先週から今週にかけて、父がインドネシアに来た。父のほか、父の妻、父の友人夫妻での4人である。金曜の夜に到着し、火曜日の夜に出発する、若干駆け足の旅行である。
父は、かなり前からインドネシアに行ってみたいと言っており、帰省するたびに、インドネシア語の勉強をしていて、「魚はイカン(ikan)、菓子は食え(kue)、ご飯は無し(nasi)」などと、語呂合わせを言っていた。また、NHKの「世界ふれあい町歩き」のジョグジャカルタの放送を録画して、何度も観ているらしい。
土日は、早朝に出発し、ジョグジャカルタのツアーに行った。今回は、旅行会社が全てアレンジするお任せツアーにしてみた。日本語ガイドと運転手つきで、土曜日にプランバナン観光、夜はラーマーヤナ舞踊の鑑賞、日曜はボロブドゥール観光と王宮周辺の散策である。食事は全てついてくる。
ラーマーヤナ舞踊は、夜の8時から2時間もあり、サチコも眠くなるかと思い、「飽きたら途中で帰ろう」などと話をしていたのだが、思いのほか面白かった。サチコは相当気に入ったらしく、最後まで目を輝かせながら観ていた。ラーマーヤナは、ラーマ王子が奪われたシータ王女を取り返す冒険活劇である。インドで生まれたこの物語の特徴は、舞台が深い森であるということだろう。そのあたりが、西洋の物語の風景と全く異なり、私達アジア人に親しみやすい。スタジオジブリでやったら面白かろうと思った。今回の舞台は、悪役が非常に個性的でダイナミックに描かれているのに対し、主人公のラーマとシータがずいぶん無表情でのっぺりと描かれているのが印象的であった。
食事は、ほぼ全てビュッフェスタイルであり、どれも同じような味で飽きた。どんな好みの客にも対応するためには、ビュッフェが最適なのであろう。私は飽きてしまい、今後は、二日ともお任せツアーはやめようと思った。しかし、父は「ビュッフェに燃える男」らしく、毎回あらゆる料理を持ってきては美味しそうに食べていた。ナシゴレンの味も、毎回少しずつ違うらしい。
旅行中、印象的だったのは、父と、父の高校時代からの友人が、「北はどっちや?」とか「今は自宅から見てどの方向にいるの?」といったことをしきりに訊いてくることであった。私も、ジャカルタに来た当時、頻繁に地図を見ては位置関係を覚えようとした。自分がどこにいて、どっちに向いているかを知りたいという性格は、私も同じである。ふたりは、頻繁に地図を見ては、周りの風景を記憶し、一度通った道は覚えているのは凄いと思った。
日曜日の夜、ジャカルタに着いて自宅近くのホテルに送り届けた後、父から電話がかかってきた。ツインベッドを予約したのに、ダブルベッドであったらしい。実は、初日に同じホテルに泊まった際も、同じことが発生しており、旅行会社にクレームをつけ、かつフロントで今回はツインを予約していると何度も念押ししていたのであった。それにもかかわらず、ダブルベッドの部屋に通された父は、フロントに乗り込んで怒り狂ったらしい。英語で怒り狂える父は凄いと思った。
それにしても、ツインにしろと、ここまで怒り狂う夫婦は、どれだけ仲が悪いんだろうと思われたに違いない。その後、部屋を代えてもらい、ツインの部屋に通され、部屋から電話をしようとしたら、壊れていたらしい。「うるさい客やからわざと電話線切られたんとちゃうか」と、笑っていた。
月曜、火曜は、有給を取って、ジャカルタ近郊の温泉宿、ギリティルタに行ってきた。以前、マサルさんが来たときに初めて訪れ、その環境とホスピタリティのよさに驚いたところである。風呂に入ってゆっくりして、夜は棚田を舞うホタルを見た。夜は、独特の鳴き声のするトカゲのせいで、なかなか寝付けなかった。
最終日は、ドリアンを食べた後、買い物をした。妻が良く使う土産物屋や、モールのスーパーで買い物をした。父はサンバルが気に入ったらしく、買い込んでいた。また、日本では昔懐かしい粉末ジュースや、「日本製より5倍効く」蚊取り線香などを買っていた。
私は、かなり疲れていた。結構な強行軍であり、60代の老夫婦にしては、忙しすぎるアレンジであったと反省した。しかし、彼らは私よりも全然元気で、平気な顔をしている。やはり高度経済成長を支えた世代のバイタリティは凄いと思った。
父は、何気なく「おう」と言ってやってきて、「ほんならな」と言って帰って行った。そんな印象は、昔から変わらないなぁと思った。

左:伝統舞踊後に写真を一緒に撮るサチコ 右:親子三代、温泉にて
9月14日 発明のポイント