2014年
5月のつぶやき
5月28日 休み
今週のインドネシアは、火曜と木曜が祝日である。よって、一日おきに会社に行くという、なんとも中途半端な過ごし方をしている。
今日は、カレーを作った。自分で言うのもなんだが、私の作るカレーは美味しい。基本的にはルゥの箱に書いてある通りに作るだけだが、いくつかコツがあるのである。単身赴任の人が、お手伝いさんの作るカレーが不味いと文句を言っていたが、確かにそのコツを知ってるかどうかで、味は大きく変わってしまう。
カレーを作ってから、福岡の妻子とスカイプをした。サチコは今、「アナと雪の女王」にはまっており、妻が適当にレースで作った布をマントにして「Let it go」を歌い踊っている。すっかりエルサになりきっている。その歌と踊りは、驚くほど正確で、音程も良い。よほど好きで、毎日何度も動画を観ているのであろう。こうやって熱中するあたりは、私に似ているなぁと思う。
5月25日 Let it go
下に書いた、アナと雪の女王の「Let it go」のリコーダー編曲が終わり、昨日多重録音してyoutubeにアップロードした。久しぶりにこれだけ長い曲を編曲したので、疲れた。しかし、かなり感情移入した曲だったし、サチコも大好きらしいので、編曲作業は楽しく、思った以上に早く終わった。
演奏は、私の苦手なウラ拍が多数あり、苦労した。私の録音の仕方は、まず手を叩きながら歌い(歌詞は無し、音程は無茶苦茶)、それにリコーダーの音を重ねていくというやり方なのだが、手を叩きながら歌えないのである。ウラ拍を歌っていると、知らないうちに表拍になってしまう。仕方なく、手を叩くだけの録音をして、それに歌をなんどもやり直しながら重ねて、その歌に更にリコーダーを重ねていった。
演奏も、何回もやっているうちに慣れてきて、ようやく吹けるようになった。ここはああすればよかった、こうすればよかった、ということは多々あるものの、あまりこんつめても耳鳴りが酷くなるだけなので、諦めてアップロードした。
興味のある方は聴いてみてください↓
http://www.youtube.com/watch?v=DI3UW2sD0VM
今日、福岡の妻子とスカイプで話していたら、サチコがマントみたいなのをつけて、走り回りながら、この「レリゴー」を歌っている。もう気分は完全にエルサである。一通り歌い踊り終わって、サチコがこのシーンの動画を見たいと母にせがんでいたので、「父ちゃんのリコーダーを聴けば」と言ったら、「イヤ!」と一蹴されてしまった。
悲しいものである。
5月21日 整体へ
ここのところ悩まされている耳鳴り、ふらつきが和らぐのではないかと思い、整体を受けてみた。ジャカルタの病院「タケノコクリニック」が日本から呼んでいる「元気堂」というところの整体師で、日本では割と有名らしい。
ここの整体は、「均操法」と言って、特に体のバランスを診ながら、体を調整していくようで、あまり強く押したりすることはない。彼によれば、私の背中は結構張っているらしいが、自覚症状は全い。私は、これまで肩凝りなどを感じたことは全くなく、よって、マッサージを受けたことも殆ど無い。
自覚症状が無いため、当然、今回の整体が終わっても、その前後で体が軽くなったとか、すっきりしたとか、そういう実感も無い。むしろ、若干だるくなったとさえ感じた。半信半疑のまま帰り、次の日に起きてみると、症状はだいぶ軽くなっていた。これまで、およそ3日症状の軽い日が続き、続けて3日、悪い日が続くような、およそ1週間の周期で症状が繰り返されていたのだが、今回は症状の悪い日は、1日だけで、次の日から快方に向かっていった。
まあ、今後どうなるかは分からないが、思ったより効果があったので驚いている。
5月18日 幸せって?
昨日のじゃかるた新聞のみなみ十字(子供の作文コーナー)に、表題のいい文章があったので転載したい。中学二年生の作文である。
僕は、インドネシアに合計十年暮らしている。その間に色々なことが変わった。例えば、沢山のモールが立ち並んだり、車が増えたりしたことだ。しかし、僕が小さくて気が付かなかったこともある。貧富の差が大きいことだ。車を何台も持つ人もいれば、自転車一つ持てない人もいる。それはとてもおかしなことだと思った。
僕は、ある資料を見たことがある。それはインドネシアの裕福な家の子と貧しい家の子の幸福度というものだった。僕は絶対裕福な子の家の子達の方が幸せに感じていると思った。しかし本当は全く逆で、裕福な子達の三十パーセントが幸せだと感じているのに対し、貧しい子達はほぼ百パーセント幸せだと感じていた。
理由を見てみると裕福な子達は「勉強が嫌いだから」などとあり、貧しい子達は「学校へ行けるから」などとあった。こうしてみると「本当の幸せ」とは、僕達が気にも留めていなかったことになると気づいた。そう思うと勉強させてもらえるだけで幸せなはずなのに、文句を言っている自分が情けなく思えた。
幸せって何だろう?僕達が思っている以上に身近なところに「本当の幸せ」があるのではないだろうか。(以上、2014/5/17じゃかるた新聞より転載)
以前にも書いたが、「幸」の字は手錠の形を模したものである。「幸」の字を横にすると、そのように見えなくもない。「(死罪などにならず)手錠をかけられる程度で済んでよかった」というのが、元々の「幸」の意味である。「幸せ」とは、非常にささやかな言葉なのである。
そういう字が私の名前に入っていることを嬉しく思うし、親に感謝をしている。また、娘に恵まれ、彼女にもその字を与えることができたことは、私の「幸せ」のひとつである。
5月15日 お祈りと民謡
今日の夕食は以前に冷凍していたカレーであった。カレーを温めていると、モスクからお祈りの歌が聞こえて来る。歌はかなりの大音量で、来た当初は異国情緒を感じたりもしていたが、最近は耳鳴りもあって、うるさく感じることが多い。インドネシアは9割がイスラム教徒とはいえ、国是で多宗教の共存を掲げている。非ムスリムにとっては、この大音量を不愉快に感じているインドネシア人も多いのではないか。
それにしても、歌っているオッサンは、気持ち良さそうである。自分に酔ったように、歌い続けている。その声は、日本民謡の発声に近い。それを聴いていると、私も歌いたくなり、久しぶりに民謡を歌った。カレーを温めながら、八木節、むぎや節、こきりこ、越中おわら節、知覧節など、思いつく限りの日本民謡を大声で歌ってやった。
そうしていると、気分が晴れた。
5月10日 Let it go(アナと雪の女王)
妻子を日本に残してジャカルタに戻る飛行機で、ディズニーアニメ「アナと雪の女王」を観た。これまで、私は機内で映画を観る習慣はなかったのだが、アパートの人たちと食事をしたときに話題になっていたので、観ることにしたのである。
私は、すぐにエルサに感情移入してしまった。映画の一番の見どころである、エルサがひとり雪山に登り、歌を歌いながら自分を解放し、巨大な城を作るシーンは、私は機内にもかかわらず、悲しくて泣いてしまった。ここは、これまでの束縛から解放されて、本当の自分を取り戻す場面ではない。むしろ、何か矛盾を抱えたまま、それを押し殺し、無理をして強がっているようである。この映画で、魔法とは、コンプレックス、トラウマ、持病などの言葉で言い換えられるような性格を帯びている。魔法のせいで、人として当たり前の幸福な生活が送れない。決して、魔法が素晴らしい特別な能力としては描かれていないのである。だからこそ、大人でも共感を得られるような深みがあるのだと思う。
歌を歌っているときのエルサは、どことなく悲しげで、強がっているようでもある。そして、出来た城は美しくて、冷たい。そこは孤独の空間である。「少しも寒くないわ」と、歌い終えて、バタンとドアが閉められた後のエルサは、いかに悲しい顔をしているだろうかという想像を掻き立てられる。
リコーダークラブの人に、これをリコーダーでやってみたいと言われて、改めて聴きなおしているが、やはり聴く度に胸が詰まってしまう。笑ってしまう話だが、ジャカルタの無駄に広い家にひとりで住んでいる自分を、エルサと重ね合わせているようである。
そのシーンはコチラ↓
http://www.youtube.com/watch?v=QZ1poicuB2s
5月4日 一人暮らし
ジャカルタで一人暮らしを始めて約十日になる。健康に気を使わねばということと、気晴らしにもなるということで、基本的に自炊をして暮らしている。今日は、トップページにも載せたとおり、イシモチの煮付けとレバニラ炒めを作った。これまでも野菜の煮物やら、肉野菜炒め、カレーなどを作っては、残りを冷凍して後日食べるということを行っている。
それにしても、一人暮らしはつまらない。ジャカルタに来た当初も、半年間単身赴任であったが、そのときは寮に会社の先輩がいたし、何よりも、新しい国で全てが新鮮なので、あれもしてみよう、これもしてみようという意欲があった。今では、ジャカルタに来て3年が過ぎ、そういう意欲も失われるし、家はやたら広く、周りは家族で暮らしている家庭ばかりなので、前回の単身赴任時よりも孤独感を感じる。
とりあえず、半沢直樹のDVDを買ったので、遅ればせながら見ている。そして独り、「倍返しだ!」などとつぶやいて暇を潰している。
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