2003年
8月のつぶやき
8月31日 八月最後のつぶやき
お久しぶりです。気付けば短い夏も終わってしまいました。これからは長い冬に向かってどんどん寒くなるだけですね。今日は今週先週とあったことをずらずら書こうかと思います。
相馬へ行く(8/31)
今日は福島県相馬市へ旅行へ行った。現在サクモトとケイジがここで免許合宿中であり、午後は暇だということで遊びに行ったのである。相馬は福島県の北東に位置する町で、新幹線も高速道も通っておらず、アクセスは難しい。
始めに「100尺観音」なるものを見に行った。これは凄かった。常識では考えられないような巨大な観音が、とてつもない風格で居座っているのである。初めて見たとき、私達三人は爆笑したが、その経緯を知って考えは変わった。
この観音は昭和初期に一人の男が「感ずるところがあって」一人で作り始めたと言うのである。周りから誇大妄想狂だと言われようともくじけず、コツコツと作り、亡くなった後は息子が引継ぎ、現在は三代目が完成に向けてがんばっているという。実はまだ未完成で完成すると百尺以上のものとなるらしい。
まさにプロジェクトXである。久しぶりに「男」を感じた。そして、一人百円という、高額な賽銭を入れて完成を願った。
そのことを相馬出身の民研の後輩であるキエチャンに語ったところ、「あの鼻水流している観音は小学生の遠足で行きましたよ」という答えが返ってきた。確かに顔の辺りがそう見えなくもない。地元の人にはそれほど認められてないのか。
その他にもキエチャンに相馬情報について教えてもらったところ、「魚市場のおばちゃんのトークが面白い」「『みはらし』という料理屋の穴子天丼が凄い」という情報を得た。
魚市場に行くと、おそらくこの人であろうと思われるおばちゃんにイカを勧められた。イカの入った箱を指差して、「本当は一枚200円なんだけどこれは三枚500円なんだよ」と言われた後、となりの箱のイカゲソを全部つかんで放り込み、「これもサービスしたげる」と言われた。結局買わなかったが、となりのイカゲソのない箱のイカはいくらになるんだろうと疑問に思った。
「みはらし」の穴子天丼も凄かった。ケイジが注文したのだが、天丼の常識が覆った。巨大な穴子が二枚、少量のごはんの上に乗っかっており、体積比では明らかに穴子の方が多かった。ケイジはごはんを食べ過ぎないように気をつけていた。
他には「凍み天」なるものを食べた。凍み餅という地元名物の餅を生地で包んで揚げたもので、ドーナツの中に餅が入っているようなものである。ひとつ百円で「女子高生に人気」とのことであった。
これは美味しかった。ドーナツに餅を入れようなどと誰が考えたのか。いちご大福並みの大発明だと思った。
他にも立石、松川浦など雨にもかかわらずいろいろ行った。相馬はとてもいいところだと思った。アクセスが不便なせいか、観光客が少ない分海もきれいである。観光しながら三人で納得した相馬の気風は「目立たないところでがんばる」というものであった。
山に遮られてなかなか見えない橋が、夜になると実は美しくライトアップされていた。
また、「ふるさと相馬」という歌の歌詞の書かれた石碑の下のセンサーが人を感知すると曲が流れ始めた。しかも「フォーク調」「演歌調」二種類あるというこだわりぶりである。歌詞は同じだが、メロディは全く違っていた。メロディはどちらもすぐに覚え、石碑の前で大合唱していた。
ともあれまた行きたいと思う。
鍾乳洞へ行く(8/30)
この日は会社の人たちと鍾乳洞へ行った。「入水(いりみず)鍾乳洞」と、去年も行った「あぶくま洞」である。
入水鍾乳洞はほとんど整備されておらず、その名の通り水の中をジャブジャブ入って洞窟の奥を目指すというものである。途中からは常にすねくらいまでは水に浸かった状態で進み、時には全身ずぶぬれになりながら細い道を突き進まねばならない。気温は14℃、水温は10℃で、水に浸かった瞬間足が冷えて痛くなった。明かりはろうそくの火が頼りである。
洞窟を楽しむ余裕はなかった。とにかく必死で奥を目指し突き進むのみである。そもそもそれほど美しい洞窟ではない。しかしそれがこの洞窟の魅力であろう。「あぶくま洞」は「楽しむ洞窟」であるのに対し、「入水鍾乳洞」は「鍛える洞窟」なんだと思った。
始めは我慢できないと思った冷水も、しばらくジャブジャブ進んでいると何ともなくなった。感覚が麻痺して冷たさを感じなくなったのか。人間の適応能力の凄さを感じた。真冬でも半そで半ズボンで過ごせる小学生の気持ちが少し分かった気がした。
洞窟から出たあと、ジーパンがずぶ濡れになった。着替えは持っていなかった。たまたま会社の先輩が車に積んでいた会社の職服があったので、仕方なく職服のズボンをはいた。職服は真っ青で、かなり恥ずかしい格好となった。
その後に行った「あぶくま洞」はやはり凄かった。何度来ても圧倒される。ここの感想は去年も書いたので割愛する。
白河に帰ったあと、みんなで飲もうという話になり、ジャスコに買い物に行った。ジャスコに入って、自分は職服を着ているということを思い出し、居づらくなった。ここはみんな利用しており、会社の人に会いやすいからである。と思ったらばったり私達のグループリーダーに会ってしまった。
しかし、私はグループリーダーの格好の方に圧倒されてしまった。私よりもはるかに派手で、ラフである。リーダーも「こんな格好で会っちゃったよ」と自分の格好の方を気にしている様子であった。
ちょっと救われた気がした。
宅間守被告のこと(8/28)
この日、新聞で宅間守被告に死刑判決が下った事を知った。彼はこれまで遺族に対する謝罪の言葉も述べず、法廷でも遺族に対する侮辱の言葉を吐きつつ退廷させられたと言う。彼に対する憎悪の言は数知れないが、私は少し違うことを考えていた。
一体「悪い」ということはどういうことなのだろうか。彼は無差別殺人を犯した「悪人」である。しかし、生まれつき「悪人」だったのであろうか。それとも幼いときの環境がそうさせたのであろうか。そうだとしたらだれでも「悪人」となってしまう可能性があるのだろうか。そもそも「悪い」というのはどういうことなのだろうか。
答えはよく分からない。
夏ステに行く(8/24)
先週末はOBになって二回目の夏ステに行った。金曜の夜に仕事を終え、そのまま新潟経由で長野に向かった。白河を出たのが深夜1時頃で、信濃平に着いたのが朝の7時頃であった。
これは辛いドライブであった。眠い上、夜なので景色もよく分からず同じ姿勢でじっとしているだけである。ロシ民のテープやら合唱の合わせテープやらをとっかえひっかえかけ、大声で歌って寝ないようにしていた。途中で二回ほど仮眠を取りつつ向かった。
道中、「動物注意」の看板があり、カラスが高速道路上でたむろっていたのが印象的であった。
鈴荘に着いてすぐに、野沢温泉に向かった。野沢温泉では無料の温泉を多数開いており、ただで本格的な温泉を楽しむことが出来る。結局二回ほど温泉に入り、地酒を買って帰った。
鈴荘では例年のごとく合唱の最後の合わせを聴いたのだが、非常に感動した。曲は私も最も好きな間宮芳生の「おぼこ祝い歌」と初めて聴く「おてもやん」である。久しぶりに身震いのする音楽を聴いたと思った。まだまだやるべきことはあるものの、それを補うほどの気持ちが前面に出た素晴らしい演奏であった。
夏ステ自体もいい演奏であった。毎年レベルアップしている気がする。私達のときはもっとつまらない演奏をしていた気がする。
演奏を聴きながらこんな事を考えていた。よく集団で音楽を演奏する際に、「みんなの気持ちがひとつになる」という言い方をする。その結果が舞台での演奏であり、いい演奏の原動力となる。しかし、それまでの過程と言うのはそれほど美しいものではない。いろいろな人が「ひとつになる」のに最も必要なのは「妥協」である。他の人を認め、自分の考えを認めてもらい、時には自分の考えを諦める、そういったしんどい過程の連続である。そしてその蓄積が舞台でのいい演奏として還元されるのだろうと思った。
帰りはテツ、カオリとともに横浜まで帰った。帰りも合唱の合わせテープやらを聴き、合唱しながら帰ってきた。思えばこの夏はテツとこればっかり聴いており、いい加減歌うのも疲れてきた。
途中藤岡のハイウェイオアシスで寿司を食べた。これは私とテツにとっては念願であった。銚子でも食えず、熱海でも食えず、会うたびに「寿司食いたい」と言い合っていた。結局こんな山奥で寿司を食べることになるとは。しかしその寿司は非常に美味しく、満足した。
横浜に着くと三人で「現実逃避は終わった」と言い合い、それぞれ日常に戻っていった。
8月15日 二度の旅行
この休み中、二回小旅行へ行った。ひとつは、銚子の部合宿に顔を出しにテツ、オサム、キシミカとともに行き、もうひとつは熱海まで日帰りでテツ、ハンベイ、ダケヤンとともに行った。
銚子の方は、完全な失敗旅行であった。台風一過の快晴であり、渋滞もなく条件は悪くなかったが、何もすることなくだらだらと過ごしていただけであった。
キシミカが言うには、「敗因は道の迷い過ぎ」であった。確かにどこに行くにも道に迷っていた。後は「うろうろしていたら何か見つかるだろうという安易な考え」であろうか。結局うろうろしているうちに何も見つからず引き返してくるという事が多々あった。
二日目の朝、私は前夜の飲み会の記憶がなく、ヨシエに怒られた。
キシミカは朝飯の味噌汁をこぼしてやけどをしていた。
テツが起きてきた頃には朝飯は終わっており、へこんでいた。
オサムだけは結構元気そうであった。
次の日も、現役が練習している間特にする事もなく過ごし、昼頃帰った。帰りの車の中で、昼は何を食べようかずっと話していたが、結局上星川の「坦々厨房」で坦々麺を食べようということになり、向かったが、定休日であった。テツとオサムはそこでタイムオーバーとなり、キシミカを新横浜駅まで送っていくことになった。キシミカは何のためにわざわざ福井から出て来たんだろうと、落ち込んでいる様子だった。結局ジャージ姿で新横浜の高級中華料理屋に入り、かなり場違いな思いをしつつ1800円もするチャーハンセットを食べて帰ってきた。
熱海の旅行は、大雨と大渋滞だったが、そこそこ楽しめた気がする。テツが言うには「勝因は目的がしっかりしていたこと」であった。確かに「美味いものを食べて温泉に入る」という明確で無理のない目的があった。
ダケヤンのレガシィで熱海に向かったのだが、ハザードのことを「両方曲がりますランプ」と呼んでいたのが印象的であった。ダケヤンは「ディフェンスを固める」ために、神社で交通安全のお守りを買っていたが、後で聞くと自賠責以外の保険はまだ入っていないとのことであった。もっと重要なディフェンスがあるだろうにと思った。
結局熱海で刺身と干物定食を食べ、温泉に入り、来宮神社の日本で二番目に大きい楠木を見て帰ってきた。それなりに楽しんできた。
夏休みのこと
もうすぐ夏休みが終わる。振り返ってみると今年の夏は、何もすることなく鬱々と過ごしてしまった。無気力・自己嫌悪・不安、そんなものが頭の中をぐるぐる回り、それを払拭するために旅行に行ってみたり、酒を飲んだりして日々をだらだら過ごしていた。「私らしくない」と思いつつも、流されるように過ごしてしまったことを後悔している。
一方大学生の妹は今朝タイに向かった。帰ってくるのは10月末らしい。タイでマングローブの植林事業や、学校設立を手伝い、おまけにタイ語の通訳までやってくるという。全く頼もしいものである。
8月9日 「踊る大捜査線」を見る
今日は夕方暇だったので、家の近くの映画館に「踊る大捜査線」を見に行った。爽快な映画を見ることにより、この前見た「ダンサーインザダーク」でマイナスになってしまった感情を、プラマイゼロくらいにしようと思っていた。
内容は、予想通り爽快で分かりやすかった。ストーリーは少々強引で、現実離れした感はあったが、何よりも登場人物が魅力的なのがよかった。
テーマとしては「組織というもののあるべき姿」みたいなのが一本筋としてあり、そのテーマが達成されると、事件はいとも簡単に解決する。「事件の解決」は、この映画にとってはどうでもいいことなのである。「人々を動かす力は『規律』とか『命令』ではない、『想い』である」ということを作者は言いたかったのであろう。お台場を封鎖しようとしても上手くいかないシーンと、負傷した深津絵里のために大勢の人が献血に現れる最後のシーン、この対比がそれを表している。
組織では、人々を統率するためにさまざまな決まりを作る。もちろんそれは必要なことなのだが、過剰になると窮屈になり、不満が表れる。人は将棋の駒ではない。正義感、ひらめき、感性、そういったものが人を突き動かすのであろう。この映画は、「もっと適当な方がいい」と言っている様である。「適当」というのは、「目的達成のために個人がもっともベストであると考える方法をとること」という意味である。
合唱団を色々見ていても、入場の足並みや楽譜を開くタイミングまできっちり揃っているが、歌は力みすぎていまいちという合唱団もあれば、それぞれ自由に体を揺らしながら歌っているが一つの歌声として伝わってくるものがある合唱団もある。一見整然としているがみんなバラバラな方向を向いている集団と、一見雑多だが同じ目標に向かっている集団、私は後者の方が好きである。
なんだか思いつくままにだらだらと書いてしまった。私は映画を見るといろいろ考えてしまうたちである。そしてこの映画を見ていると、私の経験などと重ね合わされる部分が多く、ついそういったこともいろいろ書きたくなってしまう。実はこれだけ書くのに数時間を要した。そしてここに書いたことの10倍くらいいろいろ思いついたが、まとめきれないため、書かない事にした。脱線しつつ推敲を繰り返し、結局上手くまとめる事ができなかったが、もう夜遅いので寝ることにする。おやすみなさい。
8月8日 成田の結婚式
昨日は成田の結婚式であった。民研の同期がもう結婚するのかと思うと、早いものだなぁと思う。
披露宴では余興としてOB,OG約20人でで八木節をやった。正確に言えば、余興のためだけに行った。披露宴には参加せず、控え室でだらだらと過ごし、たまにお色直しのために現れる成田に絡みつつ出番を待った。構成としては、はじめに阿波踊りでタキシード姿の成田を連れ去り、ハッピ姿に早着替えして現れ、八木節八番通しを踊るというものであった。成田が着替えている間、阿波伴奏でつないでいたのだが、だんだん気まずくなってきた。おそらく1分位踊りも何もないまま伴奏を続けていただろう。何度も素に戻りそうなのを抑えつつ、成田の登場を待った。そしてもうだめだと思ったころに成田が現れた。
八木節は体力不足を痛感しながらも何とか形になった。先週ステ練をやっておいて良かったと思った。久しぶりに成田の踊りを見て、やはりすごい奴だと改めて思った。
二次会は小さな飲み屋でやった。二人は次の日からハワイに新婚旅行らしく、早めの二次会であった。この時も民研でいくつか適当な余興をやった。
はじめにダケヤンの18番(?)である篠笛による「can you celebrate」を演奏した。かなり聴くに堪えない演奏であったが、それを聴いた嫁さんの感想が
「アシタノヒコウキガ、ツイラクシソウデス」
であった。毒舌っぷりは成田にそっくりだとみんなで言い合っていた。その後、成田、アツシ、サクモトによる割り箸三人棒をやることになり、順番などを確認していたところ、嫁さんが
「アト10ビョウイナイニハジメテクダサイ」
とカウントダウンをはじめた。成田は、将来嫁の尻に敷かれるであろうと、誰もが思った。一方で成田も、「家事は嫁に任せる」などと、関白ぶりをアピールしていた。
私は結婚式に出るのは生まれて初めてだったのだが、なかなか面白かった。ともあれ二人が幸せになる事を願う。
8月4日 八月初めのつぶやき
ごぶさたしております。気付けば半月も更新しないままであった。それでもカウンターは増えており、来てくれた人には申し訳ない。出来るだけ更新をこころがけることとする。
梅雨明け
ついに梅雨が明けたそうである。福島ではつい一週間前までパーカーを着て過ごすくらい涼しかったが、最近は半そでで過ごせる。実に嬉しいことである。
前にも書いたが、私は夏が好きである。それも蒸し暑い日本の夏が好きである。じっとりかく汗の感覚も少し見方を変えれば心地よい。セミの声や燃えるような緑も私の好きなものである。
そんなことを言いながらうろうろ表を歩いていたら、夏バテした。頭がボーっとしてきた。水分を摂り過ぎたようである。とりあえずウナギを食べたら治った。
そんなこんなで今年の夏は始まった。
車を治す
私の車のメーターがついに4万キロを越えた。一般的に見れば大した距離ではないが、見方を変えれば地球一周分である。そう思えばこの狭い日本の中をよくも走ってくれたものだと思う。これを期にいっそ車を一通り治してもらうことにした。安全に関わるところはひととおり治してもらい、タイヤも交換することにした。今の車は自分では結構気に入っているので出来れば長く乗りたいと思う。
ダンサーインザダークを見る
久しぶりに映画を見た。「ダンサーインザダーク」という映画である。この映画を見て会社の先輩は3日間眠れなくなったという。内容はここでは割愛するが、とにかく強烈な映画でった。幻想というものは現実の中ではいかに無意味か、しかしいかに素晴らしいか、そんなことを監督は言いたかったのであろうか。
いくら考えても、この映画はなにを伝えたいのかということが、言葉では上手く表せない、しかし伝わってくるものは強烈に、確実にある、そんな映画だと思った。
主人公を演じるビョークという歌手の演技も凄いと思った。垢抜けない服装に黒ブチメガネという、ぱっとしない格好だからこそ、その中の輝きが垣間見えたときは驚きである。
また、歌唱力が半端でない。単に歌が上手いということだけでなく、自分の人間性そのものをさらけだしているような、そんなエネルギーを感じさせる歌であった
見終わった後、かなりぐったりした。なにか重いものが圧し掛かってくるようであった。
この映画で今年の夏は始まった。
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