2015年
1月のつぶやき




1月24日 最近のトピック

 今日は、ラヴェルの「亡き王女のパヴァーヌ」をリコーダーで多重録音した。ほぼ毎週何かを録音している気がする。リコーダークラブで吹いてみたのだが、どうもつかみどころがなく、自分で全部吹いたら分かるかと思い、吹いてみた。吹き始めたら、夢中になってしまい、昼ごはんを食べることなく夕方まで演奏し続けてしまった。そんな週末を過ごしている。

https://www.youtube.com/watch?v=JNnziWch-Lk


 先週末は柔道部の新年会であった。私が来たときは、8人くらいしかいなかったのが、今は30人くらい集まって、盛況であった。ジャカルタに住む日本人がどんどん増えているのがこういうところで分かる。部長が最後の締めの言葉で、今年が何年から思い出せず、

「え〜それではせんきゅうひゃく・・・」

 と言って爆笑されたいたのが印象的であった。その後も、一本締めか三本締めかを言わないまま締めたので、一本締めと三本締めが混ざり合う、締まりのないお開きであった。


 明日からインドネシア人スタッフ2人を連れて、日本に出張に行く。早朝便なので、朝3時半頃起きていかなければならない。日本は寒いと聞いているので心配である。インフルエンザも流行っているとのことで、日本で体調を崩したら非常に面倒である。無事戻れることを祈る。


1月24日 名探偵コナン

 ここのところ、リコーダーを吹いた話ばかり書いている気がする。一人暮らしを始めてから、土曜日が暇なので、こういう趣味に没頭している。大体、土曜日はリコーダーを吹いたり編曲をしたりして遊び、日曜日は柔道した後、買い物して夜は料理を作りだめる、というサイクルが出来ている。結構忙しい。

 今日は、「名探偵コナン」のテーマ曲をリコーダー5重奏に編曲し、多重録音して遊んだ。ただ、午後はリコーダークラブの練習があったので、午前中に楽譜を修正しながら録音し、終わったら楽譜を打ち出してすぐ練習に向かうと言う、若干ハードな状態になっていた。

 「名探偵コナン」のテーマ曲は、ジャカルタリコーダークラブのメンバーの息子さんのリクエストで2週間位前から編曲作業をしていた。彼は、私の多重録音を気に入ってくれ、私のことを「師匠」と呼んでくれているらしい。1,2回しか会ったことがないのだが。

 私はこの曲は知らなかったので、youtubeで初めて聴いたが、かっこいいと思った。そして、色々なヴァージョンがあることや、歌付きのものもあるなど、なんとなくルパン三世を意識しているような気がする。

 youbuteで調べたら、私と似たようなことをやっている人がすでにおり、私には到底及ばないような素晴らしい編曲をされていたので、二番煎じでかつレベルの低いものを作ってしまったような気がして恥ずかしいが、吹いてて爽快であり、楽しく作業することができた。

https://www.youtube.com/watch?v=J8PhTKVHbKQ


1月15日 言論の自由について

 金正恩の暗殺を描いたコメディ「ザ・インタビュー」は、脅迫に屈することなく公開されたということで賞賛されている。また、フランスの週刊紙「シャルリエブド」は、襲撃をされた後も、懲りることなくムハンマドの風刺画を掲載し、「テロに屈しない姿勢」として多くの人の賛同を得ている。

 私は、このような風潮に違和感を感じる。

私は、映画を観ていないし、観る気も無いのだが、「金正恩の暗殺を描いたコメディ」というだけで、そこまでして公開する必要があるのかと思う。

 例えば、日本の天皇暗殺を描いたコメディ映画が公開されることになったら、日本人の多くは怒るであろう。そういう風に、自分に置き換えて考えれば、言論は自由かもしれないが、礼儀や節度を持って行うべしというのは、自明のことではないかと思う。

 フランスの風刺画に関しては、更にたちが悪い。イスラム教では、例え悪意がなくても、預言者の絵を描くこと自体がタブーである。例えば、子供向けの絵本で、ムハンマドと思われる人の絵が登場したと言うことだけで問題になる。シャルリエブドは、それどころか、ムハンマドが全裸であったり、男性器を露出させた姿で描くこともあったという。これは、完全なイスラム教徒に対する侮辱である。

 これがテロに対する戦いであるはずが無い。それどころか、余計な憎悪を増幅させ、治安を悪化させる原因となるであろう。現に、フランス人の反イスラム感情は高まり、イスラム教の国々は、揃って非難を表明している。本来、風刺は、時の権力者などに対して行われるべきものである。しかし、この件に関しては、平穏に暮らしている一般のイスラム教徒の感情を逆なでする点で、風刺の対象としては間違えていると思う。

 会社の送り迎えをしてくれる運転手に、フランスの新聞社を襲撃した犯人達は、正しい行いをしたと思うか、と訊いてみた。すると彼は、「頭」と「心」を分けて「ふたつの感情が入り混じる感じだ」と言った。「頭で考えれば、人を殺すことは正しくない行いである。しかし、心のほうでは、犯人に賛同する思いはある」と答えた。しかし、ムスリムは「トレランシー」(許容範囲)が広いから、彼らのような行為に及ぶことは無い、と言った。

 以下、今朝のじゃかるた新聞より転載。この記事からは、インドネシアの寛容で冷静な姿勢が浮かび上がる。


 襲撃を受け17人が犠牲になったフランスの週刊紙「シャルリエブド」が事件後初めて発刊する14日発売号で、イスラムの預言者ムハンマドを描いた風刺画が掲載されたことについて、インドネシア国内のイスラム団体が「教訓を得ていない」「(風刺画は)忍耐の試練だ」などと反応した。イスラムでは、紙や預言者の姿を描くこと自体がタブーとされる。

 国内最大のイスラム団体ナフダトゥール・ウラマ(NU)のスラメット・エファンディ・ユスフ氏は14日、襲撃は正当化できないという一方、同紙が再びムハンマドを風刺したことについて「編集部が賢くないことを示した。同僚が犠牲になった事件から教訓を得ていない」と語った。同氏は、表現の自由と同時に他者の信仰への配慮も重要だとしている。

 第2のイスラム団体ムハマディヤのアブドゥル・ムディ事務局長は13日、「(風刺画を)忍耐の試練とみるべきだろう。過激な行動を避け、賢く反応すべきだ」と話し、ムスリムに自制を求めた。

 シャルリエブドは14日号の1面で、「全ては赦される」の文字とともに、事件後に反テロの姿勢を示す合言葉になった「私はシャルリ」と書かれた看板を手にし涙を流すムハンマドを描いた。国内外から注文が相次いだため300万部を16言語、25ヶ国で発売した。

 同紙本社の襲撃に対して、インドネシアのレトノ外相が8日に「強く非難する」との声明を発表。イスラム学者会議(MUI)は同日、襲撃を非難した上で、「(風刺画は)表現の自由の下で出版されたものだが、我々はその内容に反対する。ただ、人を殺してまで抗議する権利はない」と指摘する声明を発表した。

 同紙はこれまで繰り返しムハンマドを風刺しており、全裸や男性器を露出させた姿で描くこともあった。



1月11 ドラえもんを吹く

 今日は、ドラえもんのテーマ曲をリコーダーで演奏した。今回の一人暮らしの週末は、土曜日はリコーダーをだらだら吹く、日曜日は柔道に行った後、買い物をして料理を作り貯める、というサイクルになりそうである。

 今週の土曜日は、本当にすることがなく、冷蔵庫の中も寂しくなったので、一日中家にいて笛を吹いていた。そんな中、前から吹きたいと思っていたのが、ドラえもんのテーマ曲であった。

 ドラえもんは、難しい。前奏でいきなり半音進行が登場し、この編曲は後半は編曲者のオリジナルのような感じになるので、前からやろうとして手が出ない曲であった。

 何度も吹きなおし、土曜日では終わらなかったので、柔道から帰ってから更に続きを吹いた。最後に音を確認して、合っていないところはそこだけを更に吹きなおして多重録音した。

それでも、残念なところは多々あるが、諦めてアップした。

https://www.youtube.com/watch?v=OdpKv33GLes


1月10日 自分の心が音やねん

 NHK地方発ドキュメンタリー「自分の心が音やねん」を見た。吹奏楽の名門である大阪府立淀川工科高校吹奏楽部の大会までを追ったドキュメンタリーである。

 日本一の高校生の音楽は、非常にレベルが高い。彼らは、毎日何時間も練習し、顧問の理不尽な要求に耐えながら自分を磨いていく。こういう環境は、高校生だから出来ることだろう。中学生以下ではまだ幼すぎ、高校を卒業すると、アマチュアがこれだけ練習するには時間的制約がある。プロがいくつもの曲をそつなくこなすのに対し、彼らは、ひとつの曲を何ヶ月もかけて練習し、曲想を深め、完全に暗譜する。その過程を経て紡ぎだされる音楽は、プロには無い味わいがある。

 番組で、顧問の先生は、「吹奏楽は息がそのまま音になる管楽器がメインなので、感情を表現しやすい」と言っていた。音に心を入れる、そんな基本的なことをしばらく忘れていた気がした。番組を見て、音をじっくり確かめながらリコーダーを吹いてみた。実に楽しい。

 そして、久々に昔作ったオリジナル曲を録音した。

https://www.youtube.com/watch?v=rD6o8m8Vgbo


1月8日 日本人学校にて

 今日は、サチコの日本人学校幼稚部の願書受付の日だったため、会社を早退して日本人学校へ向かった。妻子が日本にいるため、私が代理で行ってきたのである。

 つつがなく受付を終え、帰ろうと思い運転手に電話すると、今は動けない、という。状況がよく分からないまま、駐車場まで歩いていくと、ちょうど生徒の下校時刻に当たったらしく、生徒のバスが全て出発するまでは、他の車は一切動けないのだという。私は、下校の様子を運転手と一緒に眺めていた。

 その下校の様子は、壮観であった。古風な鐘の音が鳴ると、各バスの点呼がなされ、乗っていない生徒がいると「○○君がまだ乗車していません」との放送が流れる。確認が取れたバスから先に出発するのではなく、ひとりでも乗っていないと、全部のバスが出発できないのである。15分位して、全員の確認が取れた後、旗の合図でバスが一台ずつ出発していく。出発している間、教職員は入り口で手を振り続けていた。私も運転手も、もの珍しいものを観る様に、その様子を眺めていた。

 インドネシアの土地に、日本らしい空間を見たような気がした。よく言えば、きめ細かく、管理が行き届いて統率されている姿である。反面、柔軟性が無く、形式的で、人間味の感じられない風景にも見える。良い、悪いではなく、日本らしい感じががして、懐かしく思った。これがインドネシアの学校であれば、バスにそれぞれ生徒が乗り込み、ろくに確認もしないまま出発する。その代わり、取り残された生徒がいても、誰かが送ってあげて無事終了、そんな風景が目に浮かぶ。運転手は、何度も感嘆の言葉を漏らしていた。

 そして、全部のバスが出発した後、私たちを含め、それを待っていた家庭車の送迎が我先にと一斉に動き出し、日本人学校の敷地は、見慣れたインドネシアの雑多な風景に戻った。


1月4日 2015年最初のつぶやき

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 今回の年末年始は、日本に帰った。新年を日本で過ごすのは、インドネシアで暮らし始めて以来、初めてである。今年は、妻の出産準備のため帰国することもあり、日本で正月を迎えた。

 日本は、寒かった。サチコにとっては、0歳以来、冬を体験したことがない。彼女は、薄着のままヘラヘラと空港を出て、突然の「寒い」という感覚に動転し、ガタガタ震えながら泣き出してしまった。上着を渡しても、着ようとしない。「寒い」という感覚がよく分からず、その対策として厚着をする、という知識もないのである。

 日本にいる間は、毎日の様にサチコと外出した。妻の実家にいる間は、散歩や買い物に一緒に行き、ふたりで私の実家に一泊した。休暇が終わる頃には、すっかり寒さに慣れ、「子供は風の子だから大丈夫」みたいなことまで口にするようになった。逆に大人である私のほうが寒さに参ってしまった。以下、正月休みであったことを箇条書き

・妻の実家で「探偵ナイトスクープ」のスペシャル番組を3時間半にかけて観た。やっぱり面白いなぁと思う。

・母の買ってくれたサチコのプレゼントの中で一番喜ばれたのは、神社の出店のハズレクジのアナ雪のポストカード(クジ代300円)と、同じ神社のスーパーボールすくいで手に入れたウンコの形をしたスーパーボール(?)(300円)。それ以来、サチコの手から離れることはなかった。

・今回は、サチコがこれまであまりなつかなかったおじいちゃん(私の父)に抱っこをしてもらっても嫌がらなかった。父の家では、「グレートトラバース 〜日本百名山一筆書き踏破〜」をひたすら観て過ごす。こういうのんびりした正月がいいと思った。

・日本最後の夜はミヤザキ一家と小倉で会い、食事をした。サチコとチヨコの変顔対決は今回も健在であった。チカコの天使のような微笑にすっかりメロメロになったところに、ミヤザキ夫妻から「こういうのを『真の悪』というんですよ」の一言で、こんな悪魔になら何されてもいいと思った。この顔で、寝ている親の目をつついて起こそうとしたりするらしい。

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