2013年
8月のつぶやき
8月30日 ぷよぷよクエスト
ここのところ、携帯ゲームの「ぷよぷよクエスト」にはまっている。日本に一時帰国した際、電車やバスに乗っていると、やたらみんなぷよぷよみたいなゲームをやっているなぁと感じ、調べてみて知った。元々ぷよぷよは好きなゲームであり、やったらはまってしまったのである。
そもそも、ゲームなどは、時間の無駄である。そんな時間があったら、本を読んだり、勉強したりしたほうがよほど自分のためになると知っていつつも、つい手が出てしまう。それがゲームであろう。今では、会社の行き帰りの車の中でもぷよぷよをやり、帰ったらサチコとぷよぷよをやって遊ぶ。時間の無駄だが、楽しい。
それでも、夜寝るとき、目を閉じればぷよぷよが次々と連鎖で消えていく風景が思い浮かび、ぐっすりと眠れる。余計なことを考えないことは悪いことばかりではないらしい。
8月28日 メニエール病分析
また、耳鳴りの症状が酷くなってきた。病名は医者によって異なり、以下の2種を診断されている。
1.メニエール病(神戸医療センター)
2.良性発作性頭位めまい症(横浜めまいメニエール勧められたのに対し、横浜めまいメニエールセンターでは有酸素運動を勧められている。
薬の効果については、これまでの経験からも効果があるかはよく分からない。というのは、症状自体に波があり、酷くなったり軽快したりする。薬を飲むタイミングは当然症状が重い時であり、薬の効能によって軽快したのか、或いはただ、症状の波のなかで、たまたま軽快するタイミングで薬を飲んでいただけなのか、そのあたりがよく分からない。
もうひとつ、酒を多めに飲んだ後は、重症化する傾向があるような気がする。缶ビール1本くらいなら問題ないが、それ以上飲んだ場合、重症化する傾向がある。ただし、これも上記と同様、たまたま症状の波と重なっただけなのかは、よく分からない。
また、環境の変化とも関係があるような気がする。退院の時、ジャカルタに戻るとき等、環境が変わるタイミングで重症化する気がするが、これもまた上記と同様、分からない。
とりあえず、この症状の波と治療の関係を明らかにしなければならない。まずは、たとえ重症化しても薬を飲むのをやめ、症状の波がどうなるかを確かめる必要がある。代わりに、これまで試したことの無い、有酸素運動をやってみて、症状がどう推移するかを確かめたい。疲れに注意し、睡眠を多めに摂る。酒を控える。
これを2週間位続けてみて、効果がないようであればもう一度薬を飲んでみようと思う。
8月23日 メニエール病
ご無沙汰しております。8月は先月の「つぶやき」にも書いたとおり、耳鳴りのため日本に帰国し、ジャカルタに戻ったのは昨日であった。以下、備忘のため経緯を記しておく。
・4月下旬
右耳の耳鳴りを感じる。
・5月9日
ジャカルタの耳鼻科で診察を受ける。ただ、この頃にはだいぶ良化しており、異常は認められず。医者から以下の薬を処方されるが、「飲んでも飲まなくてもよい。飲んで治らなかったとしても気にする必要なし」と言われる。そういうことならと、殆ど飲まなかった。
Neurobion(ビタミンB12等)
Methycobal(血流を良くしめまいを抑える)
・7月9日
これまでも耳鳴りや耳の詰まった感じがあったが、上記の通り、「気にしなくてよい」とのことであったので、放置していた。しかしこの日、やはり耳鳴りが辛い上、右耳の聴こえも悪くなっていたので、再度同じ病院で診察を受ける。ここで初めて聴音検査を行い、右耳の聴力が低下していることを確認した。薬を以下を処方される。
Medrol(ステロイド)
Methycobal
Clarinose
・7月22日
耳鳴りは軽くなったり酷くなったりを繰り返すものの、消えることはなくなった。また、この日、会社でふらつきを経験する。立ち上がろうとしたところ、ふらふらしてうまく立てない。移動するときも、何かに掴まりながら歩かなければならない。しかし、30分程度でこの症状は消失した。
この日、再度ジャカルタの病院へ行った。やはり外的な異常は認められず。処方された薬は以下。
Rhnos
Medrol
Tebokan
・7月27日
先月の「つぶやき」にも書いたとおり、道を渡ったところにあるサテ(串焼き)屋台でふらつきを感じた。ふらつきの恐怖よりも、この状態で道路を渡らなければならないことが怖く、サテが焼けるのを待ちながら冷や汗が出た。何とか家に戻り、目を閉じてしばらく寝ると、元に戻った。ここで、早めの帰国を決意する。
・7月31日
出国
・8月1日
福岡空港に着き、その足で耳鼻科(松田病院)に行った。診察の結果、メニエール病の疑いがありと言われ、以下の薬を処方された。
アデホス(循環改善)
メリスロン(血流改善)
イソバイド(浸透圧利尿剤)
・8月4日
家族で熊本の温泉へ。のんびりお湯に浸かったり、サチコと花火やシャボン玉をして遊んだ。この日から耳鳴りがまた酷くなる。
・8月6日
松田病院で再度、診察を受ける。最初の医師には突発性難聴ですと言われ、入院を勧められる。入院を決めた後の副院長の診察では、メニエール病と診断された。薬は、ステロイドを飲んだ後にふらつきがあるということに注目され、ステロイドを使用せずに治しましょうと言われる。荷物を取りに帰り、そのまま入院する。
・8月10日
退院。耳鳴りは良化をしていったが、退院当日はまた悪化した感じがした。しかし、そのまま退院した。病院が盆休みに入ることも退院理由のひとつであろう。
アルコールは良くないとのことで、これ以降、しばらく酒を止めることにする。処方された薬は以下。
アデホス
イソバイド
・8月12日
母の実家のある神戸へ。耳の調子は悪い。長田神社でお守りを買う。今年は「病気平癒」にした。
・8月13日
やはり耳鳴りが酷いので、神戸医療センター(市民病院)へ。ここでの検査の結果、診断はメニエール病であった。また、めまいの検査結果から、脳腫瘍などの可能性は無いと言われる。ジャカルタに住んでいることを告げると、「ほなフルコースで行きまひょか」と言われ、必要な薬は全て多めに貰った。松田病院のステロイドを使わない治療に疑問を持たれたようで、ステロイドも飲むようにとの指示。
プレドニン(ステロイド)
イソバイド
アデホス
メリスロン
メチコバール(ビタミンB12)
セルシン(精神安定剤)
・8月14日
この日からまた快方に向かう。父の実家のある明石へ。祖父にも会う。子供にあごひげを「じょりじょり」するのは、田所家の伝統であった。その夜、福岡に戻る。
・8月17日
再度、松田病院へ。薬はすでに貰っていたので、聴音検査のデータをもらうのみであった。
・8月18日
上京
・8月19日
東京の本社に行き、大量のメールチェックをする。また、その後、産業医面談を受け、ジャカルタ戻りの許可を貰う。イソバイドがインドネシアに無いことを告げると、もう一か月分持っていたほうが良いと言われたが、薬局にないとのことであり、次の日に横浜めまいメニエールセンターで貰うことにする。
・8月20日
横浜めまいメニエールセンターで診察を受けた。ここの先生によれば、私はメニエール病ではなく、「良性発作性頭位めまい症」だとのことであった。原因は運動不足による生活習慣病で、週に1回の柔道などでは到底足らない、朝晩の体操、ランニングを勧められる。上記のイソバイドについては、「ナメクジに塩をかけるようなもので、有害無益」とのことであり、処方されなかった。その他の薬についても、飲む必要なしとのことであった。
メニエール病はストレスが原因でなるものであって、聞いているとあなたはストレスが無い上に、顔もインドネシア人みたいだし、ずいぶん現地で溶け込んでやってるみたいだから、メニエール病であるはずが無い、とのことであった。ちなみに、上記の体操とは非常に簡単で、
1.前屈、後屈
2.左右
3.体を大きく回す
4.ジャンプ5〜6回
とのことであった。要は、リンパ液の中の耳石をうまく取り除けるよう、攪拌するのが重要らしい。それなら、柔道やれば相当攪拌されることだろう。その他、仕事中も時々ジャンプしなさいとの指示であった。
そこで先生の著書「薬も手術も要らないメニエール治療」を購入した。
・8月21日
成田出発
・8月22日
ジャカルタ着
以上のような経緯であった。神戸医療センターでの診察後、症状は小康状態が続いており、このまま治ればと思う。また、松田病院での治療は全くの時間の無駄であったと思う。やはりめまいの専門医のところに行ったほうが良かった。
最後の横浜めまいメニエールセンターについては、衝撃的な結果であったが、先生の説明が丁寧で納得できるものであったこと、そこで買った本の内容も納得でき、また読み物としても面白いことから、実践してみようと思っている。なにより、ランニングと体操で治るのなら、これほど楽なことは無い。
今回の病気を通じて感じたのは、私の仕事の仕方であった。これまで、私は一所懸命頑張るということは、正しいことだと思っていた。多少辛くても、我慢することは、正しいことだと思っていた。今思えば、ここのところ、疲れがたまっていた。仕事を終えた後の車の中では、英語を勉強したり、本を読んだり、とにかく時間を無駄に使わないよう、多少疲れても自分を高めたいと思っていた。
仕事でも、頭を休めることが悪であることのように、何かすべきことはないか、常に考えていた気がする。
もちろん、上記の姿勢は悪いことではない。しかし、この病気を通じて、もう少しものごとを気楽に考え、無理し過ぎないということも大切だということに気付いた。それが必ずしも仕事の効率を落とすとは限らないし、何より病気になったら元も子も無いのである。
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