2015年
6月のつぶやき




6月28日 続・もしも翼があったなら

 昨日、「Seandainya Aku Punya Sayap」をリコーダー編曲したことを書いたが、その後、リコーダークラブのメンバーから衝撃のコメントがあった。なんと、知久さんが歌っていたのは、この曲ではないというのである。

 どうやら、知久さんの歌っていたのは「Andaikan Aku Punya Sayap」、私が編曲したのは「Seandainya Aku Punya Sayap」 で、題名の似ている全然違う歌を編曲していたらしい。「Andaikan Aku Punya Sayap」を聴いてみると、確かに知久さんが歌っていたのはこれだと確信する。

 私は落ち込んだ。私はコンサートで何を聴いていたのだろう。いたく感動したにもかかわらず、違う曲だと気付かないなんて。確かに、知久さんが日本語に訳していた歌詞も、原語とずいぶん違うなぁと思ったが、そこは知久さんの天才的なインスピレーションだと思い込んでいた。

 「Andaikan Aku Punya Sayap」を聴いてみると、確かに知久さんが歌っていた日本語と符号する。

Satu-satu Daun-daun Berguguran Tinggalkan tangkainya
(葉っぱがひとつひとつ、茎から離れ、落ちていく)

Satu-satu Burung kecil Berterbangan Tinggalkan sarangnya
(小鳥が一羽ずつ、巣立っていく)

Jauh-jauh Ke langit yang biru
(青い空に飛び立ってゆく)

Andaikan aku punya sayap
(もしも私に翼があったなら)

Ku kan terbang jauh mengelilingi angkasa
(天高く飛び自由に飛び回りたい)

Kan ku ajak ayah bundaku terbang bersamaku
(お父さんやお母さんも誘って)

Melihat indahnya dunia
(美しい世界を見渡すのだ)

 私は、この週末で編曲することに決めた。レバランまで土曜日が休めない可能性があるし、レバランが明けて家族が帰ってきたら、のんびり編曲する時間も無いだろう。こういう歌を編曲するのは、難しい。ピアノ伴奏をそのままリコーダーにするわけにいかないし、人の声とリコーダーの音は違う。何を生かして、何を捨てるか、どういう方針で編曲するかということを決めなければならない。あまり資料も無かったので、和音もひとつひとつ探らなければならない。

 とりあえず、なんとか間に合った。まあ、おかげでインドネシアの歌をひとつ多く覚えることが出来た。

「Andaikan Aku Punya Sayap」リコーダー4重奏
https://www.youtube.com/watch?v=aqOk8-TV_ag


6月27日 もしも翼があったなら

 先日、栗コーダーカルテットがジャカルタに来たとき、アンコールで知久寿焼さんがインドネシアの歌を歌った。「Seandainya Aku Punya Sayap」(もしも翼があったなら)という曲である。はじめはインドネシア語で、後半は知久さんが作詞した日本語で歌っていた。

 歌を聴いていると、心に染み入るようで、自然と涙が出た。後でリコーダー仲間と話していると、他の人も同じだったらしい。家に帰って歌詞を調べると、その内容に驚いた。

Seandainya aku punya sayap Terbang.. terbanglah aku. Ku cari dunia yang lain Untuk apa disini.
(もしも翼があったなら、私は飛び立ちたい。そして、他の世界を見てみたい)

Seandainya dapat kau rasakan Kejam.. kejamnya dunia. Tiada lagi keadilan Untuk apa ku disini.
(もしもあなたがこの世界は残酷で、正義などないと感じてしまったら、ここにいて何になるだろう)

Menjerit dan menangis Pilu dan derita. Merintih dan berdoa Dimanapun berada oh.. duniaku yang fana..
(叫びや嗚咽、悲しみや苦しみ うめき声や祈りの声はいたるところにある この無慈悲な世界では)

  Seandainya aku punya sayap Terbang.. terbanglah aku. Ku cari dunia yang lain Untuk apa disini.
(もしも翼があったなら、私は飛び立ちたい。そして、他の世界を見てみたい)

まるで、インドネシアと言う国が抱えてきた苦しみ、そして、今でも多くの庶民が感じているであろう貧しさ、劣等感、諦観などの感情が噴き出しているようである。単に今の状況から逃げたいという歌ではない。ほんの少しの空想に浸り、それを活力に明日を生き抜こうという力強ささえ感じられる。

 是非リコーダーで吹きたいと言われ、編曲してみたが、この力強さはやはり歌でないと伝わらないと思った。

「Seandainya Aku Punya Sayap」リコーダー4重奏
https://www.youtube.com/watch?v=WS9RihmGWfs


6月26日 近況

 久しぶりの更新となる。しばらく書かないと、明らかに文章力が落ち、着想も湧かなくなり、自分が何を考えているのか分からなくなる。リハビリも兼ねて、下手でも書かなければならない。

 ここのところ、朝4時半に起きて出勤し、家に帰るのは夜遅い、という生活が続いている。家に帰っても、必要最低限のことだけを済ませて寝るだけであり、なかなか楽しいことを考える時間が無い。それでも今週は土曜日は出勤しなくてよいと言われたので、久しぶりに夜更かししてこの「つぶやき」を書いている。

 最近、通勤の車の中にCDを持ち込んで好きな音楽を聴いて過ごしている。今日は下にも書いたフィンランドの伝統音楽バンド「ヴァルティナ」のライブCDを聴いていた。その中に私の好きな「リーグア」という曲があるのだが、自分の夫がどうしようもない飲んだくれであることを嘆く妻の気持ちを歌った歌である。途中、11/8拍子という、複雑なリズムになり、非常にカッコいい。そのカッコ良さと、歌詞のギャップが面白いと思う。

 運転手に「これは妻が飲んだくれ旦那の文句を言っている歌だ」と説明したら、「怖い」と笑っていた。そして、演奏後の拍手が他の曲より小さい気がする。たぶん観客のほとんどは男性なのだろうと、分析していた。

ヴァルティナ「リーグア」
https://www.youtube.com/watch?v=3st1Ef1btPY  


6月13日 近況

風邪を治す

 先週末、仕事が終わると寒気がした。風邪をひいたのかもしれない。私は、風邪をひいたときの特効薬は、炭水化物と塩分とニンニクだと思っている。工業団地の日本食レストランへ行き、しょうゆラーメンとニンニク丸揚げを注文した。ニンニク丸揚げは、なんとニンニクが2つも出てきたので、ひとつだけ食べて、もうひとつは持ち帰ることにした。それでもニンニク丸ごとひとつは多かった。

 次の日の朝、風邪は治っていたが、久しぶりに下痢をした。ニンニクを食べ過ぎたらしい。

歯が痛い

 風邪は治ったが、歯が痛くなっていた。左下の親知らずのあたりである。放っておけばなおるだろうと思っていたら、次の日更に痛くなり、寝るのも一苦労となった。昨年の夏に歯医者に行ったとき、親知らずが虫歯になりかけていると言われていたので、ついにそれが来たかと思った。インターネットで調べてみると、カレー屋の店長兼歯医者さんという謎の人と、タケノコ診療所という、日本人向け診療所の女医さんという、ふたりの日本人歯科医がいることが分かった。カレー屋のほうは敷居が高そうだったので、月曜日の朝、タケノコ診療所へ行った。

 診察の結果、奥歯の磨ききれない部分にカスが溜まって膿んでしまっているが、虫歯にはなっていないとのことであった。抗生物質と、奥歯を磨くための歯ブラシをもらって終了であった。

 数日後、歯を磨いていたら、膿んでいた部分と思われるところが破れて、口中血だらけになった。そしてそのまま、痛みは引いていった。

21世紀の資本

 果敢にも、ピケティの「21世紀の資本」を読み始めた。この本は、これまでのデータから r>g という不等式を導き出し、長期的には格差は拡大する方向に推移することを示した専門書である。前回帰国したときに買った。隣には「ピケティ入門」などの解説書が並んでいたが、原書だけを買った。

 600ページ以上あって、重い。寝る前に少しずつ読み進めているが、すぐに手が疲れる。眠い日などは、2〜3ページしか読めないときもあるが、ひとつの「安眠グッズ」として活用している。内容は、思ったよりは分かりやすい。


6月6日 楽天インドネシア

 妻より、息子用のベビーヤードを「Rakuten Belanja」(インドネシア版楽天市場)で発見し、これを買ってくれとの指示が来たので、注文してみた。インドネシアで通販を使うのは初めてだが、一体どうなるのか怖いながらも楽しみであった。

 ネット上で注文すると、日本と同じように、「注文を受け付けました」という内容の自動メールが送られてきた。

 しかし次の日、「あなたの注文は取り消されました」という自動メールが送られてきた。「理由:モノを送ることが出来ません」という、意味不明の内容で、詳細を知りたければ店に直接電話してくださいと書いてある。

 店に電話してみると、じゃあ楽天を介さず直接送りますよ、とのことで直接送ってくれることになった。

 しばらくすると、担当者からのSMSで、注文された製品(約1万2千円)は、すでに在庫がなく、あるのはよりグレードの高いタイプ(約2万円)だけですとの連絡が入った。こっちのほうが 丈夫で使いやすいですよ、という。そりゃ高いんだから当たり前じゃないかと思うが、面倒くさくなって、もうそれでいいですと回答した。

 今朝送ってくれるとのことだが、午前9時半現在、何の連絡もなく、SMSしても返信が無い。インドネシアの通販はまだ敷居が高すぎたらしい。

 (6/13追記。このつぶやきを書いた後、すぐに連絡があり、品物は無事に届いた)


6月1日 ヴァルティナ

 先週末、フィンランドの音楽「イェヴァン・ポルッカ」のリコーダー多重録音をしていたら、昔妻と良く聴いていた「ヴァルティナ」を思い出した。「ヴァルティナ」は、フィンランドの民謡を歌うバンドグループである。会社に入ったとき、先輩に借りたCDで知ってから、妻としばらくはまり、CDを何枚か買った。

 ヴァルティナのファーストアルバムから順に聴いていくと、最初は北欧の田舎の素朴な娘たちの音楽だったのが、そのうちバンドが入り、娘たちはオバサンとなり、伴奏はおどろおどろしくなり、声も迫力が増していく様子が良く分かる。

 今日、何年ぶりかにyoutubeで検索してヴァルティナの音楽を聴いてみた。「アイヨ」(気まぐれじじい)という題名のこの曲は、蛇に噛まれた変わり者の老人が、真夜中に呪いの言葉をがなりたてる、という意味不明の内容の歌で、歌の途中に老人の呪文と思われる長いセリフが挿入される。

 久しぶりにyoutubeで「アイヨ」を聴いて、そのド迫力に爆笑してしまった。私が持っているCDよりも更に迫力が増し、歌姫たちのオバタリアン度も増して、まさに怖いものなしという感じである。昔はもう少し上品(?)に歌っていた気がする。御陣乗太鼓を連想させる。

 フィンランドの音楽は面白い。

ヴァルティナ「アイヨ」 (2013)
https://www.youtube.com/watch?v=9nd8psDOtMw

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