2014年
12月のつぶやき
12月28日 パンダコパンダ、リコーダーモールステージ
昨日、サチコと「パンダコパンダ」を見た。「パンダコパンダ」は、宮崎駿が1972年に作ったアニメーション映画で、孤児の少女の元に動物園から逃げ出したパンダが現れ、少女のお父さんになる、という荒唐無稽なアニメである。ミヤザキ一家がインドネシアに来たときに初めて見せてもらい、チヨコやサチコが見ているのを横目で少し観ていた。
改めて観ると、子供向けのアニメだが、結構面白い。内容は滅茶苦茶なのだが、その中でも一生懸命に生きる少女の姿や、可愛らしいパンダの姿は、その後の宮崎アニメに通じるものがある。
と言うよりも、このアニメで出てくるシーンの殆どは、その後の宮崎アニメで登場するように思う。大体、パンダの姿はトトロそのものだし、獰猛な生き物にも純粋な心で接する少女の姿はナウシカを思わせる。「千と千尋の神隠し」の印象的なシーンである、水の中を走る電車もあり、「ポニョ」で登場するような、水没した町の風景もある。宮崎駿は、40年も前からこういう心象風景を持っていたのかと、驚かされる。
ユーモラスな映画だが、どことなく心を打たれるのも印象深い。
今日は、ジャカルタリコーダーアンサンブルで「プラザブロックM」というモールでのステージに出演した。どのような雰囲気か全く分からないまま、午前中はカラオケルームで練習し、モールに向かった。
モールに着けば、「日本風」ステージが出来ていた。鳥居があり、相撲取りの巨大な人形があり、五重塔があり、浴衣姿のインドネシア人がおり、まさに「日本風」である。こんな中でリコーダーを吹ける機会などまず無いので、嬉しくなった。
曲目の中できゃりーぱみゅぱみゅの「にんじゃりばんばん」を演奏したのだが、演奏中、曲に合わせてぱみゅぱみゅの踊りを踊っているインドネシア人が何人もいて驚いた。きゃりーぱみゅぱみゅはここでも有名らしい。
最後は、五輪真弓の「心の友」である。「心の友」は日本では殆ど知られていないが、インドネシアでは「第二の国家」とまで言われるほど有名で、ほぼ誰でも日本語で歌える。アチェの津波でも復興ソングになったらしい。
「心の友」を吹いていると、雪が降ってきた。モールの上の階から、雪に似せた泡を飛ばす演出である。子供たちは俄然盛り上がり、大盛況でステージは終了した。常夏のジャカルタで、日本風のステージに立ち、雪の舞う中リコーダーを吹くなんて、考えたら滅茶苦茶な話で、とても貴重な体験が出来た。
12月27日 今年一年を振り返って
今年ももうすぐ終わる。今年を振り返れば、とにかく病気に悩まされた一年であった。特に2月から5月ごろまでは、酷い耳鳴りと難聴、めまいによりしばしば会社に行けなくなった。6月に3週間ほどの療養期間を経て、ようやく復帰することが出来た。精神的にも落ち込み、私としては珍しく、前年よりも不幸だと感じる一年であった。
色々検査したが、問題はなく、結論は自律神経のバランスが崩れたことによるものらしい。ストレス、不安により自律神経の乱れが生じ、耳鳴りなどの症状が更にストレス、不安を誘発するという、ドツボにはまっていたのである。抗不安薬の服用と、TRTという、雑音を聞いて耳鳴りに順応する療法でとりあえず症状は落ち着いている。
今も、耳鳴りは続いているし、右耳が聞こえづらくなったり、めまいとまではいかなくとも、ふらふらすることは頻繁にある。それでも、仕事は出来るし、こういった症状に以前ほどビビらなくなった。「寛解」とは、今年知った言葉で、完治はしていないが病気をコントロール可能な状態になったという意味だが、まさに「寛解」したという感じである。
病気は、私はもう若くないのだということを教えてくれた。そして、これからは耳鳴りだけでなく、四十肩、老眼、糖尿病などとも付き合っていかなければならないことであろう。これらを「受け容れたくない」と感じることに不幸がある。「もののけ姫」で、アシタカが手に受けたタタリ神の呪いが消えることはないように、私たちはそういった苦痛や不幸と付き合っていかなければならないのである。
病気は、思わぬ能力も授けてくれた。自律神経のコントロール法を練習するうちに、ソフトボールのピッチャーのストライク率が上がったし、柔道の試合でも以前のように緊張することなく、力を出すことができるようになった。また、病気は私に運動習慣を授けてくれ、免疫が上がったのか、風邪をひきづらくなった。
来年は、妻子は出産のため日本に帰国する。しばらく一人暮らしになるのは寂しいが、サチコの「敵」が生まれ、姉弟(姉妹?)ゲンカを見るのが今から楽しみである。
今年一年、お世話になりました。
12月22日 ジブリ映画
サチコに、「天空の城ラピュタ」を見せたところ、「怖い」と言って、途中でやめてしまった。確かに、暴力的なシーンや高いところから落ちるシーンなどがあり、まだ早いようであった。
それならばと、今度は「魔女の宅急便」を見せてみた。これも恐る恐る観ていたが、なんとか最後まで観ることができた。しかし、最後の飛行船に掴まったトンボが落ちて、デッキブラシに乗ったキキがギリギリのところで助けるシーンは、相当怖かったらしく、サチコは大泣きしてしまった。
感受性が敏感なのだろう。まだこういう映画を見せるのは早すぎるのかも知れない。
宮崎駿は自著「出発点」で、「三歳児まではテレビを見せるな!」と書いている。そして、六歳児まではテレビを見る時間は特別な時間として制限し、その後は「嘘と本当の区別がつくから、マスコミに食い殺されない程度に楽しむのは悪くない」と言っている。そして、出典は忘れたが、小さい子供の親に「うちの子供はトトロが好きで毎日観ています」などと言われると、がっかりするらしい。子供のためになる映画を作ることと、その商業活動により子供を食い物にしているという矛盾について、宮崎駿ほど悩んでいる人を私は知らない。
確かに、アニメを見せるよりは、外で遊ばせたり、絵を描いたりするほうが今のサチコにはよほど重要であろう。
それはさておき、魔女の宅急便を観終えたサチコは、すっかり影響を受け、ほうきを持ち出し、ほうきにまたがり、「う〜〜」と力を入れた後、「飛べ」と唱えると父ちゃんが高い高いする遊びに興じたのであった。
12月21日 リコーダーコンサート
今日は、ジャカルタリコーダーアンサンブルのクリスマスコンサートであった。今年は、何度かミニコンサートがあったが、一度はインフルエンザで、もう一度は耳鳴りめまいで療養中であり、私が参加するのは昨年のクリスマスコンサート以来、一年ぶりであった。
曲数が多いことと、久しぶりの人前での演奏のせいか、いつになく緊張し、指がうまく動かなかった。練習では意識しなくても出来ることが、出来なかった。まあ、それを練習不足と呼ぶのだが。それでも、お客さんはほぼ満席となり、楽しいコンサートとなった。
途中、「みんなで吹こう」のコーナーがあった。メンバーのホリさんが一週間前に作曲し、その日に私が編曲した、「リコーダーは楽しいな!」という曲である。特徴は、ソラシドの4音さえ覚えれば吹ける、という手軽さであり、その主旋律にメンバーがハーモニーをつけて、みんなで吹こうという企画であった。
この取って付けたような曲が大盛況となり、子供たちはリコーダーを吹いたり、ホリさんが用意した打楽器を叩いたり、楽しい時間となった。
この「リコーダーは楽しいな!」という曲は、どうもヤミツキになるらしく、今も私の頭の中でエンドレス再生されている。
12月19日 民主主義について
最近、民主主義というものが、人類にとって最適解ではないということが、明らかになってきているように感じる。エジプトの民主化により、選挙で選ばれた大統領は、非ムスリムからは支持されず、軍政に戻ってしまった。しかし、エジプトの民衆はむしろそれを歓迎しているようにすら思える。香港の民主化を訴えた学生デモは、民衆の支持を得られるどころか、社会を混乱させたと非難され、あっけなく撤去されてしまった。
民主主義の欠点は、51%以上の支持を得た意見が絶対的に尊重されると言うことである。逆に言えば、49%以下の意見は完全に無視される。例えば、半数以上がムスリムの国が民主化されれば、イスラム色の強い法律が作られ、キリスト教徒や仏教徒にとっては住みづらいであろう。独裁政治の場合、独裁者が名君でありさえすれば、多数派の意見も少数派の意見もバランスを取りながら、調整することができるが、民主主義にはそういう柔軟性が無い。一方、独裁政治の場合、独裁者が愚鈍であれば、国民は酷く苦しむことであろう。
GNH(国民総幸福量)で知られるブータンの、GNHが最近下がっているという。2007年に、国王の発案により総選挙が行われ、ブータンは絶対王政から議会制民主主義へと移行した。その後、貨幣経済が流入し、車が増えて首都ティンプーは渋滞が発生し、また、車のローンが払えず破産する人が増えているという。若者は、欧米のスタイルに憧れ、伝統衣装を着る人も減っているらしい。
インドネシアでも、スハルト時代の独裁体制を懐かしむ人は多い。「あの頃はよかった」という。物価も安く、治安も良く、貧富の差も今ほど激しくなかったらしい。
将来の人類は、民主主義よりも「ましな」体制を作り出すことであろう。それがどのようなものかは知る由もないが、とりあえずは、民主主義=正義 独裁政治=悪 というステレオタイプを脱する必要はあると感じる。
12月18日 溶連菌に感染する
月曜日、仕事をしていると、急に声が出なくなった。また、喉が痛い。それ以外は、しんどくもなく、熱っぽくもないため、普通に小声で仕事をし、念のため病院に行って診てもらったところ、溶連菌というのに感染しているらしい。
溶連菌は、学校で流行っていると聞いたことがあった。子供に多い病気というが、柔道の試合でぐったり疲れていたため、免疫が落ちて感染したのであろう。
病院では、医療費を稼ぐためか、溶連菌の抗生物質に加え、抗ヒスタミン剤、ビタミン剤、解熱剤、解熱剤用の胃腸薬など、どっさり処方された。熱がないから解熱剤は要らないと言ったが、喉の痛みにも効くから、と言われ持たされた。実際は、鼻水やくしゃみも無いから、抗ヒスタミン剤も要らないし、食欲もあるからビタミン剤も要らない。とりあえず、必要そうな薬だけを選んで飲んだ。
抗生物質を飲んだら、一日で快復した。しかし、10日は飲み続ける必要があるとのことで、飲み続けている。
12月13日 ジャカルタ州知事杯
今日は、柔道のジャカルタ州知事杯であった。私は、これまで60kg以下級で出場していたのだが、今年は病気の影響か、57kg程度まで痩せてしまったため、どうせならと、55kgまで減量して55kg以下級で出場した。
結果は、準決勝敗退であった。その後の3位決定戦も負け、5位ということになるらしい。それでも、準決勝まで順調に勝ち上がれたのは初めてだったので、嬉しかった。
昔から、試合が苦手であった。緊張してビビッてしまい、ろくに動けないのである。ジャカルタに来てからも、
2011年、初戦で一本負け
2012年、初戦で一本負け
2013年、ベスト8とはいえ、下記の通り、満足のいく内容ではなかった。
1回戦:不戦勝
2回戦:相手が反則したので勝ち
3回戦:締め落とされて負け
今年は、以下の通りであった。
1回戦:投げで一本勝ち
2回戦:押さえ込みで一本勝ち
3回戦:投げで一本勝ち
準決勝:投げられ一本負け
3位決定戦:有効を取られ優勢負け
私としては、ジャカルタに来て初めて試合でまともに勝った、という実感がある。否、中学・高校時代を含めても、こんなに勝った実感は初めてである。
高校3年で、柔道部を引退したとき、もう二度と柔道はしないだろうと思った。力も弱く、才能も無い。試合の度に怖い思いをする。そして、引退の際に顧問の先生に頂いた黒帯も、もう使うことはないだろうと、捨ててしまったのである。それがまさか、インドネシアに来て柔道を再開し、こんなに楽しんでいるとは、予想しなかった。
これまでは、思い出に取ってあった、高校時代に使っていたボロボロの黒帯を使っていたが、新調することにした。それにしても、顧問の先生に貰った黒帯を捨てなければよかったと、未だに後悔している。
12月12日 黒魔術について
2014年12月2日付けのじゃかるた新聞に以下の記事がある。以下引用
「外科医が経験発表 身体から釘2000本除去」
インドネシア人外科医のサギラン・スカルディ氏は29日、マレーシア国民大学(セランゴール州)で公演し、スマトラ島に住む20代の女性の身体から2千本の釘を摘出した経験を明らかにした。夫が黒魔術と称して、釘を埋め込んでいたらしい。
地元メディアによると、女性が最初に病院を訪れた2012年9月、両足に刺さった約70本の釘を見つけ、サギラン氏が摘出した。しかし翌日には摘出したのと同じ場所にさびた釘が新たに刺さっていた。女性が通院するようになって以降、行方不明になっている夫が黒魔術を施していたとみられている。最終的に全身から2千本の釘を除去したという。
サギラン氏は大学のイスラム学者などと相談した上で、コーランの朗読などをしながら女性の治療にあたった経緯を紹介。病院でも宗教や精神的な側面に配慮しながら対応することが重要だと話した。
こういった記事を読んで、私はばかばかしいとは思わない。もちろん、非科学的ではあるが、今の私の知識では、絶対にありえないとまでは断定できない。或いは、実際には起こっていないが、サギラン氏が実感を持った記憶として持っている可能性もあり得る。
インドネシアでは、不思議な話は普通にある。日曜日に柔道をしにくる子の学校で、誰かに霊が憑依したため騒動になり、授業が中止されたとか、寮で大騒ぎになったとか、催眠強盗と言って、催眠術をかけて知らない間に財布を渡してしまう犯罪があるとか、インドネシア人の妻が超能力者で、旦那(日本人)が飲み会で豚肉を食べようと、箸を伸ばした瞬間に電話がかかってきて、「アンタ今豚肉の前にいるでしょ!」と怒られたとか、そういう話が普通の会話として行われる。今の科学で説明できないことは多々あるのだ。
私の通勤の送り迎えをしてくれる運転手の話を紹介する。彼は、1998年の暴動の際、会社の華僑のダイレクター(役員)を家まで送ることになった。このダイレクターは、中華系であり、あたりでは車をチェックされ、中華系の人は引きずりだされ、暴行されたり殺されていたと言う。本来であれば、会社で待機している方が安全だが、家族が心配で、家に帰りたいと言ったらしい。
色々な運転手に訊いてみたが、華僑を送迎するなんて怖くて、誰もしたがらない。そして、私の運転手だけが、「連れて行ってやる」と言った。
あたりはいたるところから火が出ており、酷い状態であったと言う。そして、家の近くまで来て、道を直進しようとしたら、突然道路に人が現れ、必死に右のほうを指差している。運転手は、直進したいのに、彼は全くどこうとせず、右を指差していたらしい。しかたなく、運転手は右折し、ふと後ろを見ると、その人の姿は消えていた。あとで、聞いた話によると、運転手が直進しようとしていた先には、華僑のチェックが行われ、多くの人が殺されたという。
これを聞いて、私は、運転手はサードマンを見たのだ、と思った。その人が本当に存在したかはわからない。確かなのは、彼にとって、それを強烈のリアリティを持って体験したということである。
無事にこの華僑のダイレクターをを家まで送り届けたことは、彼の誇りであり、何度も話してくれる。でも「ダイレクターが車を降りるとき『ありがとう』のひとことすら無かった」とこぼした。
彼は未だに華人が好きではない。
12月9日 ペヤング虫混入について
数日前だが、「ペヤングソースやきそば」のひとつに虫が混入していたとする消費者の指摘を受けて、同日に生産された約5万食を自主回収することに決めたというニュースがあった。私は、この大がかりな対応に、違和感がある。
もちろん、食品メーカーは虫や異物の混入には万全の注意を払うべきだし、すでに多くのメーカーはそうしていることだろう。テレビなどで見れば分かるとおり、多くの食品工場では全身を覆う防塵服に手袋、マスクと言った格好で作業をしている。窓もなく無機的な空間で、作業環境としてはかなり劣悪なほうといえる。
それでも、扱っている素材が畑や海からやってきた食品であり、それを生産しているのが人間である以上、虫や異物の混入を完全に防ぐのは難しいであろう。確率をいかにゼロに近づけるか、日々メーカーが努力していることである。
私が言いたいのは、消費者はもう少し寛容であってもいいのではないか、ということである。大体、人間の体は割りと頑丈に出来ており、多少の異物を口にしたところで問題はない。虫は、場所によっては今でも貴重な蛋白源として食べられている。
だから虫が入っていてもいい、とは言わない。運悪くそれを発見した消費者は、さぞ不愉快だし、怒るべきであろう。メーカーは誠心誠意対応し、商品の取替えに加え、お詫びの品を送るべきであろう。
しかし、5万食を無駄にする必要は無いのではないか。パッケージにも、大体次のような表記がある。
「商品の品質には万全を期しておりますが、万が一、不良品、汚損、商品間違い等ございましたらお取り換えさせていただきます」
文字通り「万が一」ということである。「万が一」と「ゼロ」の差はうんと遠い。
12月5日 子供について
妻が妊娠し、年末に日本に一時帰国することとなった。子供が生まれてジャカルタに戻るまで、半年以上は一人暮らしとなる。
子供について、昔職場の仲間と議論をしたことがある。「もし生まれてくる子供が自分の子供じゃなかったらどうするか、どう思うか?」についてであった。
私は、全く問題ない、普通に育てる、と言った。例えば、妻がレイプされて妊娠した、或いは、妻が不倫をして妊娠したが、その後その男とは別れて、私に謝罪をし、よりを戻した等のシチュエーションが考えられる。
もう一度言うが、私にとっては、全く問題ないし、普通に育てる。なぜなら、生まれてくる子供には何の罪もなく、子供を恨むのは筋が違うし、自分の子供じゃないからと言って、がっかりしたり怒ったりする理由が見当たらない。
そういうことを言ったら、職場の仲間は信じられないという反応をした。自分の子供じゃない子供が生まれてくるなんて、許せないという。
もしかしたら、私の感覚が変で、本来オスの本能というのは、自分の子孫を残したいと思うものなのだろうかと、少し悩んだ。もしかしたら、私はオスの本能を持ち合わせておらず、社会的にしかモノを考えられないのではないか。それは、逆に言えば、自分の本当の子供すら、他人の子供と同じようにしか愛していないことになり得る。
一方で、新婚旅行でブータンに行ったとき、ガイドさんがブータンは母系社会で、夜這の風習があるから、その家に住む子供たちが本当は誰の子供か分からないけど、気にせずに育てると言っていた。夜這の風習のあった、かつての日本でもそうであったろう。誰の子供かなんて、結局良く分からない。
私には、こっちの方がしっくりくる。生まれてくる子供よ、君が誰であれ私は全力で育てるから、安心して出て来給え。
12月2日 しゃっくりが出る
昨日は、しゃっくりが止まらなくなった。普段、しゃっくりが出ることは殆どなく、たまに出ても数分で治るのに、この日は何時間も治らないのである。インドネシア人のスタッフに訊くと、「お湯を飲みなさい」という。
果たして、給湯室でお湯をもらい、飲んだところすぐに治った。私は驚いた。しゃっくりが長引くのも滅多にないことだが、こんなに簡単に治るのも初めてであった。日本に伝わる、驚かすと良いとか、コップの水をさかさまに飲むと良いとか、あまり効いた試しがないのに、お湯を飲むという、シンプルな行為だけで、たちどころに治るのである。インドネシアの民間療法は凄いと思った。
帰りの車の中、しゃっくりが再発した。お湯を飲みたいが、無い。携帯でツボなどを探して押してみたが効果が無い。最終的に治ったのは、「息をこれ以上吸えないくらい吸って、15秒間止め、ゆっくり吐く」というものであった。これもかなり効果があり、一回やるだけで治った。
次の日の朝も、しゃっくりが出たので、息をやって、念のためお湯を飲んで出社した。それ以降、しゃっくりは出なくなった。一体なんだったのだろう。
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