2015年
4月のつぶやき
4月26日 料理
一人暮らしをして、作る料理がマンネリ化していると感じる。毎週買う材料はほぼ同じ。大根、人参、ゴボウ、シメジに何らかの肉か魚を追加し、煮物にするか、味噌汁にするか、キムチチゲにするかを決める。ジャガイモやコンニャクは、冷凍するとボソボソになって美味しくないことが分かっているので、使わない。
この「大根、人参、ゴボウ、シメジ料理」は、必ずと言っていいほど毎週作り、その他は、たまにお好み焼き、レバニラ炒め、魚の煮つけを作るくらいである。あとは、小豆と大豆と粟を混ぜた雑穀ご飯と、納豆、ヨーグルト、ピーナッツ、ブルーベリー、トマト、ヤクルト。毎日、ほぼそればかり食べている。
マンネリ化しているとはいえ、割と健康な料理なのではないかとは、思う。ただ、何か決定的な栄養素が足りてないか、分からない。
4月25日 優しさについて
「優しさ」ということについて、考える。私は、自分自身、優しさが無いのではないかと感じることがある。私が外面に出している「優しさ」は、実は自己啓発本などで読んだ、テクニックに過ぎず、心の底から人を思いやっているのだろうかということを自問することがある。内面から優しさがにじみ出て、それを行動や言葉で素直に表現できるような人に会うと、そんな人に惹かれ、自分もそうありたいと願う。
一方で、「優しさ」とは何であろうかということも考える。ドラマ「女王の教室」で登場する鬼教師は、優しさの一面であろう。
「優」という字の語源は、「憂えている(悲しんだり落ち込んだりしている)人に寄り添っている人(にんべん)の様子を表しているという。「優」という字には、「やさしい」という意味がまずあって、「やさしい」人は、素晴らしい人というところから転じて、優秀・優勝など、「すぐれている」という意味にも使われるようになったらしい。
先日の妹の結婚式で、新郎の父がスピーチで「これからの時代は生きづらい世の中になってきている」と述べていた。その通りだと、思った。国連事務局の推定によれば、世界人口は2065年に100億人を突破する。食糧不足、原油の枯渇などは、時間の問題となろう。それによる政情不安も予想され、心配事をあげればきりが無い。
そんな時代に子供を生み育てていいのだろうか、ということは考えた。「希望の兆しが見えたからこそ、妻とわたしは17年前に子どもをもうけることに決めたのだ」という一文は「文明崩壊」(ジャレド・ダイアモンド著)の最終章に出てくる、「環境問題の解決に対して悲観的か楽観的か」という問いかけに対する著者の回答である。子供が欲しいと思ったとき、この一文が常に頭にあった。
これからの時代は、弱肉強食の世界となり、タフで冷徹な人間の方が、生きる力が強いであろうか。そうかも知れないが、私はそっちに賭けたくない。生きづらい時代になるからこそ、他人を思いやれる人間であるべきだ。「優しさ」ゆえに、不利益を被ったり、辛い思いをすることがあるかもしれない。しかし私は、そんな時代だからこそ、「優しさ」が時代を生き抜く力を授けてくれることを信じたい。
君を「優一」(ゆういち)と名付ける。
4月24日 第二子誕生
昨日の朝、妻から陣痛が来たので病院に行くとのメールが来た。しばらくして、「入院したよー陣痛なう!」というメールが送られてきた。
私がじたばたしても仕方がないので、普通に仕事をしていたが、どうか無事に生まれますようにと祈っていた。祈る対象が無いのは、困りものだと、思った。車のダッシュボードに乗っかっている白河だるまにお祈りしようか、それともモスクにお邪魔してアッラーの神にお祈りしようかとも、本気で考えた。
そうこうしているうちに夕方となり、「生まれたー!」というメールが来た。写真も送られてきた。2726gの男の子である。
可愛い。妻に感謝!神様に感謝!である。レバラン休暇で会うのが楽しみだ。
4月21日 妹のこと
私には妹がいる。そして、妹には敵わない、と思う。彼女は、子供の頃からぶれることが無かった。国際協力の仕事に就きたい、という夢を抱き、誰に何を言われようが、それに向かって突き進んでいた。色々な夢をぼんやりと描きつつも、無難に会社員となった私とは対照的である。
私がインドネシアで生活していることなど、妹の波乱万丈な人生に比べれば小波ほどでもない。私がインドネシア異動を言われたとき、妹は駐在員の生活がいかに素晴らしいかを語り、現地採用との待遇の差を羨ましがった。そして、ろくに語学も出来ず、仕事も出来ない癖に偉そうにしている駐在員のことを、現地社員と陰で馬鹿にしていたことを語った。語学の苦手な私が必死でインドネシア語を勉強したのは、妹の影響が無いとは言えない。
そんな妹が、結婚した。上記の如き、素晴らしい妹だが、結婚はしないだろうなと思っていた。同じ志を持つ男性とは、すぐに口論になってしまうし、かといってそうでない男性は、妹に対して萎縮してしまう。あるとき、何でも気遣ってくれる彼氏が重すぎる、と言っていた。自分はピーチ姫ではなくルイージになりたいのだとメールをくれたこともあった。
そんな妹も、最近は角が取れてきたなぁと思っていた。それは、夢を諦めたということではなく、折り合いをつけるバランス感覚が備わったということである。結婚すると聞いたときも、どうせ大喧嘩して破談になるだろうと思っていたが、ほとんど喧嘩はしていないという。結婚相手は、10年以上前にインドでバックパッカーをやっていたときに知り合った青年である。その後、西表島でも偶然出会ったらしい。
結婚式は、ささやかだが素晴らしいものであった。家族と、大切な友人だけで行われた。両親や友人によるスピーチは、形式的なものではなく、心の底から祝福する言葉で溢れていた。
面白かったのは、妹が半年かけて作成したというビデオメッセージであった。8割が妹の写真と人生についてで埋め尽くされており、花婿の存在感が圧倒的に低い。まるで妹のプロモーションビデオのようであった。母曰く、「花婿は刺身のツマみたいなもんやから」ということだが、ここまで非対称なビデオメッセージも珍しい。
ともあれ妹夫婦の幸せを祈る。
4月9日 ゴボウ
ここのところ、毎日のようにゴボウを食べている。ゴボウは、食物繊維が豊富で、抗酸化作用があり、腸内環境を整えたり、コレステロールを下げる効果があるらしい。ゴボウの皮を剥いたり、アク抜きをするのは、栄養素を捨てているようなものということであり、皮はアルミフォイルを丸めたもので軽く擦るだけにして、そのまま調理している。
以前にも書いたが、最近腸内細菌の重要性が注目されている。腸内細菌と言うのは、それだけでひとつの生態系といってもいいくらい複雑に出来ており、個人差も大きいらしい。東南アジアの屋台で食事をして、お腹を壊す人と壊さない人がいるのは、この差による。そして、この腸内細菌は、お腹だけでなく、成人病やうつ病まで影響しうるという。腸内に存在しているウィルスや最近の数はおよそ100兆個、人体に常時存在しているウィルスや細菌を含めると、人間の細胞の数のおよそ10倍だという。「人間は、微生物の生存と伝播を可能にするために進化した、精巧な乗り物」らしい。
上記は以前にも書いた「寄生虫なき病」」(モイセズ・ベラスケス=マノフ著、文芸春秋)からの引用である。本書を読めば、「多様性」というものがいかに重要かが分かる。妊婦が多様な食事をしていたほうが、生まれてくる子供のアレルギーリスクは下がる。免疫低下とアレルギーは矛盾しない。多様な微生物環境や食事に触れていない方が、敵・味方の区別がつかず、こうした病気を発症しやすくなる。
ゴボウに含まれる食物繊維は、腸内細菌の餌となる。ゴボウを食べると、すぐにその効果を実感する。毎日快便であり、かつ大便からは嫌な臭いが消え、腸内細菌が健康であることを実感する。また、無臭のおならが頻繁に出る。毎日、おならをしながら仕事をする日々が続いている。
4月5日 女王の教室
ヒマなので「女王の教室」を見返している。「女王の教室」は2005年に放送されたテレビドラマで、「悪魔のような鬼教師」に対峙する子供たちの物語である。このドラマは、初回で児童の女の子が失禁するというシーンが問題となったものの、私は非常に優れた作品だったと思う。脚本は「家政婦のミタ」の遊川和彦氏で、ドラマの作り方や根底に流れる哲学は似ているところがあるものの、個人的には「家政婦のミタ」よりも好きである。
この教師は、自分自身が大きな壁となって子供たちに試練を与えている、という設定が後で分かってくるのだが、こんな教師像が正しい、とはこのドラマは言わない。そこはあくまでフィクションを貫いている。それでも、ゆとり教育の真っ只中で、学級崩壊やモンスターペアレントが問題となる中、このドラマは強烈なアンチテーゼとなった。
「先生が怖い」というだけで、ドラマが作れるのかと思うかもしれないが、相当怖い。そして、子供たちは、演技と言うよりは自分自身の問題として考え、心の底から出た言葉、行動であるように思え、心を打たれる。
さっき、この「つぶやき」を書こうと、このときの子供たちの名前をいくつか検索してみたら、どれも別人のようになっていて驚いた。もう10年前のドラマなのであった。
4月4日 盆太鼓ワークショップ
今日は、ジャカルタで盆太鼓のワークショップがあるということを新聞で知り、参加してきた。太鼓を叩くのは本当に久しぶりなので、楽しみであった。
今回、大江戸助六太鼓を創設した頭(かしら)とプロの太鼓打ちが来イして指導してくれた。ジャカルタにはインドネシア人を中心とした大江戸助六太鼓のクラブがあり、彼らに対する指導の中で、一般の人も参加できる形にしてくれたらしい。
久しぶりに叩く太鼓は、楽しかった。インドネシア人のメンバーも、熱心に練習しているように思えた。盆踊りの曲に合わせて、順番でソロで叩くような機会があったので、小倉祇園太鼓と八丈太鼓と石狩太鼓を合わせたような、胡散臭い叩き方を披露したら、インドネシア人の喝采を受けた。
頭の太鼓は味わいがあって、良かった。もう一人の若い太鼓打ちの演奏も素晴らしかったが、そういうパワフルな演奏よりも、老人の味のある太鼓のほうがが好きである。昼食で聞いた話も興味深かった。昔は、太鼓といえば、各地方のお祭で行われていた芸能であった。それが、沢山の太鼓を舞台に並べ、「組み太鼓」と呼ばれるスタイルの原型を作ったのは、どうやらこの人らしい。鬼太鼓座や鼓童のほか、多くのアマチュアがやっている太鼓のスタイルは、このあたりから発しているようだ。
こういった太鼓は、昔から伝わる伝統芸能のように思われがちだが、実は現在私たちが観ている太鼓のスタイルの多くは、ここ数十年で確立された新しいものなのである。
私は、どちらかといえば創作の組太鼓はあまり好きではなく、地方に伝わる伝統芸能に惹かれるのだが、それでも日本の太鼓の魅力を世界に知らしめた、組み太鼓のスタイルを確立したということは、凄いことだと思った。
4月3日 コンドルは飛んで行く
新年度が始まったが、インドネシアでは全く実感が湧かない。平日は仕事をして、休日はリコーダーを吹くか、柔道に行くか、料理をするといった生活が続いている。ここのところ、耳鳴り、難聴がまた酷くなってきた。先週の月曜日は、夜にめまいも発生し、フラフラしながら夕食を食べてすぐに寝た。
恐らく、私の体調は一年前とあまり変わっていないのであろう。変わったのは、体調不良に対する不安が以前ほど大きくなく、「やれやれ」といった感じで乗り切っているところである。それでも不安はあり、抗不安薬の消費も多くなっているので、今度日本に帰ったときに追加しなければならない。
今日はインドネシアの祝日であったため、「コンドルは飛んで行く」をリコーダーで吹いて遊んでいた。この曲を初めて聴いたのは、小学生の頃、叔母がくれたカセットテープだったと思う。これを聴いて、私の前世はアンデス人だったのだろうかと思ったくらい、懐かしい感じがした。それから、駅前などでアンデス民謡のライブがあると、大抵足を止めて聴いた。
リコーダーでも昔からよく吹いていた。ジャカルタリコーダークラブの楽譜に4重奏があったので、適当に私好みにアレンジして吹いてみた。
https://www.youtube.com/watch?v=s2WG2JppFNE
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