2013年
2月のつぶやき
2月25日 モンテロッソ
最近ジャカルタに赴任してきた先輩から、子供を通わせている幼稚園の話を聞いた。その幼稚園では、イギリスで提唱された、ナントカという教育法を取り入れていて、それによると、子供の自発性を重視する教育を行っているらしい。
だから、子供が母と離れると泣き出すうちは、母も幼稚園に付き添いに行く。自然に、母がいなくても自分で遊べるようになって初めて、母の付き添いなしで幼稚園に行くらしい。先輩は、その教育のお陰かどうか分からないけど、子供は自信を持ち、集中力も高いと言っていた。
その教育手法の名前が分からず、モールをぶらぶら歩きながら妻と話していた。私は「ロッテモンソ? いや、モンテロッソじゃなかったっけ??」と妻に言った。妻は、絶対に違うという。そして必死に思い出そうとしていた。私は「絶対モンテロッソだって!」と言ったら、妻は「私が集中して思い出しているのに邪魔をするな。モンテロッソに引っ張られて思い出せないじゃないか!絶対モンテロッソじゃない!!」と怒り、私に暴力を振るって、黙ってしまった。
しばらくして、妻は「モンテッソリ」という名前を思い出して、すっきりしていた。
そういう目で道を見ていると、ジャカルタにもモンテッソリと書かれた幼稚園の看板は見かける。人気のある教育法らしい。ヨーロッパでは、小さい頃から独立心を養うため、小さい子供でも部屋を与え、いくら泣いても母は行かないという話を聞いたことがある。もしかしたら、モンテッソリはその反動で生まれたのかも知れない。
いずれにせよ、どうやって育てても子供はそれなりに育つ、ということで、あまり深く考えず適当に育てようというのが我が家の方針である。
2月24日 餃子を作る
今日は、久しぶりに餃子を作った。餃子は私の好きな料理のひとつである。食べるのはもちろん、作るのも好きである。
高校くらいの時から、母に教わりつつ餃子を作った。当時、美味しんぼで小籠包という料理を知った私は、食べたら汁が飛び出すような餃子を作りたいと思って色々試行錯誤した。茹でた白菜の水をしっかり切らずに包んだりして、ベチャベチャの餃子が出来たりした。
今回は、茹でた白菜の汁はしっかり切った。栄養分が流れ出てしまうみたいで何とも勿体無い感じがするが、美味しい餃子のためなら仕方が無い。
包む作業は、家族全員でやった。サチコも手伝った。意外にもそれらしい形になっていた。
出来た餃子は、美味しかった。サチコも私の娘だけあって餃子が好きらしく、いつになく食欲旺盛で、餃子だけを無心に食べ続けていた。
餃子も、お好み焼きと同様奥が深い。母からは白菜は茹でるものだと教わっていたが、茹でずに使うこともあるようだ。色々試行錯誤して、いつか昔夢見たような餃子を作りたい。
2月22日 無題
インドネシアに来て、頻繁にストレスを感じるのは、日本人がインドネシア人の文句を言っているのを聞くときである。
例えば、赴任したばかりの人が、「あいつらはどうせ下らないことしか言わない」「うすうすこの国の人間の馬鹿さが分かってきた」みたいなことを言うと、周りの人も、「おお、来たばっかりなのにもう分かってるねぇ」みたいなことを言う。この人は、どうして言葉も理解できないうちから、下らないことしか言っていないことが分かるのか、私には理解できない。
また、優秀なローカルスタッフを褒める言い方に「あいつは日本人的な考え方が出来る」と表現することがある。一体何様のつもりであろうか。日本人が全員優秀だというのであろうか。それとも、日本を離れた恋しさのあまり、日本と言う国がいつしか理想郷のようになっているのであろうか。
私自身、インドネシア人と日本人がそれほど大きな違いがあるとは思わない。インドネシアでも日本と同様に色々な人がいる。人の名前を指して「誰がどうだ」というぶんにはまだいいが、ひとまとめにして「この国の人間は・・・」みたいな言い方をするのは良くないと思う。ましてや、私たちは他人の国に入り込んで商売をやらせてもらっている立場である。謙虚さを忘れて、そういう態度を取るのは、日本人として恥ずかしい。
先週、現地の放送で「KOKORO NO TOMO」という日本紹介番組があり、見ていた。懐かしい東京の風景に見入っていると、渋谷のハチ公前に来た。そこで、リポーターが何十年も主人を待ち続けた忠犬ハチ公を紹介し、「日本では犬でさえこんなに誠実なのですね。ましてや日本人の誠実さは」という風に説明していた。
インドネシアは、親日国だと言われる。日本でも海外の紹介番組があるが、観光地の美しさやアトラクションの楽しさではなく、そこに住む人の誠実さを述べたコメントは聞いたことが無い。何気ないシーンであったが、日本に対する、殆ど幻想とも言えるくらいの美しい紹介の仕方に驚き、感動した。
私が何を知っているわけでもなく、何が正しいのかもよく分からずに働いているのは十分承知している。しかし、少なくとも恥ずかしくないように気を引き締めたい。
2月17日 サチコ柔道デビュー
今日は、初めてサチコを柔道の練習に連れて行った。2歳半なので、まだまだ何も分かっていない状態だが、まあ柔道場でころころ遊ぶだけでもいいだろう。サチコの性格はどう考えても文化系だが、受身や体の動かし方の基本を知っているだけで、今後の人生に何か役立つかもしれない。
練習中は、意外と真面目にやっていた。準備体操や基本トレーニングなど、出来ないながらも真似してやろうとする姿勢が感じられた。泣きながら母の元に戻ってしまう図を想像していたが、そういうことは一回もなかった。
それにしても、楽しいものである。このままサチコが色々な技を覚えたりすれば、もっと楽しくなりそうである。
2月14日 何語でもない歌
最近、歴史秘話ヒストリアのオープニングテーマが好きになった。今は日本語で歌われているが、ちょっと前までは意味をなさない言葉で歌われていた。人造語である。メロディに合わせて、発音を作ったものである。その言葉は、メロディに合うようにのみ作られており、言語として意味は無い。
私は、昔から気に入った歌があれば、こういう人造語の歌であったということが多い。思い出す限りを下に記す。
NHK歴史秘話ヒストリアオープニングテーマ
http://www.youtube.com/watch?v=vsh1h-pbTrU
ワーズワースの冒険「シャ・リオン」
http://www.youtube.com/watch?v=9ZozwF57Wjs
アディエマス「合唱曲Y神の風の歌」
http://www.youtube.com/watch?v=lZqQRi-zQfI
2月8日 蟻の行列
今日、家に帰って妻と夕食を食べていると、床で蟻の行列が何かを運んでいるのが見えた。よく見ると、サチコが食事をしていて落としたとうもろこしの粒を運んでいるようであった。
ジャカルタの家では、蟻は普通に家の中にいる。また、チチャックと呼ばれるヤモリが壁に貼り付いているのも普通の光景である。蚊については伝染病を媒介するので気を使っているが、蟻やチチャックについては、いるのが普通なので、我が家の場合、特に気に留めていない。
行列を見ていると、実に面白い。蟻たちは、まるで岸和田のだんじりの如く、とうもろこしの粒をせっせと運んでいる。よく見たら、とうもろこしの上に乗っかっているだけの蟻もいる。まさにだんじりだ。
私は、しばらくすると飽きて、食事に戻ったのだが、妻は、そんな蟻の行列をまるで子供のように目を輝かせてずっと屈んで見ている。そして、ありがすれ違うときは何か合図をしているとか、大きな蟻と小さな蟻がいるとか、詳細な観察をしていた。妻は、生き物が好きなのである。
ジャカルタに住むにあたり、とりあえず虫が嫌いでなくてよかった。ヤモリや蟻を許せない人にとっては、結構大変かもしれない。
2月7日 鼻歌検索
サチコが持っているおもちゃで、台所の形をしており、ガスレンジのような場所のボタンを押すと、「火はあぶないよ。気をつけて」と喋った後、歌が流れるというものがある。その歌は、肉をジュージュー焼いて、ブロッコリーを切って、卵をパカッと割って、ハンバーグの出来上がり。みたいな内容なのだが、メロディはどうも聞いたことがある気がしてならない。
夕食を食べながら妻に話したところ、妻も聞いたことがあるが思い出せないという。ふたりとも気になってしまい、その後は夕食の味もろくにせず、それでも思い出せず、悶々とした。絶対に有名な歌の替え歌のはずだが、全く思い出せない。妻はグーグルで検索してみたが、手がかりは無い。
そこで、「鼻歌検索」なるものを試してみた。妻がパソコンに向かって鼻歌を歌うと、驚いたことに一発で結果が現れた。歌は「10人のインディアン」という歌であった。私たちは一気にすっきりした。
それにしても、凄い時代が来たものである。
2月4日 ハリーポッター
ハリーポッター第二巻「ハリーポッターと秘密の部屋」(Harry Potter and the Chamber of Secrets)をようやく読み終えた。そして、すぐに第三巻「ハリーポッターとアズカバンの囚人」(Harry Potter and the Prisoner of Azkaban)を読み始めている。最初は、1巻だけ読めばいいと思っていたのだが、どうせなら全部読んでしまおうという気になった。
内容は、分かったような分からないような、といった感じである。英語なので、理解した内容で合っているのか、いまいち自信が無い。また、何度読んでも理解できず、読み飛ばす部分もある。Wikipediaにあるあらすじを元に、なんとなく理解している感じである。
果たして、私の英文読解力は上達しているのだろうかとも思う。どうやら、英語力と言うのは、あるとき突然すらすら読めるようになるようなものではないらしい。サチコの成長と同じで、日々分からないくらいゆっくりと、上達しているのだと思い込んで続けるようにしている。
2月1日 体罰について2
今日、ネットニュースで、中学教諭が生徒16人に体罰を行ったという記事が載っていた。以下、引用。
神奈川県の小田原市教育委員会は2日、同市立中学校の50歳代の男性教諭が、2年生の男子生徒16人の頬を平手でたたく体罰をしたと発表した。
発表によると、1日午後、男性教諭が授業に遅刻した生徒たちに教室へ入るよう呼びかけた際、数人が「うるせー、ばか、はげ、死ね」と暴言を吐いた。男性教諭は発言した生徒に名乗り出るよう求めたが、返事がなかったため、その場にいた生徒16人を廊下に正座させて頬を1回ずつたたいた。けがはなかった。
男性教諭は直後に校長へ報告し、「過去にも暴言はあったが、今回は名乗り出ないことが許せなかった。体罰が報道されている中でこんなことをして申し訳ない」と話したという。同校は2日、体罰を受けた生徒と保護者に経緯を説明し、謝罪した。
このことに対し、私は、この教師が悪いとはどうしても思えない。私は、この教師の対応は、平気で授業に遅刻し、「うるせー、ばか、はげ、死ね」という子供たちに対する接し方として、ごく自然で、適切な対応だったと思う。体罰に反対する方々は、或いは、こういう生徒に対し、優しく分かるまで諭すべきだというのであろうか。もしくは、体罰の代わりに、彼らの人格を否定するような陰湿な言葉で反省を促すべきだというのであろうか。
前にも書いたが、教育現場から消し去らなければならないのは、生徒の逃げ道を塞ぎ、精神的に追い詰め、パフォーマンスを低下させる言動である。その手段が、体罰である場合もあるし、そうでない場合もありうる。ただ、こういった定義は非常に曖昧なので、とりあえず体罰というシンプルな線引きをしているに過ぎない。シンプル過ぎて、教育現場の実態に合っていない。それが上記の事件ではないか。
そのうち、教師が生徒に対して何をしても手を出せないことに味をしめた子供たちが、どんどんエスカレートして教師の人格を否定するような暴言を吐き、授業を台無しにするような事態が増えるに違いない。
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