2013年
12月のつぶやき




12月26日 2013年を振り返って

 今日は、会社の忘年会であった。もうすぐ、2013年も終わる。インドネシアにいたら、季節の変化がないため、なかなかクリスマスや正月の実感が湧かない。それでも、ふとしたときにこの時期の日本のひんやりした空気を思い出しては、師走を感じている。

 今年は、とにかく耳鳴りに悩まされた一年であった。耳鼻科や整体を色々まわり、薬や漢方など、色々な薬を試し、ランニングが効くと言われては試した。結局、耳鳴りから救ってくれたのは、リコーダークラブのホリさんが教えてくれた、ノニジュースであった。(12/1つぶやき参照)ノニジュースを飲み始めて以来、耳鳴りが消えることは無いものの、酷い詰まりや難聴はなくなり、殆ど気にならない位にまでなってきている。

 耳鳴りになって以来、運動量を増やし、酒量を減らした。耳以外の私の体は、むしろ健康になっている気がする。

 耳鳴りを通じて学んだことは、頑張りすぎてはいけないということであった。それまで、私は疲れに無頓着であった。疲れていても、車の中では英語のテキストを聴いたり、本を読んだりして過ごした。とにかく、勉強して、自分を高めたいと思っていた。もちろん大事なことだが、そろそろ年齢も意識しなければならないと思った。耳鳴りを経験してからは、のんびり過ごし、好きなことをして、体調に正直にするようにした。

 来年は、このバランスをまた少し改めたいと思う。自分を高めることと、疲れすぎないこと、これを両立させなければならない。


12月22日 リコーダークラブクリスマスコンサート

 今日は、ジャカルタリコーダークラブのクリスマスコンサートに参加した。前半はあまちゃんのテーマやピタゴラスイッチ、ジブリなど馴染み深い曲を、後半はクリスマス曲を演奏した。こじんまりしたコンサートで子供達も多く、楽しく演奏できた。ピタゴラスイッチは、私が主旋律を吹いていたのだが、途中うっかりして間違えてしまい、「あんな曲で間違えやがって」と妻に怒られた。

 また、「他の笛も聴いてみよう」というコーナーで、クラリネット、オカリナの演奏をした。私はオカリナの重奏で「ふるさとを吹いたのだが、酷い出来であった。オカリナは、吹く息の強さで大きく音程が変わるため、どのくらいの音で吹けば正しい音が出るか、覚えなければならない。私は、それどころか、指使いも前日に覚える有様だったので、到底吹けるわけがなかった。

 また、リコーダーでテレマンのカノンソナタを演奏した。この曲は輪唱のように、二人で同じメロディを少しずらして吹くのだが、複雑なメロディのため、少しでも間違えると復帰できない。何度か練習したが、成功率は低く、一緒に吹くマツウラさんは、出る直前までやっぱり止めましょうと言っていたが、リーダーのホリさんにせっかくだから出ましょうと言われ、出た。

 こちらはなんとか最後まで演奏でき、胸を撫で下ろした。

 楽しいひとときであった。ひとりで多重録音するのも楽しいが、やっぱりアンサンブルでやるのが楽しい。


12月15日 生きる力

 前にも書いたが、日本が少子高齢化社会となり、人口が微減し始めたことは、もちろん色々な問題はあるとはいえ、基本的にはよい傾向だとは思う。

 そもそも、環境問題を解決する目的とは、人口爆縮を防ぐことである。イースター島の例の様に、反映して増えすぎた人口を養える自然がなくなった瞬間、急激な人口低下が発生する。これが地球規模で発生すれば、下手をすればナウシカのような世界になるかもしれない。この人口爆縮を防ぐのが環境問題を解決しなければならない唯一無二の理由だと思っている。

 その上で重要なポイントのひとつは、人口が微減することである。そうすることで、人口を養えるだけの食料やエネルギーが確保でき、環境問題を「軟着陸」させることができる。

 もうひとつの観点として、そんな不幸な自体が発生したときにでも、自分の子供はちゃんと生き延びることが出来る。そんな力を養うことが親の役割である。そんな話を、ラーメンを食べながら妻としていた。

 ふとサチコを見ると、ラーメンを殆ど食べず、へらへらしていた。平和な世の中であって欲しい。


12月14日 柔道の試合

 昨日は、柔道の試合であった。ジャカルタ州知事杯で、インドネシア人のほか、我々日本人や韓国人も混じって試合を行う。結果は一応ベスト8らしいが、以下の通り、満足するには程遠い結果であった。

1回戦・・・不戦勝
2回戦・・・相手が反則をして勝ち
3回戦・・・締め落とされて負け
敗者復活戦・・・押さえ込まれて一本負け

 柔道の才能が無いことは、高校時代に分かっており、試合でここ一番の踏ん張りが出来ないのである。それにしても、初めて締め落とされる経験をした。何か夢のようなものを見ており、ふと気付くと畳に横たわっていた。しばらくして、ようやく試合に負けたことが分かった。ずいぶん長い時間のように感じたが、周りの人が言うには、ほんの少しの間だったという。

 それにしても、柔道をやっていたことは財産だということは強く感じる。私達オヤジ柔道家は、週に一回だけしか練習せず、それ以外の運動も殆どしていないにも拘わらず、毎日練習しているしなやかな肉体の学生とも互角に戦え、入賞する人もいる。

 まあ、成長のスピードは彼らには勝てないのだが。


12月8日 あんぱんまん

 サチコは、初代「あんぱんまん」の絵本が大好きで、毎晩寝るときは「オレンジのあんぱんまん読んで」とせがんでくる。

 初代「あんぱんまん」は、アニメ化される前のもので、絵の雰囲気も今のものとはだいぶ違う。冒頭、「あんぱんまん」は、広大な砂漠で倒れた旅人のもとに、夕日をバックにして現れ、いきなり、「さあ、ほくの かおを たべなさい」という。びっくりした旅人は、「そんな おそろしいことは できません」と断るが、「ぼくの かおは とびきり おいしい。 さあ、はやく!」とせきたてるのである。

 最初にこれを立ち読みしたときは、この壮絶な内容に衝撃を受けたし、この精神がアンパンマンの根底にあるのだと、心底思った。

 これを毎日サチコに読み聞かせているうちに、どんどんアレンジされてきた。なぜか、「あんぱんまん」は「とうちゃん」に、「ぱんつくりのおじさん」(今で言うジャムおじさん)は「かあちゃん」に、森で道に迷った「こども」は「さっちゃん」に読み替えている。例えば、

「そのとき とうちゃんが ひらりと とりのように おりてきました。『ないているのは さっちゃんだったのか。もうだいじょうぶだ。あんしんしなさい。』
「とうちゃんは さっちゃんを せなかに のせて ひらりと よぞらに とびたちます」

などは、まだ父として誇らしい感じがする。

「かあちゃんは かおの ない とうちゃんを みると、にこにこしながら『よしよし、また あたらしい とうちゃんを つくってあげるよ』と いいました」

は、なんか変である。

 そのうち、「ぱんつくりのおじさん」も「とうちゃん」で読み替えたり、「こども」も「とうちゃん」になって、訳が分からなくなってきたりする。

「『それじゃあ、また おなかの すいた ひとを たすけに いってきます。』
とうちゃんは、すぐに また しゅっぱつです。とうちゃんは、とんでいく とうちゃんを みおくりながら
『がんばらなくっちゃ。とうちゃんー』
と おおごえで さけびました。
とうちゃんは きょうも どこかの そらを とんでいます。」

 私の読み聞かせを横で聞いていた妻は、「精神異常者みたいだ」と笑った。


12月5日 仕事と数学

 二日ほど前から、仕事で使うちょっとした計算で頭が一杯になってしまった。簡単に言うと、以下のことである。

 ある樹脂を溶剤に溶かした液体を、連続的に基材に塗るプロセスがある。よって、この液体の入った容器は、どんどん減少していくとともに、液体中の溶剤が蒸発することで、樹脂含有量(%)はどんどん上昇していく。液体の減少速度は、時間あたりの基材に塗られた量と、溶剤が蒸発していく量の合計である。このままでは、樹脂含有量(%)が安定しないため、塗工量も変動してしまう。そこで、その減少したぶん、新しい液体を追加することにする。すると、液体を追加した時点で、樹脂の含有量は下がるが、元には戻らない。これを繰り返すと、時間を横軸に取り、樹脂含有量(%)を縦軸にとったグラフは、ギザギザを描きながら上昇していく。そして、液体を追加する間隔をどんどん短くしていくと、このギザギザはどんどん小さくなっていき、最終的には右上がりの滑らかな曲線が得られる。この曲線は、ある値以上には上がることなく、その値に向けて無限に近づく(サチュレートする)。

 こうして得られたグラフの方程式を知りたい、と思った。なんとなく、高校までの数学で解けるはずだと思った。そう思うと、このことで頭が一杯になり、他の仕事が手に付かず、家に帰ってもこのことばかりを考え、高校で習った微分積分とか、数列とかの記憶の断片を探っては悩んでを繰り返していた。妻にもこのことを話したら、「このグラフではないか」と、候補となるグラフを持ってきてくれたりしたが、それじゃあxが無限大の時、yも無限大になってしまうじゃないかとか答えると、機嫌が悪くなった。

 そして昨日、ようやく解けた。等比数列の応用で解くことが出来た。他の方法もあるだろうし、微分積分がもっと使いこなせればもっと効率が良かったかもしれない。これがどこまで役立つか分からないが、まあ少しは役立つであろう。

 とりあえずは、満足のいく「エレガントな」解が得られたので、うれしい。こういうことを考えると止まらなくなるのは、やはり私の性格である。


12月1日 ノニジュース、渋滞の会話

 前回のつぶやきを読んだ母と妹がメールをくれた。心配させたことを申し訳なく思う。今は、耳鳴りはしているものの、難聴の症状は治まってきた。土曜日はサチコとリコーダークラブの練習に行き、日曜日はサチコと柔道に行った。好きなことをやって発散したことも効いているのかもしれない。

 土曜日、リコーダークラブの人から「ノニジュース」のことを教えてもらい、早速買いに行った。 MORINDAという会社のもので、インドネシアではかなり割安で買えるらしい。早速、練習後に店に連れて行ってもらい、買ってみた。「マキシロイド」という、有効成分が最も多いものを買った。日本で普通に買えば750ml入りが8,500円するらしいが、ここでは会員価格で4,500円くらいで買え、キャッシュバックもあるらしい。

 それをどのくらい飲めばいいのか訊くと、コンサルタントの名刺を渡された。早速電話して、難聴と耳鳴りだと伝えると、とりあえず一日300ml飲みなさいと言われた。そんなに飲んだら、4,500円のボトルが二日ちょっとでなくなってしまう。とりあえずコンサルタントの言うことは聞かず、リコーダークラブの人たちが言うように、おちょこ半分くらいを一日2回飲むことにした。

 効果があればいいのだが。


 最近、会社帰りの渋滞が酷い。そんなときは、運転手と雑談しながら帰る時もある。イスラム教徒の世界観とかを聞くのは面白い。

 彼らは、ダーウィンの進化論は完全に否定していた。だって、最初の人間はアダムとイヴでしょう?ダーウィンの言うことを信じると、アダムとイヴの親はサルだったってことになってしまう。ダーウィンも信仰者なのに、どうしてあんな突飛な発想が思いつくのか、理解しかねると言っていた。

 ダーウィンの進化論を否定する考えは、イスラム教徒だけでなく、キリスト教徒でもごく普通であり、私は意外な思いがした。

 死後の世界については、人間は死んだ後、長い年月を経て世界の終わりが訪れたとき、全ての人は裁きを受ける。そして、正しいことをした人は天国へ行き、悪いことをした人は、地獄へ行く。地獄は、その悪さの度合いに応じてレベル分けされており、それを終えれば天国へいけるとのことであった。天国は、酒の川が流れており、綺麗な女性がたくさんいるらしい。イスラム教徒は現世では酒を飲んではいけないが、天国では酒に酔うこともないため、問題ないという。

 当然だが、天国へ行けるのはイスラム教徒だけで、私も含めその他は地獄行きである。こういう話を聞いていると、宗教と言うのは、道徳教育なんだということを感じる。宗教を通じて道徳を教え、社会が混乱しないよう、人々が平和で穏やかに過ごせるようにしているのである。むしろ、それこそが宗教の目的であり、その点でもテロを起こす連中は、間違っている。当然だが、運転手もイスラム原理主義のテロリストを憎んでいる。

 こういう話をしているときに、あんたは間違ってる、とか言ったり、自分のほうが正しいことを立証しようなどと考えてはいけない。大体、私達庶民の頭では、本当は何が正しいかなどということは分からないのである。ああ、そういう考え方もあるんだ。私とは違うけど、それでいい。運転手も私も、そう思って話しているから、楽しいのである。

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