2015年
5月のつぶやき




5月31日 イェヴァン・ポルッカ

 今日は、リコーダーの多重録音をした。「イェヴァン・ポルッカ」というフィンランドの歌である。伝統的なポルッカのメロディとフィンランドの方言で歌われているこの歌は、民謡と言ってもいいかも知れない。

 歌詞は、ナンパ男が女の子を連れ込もうとしたところを、女の子のお母さんに見つかったあげく、逆ギレして「おれの邪魔をするなら蹴っ飛ばすぞ」みたいなことを言う、意味不明の歌詞である。同じフィンランドのフォークソングバンドである「ヴァルティナ」にもこういう意味不明な歌詞を早口でまくしたてるスタイルがあり、なんとなく病み付きになってしまう。

 更に、この歌が有名になったのは、日本のアニメキャラの女の子が長ネギを振り回しているシーンに合わせてこの「イェヴァン・ポルッカ」が流れるフラッシュムービーが作られ、世界的に有名になったらしい。Yoububeで検索すると、初音ミクが歌ったりもしている。

 ある意味ナンセンスの真骨頂であろう。でもいつまでも聴いていたくなる、不思議な曲である。

イェヴァン・ポルッカリコーダー4重奏
https://www.youtube.com/watch?v=ebu5JwelBR8


5月30日 柔道の練習

 今日は土曜日に柔道の練習後、いつも練習に来ている体育学校の生徒の卒業を祝って、地元のシーフードレストランで食事をした。体育学校の生徒達のほか、いつも道場に顔を出している小学生たちもやってきた。

 小学生たちは、ひととおり食事に飽きると、ジュースにサンバル(チリソース)やらエビの頭やらカニの爪やらを突っ込んで、「ほら、お前飲めよ」みたいなことをやってげらげら笑っている。どこの国でも子供のやることは同じである。私たちオヤジ柔道家たちも、一般的なモラルは持ち合わせていないので、特にたしなめることなくにこにこして見守り、たまにちょっと飲んでみせてやったり、一緒になって「お前も飲め」と言ったりして盛り上がっている。

 最後に卒業生達が、今後の抱負を語った。頭の悪いお調子者氏は、「大学に行って法学を学ぶ」と言って笑いを買っていた。他のメンバーも、「SEA Games(東南アジア競技大会)に出場する」など、堂々と抱負を語っていた。実現するかどうかではなく、こうして堂々と夢を語れることは大したものだと、思った。

 最後は、酔っ払ったオヤジ柔道家たちの提案により、狭いレストラン内で卒業生たちを胴上げをしてお開きとなった。

 彼らの活躍を祈る。


5月24日 栗コーダーカルテット&フレンズ

 この週末は、栗コーダーカルテットが来イして、コンサートがあった。ゲストとして、リコーダー奏者の吉澤実氏、シンガーソングライターの知久寿焼氏も来た。私たちリコーダークラブは、受付などのお手伝いをしつつ、演奏会を楽しむという、またとない機会を得た。

 栗コーダーカルテットは、「ピタゴラスイッチ」の演奏を手かげていることで知られる。知久さんも「お父さんスイッチのつくりかた」を歌っていることは、初めて知った。吉澤さんは、リコーダー愛好家では知らない者はいないほど、有名なリコーダー奏者で、NHKのリコーダー番組や音楽の教科書でも登場する。

 演奏会は、素晴らしかった。「野良猫を尾行する会」みたいなことが書かれたTシャツと、短パン、サンダルで現れた、知久さんのぶっとんだ内容の歌詞と素っ頓狂な歌声は、私たちを独特の世界に引きずり込んだ。そして、ほかの演奏者は演奏衣装と私服を分けている中、彼だけは歌っていた姿のまま、会場を後にしていた。こういう人を天才というのだと思った。

 栗コーダーカルテットのお馴染みの「ピタゴラスイッチメドレー」などは、会場はかなり盛り上がった。小さい子供を連れた家族連れもたくさん居て、会場は終始にぎやかで、大盛り上がりであった。吉澤先生の超絶技巧と、情緒豊かな表現は、まさにリコーダーの王道という感じであた。

 次の日、吉澤先生によるレッスンを受ける機会があった。先生のレッスンは、リコーダーはこんなに自由に演奏していいんだ、こんなに楽しんで吹いていいのだ、ということを教えてくれた。自分達だけで練習していると、どうしても正確なテンポやリズムで吹くことだけに囚われてしまう(それも重要だが)。その先にあるものを垣間見せてくれたことで、リコーダーの楽しさを再確認することが出来た。

 本当に、貴重な体験が出来た。吉澤先生には楽譜立てにサインをもらった。有名人にサインを貰うという、人生で初めての体験であった。


5月22日 大阪都構想

 先週の話だが、テレビをつけたら、大阪都構想の賛否を問う住民投票の開票速報をやっていた。他にやることもないので、ぼんやり見ていたら、その行方に釘付けになってしまった。

 観た人も多いと思うが、差はほとんど無いもののわずかに賛成が有利であった。私は、橋下徹さんがあまり好きではないので、反対が勝てばいいのにと思いながら観ていた。しかし、賛成のほうが少しずつ差を広げながら開票が進んでいく。

 開票が80%程度進んだところで、突然、反対の勝利が確定したとの放送が入った。開票結果は、現在賛成が有利だが、この後、反対が票を伸ばし逆転します、と言う。その後、98%まで開票が進んでもまだ賛成多数なのに、反対派勝利会見が開かれた。その後、NHKの「予言」どおり、残りの2%で逆転し、反対派の勝利に終わった。私は、どうでもいい開票速報が、期せずして手に汗にぎる面白い番組になったと思った。スマイル党のマック赤坂氏の政見放送に次ぐくらい、見ごたえがあった。

 私はこれまで、選挙の当選確実等は、統計的に「ほぼ」間違いないと計算された際に出るものだと思っていたが、どうやら違うらしい。出口調査等、独自の調査を積み重ねて力技で行うらしい。それにしても、開票速報で賛成有利の中、反対の勝利確定を出すという決断をするのは勇気の要ったことであろう。改めてNHKは凄いと思った。

 この結果を経て「残念だ」「日本の若者は老人に食い殺される」などのツィートが見られた。この結果を残念に思う若者は多いようだ。

 私は、社会システムに関して、現状がダメだから全部ぶっ壊して一から作り直そう、という考え方は合っていない思う。否、私自身、そういう考え方が嫌いである。会社も、教育制度も、少しずつこつこつと変えていくしかないと思っている。もちろん、成果としては目に見えづらいし、ストレスフルだし、周囲からは何も変わっていないと思われるかも知れない。それでも、「何も変わっていない」レベルを維持するのは意外に大変である。大きな損をしたときにそれを持ち直した人は、英雄視されるが、そんなことより、そもそも大きな損をしないよう、先回りして予防することのほうが遥かに重要なのである。

 私は、とあるカリスマ的な人間が、ばさばさと大きな決断をしていくことに抵抗感をおぼえる。それよりも、「その他大勢」の人たちが、日々少しずつものごとを前進させていく姿のほうが好きだし、私もその一員でありたい。


5月17日 明るいチベット医学

 鍼灸院の待合室に置いてある「明るいチベット医学」(大工原弥太郎著)をパラパラと読んでいたら、非常に面白くて、先生に貸してもらって家で読み進めている。著者は、チベットで仏教を学び、医学僧としてチベット医学を学んだ。その後、インドに渡り、そこで医療施設を開いているという。この本が出版されたのが1988年だから、30年近く前の話である。

 オカルト的な内容ではなく、非常に科学的なのである。30年近く前の本なのに、最近ようやく話題になってきた、腸内細菌の重要性や、生きるのに必要な細菌類が出産時に母から子へ受け継がれる仕組みについても言及されている。

 チベット医学では、解剖を重視している。そこで内臓、筋肉や神経線維のひとつひとつを細かく調べていくという。病院で亡くなった人の遺体を解剖し、その病原がどこにあるかを詳しく見ていく。チベット仏教では、死体はただの物体と考えられているから、抵抗はないという。西洋医学の医者でも、ここまで人体と直に向き合っている人は稀であろう。

 お産の重要性についても、本書ではかなり詳しく言及されている。かなり多くの地域で、お産は穢れたものであるから、出産を控えた妊婦は暗い小屋に隔離し、出産後も3週間程度はそこから出ることを許さず、助産師や近しい女性以外の入室を禁ずるという風習があるという。

 これは、著者によれば「穢れ」の名を借りた、妊婦と赤ちゃんを守るための理にかなった風習であるという。赤ちゃんにとっては、これまで母親の胎内の静かな環境から、急激に外の世界に押し出されてくる。そのとき、あまりに明るかったり、周りの大人が大騒ぎをすると、それが恐怖体験として刷り込まれる。静かで薄暗い環境から、徐々に慣れていくのがよい。声は、弱った母親のささやき程度の声でなければならない。または、母親にとっても、開いた骨盤が元の位置に戻るまでは、安静にしていた方がいい。

 チベット遊牧民のお母さんは、赤ちゃんが泣いてもおっぱいはあげない。母親のおっぱいが張ってきたらあげる。授乳は、赤ちゃん基準ではなく、完全に母親の都合で行うのである。すると、赤ちゃんもお腹がすいているから、目一杯飲む。また、沢山泣くから、肺が鍛えられ、標高の高いチベットで生きるための体が作られていくという。

 私は、出産の時に日本に戻らなかった。帰国していたら、優一の前で大きな声を出したりして、怖がらせていたかもしれないと思うと、ちょっと心が晴れた。


5月10日 何も考えない

 私に限ったことでは無いのかも知れないが、私はいつも何かしら考えている。どうでもいいことを考えているか、音楽が頭の中をエンドレス再生されているか、とにかく何かしら頭の中でなにかをこねくり回している。それが今の体調に悪い影響を及ぼしているような気がしている。

 最近、「何も考えない練習」を始めた。出勤前のジョギングや散歩の時間、努めて何も考えないようにするが、これが意外に難しい。気付くと走りながらなにやら考え事をしている。「何も考えない」と念じると、「何も考えない」という言葉自体が頭の中を回りはじめる。

 コツは、「何も考えない」のではなく、五感を使うことだということに気付き始めた。散歩しながら、風景をじっくり見る、何が聴こえるか確認する、空気の匂いを嗅いでみる、風や衣服が肌に触れる感覚を味わう、そんなことを順番にやっていると、次第にリラックスしてくる。左脳ではなく右脳を使うのである。

 それでも少しでも気を抜くと、「左脳がどうで、右脳がどうで、、、」と考え始めてしまう。何も考えないのは、難しい。


5月2日 鍼灸に通う

 鍼灸に通いはじめてから、難聴・耳鳴りがだいぶ良くなってきている。ジャカルタにある「匠」というマッサージ屋である。ここに新しく来た先生は、「活法」という、整体と鍼灸を組み合わせた技術を使う。先生によれば、元々武術には「殺法」と「活法」から成っており、投げ技や関節技などは「殺法」にあたる。そして「活法」は、戦場や道場などで傷ついた人を治癒する技術らしい。

 針を打ってもらうのは、高校時代に柔道の腰痛で一度行って以来であった。全く効かなかったを覚えている。灸は全くの初めてである。何度か通ううちに、体調が良くなって来て、たとえ疲れても、自然に回復するようになってきた。

 こういった代替医療の力が凄さは、最近になってようやく分かってきた。サイモン・シンの著書「代替医療のトリック」は、代替医療がいかに胡散臭く、ただのプラセボ(偽薬)効果に過ぎないかを検証した本だが、これが正しくないことを身をもって体験している。むしろ、この本の面白さは、プラセボ効果がいかに大きいかということであろう。メニエール病は、西洋医学では難病だが、代替医療の世界では、そうでもないらしい。

 体調が良くなってきたので、久しぶりにリコーダーの多重録音をした。サチコがはまっているプリキュアの劇場版のテーマ曲「イマココカラ」と、バッハの「G線上のアリア」である。

「イマココカラ」
https://www.youtube.com/watch?v=lpf8lsApbZA

「G線上のアリア」
https://www.youtube.com/watch?v=zUrl3AJ8Zvg

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