いだろう。
まあ、早く英語がすらすら読めるようになりたい。
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