2014年
4月のつぶやき




4月29日 メニエール病センター

 日本での最終日、私の耳鳴りとめまいの状況を診てもらおうと、「横浜めまいメニエール病センター」に行った。ここは、去年行ったとき、「アナタは顔もインドネシア人みたいだし、インドネシアでもうまくやっていてストレスもなさそうだから、メニエール病ではない」と言われた。そして、運動不足だから、運動しなさいと言われた。

 今回も、やはり同じことを言われた。私は、この病気になったときにプレッシャーや不安を感じていたことなどを話したところ、ではメニエール病かもしれないが、非常に軽微であるといわれた。色々な検査をしても症状が出ないのである。

 そりゃそうであろう。1週間、休暇を取っていたので、この間に美味しいものを食べ、ストレスの無い生活をし、診察時は体調は良好であった。

 私は、つい先週までいかに辛い状態であったかを説明したが、聞く耳を持ってくれない。そのうち、ばかばかしくなってきた。この先生に、自分がメニエール病だということを認めさせたところで何になろうか。

 そのうち、自分が耳鳴りで悩んでいること自体がばかばかしくなってきた。そうすると、不思議なことに症状も和らいでくるのである。この先生は、それを狙っていたのかもしれないと、今更ながら思うのである。


4月27日 MRI検査

 日本に帰った目的のひとつに、MRI検査の結果を見てもらうというのがあった。耳鳴りや高コレステロールなどの症状があったため、インドネシアで受けたのである。結果、内頚動脈が非常に細くなっているという結果が出たため、結果のフィルムを持っていき、日本の医者で見解をもらおうと思ったのであった。

 MRIの結果を見せたところ、日本の医者もかなり良くない感じがするとのことで、再度MRIを撮ってもらった。その結果「それほど」問題は無いとのことであった。「どのくらい」問題ないかと言うと、診断に必要なパラメータは全て異常なしである、しかし、医者の「カン」によれば、34歳の血管にしては、みずみずしさが無いというか、そんな気がしなくもない、でも問題ない、という感じであった。でもそれは、インドネシアの結果を見てしまったために主観が入っただけかもしれないとのことであった。

 そして、敢えて言うなら「50代くらいの太っていてタバコもバカバカ吸って大酒を飲んでいるような人の血管のような感じ」らしい。私は驚いて、「そんなに悪いんですか?」と身を乗り出したが、「いや、今のは大げさに言ってみただけで、そこまで悪くは無いです」ということで、診察は終了した。

 ともあれ、何も問題なくて安心した。


4月26日 一人暮らし

 久しぶりの更新となる。実は、先週から今週にかけて日本に帰国していた。訳あって妻子が長めの帰国をすること、そのついでに私も帰国して病院に行こうと思っていたのである。

 帰国のことはおいおい書いていくとして、今日で帰国して三日目である。久しぶりの一人暮らしは、寂しくもあるが気楽でもある。掃除と洗濯はお手伝いさんがやってくれる。

 初めての休日の今日、料理をしようと思った。一人暮らしで面倒くさいのは、何を食べるか考え、かつその準備をしなければならないことである。これを適当にしてしまうと、毎日ラーメンばかり食べて体を壊すであろう。

 今日は、野菜と鶏肉の煮物、ほうれん草のお浸し、味噌汁を作って米を炊いた。煮物は驚くほど美味しくできた。煮物とゆでたほうれん草は、タッパーに入れて冷凍した。

 これでしばらくは安泰である。


4月10日 STAP細胞論文について

 昨日、新たな万能細胞とされるSTAP細胞の論文に不正があっととされる件で、小保方晴子氏の記者会見があった。

 この件は、今朝のじゃかるた新聞はまるまる1ページを使って報道していた。また、NHKは朝イチでも特集され、更に夕方のクローズアップ現代でも取り上げられていた。私は、この大々的な取り上げられ方と、世間の注目に違和感を感じた。

 論文が改ざんまたは捏造にあたるか、或いは単なるミスによるものなのかは、もちろん理研や小保方氏にとっては非常に重要な事柄であろうが、私達、或いは社会にとってはそれほど重要ではない。私達、或いは社会にとって重要なのは、「STAP細胞は存在するかどうか」ということであり、それは第三者により追試を行うことで確認可能である。それほど騒ぐ必要はなく、追試の結果を待てばよい。

 それだけの問題なのに、なぜこれだけ注目されるかといえば、やはり小保方氏が容姿端麗な若い女性だからであろう。これが50歳くらいのオッサンであったなら、ここまで注目されないかもしれない。年配の研究者は、こんな小娘にこんな大層な成果が得られる訳が無い、という視点で注目し、同じ道を目指す理系女子からは、応援の眼差しでもって注目していることだろう。以下、じゃかるた新聞の一文

「『世界的な発見』から約70日。公の場から遠ざかっていたリケジョの星の目は潤み、声は震えていた」

 この書き方からしても、世間の注目がSTAPの有無ではなく、小保方氏を巻き込んだ騒動の行く末であるように感じる。

 かく言う私も、今朝の新聞で小保方氏の写真を初めて見たとき、こんなにきれいな人だったのか、と驚いたことを告白する。私もそういう一庶民である。


4月1日 まさるさんが来る

 先週末は、民研の後輩、まさるさんがインドネシアにやってきた。1週間ほど前に、突然メールがあり、ふらっとインドネシアに旅行したいとのことであった。偶然、こちらは三連休だったので、土日でインドネシアの温泉宿に行き、月曜日はジャカルタ観光をすることにした。

 温泉は、ジャカルタから南に一時間ほど南下したところにある。そこで、オフィスの車に乗り換え、更に山道を一時間ほど走ると、温泉宿があった。インドネシアの温泉だから、水着が要るかと思ったが、全て個室になっており、裸でのんびり入ることができる。雰囲気は日本の露天風呂そのものなのに、生えている植物が南国の植物なので、不思議な感じがする。

 ここで、本当に久しぶりの露天風呂の感覚を味わい、のんびりした。いたるところに、だらだらできる椅子などがおいてあり、徹底的にだらだらごろごろした。まさにダメ人間になるための施設だと思った。たまにはダメ人間にならないとダメである。


左:部屋からの風景   中:露天風呂    右:まさるさんと将棋。


 夜は、蛍を見ることができた。生まれて初めて蛍を見て、感動した。夜の棚田をひらひら舞う蛍の姿は実に幻想的であった。

 と思ったら、蛍の棚田で、まさるさんがうずくまって動けなくなってしまった。旅の疲れと、久しぶりに飲んだビールで酔いが回ってしまったらしい。私は、まさるさんをおんぶして坂を登り、トイレまで連れて行った。次の日、まさるさんは元気になっていた。


 月曜日は、ジャカルタ観光をした。実は、私達家族も、地球の歩き方に載っているような、オーソドックスな観光地は見たことがないのであった。

 まずは、イスティクラルモスクとカテドラル教会を見に行った。ジャカルタの中央に、巨大なモスクと教会が隣り合って建っているのである。運転手の説明によれば、例え宗教が異なっても、お互いに尊敬し合える関係であるようにとの思いを込めて、わざと近くに建てられたという。

 こういうところは、インドネシアは本当に素晴らしいと思う。人口が9割がイスラム教徒のインドネシアだが、イスラム国家ではない。多民族国家であり、「多様性の中の統一」というのが国是に掲げられている。もちろん、問題が全く無いわけではないが、宗教の問題をこれほど上手く解決している例は、意外に少ないのではないかと思う。

 その後は、スラバヤ通りへ。歌本にも載っているユーミンの歌「スラバヤ通りの妹へ」の通りである。ここは怪しい骨董品がたくさん売られており、だらだら歩いて、サチコ用のおもちゃなどを買った。


左:イスティクラルの内部、超巨大   中:カテドラル教会    右:スラバヤ通りの怪しい骨董品


 その後、オランダ統治時代の面影を残す、ジャカルタ北部のコタトゥア(旧市街)の広場でだらだらして、カフェで食事をした。その後、地球の歩き方に「ゴッホの絵を思わせるような跳ね橋」があると書いてあったので、散歩してみたが、川が臭くて汚すぎて、全くゴッホ気分に浸ることなく、今回の旅は終了した。


左:バタビア広場      右:汚い跳ね橋


 今回、私達家族にとっても久しぶりの旅行であった。私のメニエール病のせいで、腰が重くなっていたのである。しかし、温泉に浸かってのんびりすれば、耳鳴りは小さくなっていった。ジャカルタ観光も、3年住んでいる私達にも新しい発見があり、非常に有意義な三日間であった。

 まさるさんは、次の日から、ジョグジャカルタへの一人旅に出かけていった。旅行の機会をくれたまさるさんに感謝すると共に、旅の無事を祈る。

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