2003年
9月のつぶやき




9月28日  「大阪のソウルバラード」
 今日実家で、またまた母親が店のお客さんから「大阪のソウルバラード」なるCDを借りたと言う。なんでも大阪のアーティストによるバラードばかりを集めたCDらしい。有名どころでは、「大阪で生まれた女」「酒と泪と男と女」等が入っている。間寛平がパクったと思われる「大阪で生まれた男」などと言う歌も入っている。阪神優勝に便乗して、こんなCDまで出してしまうとはと、大阪のパワーを感じた。

 聴いてみると、かなりローテンポの重い曲が続き、すぐに飽きた。バラードだけを聴き続けるというのは、なかなか苦痛である。しかもほとんどの曲は、確かに歌詞は大阪弁だが、メロディラインは標準語のイントネーションを元に作られており、あまりぱっとしないものであった。大阪弁によるメロディの研究はあまりなされていないようであった。

 その中でも、「大阪で生まれた女」はかなり関西弁を意識したメロディだと思った。関西人でなければ思いつかないメロディであろう。歌詞もなかなか好きである。
 「♪飲んで〜飲んで〜飲まれて〜飲んで〜」で有名な、河島英五の「酒と泪と男と女」もいい曲である。この人の生き様がそのまま伝わってくるようであった。

 店で母親と聴いていたのだが、5曲くらい聞いたらぐったり疲れ、止めてしまった。


     「座頭市」を見る
 先週、ビートたけしの映画、「座頭市」を見に行った。内容を端的に言えば、めくらのあんまが実は剣の達人で、悪人をやっつけるという、単純なものなのだが、かなり強烈な印象を受けた。

 殺人の描写がかなり強烈なのである。血が吹き飛んだり、手が吹っ飛んだり、これがリアルなのかどうかは知らないが、とにかく目を覆いたくなるようなものである。

 かと思ったら、ナンセンスな笑いが入ったりと、なんだか統一感がない。ビートたけしの映画はそういうのが多いが、あまり不自然とも思わないから不思議である。  


     帰りの電車
 今日は昼過ぎに、鈍行で白河に向かった。そのときに久しぶりにゆっくり本でも読もうと、本を買っておいた。「社長を出せ!(実録クレームとの死闘)」(川田茂雄著、宝島社)と言う本で、あるカメラ会社で長年クレーム対応をして来た著者が、クレームといかに関わってきたかを書いている。仕事と関わりのある内容ではあるが、あまりそういったことを考えると読む気をなくすので、単に面白い読み物として読むことにした。

 内容は、ヤクザの家まで謝りに行ったとか、逆に、しつこく難癖を付けてくる若造を追っ払ったとか、ハードなサラリーマン人生について書かれている。そして、そういうしつこくクレームをつけてくる人々に対して、人間的に欠陥があるとかこきおろしつつも、そういうクレームがあるからこそ、品質や技術の向上につながると述べている。右脳では嫌っているが、左脳ではその必要性を認めていると言った風である。


9月24日  久しぶりのお好み焼き屋
 先週の日曜日、かなり久しぶりに白河のお好み焼き屋に行った。ここは、以前に何度か書いたことがあるが、神戸のオバチャンがやっていて、かなり美味しい。店内も、お好み焼き屋とは思えないほどしゃれていて、なかなかいいところである。

 店に入ると、オバチャンの知り合いがふたりいて、先にお好み焼きを食べていた。食べながら、私が明石出身であること、家業がお好み焼屋であることなどを話した。客のふたりのオバチャンのうち、一人は神戸出身で、もうひとりは会津出身らしい。

 食べ終わってからも、かなり話した。見知らぬオバチャンたちと話し込む機会はあまりないが、楽しかった。お決まりのように「いくつに見える?」と聞かれたので、若目に「40過ぎくらい」と答えたら、非常に喜んでいた。しかし、実際の歳を聞いて、驚いた。私が心の中で思っていた年齢よりもはるかに年上なのである。私がさば呼んだ分も含めて、計20歳くらい若く言ったことになる。私がさば読まれて「三歳」と言われるようなものであろうか。そのうち「若いっていいわねぇ」とか言われながら、オバチャンたちが食べ切れなくて余った明石焼きをもらって食べた。

 久しぶりに関西のオバチャンたちと話せて楽しいひとときだった。


9月20日  「タイムスリップグリコ」と母
 今週末は福島にいる予定だったのだが、金曜に東京出張があったので、ついでに実家に帰ってきた。実家に帰ると、母親が「タイムスリップグリコ」なるものを見せてくれた。

 「タイムスリップグリコ」というのは、お菓子は普通のアーモンドチョコなのだが、おまけとして懐メロの入ったシングルCDが付いてくるのである。曲は「ハートのエースが出てこない」「木綿のハンカチーフ」など、全部で18種類+シークレット4種類あり、どの曲が入っているかは中を開けるまで分からない。母親は全種類集めようと、10個くらいまとめ買いを何度もしたらしい。一個300円なので結構な値段となる。しかも、おまけがかぶったりとなかなか全種類揃わなかった。

 そんな時母親は、店のお客さんが40個一気にまとめ買いをし、全種類揃えたという話を聴いた。そして早速全部借りて22枚のCDを深夜までかけて1枚のMDにした。大変な労力だったらしい。

 「タイムスリップグリコ」は一箱60個入りで、丸々一箱買えば確実に全種類集められるが、18000円である。それでも全種類集めたさに一箱買いをする人も結構いるのではないか。とあるおもちゃ屋では、あらかじめ開封しておいて、全種類揃った「タイムスリップグリコ」22個を12000円で販売しているらしい。かなり売れているらしい。

 CDを見たが、かなり良く出来ている。表面はレコードをイメージして黒く塗られており、溝まで掘られている。ジャケットもレコードのデザインと全く同じである。オッサン・オバハン心をくすぐるなかなかの商品企画だと思った。


9月18日  最近の生活
 最近また部屋が汚くなってきた。休日はまず家にいないし、仕事が終わったら疲れてすぐに寝てしまう。新聞もテレビも見ず、世間と隔絶された生活をしている気がする。そう言えば、今日久しぶりにテレビを見たら、ニュースステーションに星野監督が出ていて、阪神が優勝したことを思い出した。阪神優勝の情報と言えば、音楽祭の打上げのときに父親から、

「おかげ様で阪神タイガースが優勝しました。ご声援感謝します」

というやたら他人行儀なメールが届いたくらいである。

 そういえば新聞代はいつ払うのか。まだ一度も集金されていない。そして新聞もつい一月前に「毎日読む」と誓いを立てたのに、もうすでに読まなく部屋に汚く散らかっている。

 私は以前にも新聞を毎日読むと言う誓いを立てたことがあったが、長続きしたためしがない。私は余裕があるとき、知識を広げることよりも自己表現に時間を費やしてしまうらしい。新聞を読む時間があっても、この様に「つぶやき」を書いたり、曲を作ったりしている。

 現在ビールを二本飲んで、さらに郡上八幡で買ったワンカップに口をつけた。郡上八幡の地酒とのことであるが、ワンカップだとどうしても美味しいと思えない。やはり酒もイメージが大事であろう。

 酒と言えば、最近はビールは「秋味」ばっかり飲んでいる。秋を思わせるデザインについ惹かれてしまう。しかし、類似品の発表酒の「秋生」は、まず飲まない。一度間違えて買って、あまりに美味しくなかったので買わないことにした。そう言えば最近「黒エビス」も買った。以前に飲んだときは焦げ臭くて駄目だったが、昨日飲んだときはそこそこ美味しいと思った。

 なんだか、どんどんどうでもいい話になってきてしまった。最近更新が滞っており、「更新しなければ」という強迫観念に駆られて書いてしまった。やはりテーマがないといい文章は書けないらしい。


9月17日  瀬谷区音楽祭
 先週末、笛部で瀬谷区音楽祭に出場した。瀬谷区役所員であるクミコのつてである。瀬谷区内在勤在学在住の人でないと出られないらしいので、クミコにも参加してもらうことにした。

 知らない人の前で演奏するのは初めてだったので、かなり緊張した。私達の音楽が果たして受け入れられるかということが、分からなかった。

 当日の流れもよく分からなかった。私は慌てて横浜に向かったため、会場図やら当日の流れやらを書いた紙をすべて家に置いてきてしまったのである。

 この日は前半が合唱の部、後半が吹奏楽の部で、私達は後半の二番目だったのだが、早めに会場入りし、合唱から聴いていた。出場団体は15ほどあり、どれも上手な演奏ではなかったが、なにより世間にこれほどの数の合唱団があるということに驚いた。中でも最も感動したのは、ほとんどが老人で占める合唱団による、「羽生の宿」であった。人生そのものを歌っているようであった。

 合唱の部の間、会場は超満員で、大盛況だったのだが、吹奏楽の部に入ると、とたんに減った。合唱団がほとんど帰ってしまったらしい。しかも、吹奏楽の団体は表で器材準備をしており、席には着いていない。私達が演奏したときは、500席くらいあるうちの半分が埋まっていた程度であろうか。

 演奏自体はなかなか上手くいった。客の反応を見ていても、ちゃんと聴いてくれていたようであった。母親が聴きに来てくれたのだが、なかなか好評であった。

 ともあれまたやりたいと思う。前にも書いたが、笛部は私の意地である。どんなに忙しくなっても、メンバーがいる限り、続けてやろうと思っている。


9月14日  郡上八幡に行く
 すでに先週の話であるが、岐阜の郡上八幡に行ってきた。郡上八幡と言えば、日本最大の盆踊り、郡上踊りの町である。この日は一ヶ月続く郡上踊りの最終日であった。メンバーはサクモト、ミヤザキ、アイザワである。金曜の深夜に仕事が終わり、そのまま車で横浜に向かった。先々週の夏ステもそうであったが、かなりハードな週末を過ごしている。平日はなかなか自分の時間を持てないため、その分週末は寝る間を惜しんで狂った様に遊んでいる気がする。

 さて、明け方の3時頃に白河を出発したのだが、高速に乗ってからかなり疲れていることに気づいた。このままでは危険だと思ったので、一番近くのサービスエリアで仮眠を取った。

 ふと目覚めると、朝の6時であった。集合は朝8時和田マックである。どう考えても間に合わない。仮眠で寝坊したのは初めてであった。

 しかも高速道で、追い越し車線に行こうと思ったら、なんとウインカーが付かなくなっていた。以前銚子に行った時もあった。とりあえず窓から手を出し、教習所で習った「左合図」を出して次のパーキングに入った。

 パーキングに入ると、ウインカーは復活した。相変わらず気まぐれなものである。

 その後かなり急いだが結局横浜に着いたのは九時半頃であった。その後運転を順番に交代しつつ、郡上八幡に着いたのは夕方であった。

 郡上八幡は非常に美しい町であった。いたるところに湧き水が出ており、自由に水が飲めるようになっている。道脇には水路があり、そこで洗濯をしたり野菜を洗ったりもしているようである。

 かの有名な吉田川ジャンプコンテストに使われる橋にも行った。この橋は高さが約12mあるのだが、この橋の上から川に飛び込むという、子供達の伝統的な遊びがある。上から覗くとかなり高く、怖かった。しかもその横には

 「この橋は高さが12mあり、水死事故も起きているので、、飛び込みの際には十分注意してください」

 という看板が立っていた。禁止しないところがすごいと思った。

 メインの郡上踊りはすごかった。なんと言ってもすごいのはみんな踊っているところである。盆踊りの常識が覆った。屋台を囲んで人の群れが渦巻状に回転しているのである。例えるならば大練コンパ、もしくは狭い舞台での八木節総踊りであろうか。「踊るのが当たり前」という雰囲気がとてもよかった。

 「踊らにゃソンソン」で有名な阿波踊りでもこれほど全員参加型ではない。郡上踊りは踊らないと何も面白くないのである。見ていても、ただ人の群れがひしめきあって手足を動かしているだけであり、 見栄えのするものではない。踊りは10分も踊っていれば踊れるほどシンプルである。

 夜の8時に始まり、11時頃に終わった。町長の挨拶のあと、みんなで提灯をぶら下げて町を下った。盆で帰ってきた先祖の霊を送るのであろう。盆踊りが一ヶ月以上も続く町も珍しい。この町の先祖は一ヶ月以上も居続けることになるのであろうか。

 踊りを見終わったあとは車中泊をし、次の日に飛騨高山に向かった。こちらは郡上八幡と比べて観光地化されており、郡上八幡ほどの感動はなかった。

 帰りはかなり渋滞しており、きついドライブとなったが、あと少しで横浜というところで事故が発生し、車は全く動かなくなった。焦っても仕方がないので、エンジンを切りミヤザキのギターで大声で歌を歌っていた。こういうときに変にイライラしたりしないのはいいなぁと思った。

 結局横浜に着いたのは九時半で、私はそれから福島まで戻らねばならない。誰か代わりに運転してくれる人はいないかと思い、冗談でヤスに電話をかけたら、なんと二つ返事でOKとのことであった。帰りの鈍行の交通費を出すという条件で、代わりに運転してもらうことになった。学生の気ままさを羨ましく思った。結局ヤスは、福島にいる民研人と二日くらい遊んで帰ってきたようである。


9月2日   オリガのポールシュカ・ポーレ
 最近会社の先輩に「feel」というCDを借してもらった。さまざまなアーティストの名曲を集めたCDなのだが、特に私が目を付けたのはオリガの「ポールシュカ・ポーレ」であった。

 私はポールシュカ・ポーレが好きである。「私の好きな曲」にも入っているくらい好きである。私にとっては、闘争心溢れる勇ましい曲である。オリガのポールシュカ・ポーレは、かつてテツの家で一度だけ聴いたことがあるが、なんとなくしんみりした印象だったのを覚えている。

 早速聴いてみると、やはりしんみりした曲であった。歌うところは少なく、インストゥルメンタルが多い。歌詞も私達が歌ったのとは明らかに違っていた。闘いの曲というよりは闘いを悲しむ曲のように思えた。家に帰って歌詞の日本語訳を見るとやはりそういう曲であった。

日本語訳(グーゼフ作詞・原語訳)

ポールシュカポーレ 愛すべき我等が野原よ
我等は行く仲間とともに
ああ乙女よ 悲しい別れがやってきた
われ等が進むこの道は どこまでも続くのだ
大空には勇ましき戦闘機 海には無敵の潜水艦
そして我等が司令官ヴォロシーロフ
ああ乙女よ 涙を拭いておくれ
われ等の歌声はあくまでも勇ましく
ポールシュカポーレ 愛すべき我等が野原よ

日本語訳(オリガ作詞・高橋由紀子訳詞)

草原よ 草原 広い草原よ
駆けて行く英雄が 遠い昔の英雄が
風が運んでゆく そう、緑の草原を
彼らの勇ましい歌 懐かしい歌
風邪が残すのは 戦の誉れと
ほこりまみれの道 遠くへ続く道
草原よ、草原 多くの悲しみを見たことも
血にまみれたこともあっただろう
遠い昔のこと

オリガのセンスの良さを感じた。以前のポールシュカポーレよりも一段上の視点から革命戦争をとらえた曲であろう。ただ、中盤のやや強引な転調と、最後テンポアップしてアンデス民謡風に「ジャンジャン」と終わってしまうのはいただけないと思った。

 と、ここまで書くうちにこんな勘違い歌詞を思い出してしまった。みんなで爆笑したのを覚えている。曲想とは何の関係もないナルシスティックな訳詞である。


日本語訳(橋本淳訳詞)

緑萌える草原を越えて 僕は行きたい あなたの花咲く窓辺へと
雲流れるロシアの大地に 二人の愛は芽生えて 明日へと続くのさ
忘れな草胸に抱きしめて 別れを惜しんだあなた 優しく抱きしめたい
ポールシュカポーレ それは愛の言葉 ふたりだけの誓いさ 永久に消えはしない
雲流れるロシアの大地に 若いふたつの命が寄り添うように燃える
ポールシュカポーレ それは愛の言葉 ふたりの心の誓いは永久に消えはしない
緑萌える草原を越えて 僕は行きたい あなたの花咲く窓辺へと


 もはやここまで来ると訳詞とは言えないであろう。なんだか濃い少女漫画をイメージさせる。確かにロシア民謡には共産主義的思想が盛り込まれていることも多く、直訳を避けたい気持ちも分かるが、これはやりすぎであろう。他にも「カリンカ」「トロイカ」などの歌詞も直訳とはだいぶ違う。「カリンカ」などはやっつけ仕事で作ったとしか思えないばかばかしい歌詞である。また機会があったら載せたいと思う。   

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