2014年
3月のつぶやき
3月27日 運転手
会社への送り迎えをしてくれる運転手は、かつて路上でギターを弾いて小銭を稼いだり、新聞を売ったり、レストランの皿洗いをしながら路上で過ごし、大学に通っていたが、卒業まで至らず中退したらしい。当時は血の気が多く、路上の連中とけんかをしたりもしていた。
その後、結婚し、ふたりの息子が生まれた。そのころ、うちの会社に運転手として就職した。しかし、妻はジャカルタの生活に耐えられず、故郷のカリマンタンに帰ってしまい、彼は、運転手の仕事をしながら、妻への仕送りをしつつ、かつふたりの息子を育てていた。
昨年、妻とは正式に離婚をした。長男は大学生、次男は全寮制の中学校に通っている。運転手の仕事をしながら息子を大学にやれたというのは、彼にとってはこの上ない喜びだと語っていた。
彼は、息子に「父ちゃんは、しがない運転手だ。昔は路上でギターを弾きながら生きてきた。お前達が、父ちゃんみたいにならないように、父ちゃんはしっかり働いてきた。これからも真面目に生きなさい」みたいなことを言ったところ、息子は涙を浮かべて父を抱きしめたという。話を聞くかぎり、ふたりの息子は真面目で、成績も優秀で、まっすぐに育っているようである。心も、日本ではなかなか無いくらい、純粋である。
彼は、定年後に備えて、週末は英語の学校に通い始めた。英語の先生を目指すらしい。私は、そんな彼を尊敬している。
そんな彼は、最近彼女を見つけたらしい。当然、再婚を前提である。彼いわく、「不細工でデブ」らしい。「美人だと、色々悩みの種が増えて仕方ないだろ」と、笑った。
3月25日 ウグイス
うちのアパートには、木がたくさん植えられており、鳥の鳴き声が多い。その中で、「コキコキコキ」と、ウグイスに似た鳴き声をする鳥がいる。
先週末、家でごろごろしていると、「ホ〜〜 ホケキョ コキコキコキ」と、まさに日本のウグイスと同じ鳴き声がした。インドネシアのウグイスも日本と同じ鳴き声が出来るのかと、感心した。
そのことを、妻に言ったところ、妻はげらげら笑い出した。上のウグイスの鳴き声は、妻が洗濯物を干しながら口笛でやっていたらしい。
3月20日 耳鳴り治療
インフルエンザが治った時から、毎日ランニングをしている。2月ごろから、また例の耳鳴りが酷くなり、その上めまいの発作も何度か経験していることから、再度これを本格的に治さねばと思ったのである。
昨年、「横浜めまいメニエールセンター」で診察を受けたときに買った「薬も手術もいらない めまい・メニエール病治療」(高橋正紘著)を読み返してみたところ、メニエール病の治療に必要なのは、
@仕事の手抜き A適度な気晴らし B圧倒的な量の有酸素運動
だそうである。Bの圧倒的な量とは、毎日1時間以上らしい。これを半年から1年続けることで、メニエール病を治すことができるという。仕事から帰って、時間があるときは90分、時間がなくても最低45分は走ろうと決めた。
@の仕事の手抜きについても、余念が無い。とりあえず、午前と午後、最低一度は10分程度の休憩を入れ、残業もほどほどにして帰るように心がけている。
思えば、耳鳴りを発症した頃は、忙しかった。元々仕事中に休憩を取る習慣はなかったのだが、それ以外にも、通勤の車の中でも英語の勉強をしたり、本を読んだりして過ごした。家に着く頃には、疲れと車酔いで吐き気を伴いフラフラになりながら帰宅したが、気にしなかった。
今週からは、通勤の車は助手席に座ることにした。助手席のほうが椅子を倒せるし、後ろに座るよりも遥かに快適なことに気付いたのである。おかげで、通勤の車の中は、だいぶリラックスできるようになった。
これらにより治れば良いのだが。
3月15日 インフルエンザ
先週の土曜日、熱があったので、タクシーで病院に行った。そこでは、熱が出たばかりなので、インフルエンザの検査はしてもらえず、点滴を打ってもらい、帰宅した。家に着いたとたん、強いめまいも来て、ほうほうの体で家に入り、めまいが去るのを耐えて待った。
日曜日は、リコーダークラブの演奏会である。リコーダー教育を行っている地元の小学校に行って、演奏するのである。私は、地元の小学校に行くのは初めてなので楽しみにしていた。なんとか、一日で治したいと思い、よく食べて寝ていた。
しかし、日曜日になっても熱は下がらず、月曜日になってもまだ症状は改善しない。再度別の病院に行ったところ、インフルエンザと判明した。
当然タミフルをもらえるものと思っていたが、この病院は置いていないとのことで、もらえなかった。あとでネットで調べて分かったことだが、多くの国ではインフルエンザを治すのにタミフルは使わないらしい。確かに、私が小さい頃は、まだタミフルはなかったけど、数日寝ていれば治った。
火曜日、熱はまだ下がらない。いい加減、辛くなってきた。もう4日も高熱が続いている。寝すぎで腰も痛い。私はネガティブな気持ちになっていた。一方で、耳鳴りやめまいの症状は殆どなかった。頭を使わずに安静にしているからであろうか。
水曜日、ようやく熱が下がった。しかし、インフルエンザは解熱後2日間はまだウィルスが体内にいるとのことで、木曜日まで休むことにした。
元気になると、今度は、ヒマでヒマで仕方ない。ドラゴンボールを読み返し、風の谷のナウシカを読み返した。ドラゴンボールは、凄く久しぶりに読み返したけど、改めて思ったのは、「亀仙人がめちゃくちゃかっこいい」ということであった。弟子の成長を思い、「ジャッキー・チュン」として老体に鞭打って出場する亀仙人。天津飯との対戦では「安易な影の道から抜け出せ!!陽の光に満ちた世界を走ってみよ!!」と諭す場面は、実に感動的である。
以下は、3巻で修行を始める悟空とクリリンに武道の目的を教える亀仙人のセリフ。これは、武道を学ぶ者にとっては、重要だし、この精神がドラゴンボール全体の世界観を作っている。
「武道を習得するのは、ケンカに勝つためではなく、ギャルに『あらん あなた とってもつよいのね〜ウッフーン』といわれるためでもない。
武道を学ぶことによって 心身ともに健康となり それによって生まれた余裕で 人生をおもしろおかしく はりきって過ごしてしまおうというものじゃ。
ただし、不当な力で自分もしくは正しい人びとをおびやかそうという敵には ズゴーンといっぱつかましたれ。」
後半は、決して強い訳ではないが、最後まで若者を見守り続けた亀仙人。彼がこの物語の大きな役割を果たしていることは間違いない。まさに「大人」である。
3月3日 マッサージ
私の耳鳴りやめまいのことは、毎日会社の送り迎えをしてくれる運転手も知っている。そして、インドネシアの民間療法を教えてくれた。ひとつは、マッサージである。もうひとつは、名前は忘れたが、なんと、その患部に手をかざすだけで症状を治す、イスラムの魔術があるらしい。私は興味をひかれ、いつか時間を見つけて行こうと、話をしていた。病気の治療もさることながら、好奇心の方がむしろ強い。
先週、めまいで会社を休んだ際、「さっそく試してみるか?」と訊かれたが、さすがに今は試す元気が無い、もう少し元気になったら行こう、ということで、だいぶ元気になった土曜日に、「運転手治療ツアー」に行くことにした。
残念ながら、魔術師の方はおらず、マッサージだけとなった。
民家の一角にその場所はあるが、知らない人はまず見つけられないであろう。本当に、ただの民家である。そこにオッサンが数名いた。ふたりはマッサージ師で、ひとりはマッサージを受けていた。私は早速マッサージをしてもらうことにしたが、初めての経験なので、あまり強くしないでくれと言った。
それでも結構痛い。「痛い痛い」と言っていると、運転手は横でニヤニヤ見ている。そのうち慣れてきて、見ると、壁に価格表が貼られている。以下は、日本語訳とおよその日本円の価格。
マッサージ
体重70kg以上の人 ・・・1000円〜
大人 ・・・750円〜
子供 ・・・500円〜
赤ちゃん ・・・400円〜
骨折 ・・・1500円〜
これを見ていると色々な疑問が湧いてくる。
私は「赤ちゃんもマッサージを受けるの?」と訊いてみた。すでに血行も良さそうだし、肩こりもなさそうだし、日本ではまず無い。オッサンによれば、「早く大きく育つように」とのことであった。
続いて、「骨折はどうやって治すの」と訊いた。オッサンによれば、「まず折れたところを調整して、ずれたところをまっすぐにし、骨と骨がくっつくようにするんだ。そしてその後・・・」
最後の部分が聞き取れなかったので、運転手に訊いたところ、「祈りを捧げる」と言ったらしい。
私は感心した。治し方についての説明は、十分に論理的である。そして、祈りを捧げることで、患者の不安感を取り除ける。これまで何人の患者が彼に救われたことであろうか。
そうこうするうちに、私のマッサージは足から手に移り、背中、頭となり、最後は私の右耳を徹底的に揉みほぐしてくれた。最後、右耳に手を当て、長い間ジッとしていた。祈りを捧げてくれているのであろうか。しばらくして、施術は終わった。
私は、元々マッサージが効く体ではないので、あまり良く分からないが、体が軽くなった気がしなくもない。
帰り、ついでに運転手もマッサージを受け、金を払って帰ろうとしたら、マッサージ師がいない。とりあえず、別のマッサージ師に払って、彼に渡してくれるよう頼み、帰路についた。
ちなみに、こういった場所では、日本人だからとぼったくられたりすることは、まず無い。よく、ガイドブックなどでは、そういうことが書いてあるが、それは観光地だからである。本当の地元に入れば、外人だからぼったくる、という概念そのものが無い。それどころか、どちらかというと金に無頓着で、こちらから積極的に払おうとしないと、向こうから言ってこない。
帰り道、運転手に、「彼らはどうやってマッサージの勉強をしたの?」と訊いてみた。彼によれば、通常は先祖代々、親から子に伝えていくらしい。あのマッサージ屋や、口コミで有名になり、遠くからもわざわざ受けに来る人がいるという。
こういう体験は、通常のコミュニティだけでは絶対に体験できなかったであろう。運転手に感謝である。今度は魔術を受けてみたい。
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