2014年
11月のつぶやき




11月30日 バリダンス発表会

 今日は、リコーダーの友人、マツウラさんがバリダンス発表会に出るとのことで、家族で見物に行った。

 マツウラさんの出演は、一番最初で、6人の踊りであった。ガムランの音色と共に舞台に登場したが、どれがマツウラさんか分からない。化粧と衣装により、誰が誰だか、全く分からないのである。妻に訊いたところ、おそらくこれではないか、という人がおり、後で確認したところ、正解であった。妻も分からず、消去法で推測したらしい。

 バリダンスで面白いのは、ガムランの伴奏である。何気なく演奏しているだけなのに、その技術は秀逸で、一糸乱れることがない。まるで、町内会のお囃子のオッサン達である。ちょっとした合間にはタバコを吸い、携帯をいじったりと、気合の入った日本人の踊り子とは対照的なのがまた面白い。

 そして、ガムランの演奏を聴いていると、音楽は有機的なんだということを改めて感じる。テンポ一定が前提のポップソングに聴き慣れていると、こういう演奏は新鮮である。テンポは頻繁に揺れ、まるでひとつの生き物のように演奏する。それが踊りとマッチしたときには、非常に感動する。これも、日本の民俗芸能に近いものを感じる。

 一部の最後は、ひょっとこのようなお面をかぶった、先生によるソロ舞踊であったが、これはもう芸術の域であろう。ガムラン演奏と一体化し、観客を惹き付け、笑わせ、長い演奏も飽きさせることがない。全てを習得した上で崩す、という、芸能の最高の域を垣間見たようである。

 ちなみに、サチコは早々と飽きてしまい、ほとんどは、外で遊び相手をしていたため、今年はあまりゆっくりと見られなかった。


11月29日 予防接種

 今日は、リコーダー練習の前に、サチコと一緒にインフルエンザの予防接種を受けに行った。常夏のジャカルタだが、冬は一時帰国した人により菌が持ち込まれるのか、一定の流行がある。

 私は、サチコには注射をしに行くとは、言わなかった。病室に入っても、注射をするとは言わない。無駄に怖がらせても可愛そうなだけだ。

 まずは私からである。なんと、針が刺さった瞬間、停電で真っ暗になった。接種後の後処理は、懐中電灯を照らしながら行い、内心ヒヤヒヤした。電気はしばらくしたら復旧した。

 続いて、サチコの番である。サチコは、ようやく嫌いな注射をしなければならないことに気づき、少し涙ぐみはじめた。私はサチコを抱っこし、目の前の若い医者を指差して、「注射のほうを見るな、あのお兄さんをほうを見とれ」と言った。その時、その医者が「は〜い」とニヤニヤしながら手を振った。

 かくして、サチコにとってはほぼ気づかぬ間に、予防接種は終わった。終わって、サチコに泣かずに注射が出来て偉かったなと、褒めてあげた。すっかり天狗になったサチコは、泣かずにできたことを自慢し、母ちゃんと行った病院とは、絆創膏の形が違うだの、ここではご褒美に煎餅がもらえるなど、色々喋り、トップページのような絵を描いた。

 私は、父ちゃんの気の逸らせ方が良かったと、密かに思っている。


11月28日 サードマン

 「サードマン」(ジョン・ガイガー著・伊豆原弓訳・新潮文庫)を読み終えた。雪山や海上で危機に遭遇した際、突然「何者か」が現れて、生還へと導く現象を「サードマン現象」と呼ぶらしい。「サードマン」を体験した者は、それが幻覚などではなく、「確かな存在」として感じられ、「サードマン」の声を聞いたり、時にその姿を見さえするという。そして、特に怖いとも不思議だとも思わず、逆に「サードマン」に励まされ、アドバイスを受け、精神の安定を得て、生還の助けとなるらしい。本著は、そんな「サードマン」現象の例を紹介しながら、科学的、神秘的な面から解説している。

 「サードマン」の現れる条件は、極度な疲労、ストレスに加え、「単調さ」がポイントであるという。エベレストへの登山や、北極探検、ヨットでの単独太平洋横断、宇宙旅行などは、強烈な「単調さ」を伴うらしい。そんな単調さに耐えられない脳が、「サードマン」を作り出す。日常の単調さに飽きて行う探検や新たな挑戦が、日常以上に単調だというのは、面白い。

 これを読んで、私も「サードマン」に会ったことはなくても、幻聴を聞いたことはあることを思い出した。13年前の話である。以下その「つぶやき」を再掲


2001年12月14日  幻聴を聞く

 この日初めて研究室で徹夜をした。夜の11時ごろから朝の7時までぶっ続けで電子顕微鏡を見続けたのである。電子顕微鏡の画像はかなり暗いため、部屋を暗くして見なければならない。そんな中で作業をしていた朝の5時ごろ、人の話し声ともテレビゲームの音ともつかぬ音を聞いた。最初は誰かが朝っぱらからテレビを見ているのか、音楽でも聴いているのかと思っていた。しかし明かりをつけて、部屋の外に出てみても何も聞こえない。変だなと思って部屋に戻って作業し始めるとまた聞こえるのである。

 明らかに幻聴である。自分の今のコンディションを考えると、幻聴くらい聞いてもおかしくはないだろう。幻聴だと思いながら幻聴を聞くのは少し不思議な感じもするが、まあいいかと思った。別にあまり怖くはなかった。原因は大体はっきりしていた。冷却水の流れる音がそう聞こえるのである。それに人はほかの人とまったく遮断されて暮らすと幻聴を聞いたり白昼夢を見たりするというから、今の状況を考えるとありえなくはないだろうとも思った。

 しかし作業が終わったあと、さすがに目がしょぼしょぼになった。

 サードマンの次は「四色問題」(ロビン・ウィルソン著・茂木健一郎訳・新潮文庫)を読み始めた。あらゆる地図を、隣り合う地域を同じ色にしないよう塗り分けるには、4色あれば十分だという、単純な事実を数学的に証明するまでの道のりを記した本である。

 確かに、自分で地図を書いてみても、4色以上必要な地図は書けそうに無い。しかし、本当に、絶対に存在しないことを証明するのは至難のわざであろう。

 そして、この本で驚いたのは、平面の地図は4色だし、地球儀のような球面も4色なのに対し、ドーナッツの表面に描かれた地図を塗り分けるには、なんと7色必要だという。

 こういうことに気づくのも凄いと思った。少しずつ読み進めている。


11月24日 インドネシア語備忘録

 インドネシア語は、以下の様に変形する。

動詞化
masuk・・・語幹 「入る」という意味
me-masuk-i・・・自動詞化「入る」という意味だが、動詞の意味合いが強くなる
me-masuk-kan・・・他動詞化「入れる」の意

名詞化
pakai・・・使う、着るなどの意味の語幹
pe-makai・・・「使用する人」(pの場合、必ずmに変形する)
pe-makai-an ・・・抽象名詞化「使用」の意
pakai-an・・・「着るもの」。要は服のこと

 初めての人には複雑に感じるかもしれないが、ほぼ合理的な規則性があり、例外も少ないため、英語などよりははるかに覚えやすい。そんな中でも、例外があり、とても意味深く感じるものがあるので、ここに書いておきたい。

printah・・・「命令する」の意味の語幹
me-merintah・・・「命令する」という意味の動詞
pe-merintah・・・「政府」という意味(直訳すれば「命令する者」)

 インドネシア人にとって「政府」とは、人民の上に立ち、一方的に命令をするようなイメージがあるのだろうか。更にもうひとつ、

tiggal・・・住む、取り残される、ただ〜だけなどの意
me-ninggal・・・「死ぬ」(tはnに変形)
me-ninggal-kan・・・「(住んでいた土地などを)離れる」

 住む、という意味が突然「死ぬ」という意味になるのが不思議であった。正式には「Meninggal dunia」(duniaは世界という意味)と言い、恐らく、「この世界から旅立つ」と言った意味が込められているのだろう。また、「住む」というのは、「この世界にまだ取り残されている」という意味合いなのかもしれない。このあたりに、インドネシア人の生死に対するイメージがなんとなく浮かび上がる。

 ちなみに、「me-ninggal」は、人に対してしか使われず、動物などが死んだ場合は、「mati」と言う。これは人間に対しても使えるが、「のたれ死ぬ」のようなニュアンスになってしまう。


11月22日 ガーデン

 ここ一ヶ月、アパートのガーデナーに植木鉢と土を貰って、ピーナッツやトマト、イチゴの種などを撒いている。今日、植木鉢をもうひとつ欲しいと思い、ガーデナーにお願いしたところ、後で持ってきてくれる、という。

 しばらくして、インターホンが鳴った。植木鉢を持ってきてくれたと思い、ドアを開けると、男が3人おり、ひとりは巨大な袋を抱えている。そして、「ガーデンを設置しにきました」と言う。私は慌てて、私は植木鉢が欲しいと言っただけで、庭が欲しいとは言っていない、と言ったが、話が伝わらない。

 しばらくして、彼らが持っているものを見て、これはカーテンのことではないかと思った。そういえば妻が、カーテンをクリーニングしてもらっていると、言っていた。果たして、彼らが持っていたのはクリーニングの済んだカーテンであった。それにしても、後で聞き直しても、カーテンの発音は「ガルデン」に聞こえ、ガーデンと同じである。

 植木鉢のほうだが、後でガーデナーが持ってきてくれた。ついでにピーナッツを植えてもすぐにカビて腐ってしまうことを話して、アドバイスを貰った。ここでは、一年中家庭菜園が楽しめ、土や植木鉢もお願いすればタダでもらえ、プロによるアドバイスまでもらえる。

 早く芽が出て育たないかなぁと、楽しみにしている。


11月21日 雑食性について

 またバリでのショウコとの会話の内容になるが、手軽なダイエット法あるいは糖尿病などの成人病対策として、糖質制限があるという話をした。要は米や小麦などの食品を摂らないことであり、近い将来は、特に糖尿病治療としては当然の方法になるのではないかと考えている。

 これに対し、ショウコは異論があった。何を食べないのがいいとか、そういうことではなく、あらゆるモノを満遍なく食べられる方が、種として、また個体として強いであろうという。もし、あるモノしか食べられない生物がいたら、例えばそれが急に手に入らなくなったり、毒におかされていたりしたら、リスク分散ができず滅びてしまう。人類の食事に占める糖質の割合は、多すぎるのかもしれないが、全く食べないのがいい、ということはないだろうというのが、彼女の意見であった。

 私は大いに納得した。確かに絶滅危惧種などになっている生物は、体がでかいにもかかわらず特定の蟻しか食べないとか、極端な偏食家が多い気がする。一方、人類に保護されるどころか、駆除の対象さえなりうる、カラス、ゴキブリ、イノシシなどは、雑食性で何でも食べる。彼らは、相当の天変地異があっても生き延びることだろう。

 この点からも、子供の好き嫌いは無い方がいい。


11月9日 しまじろう考

 先週、ショウコが来たときに、しまじろうの教材が好きになれないという話になった。画一的な道徳観を押し付けているような気がして、何となく違和感を感じるという。私も同じようなことを感じることはある。

 ショウコ曰く、たとえば、しまじろうの教材では、自分が遊んでいるおもちゃを、友達に「貸して」と言われたときは、「いいよ」と言って貸してあげるのが正しいとされている。しかし、それがいつも正しいとは限らない。どうしても貸したくない場合は、貸さないという選択肢もアリなのに、あたかも貸すのが正しいという、画一的な道徳観を教えるのはいかがなものか、と言う。そして、現実世界でも、「しまじろう教育」を受けた子供が、お友達に「貸して」と言われて、本当は貸したくないのに、泣きそうな顔で「いいよ」と言っておもちゃを渡すのを見ていると、こんな教育でいいのだろうかと思うという。

 私は、ショウコのこの意見には反論がある。前にも書いたが、しつけ、或いは道徳や宗教の目的というのは、自分が欲望のままに生きるのではなく、自己を抑制し、公共の利益を優先させることにある。やりたいけど我慢する、やりたくないけど仕方なくやる、そういうことを教えなければならない。その上で、それでも例え公共の利益に反しても、やりたいから絶対にやる、或いは、やりたくないから絶対にやらない、というのは、そういった自己のコントロールができた上で判断する、更に上のステップだと思う。だから、「貸して」と言われて「いいよ」と渡す手順は、幼児期のセルフコントロールの訓練としては適していると思う。

 ただ、「貸して」と言われたら条件反射的に「いいよ」と貸すのが常に正しいとは限らない。将来、全員そんな大人になったら、日本は終わりである。そのあたりについては、「しまじろう教材」はなんら方針を示しているとは思えないし、ショウコの言うことは良く分かる。

 私は、サチコが柔道があまり好きではなくても、連れて行くし、そこでだらだらしたりしていると、容赦なく怒り、泣いても容赦しない。顔に水がかかるのがイヤだからプールに行きたくないと言っても、連れて行って水をかけてニヤニヤしている。そうしているうちに、しっかり練習ができるようになり、少し顔に水がかかっても楽しく遊べるようになっていく。こういうことは、父親でなければ出来ないだろうし、セルフコントロールの訓練として重要だと思っている(たぶん、母親は、無理に柔道や水泳をやらせなくてもいいじゃないかと思っている)。一方母親は、食事での態度や、不衛生・危険な行為に対しては、父親よりも厳しい。こういう分担は良いことだと思う。父と母は、似ていない方がいい。

 ここまで書いて、結局なぜしまじろうに違和感を感じるのかは分からない。冷静に考えれば、しつけの一手段としては、なかなかいいのではないかと思う。ただ、これでなければならないという訳ではないのに、あまりに普及しており、あたかもこれがスタンダードだという風に感じることが気に入らないだけなのかもしれない。

 大体、上記の私の意見は、かなり偏った考え方だろうし、結局どれが正しいとは言えないのだろう。


11月3日 ミヤザキ家来イ

 先週は、学生時代の友人、ミヤザキ一家がインドネシアに遊びに来た。夫婦とも民研の後輩であり、家族ぐるみの付き合いである。旦那ミヤザキと妻ショウコが、娘のチヨコ(3)チカコ(1)を連れてやってきた。

 と思ったら、来る前日、突然旦那が来れなくなりそうだとのメールが入った。どうやら、インドネシアに入国するには、パスポートの残存期間が6ヶ月以上ないといけないらしいのだが、ミヤザキのパスポートはそれを下回っていたという。

 かくして、ショウコが反抗期真っ盛りのチヨコと、まだ日本語を解さないチカコを連れてジャカルタにやってきた。さぞかし大変な旅であったろうと察するが、ショウコは元気そうである。強い母である。しかも、いきなりドリアンを食べたいということで、家に行く前にドリアン専門店に寄った。ちなみに、ミヤザキは、超特急でパスポートを再発行することにより、途中から合流できることになった。

10/29
 インドネシアのサファリパーク、Taman safari へ。妻は身ごもっているため、参加せず、私とサチコ、ショウコ、チヨコ、チカコで出かけた。このメンバーだと、どう見ても3人子供のいる夫婦にしか見えない。ショウコは何度か訊かれて、「いや、ヒーイズマイフレンドで、、ノットハズバンド」みたいなことを答えていた。

 ここの特徴は、とにかくルールが緩いことである。サファリに入る寸前の道は、にんじん売りが並び、これを買って動物に与えるのである。平日のためか、動物も腹が減っているらしく、道までせり出してきてにんじんを求めて寄ってきた。


左:にんじんを求めて近くまでやってくる動物たち。   右:動物に道を阻まれる車。平日なので飢えているようだ。

 サファリを過ぎると、園内を走る列車に乗って、スマトラトラショー、カウボーイショーを観た。ネコ科のトラがここまで人に慣れてショーをしているのは、初めて観た。カウボーイショーは、子供向けのちょっとしたものかと思いきや、映画のような迫力のショーで驚いた。

・撃たれて高いところから落ちるなど、スタントマンのような演技
・なぜかネコやネズミまで演技をする(インドネシアの奥深さを感じる)
・ダイナマイトの爆発が半端なく、熱風が観客席まで届く

 上記のド迫力のショーに、チヨコは怖くなったらしく、終始母の背中に顔を隠していた。


左:スマトラトラショー。ネコ科とは思えない従順ぶり、インドネシア凄い。   右:映画さながらのカウボーイショー。

10/30
 上記と同じメンバーでバリ島へ行った。この日の夜に、ミヤザキと合流できることになっている。3泊の予定だが、ホテル以外は何も決めず、その場の状況で予定を組もうということになっていた。ウブドのホテルに着いて、この日はホテルのプールで子供たちと泳いで過ごした。

 プールに行けば、リゾートを楽しんでる欧米人がいた。「リゾートとは、上質な空間に身を置き、そこで何もしないこと」ということを、父の友人のタカギさんから教わったことがある。彼ら欧米人は、プールサイドに寝っ転がってココナッツを飲みつつ本を読んだりしている。そんな中、私たちは子供の求めに応じてプールを行ったり来たりした。その夜、無事ミヤザキと合流した。

10/31
 プールに行きたいと騒ぐチヨコを無視して、棚田を見に行った。徒歩30分くらいの距離を、各大人が子供をひとりずつ抱っこして棚田へ。棚田のど真ん中にある、テント状の食堂で、昼食を食べた。メニューを見ると、「Chirashizushi」「Butakakuni」「Shiraae」「Warabimochi」などのメニューが。これは怪しい日本料理が食べられると、嬉々として注文したところ、かなり本格的な和食が出てきて驚いた。店員に訊くと、オーナーが日本人らしい。

 午後は、チヨコの希望通り、プールで泳いだ。


上質の空間に身を置き、何もしない人たち。これぞリゾートだ。

11/1
 この日は、海のホテルへ移動した。移動ついでに、別の棚田と、お寺に寄った。棚田は、それぞれの大人がそれぞれひとりずつ子供を抱っこして棚田の下まで降り、かつ上がるという、筋トレのようなことをした。お寺は、世界遺産ということだが、暑い印象だけが残った。

 海のホテルについて驚いたのは、やはり欧米人のリゾートぶりである。灼熱のビーチで寝っ転がってじっとしている欧米人は、何が楽しいのであろうか。私には、何か修行でもしているように見えた。ここでも、海で少し泳いだ後、子供に付き合ってひたすらプール。


灼熱地獄のような環境で、リゾートをする欧米人たち。気が知れない。

11/2
 最終日も、やはりメインはプールであった。特にチヨコはプールが大好きらしく、ずっとはしゃいでいた。一方、サチコは顔に水がかかるのが嫌いらしく、それに慣れさせようとわざと水をかけると、泣きだした。

 初めて母親無しでの3泊の旅であったが、サチコは特にぐずるわけでもなく、問題なく旅が出来た。疲れたが、充実した旅であった。わざわざ来てくれたミヤザキ一家に感謝である。


左:棚田の絶景              右:子供はプールが大好き。



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