2014年
6月のつぶやき
6月29日 夏井睦さんの本
療養中、夏井睦さんの「炭水化物が人類を滅ぼす」を読み、非常に面白かったので、それ以前に書かれた「傷はぜったい消毒するな」も読んだ。どちらも、これまでの常識を根底からひっくり返す点で痛快だし、何より内容が仮説も含まれているものの、論理的で納得できる内容である。
「炭水化物が人類を滅ぼす」は、これまで「主食」と呼ばれてきた米や小麦の主成分である炭水化物が、必ずしも人体に必須の栄養素ではないことを指摘している。そして、著者は、実際に炭水化物と糖分を摂るのを止める生活をしてみたところ、ダイエットに成功し、血圧、血糖値、コレステロールも正常になったという。
本書によれば、食べてはいけないのは、米やパン、麺類などの炭水化物に、砂糖、果物、根菜類など糖分を含む食品である。その代わり、肉や魚、野菜、乳製品などは制限しない。卵や脂っこい料理もどんどん食べてよく、酒は焼酎などの蒸留酒か、フルボディの赤ワインなど、糖質が少なければ問題ないと言う。
確かに、糖尿病で問題なのは、糖質(炭水化物+糖分)であって脂質ではない。だから、糖質さえ摂らなければいいのである。そして、糖質を摂らなくても、必要なエネルギーは体内の糖新生という働きにより、脂質やたんぱく質から必要な分だけ生み出される。
それでも、糖尿病学会が糖質制限を危険だと主張するのは、これで糖尿病患者が減れば、薬が売れなくなってしまうからだろうと、著者は言う。いずれにせよ、数十年後の糖尿病治療のあり方は、現在とずいぶん異なっていることだろう。
そして本書では、なぜ人類がこれほどまでに糖質を多く摂る生活スタイルになったのかを、鋭い仮説で説明している。
「傷はぜったい消毒するな」は2009年に発行された本で、傷口や火傷を消毒するのは、熱湯をかけるのと同じくらい危険な行為だと、警鐘を鳴らしている。そして、「湿潤治療」という方法で、これまでよりも痛みも少なく、より早く、よりきれいに治るという。確かに、数年前に傷をきれいに早く治す方法として、湿潤治療が紹介されていた記憶がある。
これを読んで思い出したが、私が正月に火だるまになって病院で受けた治療は、確かに本書にあるような方法であり、消毒はされなかった。彼の考えた治療法が、インドネシアまで浸透しているということなのだろうか。
また、これを読んでから、風呂でシャンプーや石鹸を使うのを止めてみた。本書によると、お湯で洗うだけで汚れは十分に取れるし、シャンプーや石鹸を使用すると、界面活性剤の作用により皮脂まで洗い流され、体を守ってくれる皮膚常在菌にとって住みづらい環境になるため、他の雑菌が繁殖しやすくなるという。また、洗い流された皮脂を元に戻そうと、皮脂を余計に分泌しようとするため、臭いやフケの元になるとらしい。
確かに、お湯で洗うだけで十分すっきりするし、石鹸を止めてから長い間膝の裏に出来ていたかぶれも収まっている。
本書も、後半は生物の起源までさかのぼり、皮膚と皮膚常在菌の共生関係のほか、菌と生物には重要な関係があることを壮大な仮説も交えて述べている。
夏井睦さんの本が面白いのは、単なるハウツー本にとどまらないことである。疑問を感じたことは、自分の体で実験し(自分の体に傷をつけて治り方の違いを観察していたりする)、そこからなぜこれまで間違えた治療が行われていたのかを、大胆な仮説で考察する。
常識を覆す内容なので、彼には敵も多いことだろうが、私は好きである。
6月28日 療養する
久しぶりの更新となる。実は、耳鳴りの症状のため、日本で療養をしており、今週ジャカルタに戻ったばかりなのである。内容はつまらなくなってしまうが、備忘のため、日本であったことをずらずらと書いておくことにする。
6/5
早朝に日本に到着。産業医との面談は午後からのため、秋葉原のカプセルホテル「安心お宿 秋葉原店」で仮眠をとることにする。カプセルホテルは初めてだったが、その清潔さ、ファシリティの良さに驚く。変にビジネスホテルに泊まるよりも快適かもしれない。
その後、妹と昼食。仕事のことなどについて相談される。相変わらずのバイタリティに圧倒されると共に、少し落ち着いてきたように感じる。兄妹ともにオッサンオバハンへの道を歩んでいることを感じる。(これは別に悪いことではない) ちなみに、偶然この日は妹の誕生日であった。
午後より、本社で産業医と面談する。産業医は、ジャカルタでのMRIの結果、内頚動脈の狭窄の疑いを持っておられ、私がすでに日本で再検査して、問題ない結果となったことを把握されていなかった。その結果を、改めて確認いただき、脳血管の状態は問題なく、命にかかわる致命的な問題ではないとの認識となる。
ただ、その場合、産業医がすでに書いていた紹介状も意味が無くなり、紹介できる医師もいないとのことであり、自分で適当な病院を探して診察を受け、診断書を持って再度面談しましょうということになった。私は、自律神経のバランスに問題があると考えており、心療内科と、耳鳴り専門の耳鼻科を受診したい旨を告げ、理解を得た。
夕刻、飛行機で福岡に向かうが、システムトラブルで大幅に遅れる。会社から帰国するようにと言われた不安、長期フライトによる疲れから、これまで良くなってきていた耳鳴りは悪くなっていた。
6/7
整体が効いたことから、「さわやかカイロプラクテック」という、怪しい名前の整体へ行ってみる。何か器具を使用して、背骨のあたりをパチンパチンと刺激する内容であった。効果の程はあまり良く分からなかったので、再診はしないこととする。
6/8
家の近くの香椎宮の「菖蒲祭り」に行く。スーパーボールすくいをして手に入れたスーパーボールでサチコと遊ぶ。
6/9
耳鳴りを専門としている「もりや耳鼻科」を受診する。聴音検査の結果、右耳の聴力は下がっており、「敢えて分類するなら」と但し書きがついた上で、メニエール病と診断される。ただ、これ以上悪化することは無いので、気にしなくてもよいとのことであった。また、メニエール病は、自律神経のバランスが大きく関係しているので、心療内科を受診するのはいいことでしょうといわれる。
また、TRTという、ノイズを発生させる器具を耳に取り付けて、耳鳴りに慣れる治療があると教わる。例えるならば、国道沿いに引っ越した人は、住み始めたばかりは騒音が気になって眠れないが、そのうち騒音が気にならなくなるのに似ているという。耳鳴りが消えるわけではないが、気にならなくなるらしい。別に受けても受けなくてもよいとのことであったが、せっかくなのでやってみようと思い、器具をつけてもらったところ、ずいぶん楽になった。
この器具は毎日6時間以上付けることになっており、購入すると48,000円もするらしいが、スマホのアプリで似たようなのがあるらしく、「ホワイトノイズ」で検索してダウンロードし、イヤホンで聴いていてもいいですよ、とのことであった。とりあえず、レバラン休暇までレンタルしてみることとした。(月1,500円)
6/10
心療内科である「響クリニック」を受診。めまいや耳鳴りの症状は、自律神経のバランスを崩したことで発生しているとのこと。めまいは、崩れた自律神経のバランスを取ろうとして発生する症状であり、それだけ体が無理をしていることだという。ただ、症状は回復傾向にあり、あなたの症状はここに来なくても治っていたでしょうと言われる。一応、漢方薬と精神安定剤を処方してもらい(ハンゲコウボクトウ、メイラックス)1週間後に再診することとする。また、私が精神安定剤として飲んでいた
「セルシン」は強めの薬であり、常習性もあることから飲まないようにと言われる。
福岡についてから、症状は軽くなっており、療養と言っても、かなり手持ち無沙汰である。毎日1時間〜2時間くらいのジョギングや散歩をして暇をつぶしている。また、ジャカルタでは寝てもすぐに起きてしまう症状があったのだが、帰国してからぐっすり眠れるようになっている。
6/?
家族で、志賀島へドライブに行く。お世話になっている、妻の実家から近く、金印が発見された島として有名である。若干さびれた雰囲気ではあるが、美味しい魚料理を食べ、ビワを購入する。
6/?
電器屋で、ウォークマンとワイヤレスイヤホンを購入する。これにホワイトノイズを入れれば、5万円もする器具を買わなくて済む上、耳鳴りが良くなってくれば、動画や音楽も楽しめる。合計で2万円弱。
6/15
母の実家の神戸に行く。妻の希望により「ふくろうカフェ」へ。コーヒーを飲んだ後、ふくろうを愛でることができるという、不思議なカフェであった。その後、三ノ宮のB級グルメである、「老祥記」の豚まんと「赤萬」の餃子を食べ歩き、母の実家へ。一泊してじいちゃん、母、叔母と将棋を指す。叔母とは、飛車角落ち、母は、「歩」が最初から全部「と」という滅茶苦茶なハンデで戦うがなんとか勝った。「歩」が全部「と」のハンデは相当きついと思った。
6/16
父と明石で会う。「江洋軒」のラーメンと焼きソバを食べる。父が高校生の時からやっているという。普通に作ってるだけなのに、どうしてこんなに美味しいのか。父と私は、糖尿病の話などをしながらラーメンと焼きソバを両方食べる。
その後、父の車で明石海峡大橋を渡り、淡路島で観覧車に乗る。
この神戸、明石の帰省でも、サチコの「Let it go」や、サチコと妻で行うアナと雪の女王の再現寸劇などが披露され、旅芸人になったような気持ちになりつつ、福岡に戻る。
6/17
「響クリニック」を再診。診断書を書いてもらう。「産業医の先生を心配させないような内容にしましょうね」と言いながら、どんどん書いてくれる。薬は、処方できる最大の2か月分をもらう。アルコールについては、自律神経には良くないとのことで、しばらくは飲まないようにとのことであった。
その後、「もりや耳鼻科」も再診する。このまま様子を見ましょうとのことであった。
6/19
家族で阿蘇山へドライブに出かける。「阿蘇ファームランド」のアスレチックでサチコは大いに楽しむ。帰り、家族風呂のある「杖立温泉」で休憩するが、サチコは相変わらず温泉嫌いで、外でごそごそしているサチコを横目に夫婦で温泉を楽しむ。
6/21
妻が友人とケーキバイキングに行くとのことであり、私はサチコとデートに出かける。福岡駅のアミュプラザ屋上で駄菓子を買い、ジュースを飲みながらサチコと談笑する。また、昔ながらのおもちゃも売られており、シャボン玉や紙で出来た振ると伸びる棒(カメレオン棒というらしい)を買って、大いに遊ぶ。
6/23
上京し、本社にて再度産業医と面談する。診断書を見て、職場復帰の許可をもらう。
6/24
ジャカルタに戻る。
以上が、今月の経緯である。上記の通り、療養と言うよりは、休暇に近い3週間であった。1週間くらいで戻れるものだと思っていたのだが、産業医の先生に「あまり焦らないように」と言われ、長めの療養となった。結果、現在の状態は、帰国前より更に良好となった。このまま安定してくれればいいと思っている。
6月1日 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(増田俊也著)を読んでいる。題名を見ただけで、頭の中に「?」が湧いてくる。やたら物騒だし、そもそもそんな疑問さえ持ったことがない。逆に「なんで殺す必要があるの?」と問いたくなる題名だ。ジャカルタ柔道部の人が面白いと言っていたので、以前帰国した際に、買って来たのである。
読んでみたら、非常に面白い。まだ最初のほうだが、柔道が「武道」から「スポーツ」に変遷していく(著者は「成り下がっていく」と感じているようにとれる)様子が、木村政彦という、最強の柔道家とともに描かれている。当時の柔道は、相手を殺すための技術であった。いわば合戦の組み打ちであり、殺すか殺されるかの勝負であった。当然、練習も凄惨を極め、暴力どころか、今では虐待にあたるようなことも当然のように行われていた。それは、正しいとか、正しくないとかいう話ではなく、そういう時代だったのだ。
まだ読んでいないが、戦後、彼はプロ柔道を立ち上げ、うまくいかず解散する。そして、「昭和の巌流島」と呼ばれる、力道山との運命の戦いを期に、彼は表舞台から姿を消すのである。このあたりは、「君は木村政彦を知っているか」に詳しい。(下記リンク)
http://www.youtube.com/watch?v=JzitL_UOd6M
普通は、私はこういう話を読んでも、男ってばかばかしいなぁ位にしか思わないのだが、本書については、非常に引き込まれている。男というものは、本能の中に、誰よりも力で勝りたいという思いを多かれ少なかれ持っている。それを本気で体現した男が、木村政彦なのである。
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