2003年
6・7月のつぶやき




7月16日  先週末のこと
 先週末は会津まで行ってステツと飲んでいた。彼はもともと白河の隣の西郷村出身なのだが、現在は大手住宅メーカーの営業マンとして、会津勤務となっている。飲み屋を探しつつぶらぶらと町を歩いていると、至るところにスナックがあった。ステツによると、会津は人口に対する飲み屋の割合が日本一らしい。確かにそれも頷けるほどの多さである。

 何軒か当たってみたが、どこも一杯で、仕方なくチェーン店の「八剣伝」で飲むことになった。先週の名古屋旅行でも「八剣伝」であった。

 店に入って感じたのが、飲み屋の騒々しさであった。会津人は意外と酒好きで、飲むと声がでかいらしい。関西人に通じるところがあった。

 飲んだ後、ステツの家に泊めてもらうことになり、アパートに向かったが、ステツの家に入って驚いたのが、彼の学生時代の下宿とあまりにも変わりないことであった。彼の下宿には、学生時代何度もお世話になった。彼がいなくても勝手に泊まったりしていた。その家とほとんど変わらないのである。強いて言えばユニットバスからセパレートになった程度であった。

 次の日、ステツを会社まで送った後、「塔のへつり」を見に行くことにした。「塔のへつり」というのは福島の有名な景勝地で、河川の浸食によって面白い形となった岩を見ることが出来る。

 「塔のへつり」のある下郷町の道の駅で車を止め、露店で朝飯として「しんごろう」という地元の名物を食べた。「しんごろう」というのは、米を丸めたものに「じゅうねん味噌」というえごまと味噌を合わせたものを塗り、焼いたものであった。初めての味であったが、美味しかった。

 その際、露店のオバハンと仲良くなり、塔のへつりのことなどを教わった。

 塔のへつりへは歩いていった。ここは非常に面白かった。この辺りは大昔は海だったらしく、砂岩又は泥岩が削られてこの様になったのであろう。非常に不思議な気持ちになった。

 その後はこの辺りにある、「中山風穴」というのを見に行った。ここは穴から冷風が吹き出ており、そこだけ高山植物が茂っているという、とても面白いところらしい。露店のオバハンの話によれば、歩いて行けるとのことなので、歩いて向かった。

 風穴は登山道のようなところを20分ほど歩いたところにあるのだが、途中に「熊出没注意」という看板があった。

 かなり怖くなった。熊が出たところで、どう注意すればいいのか。とりあえずかばんの中の尺八を取り出し、いつでも戦える体勢を整えておいた。

 さらに進むと、空の1斗缶(15kgのペンキ缶)が枝にぶら下げられており、

 「熊注意!カンタタケ!」

 と汚い字で書かれていた。引き返そうかどうか、本気で迷った。しかし、車は露店のまん前である。帰る前に露店のオバハンに風穴の感想を報告しなければならない。そのときに「熊が怖くて引き換えしました。」というのはあまりに情けないであろう。とりあえず持っていた尺八で缶を「ゴン」と叩き、風穴を目指した。

 風穴に着いたが、結局大したことはなかった。高山植物もよく分からなかったし、この日は気温が低かったため、冷風もあまり感じられなかった。

 「歌を歌っていれば熊は近づかない」という話を聞いた記憶があったので、帰りは大きな声で歌を歌いながら風穴を後にした。


7月8日  最近のこと
 最近辛いと思うことが多い。鬱なときが多く、吐き気も多い。そして、自分の存在意義とか、これからの人生を過ごすに当たっての基本方針のようなものについてよく考える。

 「夢」という言葉がある。この言葉は私にとって物心ついたときから大事にしていた言葉であり、常に「こんな風に大人時代を過ごしてみたい」という理想を持ち続けながら過ごしていたように思う。しかし、就職するにあたり、それらは捨てた。もちろん自分なりに納得してでの話である。

 以前の「つぶやき」にも書いたが、私にとって仕事とは、これからの人生の大半を占めるものであるから、一生の情熱をかけられるようなものでありたいと願っている。例えホリデーが楽しくても、その倍以上あるウィークデーが楽しめなければ、一生を損して過ごしたような気がするからである。そして、例え忙しくても、報酬が安くても、情熱を傾けられるような仕事をしたい、そしてそれは、出来れば私の孫くらいの世代が幸せになれるような仕事でありたいと願うのは、就活していた頃からの想いである。そのためにはこれからどのように人生を過ごせばいいのか、非常に悩んでいる。

 最近労働時間が長いことを心配した親が手紙をくれ、「厚生労働省の『疲労蓄積度自己診断チェックリスト』というのがHP上にあるからちょっとやってみたら」ということを書いていたので、やってみた。すると私はどうやら最も危険な状態であるらしかった。過労死など考えたこともないし、そんな気もしないが、世間によれば危険な状況らしい。しかし、おそらくそんな人は日本に大勢いるだろう。それが普通の世の中なのかも知れない。

 ともあれ今の自分は駄目である。「こうありたい」と願う自分像と今の自分はあまりにも違う。せめて心の持ちようくらいは自分で何とかしたいと思っている。

 久しぶりに暗い「つぶやき」となってしまった。せっかく足を運んでくださる方には申し訳ない。あまり気にするべきものではないであろう。「人生山あれば谷あり」のたまたま「谷」であるに過ぎない。


7月6日  名古屋旅行記
 今週末は名古屋へ旅行に行ってきた。「名古屋は何度も通過しているが降りたことがない」というのが理由であった。そして名古屋の特異な文化に触れてみたかった。

 名古屋駅に着いて地下街に行くと、早速道に迷った。地下街は異様に広く、長い。とりあえず本屋でガイドブックを買い、大まかな地理を理解した。本当に何も考えず、何も準備せず名古屋に来たといった感じである。

 とりあえずきしめんを食ったのち、輪中を見に行くことにした。小学校の地理の授業で習い、印象的だったのを覚えているからである。木曽川の近くまで電車で行き、そこで自転車をレンタルした。貸自転車屋のおっさんに「輪中はどこに行けば見られますか」と聞いたところ、「この辺一体が輪中だ」という答えが返ってきたのち、「輪中を感じられるスポット」を教えてもらった。

 自転車で木曽川、長良川を越え、三重県に入ったのだが、長良川で、川に架かる異様な建造物を見た。橋に、「ドラゴンボール」のナメック星人の家のような異様な建物が等間隔で並んでいるのである。高速の料金所がたくさんあるようにも見えるし、趣味の悪いラブホテルにも見える。

 近づいてみると、それは悪名高き長良川河口堰であった。住民の反対運動で工事は無期延期になったと思っていたのだが、すでに完成していた。

 この河口堰を見ていると、私は悲しくなった。堰が出来ると魚の行き来ができず、川の生態系に悪影響を及ぼすと言う。そのために河口堰には魚が行き来できるための魚道が作られていたが、それは川幅からすれば明らかに小さく、通りづらそうである。私が魚だったらこんな場所は通らないだろうと思った。

 その後、自転車で木曽川沿いを南下し、輪中を探した。正確に言えば、「輪中を感じられる場所」を探した。しかし、あまりよく分からなかった。私は輪中といえば、町全体が壁で囲われているような、いわばベルリンの壁の様なイメージがあったのだが、どうやらそういうものではないらしい。木曽川沿いの堤防が異様に高いと感じた程度であった。あとは、民家が石垣で底上げされているのも印象的であった。かつて水害が頻発していたのがよく分かる。

 その後は名古屋に戻り、ツインタワーの屋上まで登った。51階に登るのに700円かかった。エレベータに乗っていたのは私ひとりだったのだが、エレベーターガールがあたかも大勢の客に対してしゃべるように台本どおりの案内を始めた。かなり恥ずかしかったが、じっと聞いていると、40階くらい行ったところで解説が終わり、エレベーターの中は静まりかえった。なんとなく気まずくなったので、「51階より下はオフィスなのですか?」などと、どうでもいい質問をして場をつないだ。

 最上階から見た景色は絶景であった。人間が高層ビルを建てたがるのは、確かに人口過密に対する対策という意味もあるかもしれないが、それ以上に「高いところに登りたい」という単純な想いが強いからに過ぎないのかもしれないと思った。

 屋上では丁度ミニコンサートが開かれており、聴いた。地元の芸大の学生による金管楽器のアンサンブルである。それほど上手な演奏ではなかったが、いい雰囲気であった。

 その後は飲み会であった。メンバーはミヤチ、タカイサン、シロウサン、ユウタサン、ユミオ、私である。名古屋駅前にある「大名古屋ビルヂング」という大げさな名前のビルの屋上のビアガーデンで飲んだ。

 そこでもっとも驚いたのは、「全自動生ビールサーバー」であった。ジョッキをセットし、ボタンを押すと自動的にグラスが傾き、ビールと泡が注がれる。その泡は非常にクリーミーで美味しかった。おそらくこんなものを発明したのは関西人であろう。

 結局深夜まで飲み、タカイサンの家で寝た。起きるとすでに十時で「しまった」と思ったのは、喫茶店で「モーニング」なるものを食べられないことに気付いたからである。名古屋で朝コーヒーを注文すると、オプションでサラダやらトーストやらゆで卵やらがついてくるという。名古屋でコーヒーを注文し、そのサービスの凄さに驚愕してみたかったのだが、すでに遅かった。

 とりあえずミヤチと地下街に行くと、「喫茶ナントカ」という看板の下に、「一日中モーニング付き」という地元民以外は全く意味の分からない表示を見つけた。しかし、喜び勇んで店の前に行くと、店は閉まっており、「喫茶ナントカ」という名前のはずなのに、入り口の看板では「居酒屋ナントカ」という名前に変わっており、びっくりした。

 その後他の店でモーニングセットを食べ、念願の「寿がきや」のラーメンを食べた。「寿がきや」とは、名古屋限定のラーメンチェーンで、学生時代、何度もミヤチの絶賛を聞いていた。実は「寿がきや」は前日にも名古屋の地下街で食べたのだが、後でみんなに「あそこは本当の『寿がきや』じゃない」と非難され再度食べることになったのである。

 確かに昨日行った店とはメニューも値段も全く違う。別の店のようであった。スープはかつおトンコツのさっぱりした味で、美味しかった。値段も一杯270円と安い。

 その後は、ミヤチに連れられて熱田神宮の近くの雅楽器店に行った。ここは、今回の名古屋旅行での、私の最も大事な思い出である。

 始めに篠笛を吹かせてもらった。値段は、私達の知っている篠笛とはケタが違う。同じ七調子の篠笛を二本試し吹きしたところ、その音色の違いがはっきり分かった。ひとつは甘く上品な音で、もうひとつは少し癖のあるにぎやかな音である。特に始めに吹いた笛は吹いていてうっとりするような、これまで吹いた篠笛では体験したことのない素晴らしい音色であった。これまで、私にはこういった音のに対する感性はないと思っていたので、非常に嬉しい発見であった。

 そのとき、丁度雅楽をやっている人が、店で竜笛と狛笛(雅楽用の笛)を買いにきており、大量の笛を吹き比べていた。この店では、客が気に入ったものを見つけるまで吹いて選んでもらうのである。結局この人は笛を選びきれず、何本か家に持ち帰って選ぶことになった。

 そこで私達はいろいろな話を聞き、演奏を聴かせて貰った。その中で印象に残ったのが、「正直に仕事していれば客はついてくる」という言葉であった。この店は、例え自分にとって損をする話でも、客にとって得をする話なら喜んでするのである。「うちはいいもの作ってるんだから、値段は高いのは仕方がない」と言えるのも羨ましかった。「いいものを安く」作ろうとするから、世の中は窮屈になるのかもしれない。笛職人は、半ば冷やかしに来たような私達にお茶を出してくれ、いろいろな話をしてくれ、何も買い物をしなかったが最後まで快く応対してくださった。忘れかけていた「本来あるべき人間関係」を思い出した気がした。

 店を出たあとは名古屋に戻り、残り少ない時間で鍋焼きうどんを食べ、土産を少し買って名古屋を後にした。他にも天むす、手羽先、あんかけスパ、台湾ラーメンなどなど食べたかったものを挙げたらきりがないが、仕方がない。とりあえず「名古屋コーチンの燻製」と高級えびせんである「ゆかり」とビールを買って、新幹線の中で晩酌しつつ帰った。

 ともあれ名古屋を案内してくれたミヤチ、わざわざ飲んでくれたタカイサン、シロウサン、ユウタサン、ユミオ、そして菊田雅楽器店の笛職人に感謝である。


7月1日  七月初めのつぶやき
 ついに七月となった。すでに夏である。そして私はと言えば、未だに長袖を着て毛布にくるまって寝る生活をしているが、気付くと夏である。私は夏が好きである。日本の湿度の高い、蒸し暑い夏が好きである。そしてその湿度のおかげで物凄い勢いで生い茂る草木を見るのが好きである。セミの鳴き声、夏祭り、そしてだらだらとかく汗でさえ、私にとっては心地よい。そんな本格的な夏が来るのがとても楽しみである。

      自転車のカギ
 私は自転車のカギをすぐになくしてしまうため、自転車を買ったときにカギを外してしまい、番号式のチェーンロックを取り付けることにしているのだが、そのチェーンロックを夜中走っていた際うっかり落として無くしてしまったので、近くのホームセンターに買いに行った。

 出来るだけ覚えやすい番号のカギを買おうと思いながら、自転車用品売り場に向かい、一番安いチェーンロックを手にとって見たところ、なんと以前なくしたカギと全く同じ番号であった。

 ラッキーと思うと同時に、チェーンロックの番号は一体何パターンあるのだろうということが少し心配になった。

      車中で笛を吹く
 先週末、実家に車で帰り、日曜の夜に福島に向かったのだが、首都高で渋滞が発生した。ラジオの道路情報によれば、もともと工事渋滞が発生していたのだが、その上事故が発生し、さらに渋滞が発生したとのことであった。

 運が悪いと思ったが、あまりイライラしても仕方がないので、笛を吹くことにした。最近あまり笛を吹いていないので丁度いいと思ったのである。半分は運転に、半分は笛を吹くことに集中しながら、渋滞を過ごしていた。吹きながら、これは道路交通法的にどうなんだろうということを思った。運転しながらの携帯電話の使用は減点の対象となる。しかし、運転しながらの笛の演奏というのはどうなのか。多分そんなことをする人はいないから大丈夫であろう。

 それにしても渋滞中ふと隣りの車を見ると、運転手がひとり笛を吹いているという光景はかなり異様であっただろう。


6月24日  お好み焼きを食べる
 最近体調が悪い。のどが痛く、頭も重い。私は体調の悪いときは、とにかく大量に食べて大いに寝ることにしているので、今日は三日前に作ったキノコ鍋にうどんを入れた鍋焼きうどんと、三週間くらい前に作って凍らせておいたお好み焼きを食べることにした。

 さて、鍋焼きうどんも完成し、お好み焼きもレンジで温めさあ食べようと思いきや、ソースがなかった。これにはかなり困った。お好み焼きはすでにホクホク湯気を立てている。どうしようかと思い、浮かんだ選択肢は次の三つであった。

(1)何とかして食べる
(2)食べずに再び凍らせる
(3)コンビニでソースを買う

 (2)は負け犬である。(3)に関しては、雨が降っているため、気が進まなかった。そこで私はお好み焼きにポン酢をかけて食べることにした。ポン酢は、実家のお好み焼き屋でねぎ焼きを出すときに用いており、実績はある。しかし、本当に美味しいお好み焼きでなければ味は悲惨であろう。

 これは賭けだと思い、お好み焼きにポン酢をぶっかけて食べてみたところ、それなりに美味しかった。これは嬉しいことである。私の作ったお好み焼きもそれなりに出来ているということが分かったからである。


6月17日  車中で聴くもの
 私は最近、車の中で英会話のテープを聴きながら通勤することにしている。「英語くらいは話せるようになっておこう」と思ったからである。かつて何度かラジオ英会話にチャレンジしたことがあったが、毎回挫折していた。

 始めはNHKラジオの英会話をかけようと試みたが、雑音がひどくて英語どころか日本語すらも聞き取れなかった。そのことを母親に話したところ、ちょうど実家でも英会話が流行っているらしく、ラジオを録音したテープを送ってくれることになったのである。

 聴いていると、基礎編から上級編まで入っているようで、中学一年生レベルのごく簡単なものがあるかと思えば、早口でほとんど聞き取れないものもある。

 しかしそれでもいい。音楽CDを何度も聴いていれば全部覚えてしまうように、英語もそのうち全部わかるようになるだろう。あまり真剣になりすぎずに、BGMを聞くような感覚で根気よく続けようと思っている。

 話は変わるが、英会話を聞く前は音楽を聴いていた。先週会社の人たちとキャンプに行った帰り、先輩を私の車に乗せたのだが、そのときは間宮芳生の「日本民謡集」がかかっていた。「なんじゃこりゃ」と驚かれたものの、多少興味を持っている様子だったので、「合唱のためのコンポジション」を聴かせたところ、「気が狂いそうだ」と言われた。そこで、私の好きなCDである「イマージュ」をかけたが、「この車にはまともな音楽が無い」と言われ、他の車からテープを借りてきてかけることとなった。


       フランス料理を食べる
 下に書いた発表を行うため、東京に行った際、同行したグループリーダーと昼食にフランス料理を食べることになった。私は今までフランス料理など食べたことが無かったため、非常に緊張した。

 店に入ると、メニューも何もなく、どうやって注文するのだろうと思っていたら、店員が来て何かしゃべりかけてきた。

 しかし、カタカナが多すぎて何をいっているのか理解できなかった。するとフランス料理好きなリーダーが「メインディッシュは肉と魚どっちがいいと聞いてるんだよ。」と通訳してくれた。

 その後、パンと前菜が運ばれてきたが、どうやって食べたらいいのか分からない。パンの食い方すらよく分からないのである。仕方なく正面にいるリーダーの動きを、鏡のごとく真似しながら食べていた。

 その他次々と出てくる料理は試練の連続であった。いちいち「これはどうやって食べるんだ」と考えなければならないのである。極めつけはデザートのシュークリームをナイフとフォーク食べることであった。

 ともあれいい体験になった。こういう恥ずかしい思いは若いうちにしておいた方がいいであろう。とても美味しかったし、フランス料理を食べるに当たっての基本的なマナーも学べたし、とても満足であった。  


       マンガにはまる
 すごく久しぶりにマンガを買って読んだ。浦沢直樹の「21世紀少年」というマンガで、ビックコミックスピリッツに連載されているものである。内容は、少年時代に空想した破滅的な未来が実際に起こり、大変なことになるというもので、ありえない話ではあるがリアリティがあり引き込まれる。日曜の夕方に買いに行き、一気に読み進んだ。おそらく、月曜日という週に最悪の日をむかえたくない思いから、現実逃避のつもりでマンガを読んでいたのだろう。

 気付くと夜中の一時なので、さすがにもう寝ようと思い電気を消したが、なかなか眠れなかった。私は普段眠れないということがあまりないため、結構驚いた。マンガの恐ろしい登場人物などが浮かんできて怖いのである。

 いつものようにテレビのタイマーを一時間にセットしてから寝たのだが、一時間経っても眠れず、突然テレビが切れて我が家は静まり返り、かなり恐ろしい気分となった。仕方なく再びテレビをつけて寝た。

 ともあれひさびさにマンガを読むのはいいものだと思った。


6月12日  報告会の練習をする
 明日、東京で技術的な成果についての報告会があり、今日会社でその練習をしてきた。イメージとしては卒論発表のようなものであり、全く初めての経験というわけではなかったが、卒論をまじめに取り組まなかった私としては、苦手である。

 発表の準備段階では、まずパワーポイントを使いこなすところから始めなければならなかった。パワーポイントは、なかなか思ったとおりに動かず、四苦八苦した。夜遅くまで資料作成して寝ると、パワーポイントを上手く使えず苦しむ夢を見たりした。

 なんとかしゃべる内容もまとめ、今日会社で発表の練習を行うことになった。広い会議室でプロジェクターを用いるなど、本番に近い環境である。「田所の発表がある」という情報を聞いた諸先輩方は「技術的興味」というよりは「見世物」を見るような感覚でぞろぞろ集まってきた。

 発表を終えての先輩方の意見は、私にとって若干ショックであった。

「前を向いて話すこと」
「自分が普段しゃべるよりもゆっくりしゃべるよう心がけること」
「言葉に抑揚をつけること」
「人に伝えるということを意識すること」

   いずれも民研時代のステージマナーとしては当然のことである。それどころかステマス時代にはそういった内容を後輩に教えたりもしていた。

 「内容が不十分である」といった指摘に関してはまだいい。私はそういったことに慣れてないからである。しかし、大学時代にきっちり学んだ数少ない事柄について指摘されたことについては素直に反省した。

 ともあれ明日はがんばろうと思う。


       風呂が沸かせない
 昨日の飲み会後酔っ払って家に帰り、風呂にお湯を溜めていたところ、知らない間に寝ており、三時間後目が覚めた。慌てて風呂に行ってみると水がざばざば溢れ出ており、慌てて水を止めた。

 二度寝後、風呂に入ろうと思い、お湯を沸かそうとするが、いくらやってもガスが付かない。風呂釜が壊れたかと思ったが、ガスレンジの方も付かないため、プロパンガスが空になったと思い込み、仕方なくそのまま会社に行った。

 会社に行ってその話をすると、気をつけたほうがいいと注意を受けたあとに、それは安全装置が働いてガスの供給が止まったのだという答えが返ってきた。安全装置を解除すれば再び使えるようになるという。

 仕事が終わった後、その安全装置を探した。しかし、真っ暗な雨の中アパートの壁をくまなく探したが、それらしいものは見つからなかった。

 私は今、非常に風呂に入りたい。明日は発表である。出来れば清潔な状態で参加したい。このままでは三日間風呂に入らない状況で発表せざるを得ない。この「つぶやき」を書き終えたら、再び安全装置を探そうかと思う。

 ちなみに現在、夜中の1時である。  


       風呂が沸かせない(続報)
 上記の「つぶやき」を書いた直後、本格的な捜査を行うことにした。そのためには懐中電灯が必要である。家の懐中電灯を持ち出してみたが、すでに電池切れであった。しかも電池のサイズは単二で、運の悪いことに単二の電池のみ我が家に無い。そこで、単三電池をティッシュでぐるぐる巻きにして、懐中電灯に詰め込んだ。単三と単二は長さが同じなため、使えるはずである。

 見事に懐中電灯は点灯した。それを持ってアパートの裏側に行った。不審者と間違われてもおかしくないシチュエーションである。

 アパートの裏側で、ついにガスの制御装置を発見した。そして、先輩が言っていた通り、「サルでも分かる」ような平易さで、安全装置解除の説明が記されていた。

 無事安全装置を解除し、現在風呂を沸かしている。非常に嬉しい気分である。そう思うと同時に、安全装置はありがたいなぁということ、これからは気をつけようということを思った。  


6月4日  私の好きな詩
 今日はもう寝ようと思っていたが、思うところあり、筆を取ることにした。ここでは、私の好きな谷川俊太郎の詩、「まっすぐ」を紹介したい。

「まっすぐ」

キューピットの矢のように
まっすぐ
レーザーの光のように
まっすぐ

まっすぐはとどく
まっすぐは貫く
まっすぐは跳ね返る
まっすぐは終わらない

赤んぼの泣き声のように
まっすぐ
玉突きのように
まっすぐ

まっすぐを生み出す力は
まっすぐではない
曲がりくねり
せめぎあっている



 私はこの詩を見て、始めに思ったのが自分の働く工場の印刷機のことであった。確かに印刷機を通るフィルムは「まっすぐ」進んでいるが、それは何事もなく「まっすぐ」進んでいるわけではない。フィルムが「まっすぐ」流れているのは、そのために設置されたさまざまなセンサーやシステムの細かい微調整のおかげである。

 次に思ったのが、私の想いであった。ある決断をしたとき、人は「潔いなぁ」とか「自分の信じた道を行くんだね」とか言う。しかし実際はそうでもない。決断をする前はもちろん、決断した後でさえ、いろいろな想いがこころをかすめ、不安な気持ちになる。それでも「自分で決めたことだから」と自分に言い聞かせる。

 今日突然こんなことを書こうと思い立ったのは、NHKの「私はあきらめない」という番組で、関西人ジャスシンガーである綾戸智恵の話を聞いたことによる。彼女の話はとてもさっぱりしており、聞く人にとって心地よい。一見彼女はとても「まっすぐ」生きているように思われた。しかし、よく話を聞いていると、どうやらそうでもないことに気付かされる。スランプの話や、声が突然出なくなった話を聞いていると、その中でもさまざまな迷いがあるのだということに気付く。

 「まっすぐを生み出す力は まっすぐではない」このフレーズは私にとってとても大事にしたい言葉である。

 今日はあまり話をまとめることができなかった。それは、私が現在若干酔っ払っていること、眠いため早く寝たいということ、そして自分の将来について揺れ動いていることによる。とりあえずこの詩をいろいろな人に見てもらいたいと思う。


6月1日  笛部のこと
 今日清稜祭のステージに笛部で出場した。これまでゲリラライブみたいなのはやったことがあったが、今回のようにイベントに参加するのは初めてであった。

 本番はマイクが壊れていて使用できないなど、いくつかの不都合があり、いい演奏とは言えないものだったが、私としては満足することができた。なによりもみんなでワイワイガヤガヤと音楽を出来ることが楽しい。

 笛部自体は、現在ささやかで決して大したものではないが、私の中でかなり重要な位置を占めている。それは、今の私にとって笛部は、「仕事以外で唯一情熱を傾けられるもの」だからである。

 最近仕事は忙しい。しかし、その忙しさにかまけて、仕事以外のことに対して無気力になってしまうのはよくない。いくら仕事が忙しくても、むしろ忙しいからこそ、その中からがんばって時間を見つけ、自分の好きなことのために使わなければならないと思う。笛部をやることは、私の「趣味」であり、私の「意地」である。

 ともあれ忙しい中時間を割いて練習に付き合ってくれたメンバーの方々、わざわざ演奏を聴きに来てくれた方々に心から感謝をしたい。   

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