2014年
10月のつぶやき
10月24日 妹のケーナ
少し前の話だが、妹に会ったときに、ケーナをもらった。妹は仕事で頻繁にペルーへ出張しており、お土産に買ってくれたのである。お土産だが、よくあるお土産用のケーナではなく、本格的な演奏用のものを買ってきてくれたらしい。
確かに、ケーナは竹楽器のイメージがあるが、妹がくれたケーナは竹ではなく、木を掘り出して作った、リコーダーのような重厚な感じである。音程も良い。
私は、小さい頃からアンデス音楽が好きであった。駅前でアンデス音楽のライブなんかをやっていると、必ず足を止めて鑑賞したものである。私の祖先はアンデス人なのではないかと、考えたこともあった。
実は、ケーナや尺八など、縦に吹く笛はこれまで何度かチャレンジしたのだが、いずれも挫折した。音を出すのが、篠笛やフルートなどの横笛と比較にならないくらい難しいのである。音が出せるようになっても、とても人前で披露できるものではない。
今回は、せっかくもらったのだからと、毎週末練習している。少しずつだが、高い音も無理なく出せるようになってきた気がする。
10月21日 ジョコウィ大統領就任演説
昨日、インドネシアで新大統領が就任した。ジョコウィ氏は、材木商で立身し、ジャワ島の地方都市、ソロの市長、ジャカルタの州知事を経て、大統領となった。インドネシア発の庶民の大統領である。
この演説からは、日本の首相などでは見られない力強さがある。国民の直接選挙で選ばれた大統領はまさに、国民のリーダーなのだと感じる。こういう高揚感は、日本では味わえないであろう。
この演説では、とにかく懸命に仕事をしなさいと呼びかける。それが国づくり、生活向上に直結するのだと、何度も説く。まさにその通りなのだが、新鮮味がある。そして、直接選挙で選ばれたリーダーだからこそこういう演説ができるのだと思う。
以下、2014年10月21日付じゃかるた新聞より抜粋
われわれはたった今、偉大な民族である私たちの希望をかなえるため、懸命に仕事をすることを明言する宣誓を行った。
心と手を一つにする時がやって来た。政治、経済、文化において独自性を持つ真の主権国家になるために、歴史の重い試練を共に乗り越える時が訪れた。
重い歴史の任務は共に統一国家を守り、ゴトンロヨン(相互扶助)や懸命に仕事をすることで担うことができると確信する。これは偉大な民族となるための条件だ。民族分裂の懸念にとらわれては偉大な民族にはなれない。また懸命に仕事をしなければ真の独立を果たすことはできない。
私が率いる政権は全国隅々まで全国民が公共サービスを感じることができるようにするために仕事をする。私も全ての国家機関がその任務と役割を果たすため同じ意欲を持って働くよう呼びかける。憲法によって付与された信任を得て仕事をすることで、さらに強く尊厳ある国家になると確信する。
漁民や労働者、農民、バッソ(肉団子)売り、行商人、運転手、学者、教師、軍人、警察官、実業家、専門職の人々は、懸命に仕事をし、支え合ってほしい。今こそ私たち全てが懸命に仕事をするため共に動き出す歴史的瞬間なのだ。
われわれは他国と共に敬意や尊厳、自尊心を持ちたい。独自の文明を生み出せる民族として、グローバルな文明に寄与する創造的で偉大な民族になりたい。
海洋国としてのインドネシアを取り戻すためには賢明に働かなければならない。大洋や海、海峡、湾はわれわれの文明の未来である。われわれはあまりにも長きにわたり海に、大洋に、海峡に、湾に背を背けてきた。今こそわれわれはこれらを全て取り戻し、海に子を栄光をもたらそう。われわれの祖先の信条をもう一度響き渡らせることができるはずだ。
国を造るという大きな仕事は正副大統領や政府だけではできない。全国民の支える力が必要だ。今後5年は独立した民族としてわれわれが問われる時期となるだろう。優先すべきは一に仕事、二に仕事、三に仕事だ。懸命に仕事をし、相互扶助の精神を持てば、インドネシア民族、インドネシアの全てを守ることができる。福祉向上も国民の生活改善も可能だ。そして国の独立、恒久平和、社会正義に基づいた世界秩序の実現に貢献することができる。
10月18日 サチコ運動会他
土曜日は、サチコの幼稚園の運動会であった。この幼稚園での運動会は3回目である。サチコは、かけっこや玉入れなどの競技をこなし、ボンボンを持って踊っていた。踊りは特に好きらしく、とても気合が入っていた。初めての運動会では、何がなんだか分からない状態であったし、二回目は、かけっこでも歩いてゴールするという体たらくであったため、成長したなぁとしみじみ思う。
日曜日は、いつもの様にサチコとふたりで柔道の稽古に出かけた。こちらも少しずつだが、上手になってきている。受身も様になってきたし、何よりも他の子供や、他の先生と練習しても泣かなくなった。これまでは、私以外の人と組むだけで涙目になり、そのうち大声で泣き出していたのであった。
練習が終わり、一緒にジュースを飲んでいると、サチコが「父ちゃんが、柔道で泣かないで頑張れと言ったから頑張った」みたいなことを言った。
成長したものである。そのうち、今みたいに父を慕ってくれなくなることだろう。
10月16日 食べるということ
私は、食べ物に対して無頓着なほうだと思う。同僚の中には、会社の食堂のインドネシア料理や、メイドの作る日本料理はまずくて食べられないという人もいるが、私にとってはあまり問題ない。
一方で、超高級料理を食べても、あまり感動しない。そういえば、父はたまに高級料理を食べに連れて行ってくれた気がする。その時、将来接待などを受けても、平常心でいられるように、というようなことを父が言っていた気がする。恐らく、味覚に対して鈍感なのと、あえて無頓着になるように仕向けていることの両方が影響しているのだと思う。
引用の引用となってしまうが、「炭水化物が人類を滅ぼす」(夏井睦著・光文社新書)に、中世ヨーロッパの食事風景について以下のような記述がある。
中世ヨーロッパの食事の基本は煮込みであった。(中略)大鍋が日夜火にかかっており、野菜や肉、獣脂がごった煮に煮られ、消費された食材は次々と補給された。(中略)農民はわずかの塩漬けの豚肉や豚脂を加えるか、または野菜と豆に、古いパンを加えただけのごった煮スープを毎日飽きることなく食べた。
(北岡正三郎『物語 食の文化』中公新書より)
農村では、毎日の食べ物と祝祭時の食べ物との落差が大きく、収穫祭、結婚式、守護聖人の祝日、復活祭、クリスマスなどに桁外れのお祭り騒ぎをする一方、通常はせいぜいパンか野菜の煮汁だけで生きていた。十九世紀までのヨーロッパの農民の大半は、肉をほとんど口にせず、パンのほかは鍋で煮た野菜とスープばかりであった。
(宮下規久朗『食べる西洋美術史』光文社新書より)
結局、食べることというのは、こういうことなんだと思う。食事は、生物として考えれば、排便や排尿と同列の行為である。もちろん、たまに家族や友人と美味しいものを食べたり、自分の好物を食べて満足することも重要である。しかし、毎日である必要は無い。それよりも、日々食事にありつけること自体に満足べきだと思う。
10月11日 マッサン
前にも書いたが、NHK朝ドラの「マッサン」が気に入っている。中島みゆきのオープニングテーマもさることながら、主人公達の真っ直ぐな生き様が、今どきなかなか無い感じで新鮮である。台本がちょっと荒削りなところも良い。
なんとなく、昔の宮崎アニメを思わせる。がっしり抱き合ってヒロインをぐるぐる回す、オープニングの映像などは、宮崎アニメでは良くある光景であった。ヒロインがいつも同じ赤い服を着てそのキャラクターを印象付けるのも、アニメーションの手法のように思う。
そして、私が何よりも好きなのは、このドラマが優しさに満ち溢れていることである。劇中幾度が登場する、
「エリーはな〜んも心配せんでええ」
と言ったセリフは、優しさの象徴である。これは、例え何があろうとも私は君の味方だ、ということの宣言である。「何があろうとも」の中には、「君」が間違いを犯したり、悪事を働いたりする場合さえも含まれる。優しさというのは、そういうことなんだと思い知らされるセリフである。
ドラマを見てすぐに、これはリコーダーで吹かなければと思った。超特急で4重奏に編曲し、練習して吹いた。
↓
http://www.youtube.com/watch?v=6nQWEkU7I0s
ちなみにジャカリコ(ジャカルタリコーダークラブ)メンバーの方々に中島みゆきが好きだと話すと、「まだお若いのに・・・」と言われた。言われてみれば、昔は辛気臭い少年であった。。。
10月7日 自由席
じゃかるた新聞の「自由席」というコーナーに、心を動かされた文章が載っていたので、2点転載する。
「亀裂を飛び越える人々」(2014年10月4日)
先日、イスラム擁護戦線(FPI)のデモを取材する機会があった。彼らはジャカルタ特別州のアホック副知事が近く知事へ昇格することに抗議していた。
州庁舎前でアジ演説を終えたばかりのアディさん(22)に反対の理由を聞くと「聖典コーランにはムスリムが非ムスリムの指導者を選んではならないと書いてある」と返ってきた。
「原理主義」の定義や解釈は種々あるだろうが、佐々木中の「テクストと自分の区別がついていない」という定義が最も簡潔で的確だろう。テクストを解釈なしに読むことは極めて困難だ。テクストと私の間には埋めがたい亀裂がある。
しかし、原理主義者は解釈の余地や誤読の可能性を恐れず、「そう書いてある」と断言する。亀裂を飛び越え、「私がこう読むのだからこれが正解だ」と考える。依拠する原理と私の区別がつかなくなるところから独善が生まれる。
果たして聖典にアホック氏を知事にしてはならないと明記してあるのだろうか。そこに解釈が紛れ込んでいないと断言できるのだろうか。
「テクストと自分の区別がついていない」のは彼らだけではない。「世間」の「常識」とは一体誰の考えなのか、「正しい歴史観」とはどの立場からの見方なのか。威勢のよい人ほど論拠に向き合っていない。
「命の尊さのはざまで」(2014年10月7日)
悲しい目だった。何かに必死で助けを求めようと、叫びたいのではないかと、思ったほどだった。
5日の犠牲祭。住まいのある中央ジャカルタのクボンカチャンを歩くたび、あちこちでいけにえとなる牛やヤギを見た。3日、仕事を終えての帰り道、たまたま2頭の牛に向き合った。
最初は警戒していたようだが、じっと眺め合っていると、少し牛の態度が柔らかくなって、自らその頭を筆者の方に傾けてくれた。手を差し伸べると、悲しい目が少しだけやわらいだような気がした。単なる錯覚だったのか、判然としないが、これほど「生きる」ということの意味を考えさせられたのは久しぶりだった。
およそ生物は、他の生物を摂取することで生命を維持している。人間も牛を食べ、豚を食べ、時には鯨も食べる。反捕鯨派がなんと言おうが、これは我々の文化であり、自然の摂理としか言いようがない。他の生命を犠牲にして、自分達の命は成り立っている。この点は犠牲祭があるインドネシアの方が、分かりやすいというべきか。
日本で「命の大切さ」という決まり文句は新聞やテレビでよく見聞きするが、正直、どこか他人事のような気がしてならない。
処理された牛やヤギは解体し、みんなで食べる。命とはなにか。インドネシア人は幼い頃からその実感を得ているのだろう。少し、せつなくもうらやましく思う。
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