2013年
5月のつぶやき




5月24日 家族とおなら

 先日、会社の先輩と飲んでいたとき、「家族の前で堂々とおならをするか?」という話題になった。我が家は、1月5日のつぶやきにも書いたとおり、当然おならをする。というか、それが普通だと思っていた。我が家と、もうひとりの先輩は同意見であった。

 他のふたりの先輩は、「しない」と言う。親しき仲にも礼儀ありで、おならをしたくなっても我慢するらしい。それどころか、トイレに入っても音が聴こえない様、気をつけるという。我が家や、もうひとりの先輩は、音を気にするどころか、ドアが開いたままだったりする。私も、朝、「あまちゃん」が見たいけどトイレに行きたいときなど、開けている。そんな話で無駄に盛り上がった。

 家族は色々だなぁと思った。


5月21日 じゃかるた新聞

 今日のじゃかるた新聞一面の冒頭から引用したい。


 「民主化は『踊り場』に」〜きょう、スハルト退陣から15年〜
 スハルト大統領退陣から、21日で15年を迎える。「レフォルマシ」(改革)を旗印に、民主化時代への第一歩を踏み出し、市民が自由をおう歌するようになったインドネシア。しかし、当時の経済は壊滅的で、建国時からパンチャシラ(国家5原則)を紐帯として多民族・多宗教の共生を図ってきた国家が、バラバラに分裂する「バルカン化」の道をたどりかねないとの危惧も上がった。その中で、インドネシアは相次ぐ爆弾テロや地震・津波の大災害など幾多の困難を乗り越え、ハビビ、グス・ドゥル、メガワティ、ユドヨノと四つの政権を経て、世界最大のムスリム人口を有する新興国の雄として世界に名を響かせるまでになった。一方、独裁体制から民主化へ一気に舵を切った反動もあり、現状を無視した賃上げ要求など国民の権利意識は肥大化し、地方の活性化の原動力になった地方分権も反面で利益構造を細分化させ、急速な経済成長は貧富格差の拡大を生み出すなど多くの課題も噴出。歴史的にSARA(民族、宗教、人種、社会集団)に触れることがタブー視されてきた社会で、宗教が絡んだ少数派の迫害や地方の住民紛争も頻発するなど、民主化の歩みを脅かしかねない不穏な動きも見え始めてきた。グローバル化の波や対テロ戦争、中国やインドを筆頭とした新興国の台頭などを背景に、世界の枠組みが大きく変わろうとする中、今も行き先を模索するインドネシアの民主化は「踊り場」の局面を迎えている。

 シンプルな文章だが、それを肌身で実感したような臨場感があり、一気に引き込まれた。インドネシアの15年を簡潔に振り返りつつ、その中に記者の思いのようなものも感じられる。新聞記者の文章を褒めるのも傲慢な話だが、備忘のためもあり転載させていただいた。


5月17日 工場閉鎖の町で

 昨日、NHKの「ドキュメント72時間」に釘付けになった。今回は、ソニー美濃加茂工場が閉鎖する日の取材であった。

 「ドキュメント72時間」は、ある場所に定めて3日間手当たり次第に取材を行うという番組である。これまで、新宿歌舞伎町の花屋、大阪梅田駅構内の串カツ屋、北海道の新千歳空港、海上自衛隊のお見合いパーティーなど、決して華やかではないが人間の輝きが見られるような場所が選ばれてきた。

 今回の番組は、強烈な印象であった。とは言っても、激しい場面展開は無い。ただ、手当たり次第にインタビューして、感想を聞くだけである。工場閉鎖のためにやってきた取材陣さえも、客観的対象として捉えている。

 ある女性は、仕事を求めてタイに移住する、と言う。もう日本に戻ることは無いだろうと、笑顔で語る。マイホームを購入したブラジル人は、娘を高校に行かせるかで迷い、家族会議を行う。インタビュアーは、「そうですか」と相槌を打つだけである。

 NHKは、ずるい。「公平・中立」を謳うNHKは、ときに直接的な主張や批判を圧倒的に凌ぐような強烈なメッセージを番組に込める。これは、工場を解雇された人への応援歌でもなければ、希望を見出すための番組でもない。ふんわりした雰囲気で進行する番組には、現代日本が突き進む姿への強烈な批判が込められている。

 それは、敢えて言葉にしないからこそ、より強いメッセージとなっているのである。  


5月14日 JKT48

 先週末、思いついてJKT48のアルバムCD「HEAVY ROTATION」を買った。10万ルピア(約千円)で、CDアルバムのほか、DVD付きであった。

 早速、DVDを見たところ、「HEAVY ROTATION」という曲のミュージックビデオが入っていた。

 内容は、高校の新入生が入学式の舞台でダンスをすることになったのだが、メンバーのふたりが渋滞および寝坊により、遅刻しそうになるが、間一髪のところで間に合い無事にダンスを披露するというストーリーになっている。

 渋滞のミニバスから見る風景や、疾走する女の子の背景にあるジャカルタの町並みは、リアリティがあって、面白い。「いかにも良くある風景」という感じがして、親しみを感じる。

 唯一不自然なのは、この遅刻しそうなふたりが、ここまで大急ぎで疾走していること自体である。私は、ジャカルタの町を全速力で走っているインドネシア人に未だかつて出会ったことが無い。慌てるという概念が無いかのように、のんびりしている。恐らく、このストーリーも、日本人が考えたのだろう。これを演じるJKT48のメンバーも、何となく不自然な感じを覚えつつも、とりあえず演じきったのかもしれない。

サチコとビデオを見ていると、「あいおんちゅー あいにーじゅー」と歌いながら踊りだした。そして、サチコの要望に従い、何度もミュージックビデオを再生することになった。

ミュージックビデオはこちら↓
http://www.youtube.com/watch?v=e0SOevO2N68




5月11日 統計解析、ジャニーズ

 下に書いた、統計解析の本が面白くて、ほぼ読了した。最後の章にある、天気予報などに使われるベイズ分析というのは、あまり興味が湧かず、読まなくてもいい気がしている。

 早速、仕事でこの統計解析が使えるかもしれないと思って、会社で取り組んでいるテーマのデータを分析してみたところ、熱中してしまい、他の仕事を全くすることなく、夜まで働いてしまった。こういうことは、たまにある。いけないと思いつつも、一方で自身のスキルアップには必要な経験だと思っている。

 疲れて家に帰り、食事を済ませ、日本で買ったこまいを肴に焼酎をちびちび飲んでいると、「少年倶楽部」という名のジャニーズの番組が始まった。全く興味は無いが、NHKしか見られないので仕方が無い。だらだら見ていると、「ジャニーズファンの女性の感覚と、AKB48のファンの男性の感覚は対称的か?」という疑問が湧いた。

 この番組を見ている限り、そうは思えない気がする。まず、ジャニーズ自体が中性的である。坊主で筋肉質で胸毛がもじゃもじゃ生えているジャニーズは皆無で、どちらかと言えば、色白で線が細く、髪の毛も割りと長い人が多い。ちょっと女性よりな位かも知れない。

 また、それを応援している女性ファンは、精一杯のおしゃれをしているように見える。ジャニーズを応援するということに加え、「ジャニーズにより見られる」ことさえも意識しているように思われる。

 一方、AKB48は、十分に女性的であり、敢えて男性方向に持っていく意識は無いように思われる。また、ファンが自分の外見を気にすることについても、あまり無いように思われる。

 こう考えれば、上記の命題の答えは「No」であろう。対称的ではなく、女性側にシフトしている。男性も女性が好き、女性も女性的なものが好き。

 もしかしたら、命懸けで狩りをして獲物を仕留めて持ち帰るようなことが必要なくなった現代において、「男性的であること」が生きる力すなわち異性への魅力とならなくなったのかもしれない。むしろ、社交的でおしゃべりが上手な方が、現代社会においては生きる力が強いとみなされるのかもしれない。

 だから何かと言われても、酔っ払っていてよく分からない。


5月7日 民研

 久しぶりに、思いついてyoutubeで学生時代に所属していたサークル「民謡研究会合唱団」(みんけん)と検索してみたら、発表会などの動画が出てきた。秩父屋台囃子や石狩太鼓、そして八木節など、懐かしい映像を見ることが出来た。凄い時代が来たものである。

 演奏はどれも素晴らしく、私達のときよりも洗練されているように思えた。ただ演奏するだけでなく、うまくアレンジされており、そのセンスは私達の時のものよりもはるかに良い。

 私達の時代は、現地の演奏の情報を得るだけで大変であった。当然youtubeなどもなく、当然レンタルビデオ屋にあるわけもなく、大昔の先輩から代々伝わるリズムを頼りにするか、さもなくば現地まで行かなければ分からない。現地に行くにも、ネットなどは無いから、観光協会に電話して、情報を得ることになる。

 合唱の選曲も、上野の図書館へ行って、こっそり楽譜をコピーしたり、こっそりテープにダビングしたりしたものが、代々伝わっていた。

 今では、得たい伝統芸能の名前を入れて検索すれば、色々な情報を得られる。同じようなことをやっている団体の映像も見られるし、それでアイディアを取り入れたり、演奏レベル向上を図ることも出来るだろう。

 一方で、現地に行って初めて体験する新鮮さや驚きは、薄れるだろう。また、「民研らしさとは何か」「郷土芸能の本質とは何か」といった問題は、より難しくなるだろうし、気付けば「youtubeでよくあるパターン」になってしまうリスクもはらんでいることだろう。

 それでも、演奏は、驚くほど変わっていなかった。荒削りだが勢いのある演奏と、学生達のどことなく垢抜けない雰囲気(現役の人が見ていたらごめんなさい)は、そのままである。ちょっと小奇麗になった気がしなくもないが。

 日本に帰った時は、また発表会を見に行こうと思う。

2011年発表会 八木節
http://www.youtube.com/watch?v=L3SMAFsLX6Y

2011年発表会 石狩太鼓
http://www.youtube.com/watch?v=88KtbfeRybc

2011年発表会 お駒花笠
http://www.youtube.com/watch?v=KB88bIOW0ic


5月4日 罪と罰と統計解析

 最近、ドストエフスキーの「罪と罰」を読んでいる。ジャカルタは日本の本が高い。日本で買う2倍くらいするのである。だから、せっかく高い金を払って本を買うのなら、すぐに読めてしまうマンガとかではなく、中身の濃い本を買おうと思ったのである。それ以外の理由は特に無い。

 読んでみると、実に退屈である。本当は素晴らしい名作なのだろうが、私では理解できない。当時のロシアの背景も分からないし、思想的な話も教養が無いので理解できない。また、登場人物の名前も長い上、ころころ変わるので、覚えづらい。例えば、主人公の妹の「ドゥーニャ」は、「ドゥーネチカ」でもあり、「アヴドーチヤ・ロマーノヴナ・ラスコーリニコワ」でもある。Wikipediaで調べなかったら、こんがらがっていたであろう。

 内容は、人々が集まっては議論をし、その度に紛糾し、誰かが怒ったり、悲しんだり、精神的に病んだりして終了し、他の場所でまた同じようなことを繰り返し、、、といった感じである。あまりに誰も彼もがそういう激しい感情の持ち主のため、笑ってしまう。しかも、誰かが質問をしても、到底それに対する回答がなされているとは思えないのに、議論は普通に進行しており、ついていける気がしない。

 上記のような印象を妻に話したところ、「ロシア人はビタミンが足りないのではないか」という返事が返ってきた。

 そんな感じだから、毎日20ページも読めば眠くなってしまう上、先日の内容を覚えていないものだから、少し戻って読んだりして、なかなか読み進めない。まあ、考え方によっては費用対効果は高いであろう。

 そんな中、とりあえず罪と罰を読むのをやめて、日本で買った統計解析の本を読んだ。仕事で使えるだろうと思って買ってみたのである。確率論など、学校で習ったような数式やグラフが並ぶ。私にとっては文学の名作よりもこっちの方がはるかに面白いと思うのである。


5月3日 あせも

 最近、どうも筆が進まない。文章力も落ちている気がする。そういうときは、無理矢理にでも何か書かなければならない。

 ここ数週間、膝の裏にあせもが出来て、なかなか治らない。痒くてかきむしってしまうと、またあせもが復活して、というのを繰り返している気がする。ムヒを塗れば、ひんやりしてしばらくは持つのだが、しらばく痒みがなくなると、ムヒを塗るのをサボってしまい、また痒みが復活して・・・という感じである。

 それにしても、痒いという感覚は、呪いの感覚だと思う。痛いとか、熱いとかであれば、人間は自分を守る方向に行動する。しかし、痒いという感覚は、自分を傷付け、治癒を遅らせるどころか、更に酷い状態にしてしまいうる。また、掻いている間というのは、何とも言えず快感である。

 そんなことを考えながら、ぼんやりあせもと付き合っている。  

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