2013年
9月のつぶやき




9月29日 あまちゃんリコーダー4重奏

 今週、あまちゃんが終了した。サチコも「ンパンパのおねえちゃん」と呼んで親しんでいた。「ンパンパのおねえちゃん」の意味は、オープニングテーマの裏拍のリズムから来ている。

 確かに、いいドラマであった。飄々とした雰囲気でありながら、震災からも真正面から向き合い、うまく描ききった。そして、時期的にも、「震災のことなんかより、もっと景気のいい話をしよう」という安倍政権へのアンチテーゼともなった。父は、一日3回見るほどのあまちゃんファンらしい。日本では、「あまちゃんレス症候群」の発生が懸念されているらしい。

 それはともかく、サチコの好きな「ンパンパの曲」をリコーダーで編曲して吹いてみた。あまり時間が空き過ぎると時期を逃すと思い、先週末に大急ぎで編曲し、通勤の車の中で指の練習および楽譜の修正、そして、昨日レコーディングした。

その後、辛口音楽評論家の妻に聴いてもらい、駄目出しされた部分を修正してアップロードした。

http://www.youtube.com/watch?v=YKQzbXoAzy8

ちなみに、妻からは、音のおかしい部分を指摘してもらった他、「裏拍のリズム感は、思ったよりもマシ」という高評価と共に、「躍動感が無い」という、どうにも修正のしようの無い指摘を受けて、終了した。

 お互い同じ音楽サークルの出身なので、厳しいのである。


9月26日 空海の風景

 ここのところ、日本で買った司馬遼太郎の「空海の風景」を少しずつ読み進めている。

 インドネシアで働いていると、時々「タドコロサンの宗教は何?」と訊かれる。とりあえずブッダだと答えることにしているが、自分でもピンと来ないのである。父にメールで訊いたところ、どうやら田所家の宗教は真言宗で、ついでに「空海の風景」を勧められたのであった。

 「空海の風景」は、著者の「空海を肉眼で見たい」という願望を元に、史実と想像を元に作られた小説である。そのため、他の小説と比べて、歯切れが悪い。語尾が「〜に違いない」「〜だったであろうか」というのが異常に多く、例えば「竜馬が行く」等と比較すると、全く躍動感が無い。しかし、その歯切れの悪さが小説に独特の味を与えており、ついつい読み進めてしまう。以下、印象的な部分を引用する。


かれらは釈迦の仏教とはちがい、ともすれば精神が死にむかって衰弱しがちな解脱の道をえらばなかった。釈迦とは逆の道をえらんだ。現世を肯定した。解脱解脱といっても人間も虫も草も、生命があるかぎり生きざるをえないではないか、というひらき直った所から出発した。かれらは自然の福徳や智慧という利益をうけなければならない。虚空蔵菩薩という自然の本質は、それへ修法者が参入していきたいとこいねがい、かつ参入する方法を行ずるとき、その修法者に惜しみなく利益をあたえてくれるというのである。

 このくだりを読んで、私は嬉しかった。私は、生命を、世界を肯定する宗教の家系に生まれたらしい。


9月14日 初音ミクライブ

 先日、新聞で日本では初音ミクのライブが流行っているという記事を読んで、youtubeで見てみた。

http://www.youtube.com/watch?v=jInyLcEm85A

 私は、その凄さに驚いた。サチコと見ていたのだが、ふたりでしばらく釘付けになって見てしまった。どんな技術なのか分からないが、センターには3Dの初音ミクが浮かび上がっており、本当にそこにいるみたいである。そして、伴奏はかなりレベルの高い生演奏。かなり高度な曲である。コンピュータの声だから、どんな難しい曲でも歌えるのである。観客は、まるでそこに本当の人がいるかのように、盛り上がっている。

 このライブを見ていると、色々なことを考える。人間とは何か、カリスマとは何かということを考える。彼らが熱狂している眼差しの先には、何もいない。ただの光のイリュージョンであろう。それでも、あたかもそこに感情のある人がいるかのように応援している。まるで、神に似ている。実態の無い存在を共同幻想で浮かび上がらせた姿であろう。カリスマというのは、人間のみに宿るとは限らないのである。

 だからと言って、不健全だと批判するつもりは無い。このライブはエンターテイメント技術の結晶であろう。宮崎駿のアニメーション映画が凄いように、このライブの裏で、これを作り上げるにあたり大勢の人の膨大な労力と技術力を結集したに違いない。

 妻に見せたところ、これは一度生で見てみたいと言った。それにしても、サチコには、妻がきゃりーぱみゅぱみゅやPerfumeを見せており、テクノ系の音楽ばかり好きになってしまう気がする。




9月10日 仲川遥香さんのこと

 JKT48の仲川遥香さんが、凄い。今月のジャカルタの無料誌「南極星」の特集で20ページ近くに渡り掲載されている。

 彼女が凄い、ということは、前から感じていた。ツイッター(@HarukaN_JKT48)では、綺麗なインドネシア語でつぶやき、その下には日本語訳も載せている。更に驚くべきことに、ラマダン(断食月)中は、毎日ムスリムが起きる早朝に、「今日も断食頑張ろう!」みたいなことをインドネシア語でつぶやいていた。

 また、地元のバラエティ番組に出演し、本来司会者が座るべき椅子に勝手に座り、やって来たスキンヘッドの司会者に「なんだこのハゲ」みたいなことを言って笑いを取るなど、堂々たるトークぶりである。
http://www.youtube.com/watch?v=6cfl-hb7aL0

 異国に飛び込み、溶け込み、それを楽しみながらも真摯に仕事にまい進する姿勢は、同じ海外で働く者としてのお手本のような存在である。


9月9日 東京オリンピックについて

 2020年に、東京でオリンピックが開催されることになった。開催が決まるまでは賛否両論見られたものの、開催が決まった後は、メディアの報道がほぼ祝福ムード一色になった変わり身の早さに驚いている。

 私は、東京に決まって欲しくなかった。やはり、東京招致委員会の竹田恒和理事長が、「東京は福島と250キロ離れているから安全だ」という意味の発言をしたことが引っかかっている。この発言からは、復興とか原発事故とか「シケた」話はやめにして、もっと景気のいい話をしようじゃないか、そんな雰囲気が垣間見える。

 オリンピックが決まって、世界の目が向くことで、復興への取り組みが促進されるのではないか、という意見もあるが、私は懐疑的である。そう言う人は、どこか他人事である。では、オリンピックに向けて復興を加速するために増税に耐えましょうとか、輪番停電を行いましょうとか言われれば、彼らは反対するに決まっている。オリンピックが決まったからと言って、被災地へ赴くボランティアが急増するとも思えない。直前になれば、「原発問題は終わりましたキャンペーン」が行われ、問題の本質は隠蔽され、そこで苦しむ人々が取り残されるに決まっている。

 あるものごとをやり遂げるにあたり、モチベーションは必須である。それを、オリンピックに求める気持ちは分かる。しかし、気持ちだけではどうにもならない。復興は、金が必要であり、労力が必要な、実質的な事業である。果たしてオリンピックが最も近道といえるだろうか。むしろ費用対効果は低いのではないか。

 話は変わるが、「あまちゃん」が佳境を迎えている。震災から2年半を過ぎて、改めて震災を描くタイミングは絶妙である。ここからは、まだ復興は道半ばだぞ、という作者の強いメッセージが伝わってくるようである。

 私の中で、オリンピック開催と、「あまちゃん」が対極にある。


9月5日 明大前「ワニワニ」にて

 先月の休み、東京で民研の後輩キョウスケの経営する明大前のバー「ワニワニ」で、民研の友人と久しぶりに集まった。

 店は立派で、一国の主として店を切り盛りするキョウスケがまぶしく見えた。確か、学生の頃、彼が就職活動中か何かに、ろくに就活もせず「オレは美味しんぼの『岡星』みたいな店をやりたいんすよ」とか語っていた気がする。私達は、下らない我がままだと思い、現実逃避をするんじゃないと叱咤した記憶がある。それから、彼は自分の夢を叶えた。

 娘のミキちゃんは、気付けば大きくなり、バーで大人の話し相手になったり、一緒に折り紙をしたりしている。まるでじゃりん子チエみたいで、可愛い。

 それにしても、これまで過去の友人を大切にしなかった私にとって、民研の付き合いは例外的に長い。いつの間にか、あれから10年以上経ち、子連れでの付き合いが普通となった。バーの店長がおり、若社長もおり、海外にも同期や後輩が数名暮らしている。色々な友人がいるのは、豊かなことであろう。

 あと、医者と弁護士がいれば言うことないのだが、残念ながらそういう学科は私の大学にはない。


9月4日 奇妙な夢

 先月は、メニエール病のことばかり書いていて、夏休みのことは殆ど書かなかったが、少しずつ思い出して書いていきたい。そのひとつが、神戸の母の実家で見た奇妙な夢である。

 私は、ワタナベコウイチという男が企画した夢に迷い込んでいた。そこには、中学生のワタナベコウイチと少女時代の吉永小百合の他、数名の中学生が遊んでいた。彼らは、将来芸能界入りを希望している子供達で、こうして、同じ夢を持つ同志たちが、夢の中で出会うというイベントらしい。

 そういう説明をワタナベコウイチからされて、私も夢だということを自覚した。夢であれば、念じれば目が覚めるはずだが、一向に目が覚めない。それどころか、目の前の風景は普通に色が付いていて、実にリアルである。私は、言いづらいことだが、彼に語ることにした。

 吉永小百合は、その後、国民的女優となって活躍することになるが、あなたの名前を私は知らない。しかし、未来は変えられる。頑張れ。というようなことを言った。そして、それにしても凄い夢だ。夢だと分かっていても目が覚めない。一体どうすればあなたが招待したこの夢から覚めることが出来るのか。と訊いた。

 彼は言った。この鍵でそこの扉を開けて、外に出たらその鍵を後ろにいる男に渡してください。その男とは、もちろん私のことですよ。

 彼の言うとおりにしたところで、目が覚めた。

 恐らく、時代を超えて夢の中で人と会う夢を見たのは、「風立ちぬ」を見て影響を受けたからだと思われる。この「つぶやき」を書くときに気になって、ワタナベコウイチという名前で検索してみたが、政治家の名前が出るのみであった。


9月2日 民主主義について

 ニュースでエジプト情勢について報道するたびに、複雑な気分になる。民主的な選挙によって選ばれたモルシ政権が軍事クーデターによって退陣させられ、再び独裁的な色彩が濃くなっている。

 民主的に選ばれたのだから、文句を言うな、という意見もあるが、自分と全く宗教の違う政党が政権を取り、その宗教を押し付けるような政策をされたとしたら、少数派としては黙っていられないであろう。少数派だから仕方ないと、諦めることは出来ない。ここに民主主義のジレンマがある。

 私の送り迎えをしてくれる運転手は、「スハルト時代は良かった」と言った。今のような物価の上昇は無く、今ほどの貧富の差も無く、治安も良かった。政治は庶民の方を向いていた。人々はのんびり穏やかに暮らしていた、という。独裁政治のあまり語られぬ一面であろう。

イギリスの元首相チャーチルは、「民主主義は最悪の政治形態であると言える。ただし、これまで試されてきたいかなる政治制度を除けば。」 と言ったらしい。民主主義が最高の政治形態だと信じることは危険である。ただし、これまで人類が試してきた政治形態の中で、もっとも「ましな」政治形態なのであろう。

 今後の人類は、間違いなく民主主義よりも「ましな」政治形態を発明することであろう。それがどのようなものかは、私達には想像もつかないが。

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