2013年
4月のつぶやき




4月28日 今日のこと

 今日は、神戸の祖父母とスカイプをした。サチコの曽祖父母にあたる。昨年、日本に一時帰国した際の祖母は、具合が悪そうであったが、今日の祖母は元気そうであった。昔から、神戸の祖父母家が好きであった。家風は明るく、優しい。祖父母は、かつて叔母とともに世界中を旅行しており、実に行動的である。夏休みに帰るのが楽しみである。

 その後は、サチコを連れて柔道の練習へ。サチコはだいぶ練習らしきものが出来るようになってきたが、何せ「柔道」が何かということもよく分かっておらず、人を倒したらいいとか、倒れたら負けだとか、そういうレベルすらも分かっていない。背負い投げとか、内股とか、巴投げとか、技の名前も知っていて、それらしいポーズをするのだが、彼女にとってそれらは、あくまで「ポーズ」の名前であって、人を投げるための技術だということは理解していないであろう。

 父と戯れている間はまだ機嫌がいいのだが、同じ年頃の子供らと組み手をやらせてみたところ、急にやる気がなくなり、泣き出しそうになってしまった。彼女にとって柔道は「父ちゃんと遊ぶ場」らしい。

 練習を終えたら、買い物をした後、携帯のSIMを買いに行った。目的は、会社から支給された電話では繋がりにくい場所があるため、連絡先を確保しておくことだが、何よりも自分で携帯を手に入れる過程を体験してみたかった。特に、アジアでは一般的なプリペイド式携帯というのを使ってみたかったのである。ちなみに、インドネシアでは、2台の携帯を持つのが普通らしい。プロバイダーを変えて、電波不良対策にしているらしい。

 電話機はかつて使っていたものがあるので、SIMだけを買った。値段は2万5千ルピア(約250円)。買って名前を言うと、店員が菓子を食べながら携帯を操作して、登録してくれた。3千ルピア(約30円)ぶんのプルサ(カード残金)が入っているという。安いものである。

 あとは、色々聞きながら試してみようと思う。


4月22日 日本出張記

 先週一週間は、日本に行っていた。以下、とりとめもなくだらだらと記す。

 日本に行って毎回思うのは、食事が美味しいということである。私は、日本人の中では割と抵抗なくインドネシア料理を食べているほうだが、それでも日本に帰れば美味しいなぁと思う。白いご飯を食べるだけで全然違うと感じる。

 一方、一緒に行ったインドネシア人達は、やはり抵抗があるようであった。誰にとっても、子供の頃から食べなれた食事がいいらしい。

 もうひとつ感じるのは、テレビが面白いということである。これも、私達家族は、NHKばかり見ていてもあまり気にしないほうなのだが、民放を見ると、やはり面白い。「行列の出来る法律相談所」とか、げらげら笑いながら見た。それでもレンタルビデオ屋で借りてまでは見ようと思わないが。

 宿が皇居のすぐそばだったので、せっかくだからと思い、夜は皇居の周りを走った。夜でも結構多くの人が皇居の周りを走っていた。

 下には、特に欲しいものが思いつかないと書いたが、行ってみれば、色々魅力的なものがあった。こまいや鮭トバ(いずれも魚の干物)は、大好物であるし、明太子や高菜漬けも買った。こんにゃくゼリーは「子供は絶対に食べるな」みたいなことが大きな字で書かれており、あたかも毒物のような感じで売られていたのが面白くて買った。

 現地人は、なぜか会社の同僚から「日本には竜巻も防げる傘があるから買ってきてくれ」と言われたらしく、ビニール傘を指して、「あれが竜巻よけの傘か?」と聞かれた。とりあえず、100円ショップの傘を合計8本くらい買っていた。

 家に帰れば、サチコが「とうちゃ〜ん」と叫びながら走ってきて、感動の抱擁があった。やはり家族はいいものである。


4月12日 日本へ

 明日から、出張で一週間日本に行く。現地社員の研修の付き添いである。久しぶりの春の日本は楽しみである。妻からは、マンガの最新刊やサランラップなどを買ってきて欲しいと、いくつか要望があった。インドネシアで本当に手に入らないものといえば、サランラップと歯ブラシくらいであろう。

 サランラップは、手切れ性が良くて、鋏などを使わなくてもよいもの、ということであり、歯ブラシは、日本の歯ブラシくらい小型のもの、ということである(インドネシアの歯ブラシは、日本製の2倍くらいの大きさであり、使いづらい)。その他は、2倍くらいの金を払うか、ローカル製の代替品で問題ない気がする。

 よって、改めて「日本でしか手に入らないもの」を考えても、意外に思いつかない。数十年前の赴任者から見たら、羨ましいであろう。当然「あまちゃん」で登場するようなうに丼とかは無いが、持って帰れないであろうし。


4月6日 続・素晴らしい番組

 下記のつぶやきを書いた後、妹からメールがあった。下記アドレスにアップロードされているよ、と教えてくれた。

http://www.youtube.com/watch?v=db6z48XQisQ

 妻と一緒に見たのだが、素晴らしい番組であった。昨日見たときは最後の5分くらいしか見られなかったが、最初から見ることが出来た。この番組は、カメラマンが取材者となって、気になることを映像化しているらしい。まるで個人趣味のような世界が、これだけの映像美となっているのは、本当に驚きである。

 私は、何度も叫び声を上げながら見た。よだれが出そうであった。明日は広島焼きを作りたい。妹に感謝である。



4月5日 素晴らしい番組

 昨日の話だが、仕事から帰って夕食を終え、寝転がりながらだらだらテレビを見ていた。「八重の桜」お録画を見ながらうとうとしていると、いつの間にか終わっており、気付けば素晴らしい番組をやっていた。

 「カメラアイ」という名前の番組であった。

 広島のお好み焼き屋がテーマなのだが、お好み焼き屋の風景をごく自然に映像化しただけなのだが、その映像が圧倒的に素晴らしいのである。お好み焼きをひっくり返す瞬間の映像を無駄にハイスピードカメラで撮ってみたり、マトリックスの様に回転する視点から撮ったりする。同時に、お好み焼き屋の人間模様が優しいタッチで描かれ、温かみのある番組であった。

 広島焼き大好きの私にとって、これ程素晴らしい番組は無い。私のために作られた番組だと思った。ふと気付いて録画ボタンを押したときには、終了1分前であり、すぐに終わってしまった。15分の短い番組であったらしいのだが、私が見られたのは5分程度であった。

 いつか再放送をやらないものであろうか。そして、永久保存版として取っておきたい。


4月4日 ジョグジャカルタ旅行

 先週末は、ジョグジャカルタに旅行に行った。香港から元リコーダー部の友人、クリリンさんが遊びに来るため、旅行を計画していたのである。ジョグジャカルタは、単身赴任時代に一人旅で行ったきりで、家族ではまだ行ったことがなかった。

3月30日
 この日は、ガイドや運転手などを手配せず、自力でプランバナン遺跡を回る。サチコは珍しくクリリンさんと打ち解けるのが早く、「しんちゃん」と呼んでは慕っていた。行きはメータータクシーを呼んだにも拘わらず、「片道だったらメーター使わない。一律12.5万ルピア(1250円)だ」と言われ、まあ休日だし観光地だし仕方ないかと思い、乗った。降りるとき、「帰りの交通手段は無いよ、一時間あたり3.5万ルピア(350円)で待っててやる」と言われたが、片道でいいと言い張って降りた。

 帰りは「トランスジョグジャ」と呼ばれる路線バスで帰った。一人4千ルピア(40円)。行きと帰りの交通費の差が凄いと思った。帰りのバスでは、サチコが歌いだした。すると、周りの女子大生ぽい子達が、面白がり始めた。サチコがお手伝いさんに教わったインドネシア語の歌を歌うと、周りは拍手に包まれ、盛り上がった。日本では白い目で見られるようなことも、ここでは楽しみになる。インドネシア人はみんな子供好きで、子育てにはいい場所だと思う。

 帰りは、モールでレストランを探したが、いい場所が見つからず、スーパーの中のイートインコーナーで食べる。せっかく来たのに申し訳ないと思ったが、思ったよりも美味しかった。


左:プランバナンの中央に立つシヴァ神を祀る遺跡       右:インドネシアのホテルは枕が無駄に多い

3月31日
 二日目は、事前に予約していた日本語ガイドと車でボロブドゥール遺跡へ。まずは、クラトン(王宮)とタマンサリやジョグジャの下町を散策した。ガイドがいないと、ただきれいだなぁと思ってみるだけのものも、色々説明を聞きながら見ると違うものである。そう言えば、インドネシアに来て初めてのガイドツアーであった。

 続いて、ボロブドゥール遺跡へ。赴任してすぐにも行ったが、やはりこの遺跡の魔力は凄いと思った。下の階層には現世の苦しみなどが描かれ、上に行くにつれ、釈迦の一生が描かれる。その長々と続く彫刻を見た後、最上段に行くと、急にこれまでの雰囲気と一転して抽象的な幾何学の世界になる。この瞬間が解脱を表しているのだろう。この飛躍の瞬間というのは、何回来ても圧倒される。

 ストゥーパと呼ばれる72個のオブジェの中心には巨大なストゥーパが立っている。ガイドによれば、この巨大なストゥーパの中には、意外にも非常に小さい、しかし金で作られた仏像が安置されていたという。しかし、「オランダ人に盗まれたようだ」と忌々しく語ってくれた。各階層に描かれた人間臭い現世の世界、頂上に整然と並ぶ抽象画のようなストゥーパ、そして巨大なストゥーパにある意外にも小さな仏像、そして、8世紀に作られながら19世紀までジャングルに埋もれ発見されなかったこと。世界遺産に相応しい遺跡だと思う。

 その後は、バティック工房に行った。インドネシアに住んでいるのだから、家族でバティックを揃えようということになったのであった。工房を見学すれば、緻密な柄を手で書いていた。こんな緻密な作業を一日中やってバティックは作られるのだ。私には意外に向いているかもしれないとも思った。値段も手で書かれたバティックは相当高い。

 結局私が選んだバティックは、妻と娘のを足して2倍しても足りないくらい高いものになってしまった。しかし、一着あれば十分なものなので、買うことにした。

 夜は、マリオボロ通りの屋台で食事をした。ここは、ござの上に置かれた長テーブルで食事をする感じで、いかにもアジア旅行に来たという感じがする。クリリンさんもアジアを相当旅慣れているので、全く問題ない。食べていると、ギター弾きや笛吹きがやってきて演奏し、チップを渡す。ジョグジャカルタの人は、優しく、また、観光客にも慣れているようで、とても旅がしやすいところである。楽しい旅であった。


左:ボロブドゥール遺跡                  右:頂上のストゥーパ


左:ホテルのプールで戯れる親子+父友人だが、まるで悪役に追われる少女のよう          右:夕食を食べた屋台


4月1日
 この日は、朝起きて、飛行機に乗って帰るだけであった。平日であり、タクシーもメーターであった。来るときは一律10万ルピア(1000円)だったのが、帰りは4万ルピア(400円)であった。半額以下である。

 まあ、観光地の休日はそんなものであろう。  

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