2013年
1月のつぶやき




1月29日 誕生日記念乱取り

 先週の日曜日、柔道部で誕生日記念元立ち乱取りというのをやった。最近出来た伝統?なのだが、誕生日の人を前に立たせ、順番に乱取りをしてへとへとに疲れさせるというものである。

 1人1分で7人と乱取りをしたので、たった7分なのだが、へとへとに疲れた。みんな、自分は1分だけ頑張ればいいので、目を輝かせて襲い掛かってくる。疲れて座り込んでいると、ずるずると引きずろうとしてくる。押さえ込んで一息つこうとしたら、速攻「まいった」をされるので、休めない。普通の乱取りとは疲れ方が全然違った。

 体罰が糾弾され、スポーツのトレーニングは理論的になり、根性論的な考え方が薄くなる中、こういうのは逆に新鮮である。練習後の食事では、次は誰の誕生日だとか、次は誰が帰任するから元立ち乱取りだとか、一時帰国して美味いウナギを食べた奴は元立ち乱取りだとか、最近は何かにつけ盛り上がる。

 ともあれ、柔道のおかげでジャカルタの生活が何倍も楽しくなっている。一緒に練習している皆様に感謝!である。


1月20日 じゃりん子来イ

 今日は、民研の後輩じゃりん子が出張でジャカルタに来た。彼女は、海外営業をしており、数ヶ月に一度は海外出張をしているらしい。今日は、上司とともに初めてインドネシアに来たらしい。そして、その上司も一緒にジャカルタを案内した。ちなみに、「じゃりん子」というあだ名は、私が学生時代につけたものであった。初めて会ったと髪型と顔が「じゃりん子チエ」にそっくりだったのである。しかし、関東では「じゃりん子チエ」は有名ではなく、私以外は彼女をそう呼ぶ人はいなかった。

 じゃりん子は変わりなく元気そうであった。タイに出張に行ったときも、そこの駐在員の人(たぶん関西人だろう)に、髪型が違うにも拘わらず「じゃりん子チエに似てる」と言われたらしく、やっぱり似ているのであろう。

 そういえば、民研人でジャカルタに来た人は初めてである。私たちも、滅多にジャカルタを案内することもないため、どうしようかと思ったが、妻の立てたスケジュールどおり、土産物屋に行き、スーパーで買い物をして、ドリアン専門店でドリアンを買って家で食べ、その後インドネシアレストランで夕食という流れになった。明日仕事にもかかわらず、夜遅くまで連れ回してしまったが、楽しい時間であった。

 それにしても、卒業して10年。民研人との付き合いは長い。


1月18日 ちゃらんぽらん

 アルジェリアで、日本人を含む外国人が拘束された事件において、情報が錯綜している。情報が錯綜しているということは、あまりいい結果にならない気がして心配である。アルジェリア軍は人命軽視とも取れる制圧作戦を敢行しており、被害国からは、不満の声が上がっている。

 こういう問題は、難しい。人質の命を優先させてテロリストを交渉を行えば、交渉の余地があること味をしめ、将来においても同じようなテロを起こすリスクがある。逆に、テロリストに対し、交渉の余地が無く、即制圧されることを示せば、将来的なテロ抑止になるのかも知れない。

 それにしても、テレビで見る風景は、殺伐としている。生きていくのも大変だと思う。恐らく、テロリストたちも、生真面目な性格なのだろう。こういう水や植物の乏しい風土というのは、インドネシアのようにちゃらんぽらんではやっていけない。

 私たち家族はちゃらんぽらんに生きているなぁと、イカ天をつまみながら妻としみじみ話していた。するとサチコが膝に乗ってきて、イカ天を要求した。サチコは、上記の会話のために、イカ天のことを「ちゃらんぽらん」というのだと勘違いしており、「ちゃらんぽらん食べる?」と聞くと「ちゃらんぽらん ぱりる(食べる)」と言って、イカ天を食べた。

 ちゃらんぽらん家族である。


1月18日 洪水

 久しぶりの更新となる。最近、仕事から帰って、サチコを寝かしつけていると、自分も寝てしまうのである。最近のことをだらだらと書きたい。

洪水

 今日、ジャカルタは大洪水であった。昨日の夜から雨が降り続け、今朝会社には普通に着いたものの、前の道はすぐに川の様になった。車やバイクは通れなくなり、膝上くらいまでの高さとなった。工場ではあちこちで浸水し、出入り口には土嚢を積み、浸水したところからはポンプで水をくみ出すなどの対応をした。

 私は、初めての本格的な洪水なので、驚いた。色々驚いたことがある。

・車もバイクも通れない川のようになった道を、馬車が悠々と走っていた。
・下校途中と思われる子供たちの列が、テンションが高く、はしゃぎ回っていた。現地人によれば、例え家が沈んでも子供たちは喜んでいるらしい。
・洪水が引いた後の水溜りで、バイクを止めて洗車をする人たちがいた。無料で洗車のできるチャンスらしい。

 インドネシア人はたくましいなぁと思った。


体罰について

 桜宮高校のバスケットボール部で、顧問の教師により行われた体罰により、キャプテンが自殺するという痛ましい事件が起こった。これに対し、体罰禁止の再徹底が行われている。橋下知事は、これまでの体罰容認の姿勢から一転して体罰絶対反対論者となり、世論は、体罰反対への動きが加速している。

 その前に、私は、このキャプテンが自殺したのが体罰のせいであるということに疑問を感じる。どんな手段にせよ、この顧問が、キャプテンをして死にたいと思わせるほどまでに追い詰めたことに問題がある。例え殴られても、後で仲間と顧問の悪口を言って笑い飛ばせば、ある程度心の荷は下りる。職場での自殺では、恐らく多くが体罰や暴力を受けたことが原因ではないであろう。徐々に追い詰められ、逃げ道を塞がれて、どうしようもなくなってしまうことが自殺の原因であろう。私は、この顧問が、ただ体罰を与えただけでなく、日常的に生徒を精神的に追い詰めていくような態度を取っていたのではないかと思うし、そのあたりを明らかにする必要があると思う。

 ここで体罰だけにフォーカスすると、例えばほんの少しこずいただけでも体罰だと騒がれ、教師は生徒を叱りづらくなるのではないだろうか。また、体罰ではなくても、陰湿な手段で生徒を追い詰めて自殺に追い込むような事件はなくならないであろう。

 先週の柔道の練習では、先生が練習に集中せずふざけてばかりいる子供らにゲンコツを落とし、叱りつけていた。子供らは、その場では神妙にしていたが、どうせ次の練習ではまた同じようにふざけるであろう。そうやって少しずつ学んでいく。

 私は、サチコが将来、例えば弱いものいじめをしてお金を巻き上げたり、福島県出身の級友を差別するような言動をして相手を傷つけたりしたら、サチコを叩くであろう。ならぬことはならぬものである。二度と同じことをさせないようにしなければならない。

 ここまで書いて、私は自分が体罰を容認しているのだと気付いた。或いは、体罰反対と世間があまりに言うので、あまのじゃくな性格によりこういうことを書いたのかもしれない。


1月5日 愛の形

 少し前の話だが、妻が機嫌を悪くしていた。妻の誕生日を忘れてしまい、クリスマスプレゼントも用意しなかった。そのような積み重ねと、あるきっかけによって、それが発動した。

 「私のことを軽んじているのではないか?」と妻は言う。私は答えに窮して、「そんなことはない、愛の形が違うのだ」と言った。確かに、私にとっては誕生日やクリスマスについては、「引っ掛け問題」のようなもので、覚えていればセーフ、忘れたらアウトという感じがしてならない。その日を確実に覚え、適切にプレゼントを用意することと、妻を愛していることが同義だとは思えない。

 そんなような意味のことを言ったところ、「ではあなたの考える愛の形とはどのようなものか?」と聞かれた。私は、とっさに思いついて、「一緒にテレビを見ながら屁をこくようなものだ」と答えた。

 妻は苦笑し、とりあえず収まったが、私も反省した。


1月1日 2013年最初のつぶやき

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。昨年末、バンドゥン旅行へ行き、大晦日は柔道の年越し稽古をして新年を祝った。これらについて、だらだらと書くことにする。


バンドゥン旅行記

 年末は、二泊三日でバンドゥン旅行へ行った。バンドゥンは、ジャカルタから南東へ約100kmにある高原都市で、休日のジャカルタ人の避暑地として有名である。ファッションの町として認識されているらしく、アウトレットなどで服を買いに行くジャカルタ人が多いらしい。現地人によれば、美人が多いらしく、「美人に見とれて妻に怒られないように」などとアドバイスされた。

 バンドゥンへは、鉄道を使った。料金は約3時間の旅で8万ルピア(約700円)と安い。鉄道での旅行は初めてであったので、どきどきしたが、非常に快適であった。駅で乗る鉄道を見たとき、妻と感動した。もう日本では見られないような、レトロでいかつい車体のディーゼル気動車で、かっこいい。席は広く、快適である。

 そして何より素晴らしいのが、景色であった。ジャカルタの都会から、家や屋台が線路すれすれにある下町を抜け、広大な棚田が広がる景色に変わっていく。飛行機の旅とは違い、移動そのものも楽しめるのが実に良い。


左:バンドゥン駅での列車。        中:棚田の景色         右:車内の様子



 二日目は、車をチャーターしてバンドゥン北部にある火山「タンクバンプラフ」へ。年末年始はジャカルタ人が押し寄せているらしく、火口への道は渋滞していた。途中で、車を降りて火口まで歩いた。火口は、絶景であった。そこでいちごを買って食べた。インドネシアのいちごは酸っぱいのだが、バンドゥンのいちごは、評判どおり甘くて美味しい。

 その後は、カワドマスへ。カワドマスは運転手のお奨めで、「タンクバンプラフよりも素晴らしい」と言う。窓口では、1時間のフルガイド付きで25万ルピア(約2200円)だという。ガイドなしでは入れない雰囲気であった。まあいいかと思って払ってしまったのが間違いであった。ガイドは雑談しながら山道を案内するだけであった。そして、火口まで歩くだけで30分かかった。ここでのんびりしていたらすぐに追加料金になってしまう。

 騙されたと思った。後で思えば、運転手はやたらとカワドマスを勧めていた。最初は相当いいものなのかと素直に思っていたが、恐らく運転手とガイドがつるんで旅行客からぼったくっていたのである。一緒に歩いていたインドネシア人の旅行客に聞いてみると、タダで入れるという。

 私は、悔しかった。インドネシアでもうすぐ2年になり、だいぶ旅慣れてきていたつもりでいた。こういう騙され方をしたのが、非常に悔しいし、腹が立つ。私は旅行をして、よほど高いと思わない限りは、値切らないことにしている。「親父の小言」にある「小商者は値切るな」を実行しているつもりである。もし、このガイドが10万ルピアで、かつ時間制限無くのんびりさせてくれたら、例え騙されたとしても私は満足していたであろう。値段が法外に高く、1時間の制限の中で目的地まで片道30分という設定は、目的地で楽しめないばかりか、疲れるだけである。騙し方がいけないと思った。


左:タンクバンプラフ火口                 右:カワドマス 足湯や温泉卵もある



 その後、バンドゥンに戻り、「ウジョ竹楽器小屋」へ。ここでは、アンクロンなどの竹楽器による演奏が聴ける。演奏は、素晴らしかった。観客全員にアンクロンを配り、ハンドベルのように全員で曲を演奏するといった演出も、洗練されてるなぁと思った。演奏は、5時までで、私たちが着いたのが4時。先のカワドマスでのんびりしていたら、この演奏は聴けなかったであろう。そう思えば、ある意味、運が良い。


左:竹楽器による演奏                 右:抱っこされるサチコ



 三日目は、駅周辺をうろうろして帰った。年末のバンドゥンは、非常に混んでいた。ホテルからのタクシーは、メーターが無く、駅まで3万5千ルピア(約300円)と言われた。約1.5kmの距離でこの値段はありえない。メータータクシーに乗れば、半額くらいで着くであろう。私は、タクシーを断って歩くことにした。

 普通なら、問題なく乗っていただろうが、昨日のカワドマスの一件を引きずっていた。私のしょうもない意地に家族を巻き込んでしまったのは申し訳ない。ちょっとほろ苦い思い出のバンドゥン旅行であった。


柔道年越し稽古

 バンドゥンから帰ってきたら、夕方であった。紅白を見ながら年越しそばを食べ、サチコを寝かしつけていたら、私も寝てしまった。夜10時に妻に起こされた。大晦日の夜は、柔道部の年越し稽古である。例年、紅白を夜の10時に見終わって、11時に柔道場に集合し、練習をしながら年を越す、ということになっている。私は去年、腹を壊して参加できなかったため、初参加である。

 私たちは、行く途中にサテパダン(カレー味の焼き鳥)を買って柔道場へ向かった。サチコはすでに寝ているため、寝たまま連れて行った。

 柔道場に行けば、凄い人数であった。家族連れや地元の中高生も来ていて、恐らく50人くらいはいたであろう。みんなで練習した後は、皆で持ち寄ったものを飲み食いしながら楽しんだ。サチコは、途中で起きてきて、飲み食いし、生まれて初めての花火を体験した。

 朝の3時ごろまで楽しんで、明け方家に帰った。結構ハードな年末年始である。三日から仕事のため、休みはあと一日。のんびりしようと思う。


左:集合写真                 右:花火をするサチコ

 

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